帰宅時、京王線のタイミングが悪いと10分くらい待たされてしまうときがある。
冷たい風が吹き付けるこの季節、さすがに高架線のホームでじっと待つのは耐えがたく、そういうときは向かいのホームにやってくる京王新線に乗り込んでしまう。新宿まで一駅が三駅になろうと、たいしたことじゃない。
京王新線の新宿駅は、地下のかなり深いところにある。そこから長いエスカレータに乗り、ルミネを抜けて、JR新宿駅の南口にたどり着く。その南口には大勢、待ち合わせしている人たちがいる。「ごっめ~ん…」「おっせぇ~よ」なんて言葉が早足に家路へつく僕を通り抜けていく。
ここ数年、ほとんど友達と会っていない。30代はもっと金を持って、自由に遊べる年頃だと考えていたのに、いつの間にか結婚し、子供ができ、会社からは山のように仕事を渡され、家と会社の往復で終わってしまう毎日になっていた。そんな生活に慣れると、わざわざ用がないと友達と会わなくなってしまった。仕事の途中で突然、奴らの顔を思い出すことはあっても、なかなか連絡を取るまではいかないのだ。
年明け早々、その日も京王線のタイミングが悪く、京王新線に乗り、新宿南口を通った。相変わらず、多くの人が誰かを待っていって、その数だけ、待たれている人もいるのだろう。
その日、僕はその場に立ち止まってしまう。しばらく待ち合わせの人々にまぎれ、周りの人たちを眺めていた。その人たちの向こうには、多くのネオンが輝いていて、うまく待ち合わせが出来た人たちは、そのネオンに向かって歩いていく。
気付くと何かに追い立てられたようにポケットから携帯を取り出していた。そしてグループ「友達」を選び、集合」のメールを送った。
その「集合」日が今日の夜だった。
10代の頃、僕の部屋に入り浸っていた奴ら10人にメールを送り、参加の返事は6人だった。まずまずの出席状況だったが、どいつもこいつも忙しいらしく、待ち合わせの時間どおりにやってきたのは、『俺だって忙しいんだけどよ』と強がる相棒とおるだけだった。
二人で1時間ほど飲んだ頃、しゅーちゃんがやってきた。30歳を過ぎて友達を「ちゃん」付けするには理由があって、しゅーちゃんは僕の中学の裏番だからだ。さすがにあの頃から年を重ね、今じゃ信じられないことにスーツを着込んで、もっと信じられないことに銀行員なんて立派な職業についているけれど、それでもやっぱりかつて狙われていた一人として恐怖感は拭えない。思わず「しゅーちゃんビールでよろしいでしょうか?」なんて聞いてしまう。
それからまたしばらくすると、ガタイのいいしゅーちゃんの裏にもっとガタイのいい奴がやってきた。まったく見覚えがないけれど馴れ馴れしく手なんて挙げやがる。しゅーちゃんの宿敵かと思ったら、なんと中学一のモテ男テッカだった。
テッカとは小学校三年以来の付き合いだから、ほとんど幼なじみといっていいと思う。しかしそんなテッカと会うのは5年ぶりのことだ。もともとハゲの徴候があったが、それが一気に進行しちまったらしく、今じゃほとんどスキンヘッドだ。おまけに体重も20キロほど増えたらしく、これじゃ街中であっても絶対気付かないだろう。
続いて親友のシモやお調子者のヘイコもやってくる。どいつもこいつも毛が減ったり、脂肪がついたりしていて、すっかり変わってしまっている。僕たちのなかを間違いなく時が過ぎている証拠だろう。
しかしどんなに時が過ぎても、互いの顔を見ながら、数分話せば、昔の「俺たち」に戻っていた。何の気兼ねもなく互いに「バーカ」なんて言いあえる。
そうだよな、俺の部屋で「バーカ」なんて言い合っているうちに本気になっちゃって、ファミコンのコントローラ投げ付けて、殴り合いしてたよな…。そんなことをひとつひとつ思い出しているうちに、あっという間に終電の時間になってしまった。
居酒屋を出ると、お調子者のヘイコが、めざとくキャバクラの看板を見つけた。昔の「俺たち」だけに通じるイントネーションで「いっちゃう~?」と叫けんだが、裏番しゅーちゃんがいつの間にか時を越えていたようで、すっかり昔の巻舌になって「おれぇ、明日ゴルフなんだよぉ」と足早にタクシー乗り場に向かっってしまった。「めんどくせーから、割り勘で乗ろうぜぇ」
絶対に割り勘ならないと読んだ、僕と相棒とおるは、逃げるように駅へ向かう。
「また、近いうち、会おうぜ!」