WEB本の雑誌

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11月10日(月)

 書店さんに送るFAXを作っていたのだが、プリントアウト後に誤植を発見。あわてて宛名書きをしていた浜田にストップをかけるが、既に50枚ちかく書き込んでいたとブツブツ不満を言いだす。

 ゴメン、ゴメンと謝ったが100枚コピーしているからいくらの損で、私の手間賃はいくらでとあまりにしつこい。まったくコイツは自分のミスを指摘されると「猿も木から落ちる、弘法も筆の誤り、カッパの川流れ、ワッハハハ」なんて言い逃れるくせに、まったく他人のミスにはしつこく食い下がりやがる。クワー。

 これは早めに営業に逃げようと用意していたときにハッと閃く。こんな誤植、松村がやった本誌の罫線忘れに比べたら、なんてことないではないか。

 そのことを指摘したところ、いきなり誰もいないと思っていた編集部から「ウワー」と泣き声が上がるではないか。いたのか松村…。すると突然先ほどまで僕のミスに対して散々ブチブチブチブチ文句を言っていた浜田が豹変し、「そんなこと言ったらマツムがかわいそうじゃないですか!」と松村の肩を持ちだしやがった。

 何なんだ、この会社は…。

11月8日(土) 炎のサッカー日誌 2003.13

 ナビスコ優勝以来、いろいろな人から祝福やらブーイングやら受けているのだが、そのなかである代表サポから「浦和は運が良かった」と言われたときのにはグッタリしてしまった。

 その人は僕のそんな気分に気づかず、鹿島アントラーズが決勝で多くの主力選手を怪我で欠いていたことをしたり顔で話し続ける。いったい、こういう人はどこを見てサッカーを語っているのだろうか。

 ナビスコカップというのは何も決勝戦だけが行われているのではない。ここに辿り着くまでに何試合しているのかわかっているのだろうか? おまけにその期間の怪我人比べだったら、浦和レッズだって相当数抱えているし、日本代表やらU-22代表選手に最近やたらとレッズの選手が呼ばれるもんだから、選手の疲労度は相当なもの。あの日、MVPに輝いた我が愛するフィアンセ田中達也や鈴木啓太の試合日程を確認してみれば、日本サッカー協会のトンデモなさがよくわかるだろう。

 まあ、チーム個別の事情については、細かいことなので我慢しよう。僕が一番納得がいかないのは、この人がいうチームというのがピッチに立っている11人しか指していないということだ。

 確かにサッカーは11人対11人でやるスポーツだ。しかし、チームというのは所属選手を含め監督、コーチ、フロント、スカウトなど裏方も含めて、すべてを指すのではないか。もちろんサポだってチームの一員だ。

 その総和がチーム力であって、例え怪我人が出て主力を欠いたとしても、次に控える選手を育っていれば問題ない。またベンチに入る控えの選手はもちろん、その下にいるサテライトの選手だってチームの一員であり、大事な戦力だ。それら全体がチームであり、チーム力であり、そのすべてがリーグやカップ戦の結果を生むのだ。

 代表が好きなら、岩井俊二が撮った『六月の勝利の歌を忘れない』を観ただろうに…。あそこで結局試合に出ることのなかった秋田がどれほど真剣にチームのために戦っていたか。ああ。

★    ★    ★

 本日の試合は首位を行く東京ヴェルディ1969。勝てば首位の可能性も高く、大事な試合だ。

 燃えたのはサポだけではなかったようで、選手が非常にアグレッシブに動く。優勝という経験がここまで選手を替えるのかと驚いてしまうほど、堂々としているではないか。

 結果はここ最近続いている「浦和劇場」そのもの。
 前半「メダル返して!」エメルソンが2ゴールを決め2対0で折り返し、後半は若干首位ヴェルディーの意地に苦しめられたものの、ジョカトーレ山瀬と達也と平川が決め、5対1の大勝利。運で5点取れるものなら取ってみろ!!!

★    ★    ★

 翌日の試合結果を受け、セカンドステージ第12節で浦和レッズが首位に立つ。しかし勝ち点差3のなかに6チームがひしめく大混戦。おまけにエメルソンがイエローカードの累積で2試合出場停止。永井よ、信じてるぜぇ!

11月7日(金)

 『おすすめ文庫王国2003年度版』の書店員インタビューに行く金子に同行。
 毎年恒例のことで、何だか一年の早さを実感する。そろそろ忘年会ラッシュも始まるだろう。ああ、もう今年も終わりだ。

 そのインタビューが終わった頃、父親から電話が入った。
「ちょっと読みたい雑誌があってさ。『日経ビジネスエクスプレス』って雑誌を買っといてくれないか?」

 ビジネス書にはまったく疎い僕でもさすがに『日経ビジネス』くらいは知っている。確か僕が書店員だった頃は直販の雑誌だったのではなかろうか? エクスプレスと言っているからその別冊か何かだろう…。

 ところがところがこれが見つからない。『日経ビジネス』や『日経ビジネスアソシエ』はあるものの、『日経ビジネスエクスプレス』がどこにもない。もう帰宅時間なのに、いくら廻っても見つからない。もしかして発売日をとっくに過ぎた別冊で、どこのお店も売り切れている頃なのだろうか。いやはや雑誌1冊でこれほど苦労するなんて思いもしなかった。

 5軒ほど廻ったところで、さすがに疲れ果て、家に帰った。そしてネットで調べ、撃沈…。

 『日経ビジネス』=『日経ビジネスエクスプレス』だったのだ。

11月6日(木)

 とある書店さんを訪問すると、入り口に2メートル近いロボットが飾られていた。何じゃコリャ? 早速担当者さんに話を伺ったところ、ある人気漫画のキャラクターで、イベント用に作られたものだという。いやはや凄いインパクト。

 しかし、である。正直このお店より大きいお店はたくさんある。そちらに置いた方が広告効果はあるのではなかろうか。その辺について失礼だと思いつつも、担当者に話を伺った。

「1、2巻の頃は全然売れなかったんですよ。でも営業マンがすごいこの作品に惚れていて、とにかく置いて欲しいって。読んでみれば確かに内容は面白いから、私もその気になって展開していたんです。まあ、それでもあんまり売れなかったんですけど。ただその後、やっぱり良い作品ですから、爆発ヒットしたんですね。そしたら営業マンがお世話になったお店に…ってことで、うちのお店に持ってきてくれたんですよ」

 僕はこういう営業マンと書店員さんを尊敬する。

11月5日(水)

 どうにか相手に何を言っているのか伝わるところまでノドが回復したので、早速、営業に飛び出す。

 本日の営業地域は神保町なのだが、ここ数年、妙に人出が減っているような気がする。正確な数字や統計がわからないので感覚でしかないのだが、かつてはもっと古本屋街を歩く人が多かったと思うし、書店さんだってもっと混雑していたように感じる。

 ここ数年、大型書店が各地に出来て行ったことを考えると「本の街」としての魅力は減っているのかもしれない。単純にその街にある書店さんの総合坪数でいえば、新宿、池袋、渋谷なんて方が大きいだろうし、神保町にはデパートやショッピングセンターがなく、また古本屋街も日曜定休のお店が多く、休日に過ごす場所として適していない。

 書店さんはとかく立地に左右される商売だ。立地には駅や街道からの距離、あるいはテナントとして入る建物の集客力という問題から、その街自体の集客力というのも大きい。

 街は常に変化していくもので、それにあわせて人の流れも変わる。その地の一番売上の良いお店が、商業施設のオープンで変化するなんてことはしょっちゅうあるし、先日ある人から聞いた話だと立川の再開発が進み同じ中央線沿線の街への集客力が落ちている、なんてこともあるようだ。

 この先「本の街」神保町は、どのように変わっていくのだろうか。

11月4日(火)

 昨夜は、いったい何度、乾杯をしたのだろうか? いや乾杯の変わりに「CHAMPION 」のかけ声だったが。

 朝起きて「おはよう」の声をかけようと思ったら、まったく声が出なかった。「あれ?」と思ったがその「あれ?」も声が出ない。まあ、いいか今日は代休だから。

 とりあえず、朝の新聞で優勝を実感しようとしたが、なんとこんな日に配達ミスで届いていない。新聞配達会社に怒りの電話を入れるが、声が声にならず怒っていることも伝わらない。やっと届いた朝日新聞は一面にカラー写真が載っていた。ああ、本当に優勝したんだと初めて実感がわく。

 スポーツ誌を買いに駅に向かうが、全紙売り切れ! これはと思って隣の駅に行くがこちらも売り切れ。新聞を探し求めて気づいたら新宿駅に着いていた。全紙買い込み、ここまで来たら仕方ない。会社へ出社することにする。

 浜田や小林から「おめでとうございます」と声をかけられる。「ありがとう」と返したいが声が出ない。これじゃ、みのもんた、でなく『ダンシング・オールナイト』のもんただ。会社には来たもののとても営業どころじゃない。

 いやはやとにかく精根が尽きた。まだリーグもあるし、天皇杯もある。あと2回こんなことがあったら死んでしまいそうだ。まあ、死んでもいいか。

11月3日(月)文化の日改めレッズの日 炎の優勝日誌 

 ときおり激しい雨粒が落ちてくる。僕は合羽も着ずビショビショになりながら大声を出していた。例え風邪をひいてしまったとしても選手と同じ立場で戦いたいし、今日さえ生きていられればどうでもいい。

 目の前ではアウェーユニを着た我が浦和レッズの選手達が、自信を持って堂々と戦っている。間もなく終了のホイッスルが鳴ろうとしていたが、スコアの4対0は決して奇跡でも偶然でもない。危ない場面はほとんどなく、つねにレッズペースで試合は展開されていた。山瀬、エメ、達也、エメ。あともう少しで僕たちの手に、優勝カップが収まろうとしていた。

★   ★   ★

 朝8時に家を出た。
 今回やっとの思いで手に入れたチケットは指定席だった。だからもっと遅くに家を出ても良かったのだが、とてもじっとしていられなかった。駅のホームはすでに赤いものを身にまとった人達であふれていた。

 新宿駅で総武線に乗り換えようと思ったが、なんだか無性に歩きたくなる。新宿御苑の脇を通って千駄ヶ谷へ抜ける道。この道はかつてラグビーを見ていた頃いつも歩いていた道だ。御苑の木々に止まる鳥たちの声が時折聞こえる以外、ほとんど静寂に支配されている。興奮を抑えるためには最適な道だ。

 ゆっくり歩きながら、今までのことを振り返る。良い思い出はほとんどない。1試合に限定してみればもちろん幸せな時を過ごしたことはあるけれど、それにしたって優勝という最高の幸せを僕たちは一度も味わったことがない。よくそれでも11年間通ったものだ。勝ちたい、勝ちたい。今日こそは勝ちたい。そして優勝の喜びを噛みしめたい。

 国立競技場を埋めた約5万人のうち8割はレッズサポだったのではなかろうか。レッズのフラッグがアントラーズ側ゴール裏以外ほとんど埋め尽くしていたのだ。乱立する真っ赤な旗。それはサポーターの誇り。そして「勝ちたい」という想いの現れ。試合開始寸前、満を持してのコールが始まった。

アレオー、アレオー、アレオレアレオ。
アレオー、アレオー、俺たちの浦和レッズ。
浦和レッズ、浦和レッズ、浦和レッズ、浦和レッズ。
浦和レッズ、浦和レッズ、プライド オブ 浦和レッズ。

 2時試合開始。
 4時試合終了。
 4対0の圧倒的な勝利。
 そしてナビスコカップ優勝!

 僕たちの選手が本気で喜んでいる。抱き合う。拳を突き上げる。お互いにたたえ合う。僕たちの選手がだ。

 まばゆいスポットライトがピッチを照らす。中心にいるのは僕たちの選手だ。こんな光景を見られるなんて…。信じていたけど信じられない。

 「2003年、ナビスコカップチャンピオンは浦和レッズ」というアナウンスが流れ、僕たちの選手が表彰台に上がる。

 そしてついに僕らの手に優勝カップが収まった。
 僕らのためにクイーンの『We Are the Champions』が流された。

 いつまでも続く歓喜の雄叫び、歓喜のコール、歓喜のハイタッチ。浦和駅西口では、夜遅くまでコールが続いていた。

We Are Diamonds We Are Diamonds Yes We Love You Boys In Red
We Stand Beside You Forever Always Yes Red Diamonds You're The Best
We Are Diamonds We Are Diamonds All Together Hand In Hand
We Will Keep On Singing For You Yes Red Diamonds You're The Best

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