3月25日(火)佐藤正午『熟柿』
佐藤正午『熟柿』(KADOKAWA)は、震えがくるほどすごい小説だった。
産んだばかりの息子と会えなくなってしまった母親。しかも世間に背を向けて暮らしていかねばならず、住む場所と職を転々としていく。まるでロードノベルのようでもあり、子を想う母性を描いた歪な家族小説のようでもある。
それにしても破格で別格の傑作だ。
小説としてまったく格が違うのだ。去年、角田光代の『方舟を燃やす』(新潮社)を読んだときにも思ったけれど、ベテラン作家が本気で小説を書いた時の凄みと、それでいて軽やかに読者を物語の世界に没頭させる技術、そういうものが頭抜けている。
母と子のお涙ちょうだいの物語になってもおかしくない展開であるがしっかり踏みとどまり、小説に大きな迫力を生み出している。
さらに、章ごとに少し時間を経過させ、そこから過去を振り返りつつ現状を語る構成が見事だ。果たしてこの物語はどこへ行き着くのかと、夜になっても眠るのを忘れてページをめくってしまった。
タイトルの『熟柿』には、帯にあるとおり「気長に時期が来るのを待つこと」という意味があるそうだ。
善悪をすぐに判断する世の中を、一度の誤りを許さぬ世界を、そしてすぐ結果を求める現代への、アンチテーゼの物語でもあるのだろう。
2025年を代表する小説だ。