11月20日(水)矢印
書店さん向けDM作りに勤しむ。今回は新刊の案内だけでなく、その新刊がなぜ本の雑誌社から出ることになったのかなど暑苦しく書いた文章も書き添える。
その文章を書きながらまったくの別件で書店員さんとメッセージのやりとりをしていたところ、そこにこんなことが書かれていて目が覚める。
「読者じゃなく書店員に向いてる時点でダメですよね。まずは店頭で売れる努力をしないとダメなんじゃないかな?」
似ているようでそれは全然違う矢印なのだ。内に向いているか、外に向いているか。
書店さん向けDM作りに勤しむ。今回は新刊の案内だけでなく、その新刊がなぜ本の雑誌社から出ることになったのかなど暑苦しく書いた文章も書き添える。
その文章を書きながらまったくの別件で書店員さんとメッセージのやりとりをしていたところ、そこにこんなことが書かれていて目が覚める。
「読者じゃなく書店員に向いてる時点でダメですよね。まずは店頭で売れる努力をしないとダメなんじゃないかな?」
似ているようでそれは全然違う矢印なのだ。内に向いているか、外に向いているか。
昼、高野秀行さんとランチ。すずらん通りにできたフォーの店、ベト屋に入ると「懐かしい匂いだ」と高野さんたいそう嬉しそう。雑談しているうちに、止まっている連載「SF音痴が行くSF古典宇宙の旅」の活路を見出す。
やっとデスクワークが片付いたかと思いきや、海底からマグマが噴出し、新たなデスクワーク大陸が築かれる。
夜。八重洲ブックセンターのアルバイト時代の仲間であるMさんとみさち屋で酒。Mさんはバイト卒業後、別の書店に就職し、その後、図書館に転職、今は都内の図書館で館長をしている。図書館の話を伺う。
迎えにきた介護施設の車に母親を乗せ、二泊三日の週末介護を終え、東武伊勢崎線からJR、京浜急行に2時間30分揺られ、横須賀へ。本日は『蔵書断捨離風雲録(仮)』の単行本に収録する書庫の写真撮影なのだった。
編集担当の近藤とカメラマンの中村さん、間取り図を描いてもらうイラストレーターの鈴木氏と日下三蔵さんの家に押しかけるが、整理された書庫とはいえこの大人数で入ると身動きが取れなくなる可能性があるため、私は半ば外で待つ。
日下さんのお家を訪ねるのはこれで四度目なのだけれど、これまで想像を絶する蔵書量に恐怖心が湧いてきて、棚をじっくり眺めることができなかったのだが、今回やっと心に余裕ができて一冊一冊を眺めることができる。
目黒さんもそうだったし、例えば新保博久さんや大森望さん、さらに坪内祐三さんなど、書評家、評論家と呼ばれる人たちの蔵書量=知識量は半端ないものがある。
日下さんは「目黒さんが居たからこそ自分がある」と本を読んでそのことを書くという仕事というか生き方を提示した目黒さんへの尊敬の念を語っていたが、私は日下さんはじめ書評家のひとたちへの尊敬の念が絶えない。それと同時にこういう本とともに生きている人たちが満足する「本の雑誌」を作っていけるのだろうかという不安は常にあるのだった。
目黒さんが作っていたときは本人自身が書評家であり、重度の活字中毒者であり、恐るべき蔵書量だったけれど、今、本の雑誌社にいる人間はそこまでではないのだ。書評家でもないし、目黒さんほど本を読んでいないし、蔵書量だってたいしたことはない。それで果たして読者の信頼を得る「本の雑誌」を作ることができるのか。
3時間ほどかけて、自宅と別宅の棚を撮影する。
さらに2時間かけて帰宅。
秋晴れ。母親の車椅子を押して1時間半散歩。
半ば空き家のような実家に毎日通勤し、黙々とこなす仕事はないだろうかと考える。誰とも会わず、誰にも振り回されず、口先ではなく手先を使い、しっかり技術が認められる仕事がしたい。
小野寺史宜『日比野豆腐店』(徳間書店)、桂望実『地獄の底で見たものは』(幻冬舎)、『津村記久子『うそコンシェルジュ』(新潮社)、牧野伊三夫『へたな旅』亜紀書房)と読み進む。
本屋か出版社を作る時には、Respirar Booksと名付けることにする。
週末実家介護。
53歳、実家にて「翠ジンソーダ柚子搾り」を飲みながら晩飯作り、母親とクロスワードをする人生になるなんて想像もしなかった。
なかなか悪くないかもしれない。
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