1ヶ月前のファーストステージ最終戦。ジュビロ磐田の逆転優勝をテレビで眺めつつ、正直言って、僕は我が浦和レッズとの大きな差にがく然とし、そして哀しい気持ちで一杯になっていた。
なぜに僕は埼玉に生まれ、埼玉で育ってしまったのか。もし静岡の西部に生まれていれば、すでに何度も高々とトロフィーを天に突き上げる優勝の喜びを噛みしめていたはずで、なおかつ毎週、美しいサッカーが眺められたのだ。なぜ埼玉で生活しているからというだけで、これほどの苦しみを味わわなくてはならないのか。レッズの現実を知れば知るほど、哀しみと後悔は大きくなった。
その日以来、まだ訪れたことのないアウェーの大地、王者ジュビロ磐田の本拠地に足を踏み入れたい気持ちが募っていった。もちろん、磐田を応援するためでなく、我が浦和レッズと何が違うのか、確かめたい一心である。
だから、夜中の12時30分。眠い目を擦りつつ、いつもの観戦仲間KさんやOさんと待ち合わせした浦和のセブンイレブンを出発したときレッズが勝つことなんて夢にも思っていなかったし、トラックに囲まれて東名高速を走る間、誰も半日後に起こる「結果」について話はしなかった。
埼玉よりも一軒一軒が広く取られた住宅地。そんななかに忽然と姿を現す磐田スタジアムは、信じられないほど、こぢんまりとした古ぼけたスタジアムであった。巨額の金を投じて建造された埼玉スタジアムと比較したら、雲泥の差。もちろん浦和レッズのホーム駒場スタジアムと比較しても、あまりに小さい。しかし、そのひび割れたコンクリートや、剥がれ落ちた塗装痕から歴史が感じられたのは、僕の思い込みのせいなのか。
開門後、そのスタジアムに足を踏み入れて驚いたのは、サッカー専用だけあって観客席とピッチとの距離は恐ろしいほど近さ。ゴール裏コーナ付近最前列に陣取った僕から、コーナキックを蹴ろうとする憎き名波はすぐそこなのだ。ボールを蹴る音、選手がぶつかり合う音が、威圧感とともに僕を黙らせる。まさに生観戦の醍醐味が、この磐田スタジアムには、詰まっていた。
前半、予想通り、ジュビロ磐田に攻められる。次から次へとボール際に顔を出すサックスブルーのユニフォーム。思わず指折り数を数えてしまったが、その数は浦和レッズと同じ11人。何だか当たり前のことが信じられない。
しかし、浦和は守った。ベテラン井原はカバーリングに走り、両ストッパーの坪井と室井は、J最強ツートップ中山と高原に食らいつき、ことごとくボールを跳ね返す。皆さんに覚えていて欲しいのはこの坪井の名前。絶対06年のドイツW杯には名を連ねるだろう若手のホープ。
そして守り続けて45分が終わった。
そんなとき友人からメールが入る。「お前が負けると思ったらレッズも負ける、勝つと思えばレッズも勝つ」 気持ちはわかるが、それは日頃スタジアムに来ない人間のセリフでしかない。僕たちは毎週何時間も前から並び、丸一日無駄にした経験が山のようにあるから、ある程度、自己防衛を兼ねてネガティブな予想をしておかないとツライのだ。しかし、この日ここまでの選手の頑張りとすべてをかけたようなプレーを見ているうちに、その友人の言葉を信じたくなってしまった。
選手がこれだけ燃えているのに、オレが信じなくてどうする?
15分のハーフタイムで気持ちを入れかえた。あるのは勝利のみ。声を張り上げようとしたそのとき、いきなり浦和1イイ男の永井がゴールを決めてしまうではないか。驚き、喜び、興奮。KさんやOさんと抱きつき、周りの人達とハイタッチ。誰もが、目の前で起こったことが信じられないという表情をしていたが、その表情を浮かべるのは早すぎた。何とこの日この時間だけ浦和レッズは怒濤の攻撃を繰り広げ、コーナーキックから日本全国チビの夢を背負った田中達也が、ゴールを決めてしまったのだ。
2対0。まだまだ時間は残っていて、ギアを入れかえた磐田の猛列な攻撃がレッズゴールを襲い続ける。ワールドカップ日本代表戦で残り時間の長さに恐怖を感じたが、それ以上に恐ろしく、鼓動は速まり呼吸することすら忘れてしまいそうなる。
感情が激流となって押し寄せ、僕は、耐え続けるレッズの選手達の捨て身のプレーに思わず目頭が熱くなる。こんな体験、年回20試合以上観戦しても、なかなか体験出来るものでもない。なぜスタジアムに何度も通うのかといえば、どこでいつこんな素晴らしい試合が行われるかわからないからなのだ。それほど最高の試合が今、目の前で行われていると考えたら、全身がしびれ始めた。
最後の最後で1点返されるが、2対1で浦和レッズ、ジュビロ磐田に4年ぶりの勝利! 浦和ゴール裏にズラリと並ぶアホなカメラマン達(磐田が勝つと予想していた)を見つめつつ、「We are Reds」を連呼する。
そして僕は、埼玉に生まれたことを誇りに感じていた。