11月30日(土) 炎のサッカー日誌 2002.11
前日抽選、そして当日朝6時の再集合と仲間とともに苦労し、手に入れた立ち見最前列。
目の前のフェンスに飛び上がり、最終戦後のセレモニーで場内一周する選手を前に、僕は吠えていた。
「フクダ~、フクダ…。ありがとう…」
声は声に成らず、涙が頬を伝う。ミスターレッズ・福田正博への十年分の熱い想いは山のようにあるのに、この5文字を叫ぶのがやっとだった。愛する福田正博のレッズで戦う最後の姿を前に、走馬燈のように思い出が駆けめぐる。
初年度の不甲斐ないチームで孤軍奮闘する姿。責任を背負い過ぎ、プレイに精彩がなくなっていく翌年。ドイツ代表天才パッサー、ウーベ・バインから二人にしかわからない呼吸でボールが渡り、ゴールラッシュが始まる95年。この年の得点王タイのゴールを決めた等々力競技場のヘディング。サッカーを観ていてあれほど興奮したことはない。思わず観戦仲間のYさんと強く抱擁してしまったこと、未だ忘れていない。その後はケガと出場を繰り返し、なんといってもJ2降格が決まった延長戦で、世界で一番悲しいゴールを決めたのも福田だった。
福田の思い出は、まだまだとても書ききれない。思い出して書いている今も涙が止まらない。
僕は、この日になって気づいたことがある。
それはレッズを応援する気持ちの大部分が福田を応援することであったと。でなければ、これほどの喪失感を味わうわけがないし、落ち込むこともないだろう。10年間片思いしていた相手が、いきなり目の前から消えてしまったような感じだ。サポ仲間から叱咤されたが、来シーズン以降も同じように応援し続けられるのか、不安さえ感じているほどだ。
僕にとって、福田正博が象徴していたのは「めちゃくちゃ弱いし、うまく行かないけれど、強くなろうぜ」という前向きな意志であった。福田は多くを語らないが、プレイや取り組む姿勢でそれを表現していた。そして僕はそんな福田の姿を見て、何度も何度も自分の人生に照らし合わせ、顔を上に向けて来たのだ。
その福田がレッズのユニフォームを脱ごうとしている。
涙が止まらない。
その涙の理由は離別の悲しみだけでなく、福田を優勝させることができなかったことへの悔しさも含まれている。僕は日本一ダメなサポーターだ。
フクダ、ありがとう。
そしてごめんね。