Mと会うのは12年ぶりだった。12年前に会ったのは高校の卒業式だった。Mは高校の同窓生で、卒業式以来会っていないということからわかるようにそれほど親しい仲ではなかった。ただ、隣のクラスにいて体育の時間が一緒だったことと、共通の友人が何人かいただけで、廊下や教室で顔を会わせればボソボソと会話する程度だった。僕もMも高校ではいわゆる問題を抱えた生徒で、お互いほとんど学校に顔を出さなかったから、会う機会自体も少なかったのだろう。
そのMから突然電話がかかってきたのが昨年の暮れ。すっかり忘れていたような奴から連絡があると、そのほとんどが宗教の勧誘であったり、マルチビジネスの誘いであったりすることがあまりに多く、僕はちょっと用心しならMの話を聞いていた。
「タッシの結婚式の二次会でスカケンに会ったんだよ」
「あれ? オレは呼ばれなかったけど」
「呼ばれるわけねぇだろ、杉江はタッシとケンカしていたんだから」
「でもお前は呼ばれるんだろ?」
「オレは誰からも愛されるんだよ」
Mの声は、記憶の底にある高校時代のままだった。その声を聞いて一気に高校時代のことを思い出していた。落書きだらけの机、その中にたまった連絡事項の書かれた藁半紙、ボロボロのサンダル、学食から漂う匂い、忘れた頃に学校に通いクラスメートから冷ややかな視線で見つめられる感触。すべてが一気に僕の心に流れ出していた。そしてMの話は本題に入っていった。
「そんでね、スカケンに聞いたんだよ。杉江がサッカーをやってるって」
「ああ、インチキなチームだけど続けてるよ」
「あのさ、今週末に試合があるんだけど、オレのチーム、メンバーが集まらないんだ。来てくれねぇかなぁ」
用心していた内容とはあまりにかけ離れた話題でビックリしてしまった。しかし、僕は二つ返事で了解し、その週末Mと12年ぶりに会い、サッカーを楽しんだ。それ以来、月イチでMのチームでプレイし続けている。
先日Mから電話があった。今月の試合日程の連絡だった。Mは用件を済ますとワールドカップのチケットが手に入らないことをひとしきり嘆いた。仕方なく韓国まで行く気で、休みを取ったら、今度はネットが繋がらなくなり、やっと繋がった時には、すでに見たい試合が売り切れになってしまっていたと。僕は日本戦を見られた幸運を話し、日頃の行いの違いだと笑って答えた。
その連絡があった翌日、僕のところにワールドカップのチケットが転がり込んできた。いろんな人に余ったら連絡を下さいと頼んでいた成果なのか、妙に大会が始まってからチケットを回り出していた。今度はブラジル対ベルギーの試合だった。本気のセレソンを生で観る機会なんてそうそうあるものではないから、もちろん僕は行こうと思った。しかし、その試合は平日の神戸だった。行きたい人がいっぱいいるワールドカップに3度も行くことに罪悪感もあった。一番切実な問題は、これでも一応家庭持ちのため、自由になる金は微々たるもの。交通費、宿泊費、チケット代を考えると、とてもわがままを通せる金額ではないことがわかった。
Mの顔が思い浮かんだ。ただ、Mにも生活があるだろうと思った。そしてそのとき僕は気づいた。12年ぶりに会って、すでに5回くらいサッカーを一緒にしているのに、実はMの卒業後に過ぎた12年間、今現在の仕事や私生活をまったく聞いていなかったのだ。何だかそういうことを聞くのも野暮ったいし、Mも僕に何も聞かなかったから、いつもサッカーをするだけで別れていたのだ。
なんとなく罪悪感を持ちながらMに電話をした。
「あのさ、ワールドカップのチケットが手に入ったんだけど」
「ウソ? マジ? 行くよ」
「でもさ、平日の神戸だよ」
「オールオッケー! 全然平気。頼む! オレに譲ってくれ」
その試合は今週の月曜日にあった。それから何度も連絡を取ろうと思ったが、何となく躊躇してしまった。金の無駄だった、時間の無駄だった、Mが楽しめたのか不安だったからで、僕が譲ったせいで何かMに悪いことが起きてなければと恐れていたからだ。
昨日の晩遅くMから電話があった。
「杉江、ありがとう、本当にありがとう。滅茶苦茶楽しんだよ。ブラジル最高だよ、オレ、ブラジルのユニフォームを買って、サンバを踊りまくちゃったよ」
僕はMが心底喜んでくれていることにすっと心が晴れていく。Mはまだ興奮したまま話し続ける。
「あのさ、オレ達のチームのユニフォーム新しくしようぜ。もちろんブラジル代表のユニフォーム。オレはもう買ってあるから、お前らだけ買えよ。もちろん、オレは9番だけどね」
「この前アイルランドのユニフォームにするって言ってなかった」
「月曜日で変わったの、ハハハ。そんでね、おみやげ買ってきたよ、お前が好きなポルトガルのジャージ」
「別にいいのにそんなことしなくても」
「大丈夫、バッタモンだから。インチキ臭い外人から安くかったんだ。今度試合の時に渡すわ。ほんと杉江ありがとう」
Mとの電話を切った後、しばらく新宿駅に佇んでいた。
Mが喜んでくれたことはともかく、何よりもMがそのことをわざわざ僕に伝えて来てくれたのが嬉しかった。
久しぶりに、本当に久しぶりに新しい友が出来た想いだった。そして今度Mに会ったら酒を飲みながら、互いの12年間を語り合おうと考えていた。