2月28日(木)
営業から戻ると、浜本がじっと僕の机の上の書類を眺めていた。その書類は、とある書店さんと約束していたサッカーフェア用に選んだ本のリストで、僕が今までに読んだサッカー本のなかで、特に面白かったものをテーマ別に18点選んだものだった。独断と偏見にみちた推薦文をつけて…。
カバンを置く音で、浜本は僕が戻ったことに気づき、書類から顔を上げた。そしていきなりその書類をヒラヒラさせながら「まったくなあ、杉江は自社本も売らないでこんなことをしているんだからなあ」と苦言めいたことをつぶやいた。
その言葉を聞いて僕は思わずカッとなる。今まで考えていた、そして誰も教えてくれることなくやってきた僕が考えている「本の雑誌社らしい営業スタイル」を否定されてしまったと感じたからだ。なんだ!だったら無理矢理押し込む営業になれっていうのかと口を開けて反論しようとしたところ、浜本が言葉を付け足した。
「でもなあ、杉江はいい仕事をしているよ、なあ、松村、これ見てよ、こんな営業なかなかいないんだよ。杉江はほんといい仕事をしているよ。」
天地逆転というか、今度はいきなり絶賛であり、賞賛である。僕が入社して約5年間、仕事のことで社内の人から誉められたことなんて一度もなかった。いや、本の雑誌社は、小さすぎる会社なので、改めて誰かが誰かを誉めるなんてことがほとんどない。それに昇進どころか、その役職自体もないのであるから、一番わかりやすい出世という概念すらないのである。
僕が名刺に刷っている「課長」という役職も、元を正せば他社に打ち合わせにいって恥ずかしくないだろうと浜本が心配し、ただ刷っているだけなのだ。「課長」か「係長」のどちらにするかは、居酒屋で目黒とじゃんけんをして決めた。そんな会社で初めて誉められてしまったのである。
人間は、誰だって少しは誉められたいんじゃないか。誉められるということは、認められるということだろう。誰かに認められたくて、やっぱり人間は生きている部分も多いんじゃないか。誉められて伸び、そして叱られて伸びるものなんじゃないか。僕はいつも叱られてばかりだけれど、やっぱり少しは誉められてみたかった。
十号通りの商店街を歩きながら、僕は浜本が呟いた言葉を何度も反芻する。久しぶりにうれしくて涙が出そうになった。でも意外と社内で今頃浜本が「アイツは単純だよなあ…」なんて笑っている気もした。でも、それでもうれしかった。