WEB本の雑誌

1月30日(金)

 明日で、書店員人生17年にピリオドを打つ、安田ママさんを訪問する。

 お腹が新たな生命の分だけ膨らんでいたが、いつもと変わらぬ様子で棚差しをされていた。話をしてもいつもどおり気さくで、本への深い愛情がにじみ出てくる。いつもいつもこの笑顔に僕は癒されていたし、その笑顔の奥に隠された本への激しい情熱に触れるたときは、次へ踏み出すための勇気をもらっていた。

 安田ママさんは太陽のような書店員だった。

 それは人を明るくするという意味でもあるが、いつも読者の立場からこの出版業界を眺める安田ママさんが、激しく照らす光には、常に影があった。その影こそが出版業界の悪しき部分であり、その影の部分が変わることを安田ママさんは強く望んでいた。もちろん書店員一人が叫んで、簡単に変わることではないけれど、安田ママさんは叫び続けることをやめはしなかった。それは、読者のために…だった。

 そんな安田ママさんを見て、多くの営業マンが育った。本を売るということがどういうことか、本を出すということはどういうことか。あるいは働くということはどういうことか。

 僕自身もそのうちの一人だし、他の営業マンに聞いても同じような言葉が返ってきた。いつか、その種が育ち、芽を出し、花を咲かせることが出来たら…。いや、退職せざる得なかった安田ママさんの分も、残った人間は頑張らなければならないと思う。

 安田ママさん、お世話になりました。
 そしてこの退職がピリオドにならず、カンマになることを切に願っております。
 そのときまでに僕はもっと力をつけておきます。
 
 ありがとうございました。

1月29日(木)

 会社に新兵器が導入された。
 ひとつは加湿器である。

 どうもこの四方をコンクリで囲まれた会社は、冷たいだけでなく異様に乾燥するようで、やたらと喉が乾く。なぜか編集部にはかつてから加湿器が設置されていたのだが、営業部にはなく、この差別を解消するため、肌をカサカサにした事務の浜田が立ち上がる。彼女が叫ぶとなぜがすぐに購入が決まるのが、本の雑誌社7不思議のひとつ。

 通販カタログを熟読し、オーダーしたのが「ヴェポスチーム」。風邪の時に胸に塗るあの薬の会社が作っているらしい。水を入れ電源をオンにすると、ほのかに甘い匂いが社内を包む。なぜか社員全員で加湿器を取り囲み、その甘い匂いを嗅ぐ。小さな会社はほとんどドラマがないので、こういうときに盛り上がるしかないのだ。とりあえず、順調に作動し、その後は確かに乾きが解消された。

 新兵器・その2はプリンターである。

 営業で使っていたプリンターが長年の酷使のため、ついに寿命が尽きた。こういう電化製品の場合は浜田ではなく単行本編集の金子が担当になるが、とりあえず機械を開けないと気が済まない金子は、手を真っ黒にして無手勝流に修理をし出す。しかし誰が見ても、治しているというよりは分解しているとしか思えない。今回も部品がこぼれ落ちただけで、治りはしなかった。

 となれば前々から僕が欲しかったカラープリンターを導入するチャンスではないか。
「カラー、カラー、カラー」と叫ぶが誰も聞いてくれず、しかも営業に出ている間に、なぜか編集部のプリンターを営業が譲り受け、編集部に新型が導入されることが決まってしまった。なぜだ?!

 誰にも口出しも手出しもさせないまま、金子はプリンターを発注し、設置。
「ほらほら早いでしょ!」と興奮しれ叫び、異様に喜んでいるではないか。
 僕は遅くても良いから、カラーが欲しかったのに。そうつぶやくと「家で買えば」だと。うーん、いつか……。

1月28日(水)

 夕方営業から戻り、バタバタと事務作業をやっていると、浜田に声をかけられる。

「杉江さん、『シービスケット』観たくないですか?」

 おお、『本の雑誌』の2003年ベスト10を決める時に顧問目黒と編集補助の石山が強烈にプッシュしてベスト1になった作品の映画か。確かにあの本は面白かったし、試写会を観た書店員さんが「すごい良かった」と興奮していた。僕自身、ここ10年くらい映画を観ていないから、たまには観てみたいという気持ちも湧く。

「観たい、観たい。タダ券でもあるの?」と聞くと
「いや、今日レディースデーで、1000円なんですよ。だから編集の松村と助っ人のあかえーと友達のイズミちゃんと観に行こうと思ってて。」

 おいおい、それじゃ僕は正規の値段で、文字のどおり「姦」しい女どもに囲まれて観なきゃならないわけか。しかも友達のイズミちゃんって誰よ?

 おまけにあの話なら、僕は間違いなく泣くだろう。そんな顔、見せられるか。
 きっぱり断ると、浜田がつぶやく。

「映画観た後の飲み代を杉江さんに払わせようかと思っていたのに。残念!」

1月27日(火)


 出版営業マンにとって一番難しいのは「増刷」なのではないか。

 本来商品の在庫がなくなったら、新たに増産するなんていうのはメーカーにとって当たり前のことなんだろうけど、出版業界には「返品」という恐怖がつきまとうので、おいそれと増産するわけにはいかない。たとえ、倉庫が空っぽになっても、市中在庫と呼ばれる書店さんでの在庫があり、それがいつ空っぽの倉庫に戻り、山を築いてしまうかもしれないのである。

 おまけに現在は、とにかくビックリするくらいピタリと売れ行きが止まってしまうことが多い。注文品が書店さんに届いた頃には、すでにその停止状況のときも多く、そうなると、注文分がほとんどそのまま返品になるなんていう、恐怖以外の何ものでない状況が待っている。その返品には、問屋さんから手数料やらが引かれるので、痛みは倍増だ。

 そうなると何だかもう売り切れなら売り切れで良いかという気がしてくる。リスクを背負うくらいなら、とりあえず現状で満足し、あとはもう目をつぶり、利益になる可能性より、負債になることを回避したくなる。

 そんなことを、うじうじ悩んでいたのは年明けのことだ。

 12月に出版した『書店風雲録』の在庫がみるみる減っていき、間もなく品切れになるのは目に見えていた。うれしいけれど、いやー、どうしたものか。データーを見たり、店頭を確認したり、とにかく集められる限りの情報を集めてみたが、だから何なのかが、このバカ営業にはわからない。

 困った困ったと嘆いていると、顧問目黒が降りてきた。
 訳を話すと「出版はギャンブルだ。」とつぶやく。
 確かに「出版はギャンブル」だろうけど、ならどうしたら良いんだ。
 そう問うと、目黒はぽつりと漏らす。
「ギャンブルは信じることだ。そう馬を信じろ!」
 馬じゃないんだけど…。

 まあ、どっちにしてもよくわからないし、ギャンブルなら思い込みの勝負だろう。まさに目黒が漏らした「馬を信じること」じゃないけれど、「本を信じる」以外、どうしようもないか。『書店風雲録』はもっともっと読まれていい!

 本日、本の力を信じて発注した『書店風雲録』の重版があがってきた。奥付にはしっかり2刷の文字。さあ、頼むぞ、走ってくれ!!! って、あれ? もしかして騎手は僕なのか?

1月26日(月)


 週末にやったサッカーで、あまりにヘボなプレーを連発してしまい、どっぷり気持ちが沈んでいる。打ったシュートはことごとく枠を外れ、ボールはみんな僕の足をよけてすり抜けていく。こんなんじゃ年齢的に間違いなく最後になるであろう06年ドイツワールドカップに出場できそうにない。頼む、ジーコよ。見捨てないでくれ。

 その沈んだ気持ちを回復させるため横浜を営業するが、横浜駅についた瞬間、M書店のYさんの休みの日を勘違いしていたことに気づき、一段と落ち込む。サッカーもダメ、仕事もダメ。家庭はイエローカードの累積により長期出場停止中。最悪だ。

 そんな気持ちを奮い立たせY書店さんへ向かう。

 こちらのY書店さんでは、各支店にPOP王様のような渾身のPOPを書く人がいて、それぞれ担当者が情報交換とともにPOPの交換をしており、それらの本がしっかり売れている。

 しかしそれが「売れる」ということ以上に大きな意味を持っているということに本日気付かされる。それはこの支店の若い担当者Iさんが漏らした言葉だ。

「先輩達がいろいろとやっているので、がんばりがいがあります。」

 

1月23日(金)

 とある飲み会に参加したところ、ベテランの出版営業マンが話されていた言葉が胸に響く。

「20年以上この業界にいるが、こんなに若い作家が現れ、活気づいているのは経験したことがない。」

 僕自身も本の雑誌社に入り、文芸書という枠の端っこの方に籍を置くようになって7年経つが、、ここ1、2年で大きく変わってきたと思う。

 数年前、書店員さんとともに平台に載っている新刊の作家の年齢を確認したことがあった。そのときほとんどが50代、60代のベテラン作家だったのに驚き、これじゃマズイんじゃないかと不安に陥ったことがあった。

 ところが、その後、どの辺が転機だったのか現在考え中であるけれど、文芸書の平台が一気に世代交代し、20代あるいは30代の作家、いや年齢で区切るのは難しいか。とにかく新人や2、3作の著作の作家が平台の良い場所に置かれ出す。

 これは非常に良い傾向だと思うけれど、ちょっと心配なこともある。

 それらの書き手の売れ方が、なんだかCDの売れ方に似ているような気がするのだ。それは何と説明したら良いのかわからないのだが、うーん、「蓄積のない」売れ方といえばいいのか…。とにかく話題になった作品だけ売れ、その作家自体につくファンというのが少ない印象だ。

 じわじわと初版部数を伸ばすなんてことはなく、話題作だけは売れるが、その次の作品や、前の作品はどーんと落ち込む。あるいは、いつだか書いたように、富士山型から東京タワー型の一極集中な売れ方。

 うつろいやすい世代をターゲットにすると、こういう傾向が出るのだろうか? それとも全世代的にそういう傾向があるのだろうか?

 ううう…。
 あまりにテーマがデカ過ぎてこんなバカ営業マンにはまとめようがなくなってしまった。

 とにかくその僕が似てきたと感じているCDは、その勢いを落とし、不況に喘いでいるという。原因はいろいろあげられているが、それらの原因のなかに、今後の出版業にとって大事なヒントが隠れているのではないか。

1月22日(木)

 夜、新元良一さんと翻訳家が「翻訳」について語り合う『翻訳文学ブックカフェ PART.10』に立ち会う。本日のゲストは越川芳明さんで、『真夜中に海がやってきた』スティーブ・エリクソン著(筑摩書房)を主題に、約1時間30分に渡って、非常に面白くかつ濃い話が繰り広げられた。翻訳文学に疎い僕でも楽しめた。越川さんはとても職人肌な翻訳家だなという印象。

 そのまま打ち上げに参加する予定が、あまりの寒さにたじろぎ、帰宅することにした。ところがところが池袋駅の埼京線のホームにたどり着くと、妙に多くの人がホームにいて、構内アナウンスが流れ出す。

「ただいま池袋駅のポイントが交渉したため、埼京線は止まっております」

 結局、そこで20分近く冷たい風にさらされていた。最悪!

1月21日(水)

 とある沿線のとある書店を訪問したところ、いきなり担当者さんに「聞いて下さいよ~」と泣きつかれる。

 どどどど、どうしたんですか?とあわてて話を伺うと、ただいま一番話題の本の書名があがり、その本の重版分の配本が3回とも飛ばされたというのだ。飛ばされたというのは、注文を出しているにも関わらず、1冊も入って来ないということだ。これが、まあ、本当は納得いかないことだけれど、僕がよくこの日記で取り上げる町の小さな書店さんであれば、「またですか」なんて互いに半笑いであきらめられる。

 しかし、この日訪れた書店さんは、大きなチェーンの支店である。それも看板ばかりの支店でなく、朝から晩までお客さんが途切れることなく、夕方以降はレジに多くの人が並ぶほどしっかりと売上をあがているお店なのだ。この規模のお店で話題本が入らないとなったら、いったい町の書店に並ぶのはいつになるんだ?

 なぜこのような事態が起きるのかといえば、やはり「返品」の問題に尽きるだろう。

 出版社側から見れば、話題になればなるほど書店さんから見込みの発注が増え、とても現実的な数字ではない注文が山のように届きだす。それをすべて出荷していたら数カ月後には倉庫に返品の山が築かれる。だから、最低限の部数を増刷し、それをある程度判断の付きやすいお店に置く。

 しかし書店側から見れば、10冊なんて注文を出しても、1、2冊しか入らないとなれば、50冊と書いて、10冊くればと考えるのは当然のことだろう。おまけにいくらきちんと売れると話したくても、なかなか出版社の営業が来ない。来ないならば、信頼関係なんて築けやしない。

 見込み発注が減数を呼び、減数が見込み発注を呼ぶ。そのような注文書を挟み、お互い不信感を募らせているのが、ここのところ、いやずっと昔からの出版業界である。これほど小売り店とメーカが信頼しない業界は他にあるのだろうか?

 こんな関係が今後も続いたとしたら、自ら不況を脱出することなんてありえないだろう。それどころか、売れる本も売れなくなるとしか思えない。本は基本的に替えが効かない商品なのだから。

1月20日(火)

 僕が一番恐れている言葉は「好きにしていい」である。

 これが夜の新宿、とあるバーなんかでささやかれた言葉であったら、あわててカバンを抱え、そのまま一気に帰宅し、布団の中で深く後悔と納得を繰り返しもんもんと眠れる夜を過ごすだろうが、仕事の場で言われたら逃げるわけにはいかない。

 本日、某書店さんを訪問したところ、棚を1本指差され「好きにしていい」と言われていわれてしまったのだ。思わず「勘弁して下さい」と即答しそうになる。なぜなら、お店の大事な場所を自分の好き勝手でいじくるなんて、恐ろしすぎるではないか。

 営業マンの仕事は、自社本をどうセレクトし並べるかというのを書店員さんと検討し、自社の売上を作っていくといのが基本である。だからそういう意味ではこの「好きにしていい」というのはオイシイ話であろう。

 しかししかし、書店員さんと検討するというところに、営業マンの責任の回避があるわけで、それがすべて自分にのしかかり、しかもその依頼してくれた書店員さんに「ふんふん、この本を平積みにするわけ」「そんでこの棚の売上は…」なんて評価されるわけだから、こりゃいつものハッタリが全部バレてしまう。

 そんなことを考えながらも、いちおう信頼してくれての依頼なので、断ることもできず「とにかくがんばります」なんて答えてしまう自分が恐い。ハッタリくん危機の巻。

1月19日(月)

 直木賞と芥川賞が発表になって以降、書店店頭、特に文芸書の売り場はハレの日が続いているようだ。

 今回は直木賞の2氏に多くの既刊があり、芥川賞2作がすでに単行本化されていた。こんなことは珍しいし、その芥川賞受賞の二人が、若い女性というところに妙にスポットが当てられ激しくニュースで流され、僕の友人の日頃まったく本を読まない奴までもが「杉江はあのなんとか賞の女の子と会う予定はないのか?」なんて聞いてくる。これだけ騒がれれば、ハレにならないわけがない。

 とにかくこの際、本を読む動機なんて何でもいいから本を買ってくれ。

 しかしその勢いで、僕がお手伝いを引き受けている『本屋大賞』のノミネート作の発表が、すっかり影に隠れてしまった気がして心配である。ぜひぜひ、全国の書店員が選考委員のこちらにも注目してください。

1月16日(金)

 帰宅時、京王線のタイミングが悪いと10分くらい待たされてしまうときがある。

 冷たい風が吹き付けるこの季節、さすがに高架線のホームでじっと待つのは耐えがたく、そういうときは向かいのホームにやってくる京王新線に乗り込んでしまう。新宿まで一駅が三駅になろうと、たいしたことじゃない。

 京王新線の新宿駅は、地下のかなり深いところにある。そこから長いエスカレータに乗り、ルミネを抜けて、JR新宿駅の南口にたどり着く。その南口には大勢、待ち合わせしている人たちがいる。「ごっめ~ん…」「おっせぇ~よ」なんて言葉が早足に家路へつく僕を通り抜けていく。

 ここ数年、ほとんど友達と会っていない。30代はもっと金を持って、自由に遊べる年頃だと考えていたのに、いつの間にか結婚し、子供ができ、会社からは山のように仕事を渡され、家と会社の往復で終わってしまう毎日になっていた。そんな生活に慣れると、わざわざ用がないと友達と会わなくなってしまった。仕事の途中で突然、奴らの顔を思い出すことはあっても、なかなか連絡を取るまではいかないのだ。

 年明け早々、その日も京王線のタイミングが悪く、京王新線に乗り、新宿南口を通った。相変わらず、多くの人が誰かを待っていって、その数だけ、待たれている人もいるのだろう。

 その日、僕はその場に立ち止まってしまう。しばらく待ち合わせの人々にまぎれ、周りの人たちを眺めていた。その人たちの向こうには、多くのネオンが輝いていて、うまく待ち合わせが出来た人たちは、そのネオンに向かって歩いていく。

 気付くと何かに追い立てられたようにポケットから携帯を取り出していた。そしてグループ「友達」を選び、集合」のメールを送った。

 その「集合」日が今日の夜だった。

 10代の頃、僕の部屋に入り浸っていた奴ら10人にメールを送り、参加の返事は6人だった。まずまずの出席状況だったが、どいつもこいつも忙しいらしく、待ち合わせの時間どおりにやってきたのは、『俺だって忙しいんだけどよ』と強がる相棒とおるだけだった。

 二人で1時間ほど飲んだ頃、しゅーちゃんがやってきた。30歳を過ぎて友達を「ちゃん」付けするには理由があって、しゅーちゃんは僕の中学の裏番だからだ。さすがにあの頃から年を重ね、今じゃ信じられないことにスーツを着込んで、もっと信じられないことに銀行員なんて立派な職業についているけれど、それでもやっぱりかつて狙われていた一人として恐怖感は拭えない。思わず「しゅーちゃんビールでよろしいでしょうか?」なんて聞いてしまう。

 それからまたしばらくすると、ガタイのいいしゅーちゃんの裏にもっとガタイのいい奴がやってきた。まったく見覚えがないけれど馴れ馴れしく手なんて挙げやがる。しゅーちゃんの宿敵かと思ったら、なんと中学一のモテ男テッカだった。

 テッカとは小学校三年以来の付き合いだから、ほとんど幼なじみといっていいと思う。しかしそんなテッカと会うのは5年ぶりのことだ。もともとハゲの徴候があったが、それが一気に進行しちまったらしく、今じゃほとんどスキンヘッドだ。おまけに体重も20キロほど増えたらしく、これじゃ街中であっても絶対気付かないだろう。

 続いて親友のシモやお調子者のヘイコもやってくる。どいつもこいつも毛が減ったり、脂肪がついたりしていて、すっかり変わってしまっている。僕たちのなかを間違いなく時が過ぎている証拠だろう。

 しかしどんなに時が過ぎても、互いの顔を見ながら、数分話せば、昔の「俺たち」に戻っていた。何の気兼ねもなく互いに「バーカ」なんて言いあえる。

 そうだよな、俺の部屋で「バーカ」なんて言い合っているうちに本気になっちゃって、ファミコンのコントローラ投げ付けて、殴り合いしてたよな…。そんなことをひとつひとつ思い出しているうちに、あっという間に終電の時間になってしまった。

 居酒屋を出ると、お調子者のヘイコが、めざとくキャバクラの看板を見つけた。昔の「俺たち」だけに通じるイントネーションで「いっちゃう~?」と叫けんだが、裏番しゅーちゃんがいつの間にか時を越えていたようで、すっかり昔の巻舌になって「おれぇ、明日ゴルフなんだよぉ」と足早にタクシー乗り場に向かっってしまった。「めんどくせーから、割り勘で乗ろうぜぇ」

 絶対に割り勘ならないと読んだ、僕と相棒とおるは、逃げるように駅へ向かう。

「また、近いうち、会おうぜ!」

1月15日(木)


 年明けから相変わらずバタバタと書店さんを廻っているが、どこの書店さんも「ない!ない!欲しい!!」と叫んでいる本がいくつかある。当然といえば当然なのだが、僕自身はちょっと恐ろしいと感じているのは、その「欲しい」と叫ばれている本が、どこのお店も一緒で、いやはや読者の一極集中化は進むばかりのようだ。

 昨年のデータを見てみると、『バカの壁』養老孟司著(新潮新書)や『世界の中心で、愛をさけぶ』片山恭一著(小学館)のように不況とは思えない爆発ヒットが出ているにも関わらず、出版全体を見たらマイナスになっている。

 本来、出版(本)は、かなり個人的消費物であり、富士山のような形で、そのすそ野の広さによって支えられていたと思うのだが、ここ数年の間で、そのすそ野が非常に狭まり、まるで東京タワーのように尖った形になりつつある気がする。売れるものはトコトン売れ、売れないものはビクリとも売れない。

 だからかどうか、出版社は極端に初版を押さえ、様子を見るようになってきた。
 このHPをのぞいている人なら当然知っているであろう作品や作家も、数千部スタートなんてざらであり、その後の重版も、今度は返品を恐れ、渋りに渋る。

 今、店頭で「ない!ない!」と叫ばれている本も、書店員さんにとってみれば恐怖の「品切れ重版未定」であったり、重版刷り部数が少なく極端な減数をされたりで、非常に厳しい。あまりに厳しいので、チビ出版社のチビ営業は、重版専門出版社なんてものができないか?と考えてしまう。これはよ余計な話。

 本日廻った阿佐ヶ谷のS書店では、「ない!ない!」と叫ばれている本のうちのひとつ『半落ち』横山秀夫(講談社)の追加十数部が、翌日の朝には2冊しか残っていなかったという。この一極集中が恐い。それになんで今さらと聞くと映画化だからでしょとの答え。最近、異様にこの映画やドラマといった映像化が極端に売上に反映する。これもなんだか恐ろしい。

 本はいったいどこへ向かっているのだろう…。

1月14日(水)


 今年の目標に一番大事なことを書き忘れたが、今年こそ計画的に仕事をすると心に誓っている。
いつもその時その時で場当たり的に仕事をしてしまい、大事なことが抜け落ちていることが多く、さすがに30代半ばになり、それではマズイと深く反省している。

 その第一日目。丸の内線を営業。

 まずは、昨年オープンした大手町のY書店さんを訪問。ここはまさにY書店らしい(といっては失礼なのかもしれないが)お店で、新宿西口店同様、とても小さいけれど、しっかりお客さんがいる場所にお店を作るというコンセプト。地下鉄の改札を出てすぐ、そして地下の柱と柱の間に10本程度の棚を並べ、レジ1台。現在の拡大化していく一方の書店状況では、信じられないほど小さいが、しかし、どこで買っても値段は一緒の本は、人のいるところで売れるという真実もあり、あなどれない存在である。

 それにしても、寒い。厚手のセーターを着込んだI店長さんから「じわじわ認知されてきた」と話を伺っている間も、駅に電車が着く度に強い風が吹き込んでくる。大変ですねと話すと「いやー、営業マンだって一日外にいるわけですから、一緒でしょ」と笑われる。

 次はすぐその上のビルにあるK書店さんへ。
 担当のEさんを探すと、レジに入っているではないか。どうも新人にレジの操作を教えているようだ。

 こういうとき、僕はとても悩む。
 Eさんとの距離はたった数メートルである。声をかけるのは簡単だ。しかしその間にカウンターがありレジがある。本を売るのが商売である書店で、決して越えてはならない壁である。書店は営業マンのためにあるのではなく、お客さんのためにあるのだ。

 声をかけ、来月の新刊の注文や追加の注文はもちろん取りたい。今日、その話ができなければ、また訪問しなくてはならないし、ルートの営業というのは、そういう点で「その日」に縛られる。

 しかしである。どっちにしてもそれらの思惑はすべて僕の、営業マンとしての都合でしかない。僕の都合が書店員さんの迷惑になるのであれば、それを優先するわけにはいかないだろう。そもそもアポなしで訪問していること自体が、迷惑なのだから。

 結局、新人への教育に没頭しているEさんにとても声をかけられず、お店を後にした。

 これだから押しが弱いって会社で怒られるんだよな。
 でも、いいんだ、いいんだ。たとえ仕事だとしても、相手の状況を考えない人間になんて、僕はなりたくないし、もし自分を捨てて、会社で誉められたとしても、そんなのうれしくない。

1月13日(火)

 とある書店を訪問し、仕事の話をしていたところ、担当者が突然思い出したように話し出す。

「そうだ! 新宿店の子が年末と年始に『書店風雲録』を注文したら、速攻で直納きてくれて、それもイケメンだっていうじゃないですか!!! 誰々そのイケメンって?」

 そのイケメンが僕のことだったとしたら、世界はやっぱり広いといえるのだが、残念なことにそのお店の直納は、僕がしたのではなく、助っ人学生に任せたものだった。現在、助っ人学生のなかで男子は2名。ひとりは「走る」及川君であり、もうひとりは、つばさ君であるが、どちらにしてもイケメンでピンと来るタイプではない。

 早速、会社に連絡をいれ、そのお店の直納担当を確認したところ、担当はつばさ君であった。電話越しの「助っ人匠」浜田は、また何かミスがあったのかと怯えていたが、訳を話すとそんな下らないことで電話して来たのかと怒りだす。

 すまん、すまんと謝りつつ、「で、つばさ君は世間一般というか女性から見たらイケメンなのか?」と問いただすと、突然甘い声になりやがり「だって背だって…だし、顔も小さくて、ちょっとミスチルの桜井に似ているし、今風のイケメンですよ」と大プッシュ。何も背のところを「…」にする必要はないだろうが…。

 その話をそのまま担当者に話すと
「なんでこっちの直納は杉江さんなのよ。これからは杉江さんは打ち合わせ担当で、お店にはそのイケメンが来るようにして!!!」と懇願されてしまった。

 女性書店員さんは「イケメン」に弱い。それも未婚に限る。
 どこかの出版社にイケメン営業マンが入ると、その噂が瞬時に駆け回る。○○出版社の誰々が
カッコイイなんて話は、出版社の倒産情報より早く伝わったりするのだ。おまけにその営業マンが結婚したりすると、一気にその熱が冷めるのが恐い。

 人間だもの、とつぶやきつつ、先週聞いた話を思い出す。

 そのお店で、ある本が妙に売れていた。なぜ?と確認すると、40代の店長さんは笑いながらこんなことを話した。

「いやー、珍しく××出版が来たと思ったら、若い女の子で。思わず20冊くらいで充分なのに、100冊なんて叫んじゃってさ。後から考えたら当たり前だけど100冊売るのはかなり大変で、いろんな手を考えて必死に売っていたら、伸びちゃったんだ。けがの功名だけど…」

 男だって、同じことだ。
 そして人生は残酷である。
 しかし、現実である。

 会社の戻って、イケメンといわれたつばさ君を捕まえ、事実をそのまま話すと、あまりに素直にニヤケ出し「杉江さん、いつでも代わりますよ」なんて言い出す始末。

 俺だって、俺だって。くぅ…。
 ああ、本の雑誌社にはこの先のポストがない。どうしたらいいんだ?

1月9日(金)

 朝会社に着くと、事務の浜田が「大変、大変」と叫んでいた。こいつは、いつも何でもないことで「大変、大変」と騒ぐどうしようもない奴なのだが、今日は叫びながら雑誌を掲げているではないか。その雑誌が『日経WOMAN』だったので、こちとら『日経』も『WOMAN』も関係ないやと一切無視していたところ「あとで見たいっていっても見せませんよ」と脅される。

 「ここだけ」とか「今だけ」に非常に弱い僕としては、さすがにその言葉を無視することは出来ない。あわてて覗きこんだところ「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー2004」「1位 唐木幸子」の文字。

 へ? 「唐木幸子」って『本の雑誌』で「かーさんが行く!」の連載やこのHPで新刊採点員をしていただいていた唐木さん?

 浜田と一緒になって騒いでいると浜本や松村も集まってきて「間違いない、あの唐木さんだ」と大興奮。「日経ウーマン・オブ・ザ・イヤー」というのが、果たしてどういう賞なのか? あるいはその受賞理由である「遺伝子分析用DNAコンピュータの開発」というのが何なのか? 社内の誰一人として理解していないけれど、とにもかくにも、おめでとうございます。

 すると浜本が「お前ら知らないかもしれないけど、唐木さんはヒューマン・ドキュメンタリー大賞か何かを取ってテレビ化されたこともあるんだぞ」と言いだすではないか。あわててネットで検索すると第19回読売「ヒューマン・ドキュメンタリー」大賞のカネボウスペシャル優秀賞「小さな小さなあなたを産んで」が挙がってきた。

 今度はそのページを読んでいて、ビックリ! この話、僕は間違いなくテレビで見ていて、大泣きしたぞ。うん? そういえば、確かそのとき番組の最後に原作者(唐木さん?)がインタビューを受けていて、その原作者の背後の本棚が映り、そういうシーンでついつい本棚を凝視しちゃうのは職業病だと思うのだが、そこに椎名の著作が並んでいたのだ。それを見て僕は確か会社で騒いだ記憶がある。なんだかすべてのパズルがくっつき思わず失禁しそうになってしまった。

 ああ、あれが唐木さんだったのか…。
 唐木さんとはこのHPが出来たときのパーティで顔を会わせているのに、何で今さら気づくんだ。それにしてもなぜ浜田は『日経WOMAN』を買ったのだろうか。

1月8日(木)

 新宿のY書店Nさん(鹿島サポ)を訪問。

 するとちょうどS出版社のNさん(ジュビロサポ)が打ち合わせをしているではないか。一昨年までだったらこの二強サポの間に入り込むのは恐ろしく、思わず逃げていたであろうが、去年ついに我が浦和レッズもナビスコカップの栄冠を手に入れたので、自信を持って割り込むことが出来る。

「明けましておめでとうございます。えーっとジュビロは天皇杯を取りましたが、鹿島はえっと…」と言ったところで、Nさん(鹿島サポ)に睨まれる。いやはやこの後仕事の話をしなきゃいけないんだから、いきなり不機嫌にさせてマズイのだ。でも、どうしても笑みを隠すことは出来ず、引きつったまま話題を変える。 

 そのY書店Nさん(鹿島サポ)から年末に一押しで紹介されたのが
『U-31』網本将也・画 吉原基樹・作(モ ーニングKC)というサッカーマンガで、これがとても面白かった。

 主人公の経歴はどうも前園をモデルにしているようなのだが、その主人公がヴェルディ(らしい)チームから突然解雇され、元々いたジェフ市原(らしい)に単なる広告塔として移籍していく。しかし彼はそこで再度気持ちを新たにサッカーに取り組み、代表を目指していくという再生の物語だ。それはもう僕の大好きな熱い展開があり、またサッカーシーンの描き方が、戦略図を用いて斬新だったりして、興奮のうちに読み終えたのだ。しかし問題は、どうも連載が飛び飛びの様子で、これでは次巻がいつでるのやら…だ。こういうのはツライ。

 Nさんと散々サッカー話をした後に紀伊國屋書店本店を訪問し、1階の文芸売場で継続的に行われている「わたしのおすすめ本 バトルロイヤル」を覗いたところ『ロイ・キーン 魂のフットボールライフ』ロイ・キーン著(カンゼン)を推薦している人がいるではないか。

 この本、僕が独断で勝手に決めているサッカー本大賞の来年度の候補作で、自伝でありながら、いわゆるぬるーい自伝とは大違いのまさに吠えるロイ・キーンらしい自伝なのである。

 かなり激しい暴露本としても読めるし、スター選手の飾りのない(なにせ何度も何度も酒場で乱闘し、深く反省するなんていう人間らしさも赤裸々に告白されている)人生観も覗けるし、またマンチェスターユナイテッドのチーム史とも読める。

 とにかくどんなにロイ・キーンが暴れても、その根底には深いサッカーへの愛があったり、あるいは勝利への執念があったりで、ぜひぜひサッカーバカの皆様には読んでもらいたいと考えていたのだ。

 うーん、まさかこの紀伊國屋書店の「わたしのおすすめ本 バトルロイヤル」でこれを挙げる人がいるとは思わなかった。本日は担当者と会えなかったので、結局どなたがこの本を挙げたのかわからなかったのだが、次回訪問では是非紹介してもらって、堅い握手をしたいと考えている。

1月7日(水)

 『本の雑誌』2月号の搬入日。

 ぐちゃぐちゃに髪を振り乱し、充血した眼をショボショボさせていた松村が、年末進行で必死で作った製作期間短縮号。

 それで中身が薄くなっちゃまずいよな…と心配しつつページを括るが、そんなことはなく特集の「阿鼻叫喚の恐怖体験!」が面白くて吹き出してしまう。編集部の底力を痛感するが、もしかして編集者というのは、狂ったときの方がいい仕事をするのかもしれない。だったら毎号特大号にして、隔週刊にでもするという案はいかがだろうか?

1月6日(火)

 年の初めなので、筆ペンを取り出し、コストカット用裏紙に今年の目標を書く。

1 浦和レッズ 1STステージ優勝
2 浦和レッズ 2NDステージ優勝
3 浦和レッズ ナビスコカップ連覇

 あっという間に書き上げ、机に貼りだしたが、社内からは四方のコンクリートより冷たい視線が向けられる。おまけに浜本には「俺の今年の目標は、杉江をしっかり働かせるってことだ」なんて言われてしまう。ううう…。

 ならば…と気を取り直して、仕事の目標を立てよう。

1 とにかく廻る いっぱい廻る トコトン廻る
2 どんなに呆れられても企画を出す(もちろん浦和レッズ本含む)
3 日記の更新を毎日する

 1に関しては、正直30歳を過ぎてから気力と体力、特に気力の衰えを実感しており、かつてだったらもう1軒、2軒廻れたところが「まあ、いいか…」とあきらめてしまうようになってしまった。

 しかし営業の基本というか、仕事はとにかく売場を廻ることだと僕は考えているので、ここは再び気持ちを奮い立たせ、今まで廻れなかった書店さんにも顔を出したい。そして、もっともっと多くの書店員さんの話を聞きたいという想いをしっかり持ち続けること。

 2は、やはり出版社にいるからには、何か本を作りたい。独りよがりにならず、しっかり読者のいる本、すなわちそれだけ売れる本を企画したい。しかし編集という本来の作業は僕にはとても出来ないので、金子と二人三脚でやっていければ…と思ったが、金子が非常に嫌そうな顔をしているのが気にかかる。

 3 ……。

 果たして年の終わりに、どういうことになっているのか。結局それは毎日の積み重ねってことなんだろうけど、それが簡単に出来れば苦労しない。トホホホ。

 そんな悲しみに落ち込んでいると、深夜+1の浅沼さんから電話が入り、D出版社のグッチーと3人で新年会。狂ったように焼き肉を食い、生ビールをドボドボ流し込みバカ話。いいんだ、俺はこんな人生で…。

1月5日(月)

 明けましておめでとうございます。
 今年も『本の雑誌』をはじめ小社出版物をよろしくお願いします。
 またこの『WEB本の雑誌』及び『帰ってきた炎の営業日誌』もよろしくお願いします。

★    ★    ★

 小社の入っている建物はコンクリート打ちっ放しなのだが、これがとにかく寒い。特に長い間不在だった後は、冷気が四方八方から発散され、冷蔵庫のなかにいるのと変わらない。この冷えきったコンクリートを暖めるのには、暖房を強力にしても約1週間はかかる。各自机の下に置いた足元ヒーターを入れ、肩を振るわせながら、仕事始め。

 とりあえず、新年なのでお年賀のタオルでも持って書店を廻るのが、営業の常識だろう。電車の中では大きな紙袋を抱えたそんな営業マンをたくさん見かけた。しかし本の雑誌社のような超零細企業では、タオルも作れなければ、挨拶だけで一日を終わらせるなんて余裕もない。もちろん新年の挨拶はするが、即、通常営業マンに変身せざる得ない。忙しない日常があっけなく始まってしまい悲しくなる。

 小社初・全国紙(朝日新聞)三八広告出稿!の影響が気になり、今年の初営業はその広告掲載本『書店風雲録』のご当地・池袋を訪問。

 舞台であるリブロのYさんに会うと「どうしたの三八なんて出しちゃって、ビックリしたよ」と笑われる。しかしその広告の影響はしっかりあったようで、売れ行きも順調に伸びている様子。営業始めで追加注文を頂く。嬉しい限り。

 そのまま通路を抜け、外に出て、ただいま著者であり、売り手であるという不思議な立場にいるジュンク堂の田口さんを訪問。日次データを見ると確かに広告を掲載した昨日に、グンと伸びていて、そのあまりの反応に驚いてしまった。たった4センチ7ミリ×10センチ1ミリの空間に文字を並べただけなのに、いやそれが広告ってもんなんだろうけど、初めてそれを実感している。うーん、凄い…。

 しかし、しかし。そんな話を出会った他社営業マンに話したところ、「何でもそう反応があるわけでもないんですよ、やっぱり広告する本に力がないといくら広告を打っても注文の電話が一本も来ないってことだってありますから」と広告命と逆上していた頭を冷やされる。そうなのか、そうなのか。それなら結局、良い本(面白い本)を作らなきゃどうにもならないってことだ。それは出版社の基本だ。

 その後も池袋の書店さんを廻ったが、全体的に年末年始の売れ行きは好調だったようで、思わずこの勢いがそのまま一年続いてくれと四角く切り取られた空に向かって祈ってしまった。しかし無意識のうちに、昨年末で閉店してしまった芳林堂書店池袋店を訪問してしまい、現実に引き戻される。

 今年は良い年になりますように…。