WEB本の雑誌

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8月31日(木)

 今日で8月も終わり。一年なんてあっと言う間。きっと一生もあっと言う間に終わるのだろう。それならそれでいい。

 本日もジグザグ移動を繰り返し、疲れる一日。でも、なぜか電車で移動していると楽しい気分になる。これじゃ子供と一緒だ。

 昼時に神保町にいて、どうしても「いもや」のとんかつが食いたくなった。しかしとんかつが食いたいのではなく、せんキャベツの山盛りが食いたくなったというのだから我ながら謎。野菜嫌いの僕の数少ない食べられる野菜。きっと体が欲したのだろうと順番待ちの列に並ぶ。キャベツと味噌汁が旨かった。

 その後、ジグザグと移動し、ラストは柏。いつもお世話になっているW店のOさんと情報交換。面白い本の話や業界話、その他いろいろ。Oさんに出会えたのもこの会社に入って良かったことのひとつ。

 店を後にすると、すでに辺りは暗くなっていた。最近異様にあやしい柏の町を後にして、直帰。

ドラクエが進まない。社会人はつらい。

8月30日(水)

 間もなく発売になる「新匿名座談会」の事前注文〆切が近づく。〆切間近になると、どうしても営業がとびとびになってしまい、今日もとんでもない移動のスケジュール。銀座から二子玉川、渋谷、恵比寿、田町などなど。その割には成果が上がらず苦戦する

 銀座でちょうどやっていた椎名誠写真展「にっぽん・海風魚旅」に顔を出すと、受付に「浮き玉△ベースボール」の電脳ドコデモ団のエース前田さんが座っていた。いきなり、冷蔵庫からビールを取り出され、とりあえず1杯と言われたが、営業中なので泣く泣く断る。旨そうだったなあ。世間話をしているとタルケンさんもやってきて、沖縄のお茶の差し入れ。ぐるりと写真を見て、銀座を後にする。それにしても笑顔の素晴らしい写真がいっぱい。なぜ、無骨な椎名さんを見てあんなに笑えるのか不思議だ。(笑)

8月29日(火)

 本日も太陽がすこぶる元気。なかなか奴も手を抜かないもんだ。汗をダラダラ流しながら池袋方面へ営業。

 まず、地元笹塚のK店に顔を出し、『笹塚日記』の売れ行きを確認する。ご当地本とはいえ、だいぶ変わった内容なのでどうなることやらと心配していたが、担当のSさんがドーンと店頭平台で勝負してくれているので心強い。売れ行きも間もなく3桁の大台へ。嬉しいかぎり。

 高田馬場、池袋を廻る。

 高田馬場のS店でMさんと話す。このお店は、本の雑誌が置いてあるわけではないのだが、Mさんとは前の会社からのつながりなので情報交換をするようにしている。なぜ「本の雑誌」を置いていないのかと言うと、客層が明らかに違うからである。そういうお店に無理して置いてもらうのは本の雑誌社のポリシーに反するし、僕もそう言ったムリヤリエーギョーが嫌いなので仕方がない。それにS店の真正面のH店はまさに客層ピッタシでたくさん売ってもらっている。そういう住み分けを大事にしたい。Mさんのエネルギッシュな話を聞き、自分のふんどしを締め直す。ガンバロー。

 池袋は只今書店の激戦区。西も東も大型書店が乱立し、それでいてどこも賑わっている。数年前まで本と言えば神保町であったが、このところ池袋の台頭が著しい。

 サンシャインに行くと、噴水広場に200人くらい女子中高生が群がっている。何かと思って近寄って見ると、あと数分でバンドが出てきてイベントをするようだ。休憩がてら気になって見ていると、ビジュアル系のバンドが出てきて、きょう声が飛び交う。「メロディー」とやら…。まったく知らない。それどころか、メンバーが男なのか女なのかもわからない。ボーカルは小さなIZAMみたいな奴で、なよなよと踊りながら歌っている。おまけにドラムの正面には文字が書かれていて「咲かせてみせます恋の華 ……」などと書いてある。理解不能で無能頭から湯気が出る。気持ちが悪いので営業に戻る。

8月28日(月)

 いつまでこの暑さは続くのだろう。 とにかく蒸し暑い。 営業マン必須アイテム「ハンドタオル」が、絞れるほど程、汗をかく。汗をかくからまた水分をとる。そしてまた…。悪循環なのか?

 山手線を各駅停車の旅。 今日は運気が悪いらしく、なかなか担当者に会えない。休みや休憩にぶちあたる。こういう日はリズムを大切に営業しようと心がけ、淡々と移動と訪問を繰り返す。

 目黒のY書店のKさんが移動の話。来月からは恵比寿にうつるとのこと。小社の場合、営業マンは僕一人なので、どっちにしてもつき合いは変わらない。書店さんにとっていいのか悪いのかちょっと気になる。

 もうひとつ気がかりなのは、助っ人に頼んだ、銀座のA書店の本の入れ替え作業。カバーの汚れた本を全部入れ替える手はずだが、池木くんはちゃんとやっているのだろうか。書店さんに迷惑をかけていないか、かなり心配だ。

 夕方帰社すると、久しぶりに助っ人・童夢(どうむ)くんがやって来ている。長崎の実家に帰省していたらしい。相変わらず元気な奴だ。「飲みたい、飲みたい」と言う。僕は早く帰ってドラクエをやりたいからイヤだよと言っても聞かない。仕方ないから1時間だけつき合い、帰宅。お疲れさま。

8月25日(金)

 新橋のB書店に向かう。B書店は古くから『本の雑誌』を取り扱ってくれているお店で、そのつきあいは長い。目黒考二著『本の雑誌風雲録』で記されているような配本部隊が通っていた頃からのお店である。もちろん今は取次さんを通しての扱いになっているが、本の雑誌社の直時代を知っている数少ない書店さんだ。

 新橋駅を降り、駅前の汽車を横目に見ながら、徒歩数分。数十坪の小さなお店だが、サラリーマンの客足は途絶えない。都市部の、町の書店だ。

 僕は、赤信号で足を止め、目の前をB書店を見てハッとした。いつもなら棚に収まった本や、窓に貼られたポスター、お客さん姿が、混在してカラフルに目に映るはずなのに、今日はなぜかモノクロな風景。一瞬、道を間違えたのか思い、辺りを見回したが、間違いなくB書店の十字路。冷静さを取り戻すように、横断歩道の向こうのB書店を見つめると、ガランとした店内が見える。見えてきたものによって、また僕は呆然とする。 店内で、数人の男性がハンマーを振りかざし、棚を壊しているのだ。破壊的な音が、窓から漏れてくる。その窓には何か小さな張り紙がある。一瞬にしてすべてを理解する。「頼む、リニューアルであってくれ!」窓に貼られた紙に祈りを捧げる。

 信号が青に変わり、数歩進んで見えた文字は、「閉店」だった。

 B書店のN店長はとても気さくで、人柄の温かい人だった。僕が毎月顔を出すたび、笑顔で迎えてくれて、バックヤードの小さな部屋でいろんな話を聞かせてくれた。本のこと、商売のこと、出版のこと、長い経験を積んだ話はとても面白く、また興味深いことばかりだった。また、ときには業界のことを離れ、N店長の子供の時話や娘さんとの山登りの話など、いろんな話をN店長の柔和な口から聞いた。自分の父親から聞いたら、素直に耳を傾けられないようなことも、素直に聞けた。そして僕がその時その時持っている悩みのようなものにも、的確なアドバイスをくれた。

 僕はそんなN店長の話が大好きだった。いつも、N店長との話を終え、店を出る際に「ありがとうございました。」と声をかけるのは、仕事の意味ではなく、もっともっと人間的な感謝の気持ちだった。

 そのN店長のお店が、今、閉店する瞬間だった。 店内を埋めていた書籍はすでになく、また平台や棚もあらかたハンマーによって壊されていた。「バッコーン」「ガッターン」と打ちつけるハンマー、部屋に飛び散る木片、19年間の埃、あっと言う間に店はなくなる。これも商売の生存競争なのかもしれない。言葉ではわかっているが、感情は追いつかない。涙があふれそうになる。 もう、N店長と会えないのか…、呆然とドアからその最後の景色を眺めていた。

 ふっと気付くと、奥の方で最後に残った平台に座る人影が見える。こちらからは後ろ姿しか見えないが、その後ろ姿だけで、それがN店長と気づく。僕は、歩み寄ろうとしたが足が動かない。どんな言葉をかければいいのか……。 N店長の哀しみは、僕の何十倍のはずだ。15年近く寝食を共にしてきたお店が、今、なくなろうとしているのだ。そのことを考えると声をかけるのもはばかられた。 どうしたものか…と悩んだが、ここで声をかけなければ今後、一生N店長と会う機会も失われてしまうような気がした。それは悲しすぎる。ためらう気持ちを振り払い、声を、かけた。

 壊された棚の山がうず高く積まれた店内で、N店長と二人で話をした。じっと二人で壊された棚を見つめながら話をした。

 N店長の言葉の断片。

 「やっぱり最後に残るのは人間関係だよね。もう、この年になって、普通に仕事を探したら見つかるわけないよ。でも、今までのつきあいで、2つ3つ声をかけてくれている人がいるんだ。ほんと人だよね。社会は人が作っているんだから、当たり前だよね。でもそのことを分かってない人が多すぎるんだよね…。

 昨日から娘と一緒にマラソンをしだしたんだ。体が丈夫じゃないと、気持ちも滅入るからさ。体力に自信がないとダメだよね。

 また、次が決まったら連絡するよ。」

 僕は、大きな声で「ありがとうございました。」と声をかけ、店を出た。

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