3月27日(水)一升瓶
夜、とある書店の人たちと飲む。
芋焼酎の一升瓶をテーブルの真ん中において、本のこと、本を売ることについて語り合っていると、あっという間に閉店の時間になってしまった。
足元をふらつかせて外にでる。別の駅に向かう書店員さんたちと挨拶をして歩きだそうとしたところ、ひとりの書店員さんが声をかけてくる。
「杉江さん、またお店に来てくださいね」
営業にとって。
いや、人として、こんなにうれしい言葉があるだろうか。
ポケットからハンカチをとりだして、駅へ向かって歩いた。
夜、とある書店の人たちと飲む。
芋焼酎の一升瓶をテーブルの真ん中において、本のこと、本を売ることについて語り合っていると、あっという間に閉店の時間になってしまった。
足元をふらつかせて外にでる。別の駅に向かう書店員さんたちと挨拶をして歩きだそうとしたところ、ひとりの書店員さんが声をかけてくる。
「杉江さん、またお店に来てくださいね」
営業にとって。
いや、人として、こんなにうれしい言葉があるだろうか。
ポケットからハンカチをとりだして、駅へ向かって歩いた。
10代後半で椎名誠になりたいと憧れ、本の雑誌社に転職してからは目黒考二なりたいと願った。それがまさか50代になって沢野ひとしになりたいと思うようになるとは。
沢野ひとし『ジジイの文房具』(集英社クリエイティブ)を読了する。"ジジイ"である沢野さんのなんと豊かでご機嫌な人生だろうか。自分の時間を生きること。自分の時間を大切にすること。"ジジイ"の沢野さんが、"おじさん"の僕に教えてくれているようだった。
夜、高田馬場にて、伊野尾書店の伊野尾さんと食事とお茶。
雨降る中、介護施設へ母親を送り出し、東武伊勢崎線武里駅から出社。
「ここにいるとあっという間に時間が過ぎるのよね。施設だとあんなになかなか一日終わらないのにね」
という母親の言葉に胸が裂ける。
めずらしく来客なし。父親の墓参りのあとは、ゆっくり1時間散歩。車椅子を押しての散歩はなかなかのトレーニングになることに気づく。
すっかり来なくなったメジロ。いったいどこに旅立っていったのだろうか。
吉本由美、田尻久子『熊本かわりばんこ』(NHK出版)を読む。
熊本に暮らす二人が交互に記すエッセイなのだが、季節感と生活感と、それに猫にあふれ、心に沁みる。
今は喜怒哀楽波瀾万丈を無理やり詰め込んだ小説よりもこのようなエッセイを読みたい。エッセイの特集の台割をしばし考える。
三宅玲子『本屋のない人生なんて』(光文社)を読了。
西荻窪の今野書店さんや福岡のブックスキューブリックさんなど独立書店を訪ね歩き、「アマゾンでは満たせない「何か」が本屋という場所にはある。では、その「何か」とは」?を探し求めたこの本は、本を読むこと、本の力、そしてそれを手に取る本屋さんの存在価値というものを改めて深く考えさせられるとってもいい本だった。
そしてそんな本屋を営む書店主の言葉は、東京で情報に埋もれ、頭と口先ばっかり使ってる私には、もう涙が出て立ち上がれなくなるくらい厚みや重さがあった。
30年も同じ世界にいて、同様に本が好きで、本の力を信じていたはずだったのに、自分はいったい何をしていたんだろうと苦しくなる。
結局、覚悟が違うのだった。
私はどこまでいっても会社に雇われて本を作り売るサラリーマンでしかない。そこに揺るがぬ信念などなければ切実さもなく、そんな人間が感じる「本の力」と、人生のすべてを賭けて自身のお金で本を仕入れ売る人の語る「本の力」は、明らかに違う。
独立しなければそこに立つことはできない。肩を並べることができない。私もそちらに立って、本気で本と向き合いたいと思った。本の、本当の力を、知りたいと思った。
★ ★ ★
週末介護10週目。
母の友達がトマトを抱えてやってくる。先週、私が偏食で野菜はトマトしか食べれないと言ったばかりに、農家の軒先で買い求めてきてくれたのだった。
52歳になって、真顔で野菜を食べなさいと叱られる。その親切さに導かれ、少しは食べてみようかと思う。
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