WEB本の雑誌

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2月27日(金)

 月末が給料日なのだが、本の雑誌社も生意気に給料を銀行に振り込みやがり、給与明細の紙っぺら一枚しかもらえないから面白みも何ともない。おまけにその給料が振り込まれる口座の通帳やカードは妻が管理していて、僕はハンコの隠し場所も暗証番号も知らないから、どうすることもできない。

 そういえば父親の会社はいまだに給料を現金渡ししていて、それは経理を担当する我が母親が「父ちゃんが給料を持って帰らないと子供が父ちゃんを尊敬しないから」と頑なに続けている習慣だ。じゃあ、僕が父親を尊敬したのか?と言われるとそこは微妙な問題なのだが、バブル期に見た父親の給料袋の厚さは忘れられない。あれくらい稼げるようになりたいが、出版業界にいたら無理だろう。

 とりあえず、今朝、妻から渡された小遣いで財布を微妙に厚くし、早めに仕事を切り上げ、書店へ向かう。サッカーがないときのストレス発散は「本を買う」に限る。酒も好きじゃないし、ギャンブルも顧問目黒を見て以来辞めているのだ。

 それにしても今日だって、散々書店さんを廻っているのに、やはり「客」として書店に入るのはまったく気分が違う。肩から力が抜け、頭がスッキリしていく。書店の癒し効果、なんと素晴らしい。

 何も考えず(考えないようにし)ただただ棚を眺め(自社の本や奥付を見ないようにし)、面白そうな本を抜き取っていくこの喜び。営業中はどうしたって急いでいるから、かなり多くの新刊を見逃している。そんな本を平台や棚で見つけ、「おお、こんな本が出ていたのか」と頬ずりしながら胸に抱えるこの幸福感。やっぱり読者が一番幸せなんじゃないか、なんてことを考えそうになるが、そんなこと考えるとまた仕事モードに突入してしまうので、頭から追いやる。

 買おうと思っていた本を、2、3冊見つけたら、もう歯止めが利かなくなる。まるで棚差し中の書店員さんのように、左手を折り曲げ本を積み、次から次へと棚から本を抜いていく。

 興奮のあまり単行本を7冊、文庫本を9冊、レジに差し出す。オイ! ちょっと待て、いきなり今日の今日で小遣いの半分近く使ってしまっていいのか? でもでも、みんな欲しいんだ…。ああ、これだから通帳もカードも持たせてもらえないんだろうな。

2月26日(木)

 昨日はW出版の営業Aさんと酒を飲んでいたので、NHKニュース10での『本屋大賞』の放送を見逃してしまった。いったいどう放送されたのか気にしつつ、会社に出社した。すると案の定、事務の浜田や経理の小林が大騒ぎしているではないか。

「浜田さん、チラッと映ったね。」
「そうそうビックリした。田舎のお母さんが泣きながら電話してきた」
「金子さんのあの汚い机…」
「放送禁止でしょ」

 不機嫌を装ってみるが、まったく効果なく、ハイテンションの会話が頭上を飛び交う。く~、悔しい。

 ところがしばらくすると、浜田がビデオテープを取り出すではないか。会社にカメラが入り、それが放送されるなんて今後ないだろうから、永久保存版として録画したという。おお、お前はやっぱりここぞというとき「だけ」役に立つ立派な部下だ。早速2階の倉庫に埋もれていたテレビとビデオデッキを引きづりだし、一人上映会。

 それはとてもしっかりと報道されていた。記者の緒方さんがこの企画をきちんと理解してくれていたからだろう。ありがとうございます。

 さてさて、こうなりゃ今度は僕がハイテンション会話の引っ張り役だ。
「浜本さん、なんか痩せて映ってたよね? そういえばカメラマンに斜めから撮影してくれとかって注文つけてなかった? まったくきっちり計算してるんだよ、どういう角度で取れば痩せて映るか。やらしいねぇ」

 突然編集部の一角から怒鳴り声が聞こえる。
「スギエーーーー!!!」

 えっ? いたの? そういや誰もそのことに触れずに話していたな。
 気づいたときには時すでに遅く、ガラガラドッカーンの嵐のなかへ。嗚呼。

2月25日(水)

 昨日『本屋大賞』の取材をNHKから受け、会社にカメラが入った。

 何があっても平常心の編集の松村や金子もさすがにテレビカメラを向けられれば、興奮あるいは緊張するだろうと楽しみにしていたのだが、まったく意識せずに仕事を続けていた。松村にいたっては、いつもの調子でセロテープを力一杯ひっぱり、「ガビビビビ」と強烈な音を炸裂させ、まったく動じた様子もなく、そのまま仕事をしているではないか。結局、興奮したのは事務の浜田で、緊張したのは僕だった。

 社内の風景を撮られ、パソコン画面を撮られ、最後は本屋大賞実行委員代表の浜本のインタビューを収録。いったい何をしゃべるのか、社員および助っ人一同固唾を飲んで見守る。浜本は、かなり緊張した様子でじっとカメラを見つめていた。

 記者の方が
「では、まず本屋大賞創設の理由は?」とインタビューを開始した。

 すると微妙な間が生まれ、浜本はじっと何かを考える。
 どうする浜本? 何を言う浜本?
 いきなり愛する息子と娘の名前を連呼して、Vサインでもするんじゃないか。

 収録の模様は、本日のNHKニュース10のなかで放送される予定だそうだ。

 浜本の答えは、その中で放送されるであろう。全部カットだったりしたら、それはそれで面白いのだが…。

2月24日(火)

 書店店頭は「芥川賞」フィーバーが『文藝春秋』フィーバーを呼び、そして今度は『ドラえもん』フィーバーに突入しているようだ。

 20日に小学館から発売となった『藤子・F・不二雄★ワンダーランド 僕ドラえもん』の創刊号が軒並み品切れ、当日完売のお店が続出している。本日訪問した銀座でも、ほとんど売り切れの状態で、いやはやドラえもん人気恐るべしである。

 そんなことを考えつつ銀座をふらついていてふっと感じたのは、ここまで人気での有り続ける作品というのは文芸書であるだろうか?ということだ。たとえば芥川龍之介や太宰治や三島由紀夫などの作品がそれに当たるのであろう。しかし、今書いている作家の作品でそこまで残りつづけるものはあるのか。

 こればっかりは時が経たなければわからないけれど、残るための器であったはずの「文庫」が、単なる「廉価版」になりつつあるのを考えると非常に難しいような気もする。そういう名作はオンデマンド出版やネットで読むものになっていくのかもしれない。

 その文庫すら持たない出版社としては、とにかく単行本を長く大事にしていくことを考えなければいけないのだが、日常の営業際、どうしても新刊に重点をかけてしまう。業界紙ではもっと既刊本に営業力を注ぐべきだなんて記事があったし、僕自身も反省している。この辺は、今年の僕自身のテーマにしている。

 それにしても、いつまでも読み継がれる作家だと考えている芥川龍之介だって、本日書店員さんに聞いた話では「若い子が芥川ナオキの本ください」と『文藝春秋』を買いに来るくらいだから、もうすでに読み継がれているわけではないのかもしれない。

 いったい10年後の書店の棚というのはどうなっているのであろうか? まったく想像が付かない。

2月23日(月)

 営業の喜びって何ですか?と助っ人学生に真顔で聞かれ、思わず考え込んでしまった。

 予想以上の注文を頂き、大きく展開し販売してもらったとき。そんな日はついつい家に帰る途中にスーパーに寄って、ビールと焼き鳥を買ってしまう。

 いや、そんな特別なことでなくても、目標の売上に達すればうれしいし、普通に書店さんを訪問し、普通に会話が出来て、意思疎通がうまくいっただけでもうれしい。あるいはまったく会ったことのない地方の書店さんと電話でしっかり話せただけだってうれしい。

 そんな喜びはたくさんあるのだが、学生に向かって言葉にした途端、何だかちっぽけな喜びとしか伝わらないだろうと、もっとわかりやすい大きな喜びを教えてあげようと思ったのだが、これが思い浮かばない。

 例えばもし会社から爆発的なベストセラーが出たとしても、その多くは作品を書いた著者の力であろうし、あるいはそれを企画し書かせた編集者の力であろう。うーん、もし、そのベストセラーの返品率を3%以下に抑え、しかも書店さんから苦情があまり来なかったとしたら、それはまさに営業の力のような気もするが、これまたネガティブな喜びとしてしか学生に伝わらないだろう。

 うーん、なんだ? 営業の大きい喜びって? そんなのあるのか? 

 そもそも本が好きで、毎日その大好きな本に触っていられるってだけで、充分大きな喜びを噛みしめているような気がする。どうだろうか…。

2月20日(金)

 3月から予定してるbk1での「目黒考二&北上次郎書店」のインタビュー立ち会いのため、社内に残っていたのだが、1時から15分ごとに目黒の部屋の内線を鳴らすがまったく応答なし。もしやもしや、忘却の彼方で、どこかに行ってしまったのではないか。いや、さすがにオトナだからそんなことはないだろう。約束の3時には戻ってくるはずだ。信じるしかない。しかし事務の浜田はボソリとつぶやく。「いつだかすっかり忘れて新宿でご飯食べていたことありましたよ」

 2時30分、2時45分、2時50分、2時55分とカウントダウン内線をするがそれでも出ない。窓から顔を出して目黒の帰りを待つが、目黒ではなく、bk1の担当者さんがやってきてしまった。嗚呼。

 とにかく目黒が忘れていないこと、あるいはたまたま戻ってくることを祈りつつ、場をつなぐ。そして約15分経過。ガチャリと倉庫兼応接室の扉が空く。「いや~、どうもすみません」と頭を下げながら、目黒が入ってくる。いちおうギリギリセーフってとこか。

 はたして目黒は遅刻だったのか、それとも忘れていたのかは、謎のままである。

2月19日(木)

 神保町を営業。

 三省堂書店さんをうろついていると4階の一角から異様な妖気が発せられていた。いったい何じゃ?と近づいていくと『岡崎武志 古書遊覧』と称した古本のフェアであった。

 いや古本のフェアといっても何も古本を題材にした書籍を集めたフェアというのではなく、そのものズバリ古本を売っているのだ。バーゲンブックならいざ知らず、新刊書店で本当の古本を売るというのは珍しいのではないか。

 そのフェアに並んでいる商品は古本屋さんから提供してもらっているそうで、そのなかには、僕が集めているあるシリーズものが格安で並んでいた。しかしいったいどれがまだ持っていない本なのかがわからない。でも買わないと買われてしまうかもしれない、どうしよう。散々悩んだが後日再訪することにした。頼むぞ残っていてくれ。

 次に訪問したのは東京ランダムウォーク神保町店。言わずもがなではあるけれど、洋書と和書を融合したまさに血の通った棚作りを展開されているお店だ。担当のYさんやWさんと話しているとお客さんが「この近くに郵便局ありますか?」と質問される。Yさんが親切に郵便局の場所を教えるとそのお客さんは小走りでお店を後にした。するとYさん、僕の顔を見て「しばらくすると戻ってくると思いますよ」と笑っている。

 えっ?どういうこと?と不思議に思っているとその郵便局の場所を聞いたお客さんが本当に戻って来て、大切そうに1冊の写真集を取り出した。もちろんレジへ。

 どうしても欲しい本に出会ってしまって、でもお金がなかったということか。それにしてもお金をおろしてまで買おうと思われる本、あるいはそういう本が並んでいる本屋さん、なんて素敵なことだ。

 また、この日訪問した東京堂書店ふくろう店さんには、坪内祐三さんの棚と鹿島茂さんの棚というのを発見。どうもお二人が気に入っている本が並んでいるようだ。

 丸善御茶ノ水店さんではとあるコーナーから力強いエネルギーが発せられていて、ムムムと近づいていくと人文書の新刊棚であった。これはなんだかスゴイ…と唸りつつお話を伺ってみると、あるベテランの担当者さんが並べているという。

 そしてとどめは、帰り際に時間があったので、エリアを無視して立ち寄った紀伊国屋書店新宿南店さん。いきなり一番目につくところに、ドカーンと積まれていたのは白石一文さんの新刊『見えないドアと鶴の空』(光文社)で、そこに設置されていた手作り看板とコメントが、とにかく読んで欲しいという気持ちが素直に伝わってくる素晴らしいものだった。

 もしかして本屋さんって、かなり面白くなってきてるんじゃない?

2月18日(水) 炎のサッカー日誌 2004.01 日本代表篇

 1997年の秋。
 僕は相棒とおると国立競技場脇の公園にテントを張っていた。
 もちろん、98年フランスワールドカップへ行くための戦い、である。

 その公園には僕らのような人間がたくさんいた。寒さに震えつつ、誰かが持ってきたテレビ中心に輪が出来ていた。そのテレビはニュースステーションにチャンネルが合わせられていて、川平慈英がテレビの向こうから翌日の決戦のレポートをしていた。そして彼は最後に叫びながらこう問いかけた。
「ニッポンはフランスに行って、いいんですか?」
 その瞬間、国立競技場脇の公園にいた誰も彼もが叫び返した。
「いいんです!!!」
 その熱い返答は、翌日の戦いの場である国立競技場にこだましていた。

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 あれから約7年が過ぎ去った。
 試合をテレビで観ながら感じていたのは、絶対に勝たなければならない試合もあるが、勝ってはいけない試合というのもあるということ。

 本日の日本代表vsオマーン代表戦は、日本代表にとってその両方だったのではないか。

 予選という意味では当然勝たなければならなかったけれど、内容的には勝ってはいけない試合だったのではないか。あんな内容で勝ってしまっては…。最高でも引き分けのまま終わり、次への問題点を強く噴出させるべきだったのではないか。大丈夫なのか? このチーム。

 それにしても、なんだか熱くなれない。なぜなんだ…。

2月17日(火)

 芥川賞効果が未だ続いている。

 受賞作の掲載誌である『文藝春秋』3月号がほとんどの書店さんで売り切れ。本日訪問したお店では、初回約300冊が3日でなくなり(それだって通常よりかなり多く仕入れていたそうだ)、重版分の予約がすでに50冊以上入っているという。そうこの『文藝春秋』3月号は、雑誌では異例の重版が決まっているそうなのだ。いやはやスゴイ。

 その魅力の第一は「安い」なんだろうと話す。
 『蛇にピアス』金原ひとみ著(集英社)本体1200円と『蹴りたい背中』綿矢りさ著(河出書房新社)本体1000円を2冊買えば、消費税込みで2310円になり、『文藝春秋』3月号は消費税込み780円で、その差1530円。これはかなりお得だ。

 その感覚は購読層にハッキリ現れているようで、両受賞作家と同年代の読者はしっかり単行本を買っていき、お試し感覚の強い年配層などは『文藝春秋』を買っていくと聞く。いや、もしかしたら若い人は、『文藝春秋』に芥川賞受賞作が掲載されるのを知らないのかもしれないが…。

 文藝春秋話で盛り上がっていたら、「そんなことより」と店長さんに指摘されたのが、この4月から始まる消費税総額表示の話。

 国から販売の際の価格表示を税込みに統一しろと各販売物にお達しが出ているのだが、出版界(単行本)は現在外税表示に統一されている。これをすべて再度(消費税導入時は内税だった)内税にするなんてことはとてもできないわけで、一応スリップ(本に挟み込まれている紙)の飛び出た部分に総額表示を入れるということで、お許しを得ているようのだ。(誤解しているかもしれません)

 そこで、本の雑誌社では早めの対応をと、昨年の9月の新刊から本来マスク少年が書かれていた部分に総額表示を入れ印刷しているのだが、本日店長さんから指摘されたのは、それ以前に出ていた本をどうするのよ?ってことだった。

 どこで聞いたのか忘れてしまったけれど、既刊本に関して、すべてスリップを変えるなんてことはとても出来ないわけで、重版がかかるまでは、そのままで良いなんて話を聞いていたので安心していたのだ。だから何もしないつもりですと答えると、その店長さんは困り顔。

「書店だけの店舗ならそれで良いかもしれないけど、うちみたいにデパートに入っているお店だと、今のところ本とCD以外は完全に内税表示に変えていくのよ。CDももしかしたら価格ラベルを貼って対応するかもなんて言っていて、そうなると本だけ特別になって、お客さんの混乱は避けられないよね。まあ、ひとりひとり話せば済むことだけど、最近わざとそういうことを言ってごねるお客さんもいるからなぁ…」

 ほんとにこれで良いのか? それともまずいのか? もし、まずいと言われても本の雑誌社のような零細会社では、正直どうすることもできない。うーん、どうなってしまうんだろうか。

 頭を痛めつつ、お店を出て、駅に向かうと、キオスクに「綿矢りさ」の文字。おお、東スポの一面ではないか! しかも芸能界入り? むむむ、作家で東スポの一面を飾った人というのは、今までいたのだろうか? 凄すぎる…。

2月16日(月)

 通勤途中に印刷所の営業マンと待ち合わせし『リコウの壁とバカの壁』の見本を受け取る。印刷所が通勤ルート中にあるのは便利なのだが、なんだかちょっと怖い。金子の視線が怖い。何かあったらあいつに持って行かせよう、一日延びても途中で受け取れば一緒なんて、たくらんでいるが伝わってくるのだ。

 「緊急」という言葉は嫌いになったが、「新書版」はとても好きになった。何せ、軽くて小さい。20冊持っても、腕が痛くならないし、満員電車でも邪魔にならない。正確に計ってみると『リコウの壁とバカの壁』は140グラムで、たとえば『書店風雲録』は400グラム、その差260グラム。いやはや幸せ。

 しかししかし。値段が安いのはツライ。いつも出している本は1600円前後なのだが、今回は800円である。乱暴に考えると倍以上売らないと商売にならない。

 取次店の窓口は、ニッパチ月せいか、とても空いていた。毎年思うのだが、ニッパチを気にし過ぎて新刊を抑えるから、いちだんと売れない月になってしまうということはなかろうか? ニワトリが先か、卵が先か…。

 御茶ノ水、飯田橋と廻り、昼食。
 深夜プラス1の浅沼さんをお誘いしてラーメン屋へ。一口すすった瞬間、互いに「麺の長さは25センチなの知ってた?」と自慢し合う。昨夜見た「発掘!あるある大事典」の受け売り。完全なるアホ二人。

 昼食後は市ヶ谷の地方小出版流通センターさんへ。
 担当のKさんを待っている間、棚にあった『中洲通信』2003年9月号をペラペラめくっていたら、なんと浦和レッズの初期サポートリーダーであったクレイジーコールズの吉沢康一氏のインタビューが載っているではないか。あわててむさぼるように読む。

 そして思わず鳥肌が立ったのは、彼らが試合後に「今日はテレビに勝ったな」と話し合っていたなんて話。そうだよな、サポーターは観戦者であるけれど、スタジアムという舞台の出演者兼演出家であり、それがテレビ以上に興奮を呼べば、たくさんのお客さんが満足するわけだ。その輪がデカくなればなるほど、ホームの力は強力になり、チームに勝利をもたらす。ちなみに特集タイトルは「伝説の若者たち」。確かに浦和では伝説の人であろう。

 いちおう本日の仕事である見本出しが終わると少し肩の荷が降りるのだが、しかしもちろん本当の戦いは書店に並んでからである。結局どんだけ苦労して営業しようが、売れなければまったく無駄骨なのだ。うーん、難しい仕事だ。

2月9日(月)~2月13日(金)

 緊急出版『リコウの壁とバカの壁』の事前注文〆切り週のため、ジグザグバタバタ営業が続き、おまけに書評効果で『書店風雲録』の動きもよく、とてもこの日記の原稿を書く時間がとれずにいた。

 その間に、娘は「魔の3歳児」となり、その誕生日プレゼントの希望が『きてきてあたしンち』(セガトイズ)だったのが、これが買いに行ける範囲のトイザらスやネット通販で品切れという最悪の事態。うう、週末はマクドナルドのハッピーセットにつくおまけの「おじゃる丸」が品切れで、マクドナルドを3件も、しかもチャリンコで走り廻らされたのに…。

 こんなことになるんだったらひと月ほど前に見かけたときに買っておけば良かったのだ。ああ、後悔先に立たず。

 しかし僕が落ち込んでいる間に、事務の浜田がデパートのおもちゃ売り場に片っ端から電話を入れてくれ、池袋東武デパートで発見。浜田よ、今回といい、ワールドカップのときといい、ぎりぎりのときにいつも僕を助けてくれてありがとう。負け犬脱却のため、何でも力を貸すぞ。

 ギッチリ組まれた営業予定にのっとり、忙しく電車を乗り継いでいると、ふと2年前のこの時期に死んでしまった愛猫小鉄のことを思い出す。

 元気か?小鉄。
 おれは倒れそうだ。

2月6日(金)

 浜本や金子と来期の新刊ラインナップの打ち合わせ。

 もっと早く打ち合わせをすれば、毎年1月号に掲載している1年分の新刊告知があんなインチキな告知でなくなるのに、編集部にはまったくその気がないらしい。あれはあれで良いんだと二人してつぶやいていた。いったいどういう頭の構造をしているんだろう。

 様々な企画をぶつけてみたが、ほとんど跳ね返されてしまった。

 その理由は、まず第1につまらない。第2にアホくさい。第3に興味がない。以上。確かに僕が握っていた企画書は、ただただ僕が読みたい本なだけで、撃沈もやむなし。

 しかししかし、モクモクと別のことが頭のなかをうごめきだす。それは社内ベンチャーのようなものが出来ないか、ということだ。

 現在の編集部とは別に第2編集部のようなものを作り、単行本編集の金子に製作を教わりつつ、僕や浜田やその他助っ人で、正規の仕事が終わった後に、本作りをするというのはどうか? 部署の名前はA6編集部なんていうのはどうか? after6編集部の略。なんて安易だ。それでも年に1冊くらいなら作れるのではないか?

 もちろん社内ベンチャーとはいっても、ただただ好きな本が作りたいだけだから給料はそのままで良い。手伝った助っ人には販売部数に応じてボーナスは出そう。

 うん? 売れなかったときは給料が減額になるのか? それは怖い。でもせっかく出版社で働いているのだから何かやりたい気もする。

 そんなことを考えているうちに会議は進み、来期のラインナップがほぼ決まった。

 もちろんこの『炎の営業日誌』はない。

 別に本にして売るようなものでもないし、市場に並ぶ本を出したいという気持ちもまったくないのだが、あと8年くらいで口をきいてくれなるであろう娘に、父親はこんな人間なのだと知ってもらうため、本として残しておきたいという気持ちは強くある。

 やはり手作りするしかないな。

2月5日(木)

 緊急出版『リコウの壁とバカの壁』に振り回されて早1ヶ月。その1ヶ月の間に、僕は緊急と急遽と突然が大嫌いになった。

 おまけに我が浦和レッズの試合もなく、ストレスは溜まる一方。それでも唯一の救いは『書店風雲録』が好評なことで、そのおかげでどうにか人間でいられる。

 というわけで、その『書店風雲録』を直納しつつ、横浜M書店さんを訪問する。前回の横浜営業では担当のYさんの公休日をすっかり間違えるという大失態で、今さらながらの新年のご挨拶。

 相変わらず芥川2作が売れているおかげで、単行本の売り上げは順調だとか。今年こそは、出版界に良い風は吹くようお祈りしつつ、バタバタと緊急出版のための緊急営業が続く

2月4日(水)

 草思社の営業マンKさんから電話が入る。もう知っているかもしれないけれどと前置きしつつ、『書店風雲録』が朝日新聞の書評欄で取り上げられる予定だと教えてくれた。飛び上がるほど喜びつつも、ああ、オレはダメな営業だと落ち込む。

 朝日新聞のホームページ『BOOK asahi.com』では毎週水曜日に次回の読書面が発表になるのだが、先週まで『書店風雲録』が取り上げられないかとずーっと気にしてのぞいていたのだ。ところが今日に限って忘れてしまうなんて、なんてバカ者なんだ。バカ、バカ、バカ。まさに『出版営業マン 仕事のできる人、できない人』って感じか。

 とにかく教えていただいたKさんに感謝しつつ、電話を切り、急遽予定を変えて、本日は社内に残ってファックスとDMを作成することにした。

 「馬を信じて」もとい「本を信じて」重版した2刷目がちょうど出来上がっており、まさに絶好のタイミング。さあ、走れ、ショテンフウウンロク号よ。

2月3日(火)

 ダラダラと残業していたが、節分なのを思い出し、あわてて帰宅することに。

 そうだ、そうだ。一緒に豆をまこうと朝、娘と約束していたのだ。しかし時刻は8時。我が娘は7時起床の7時就寝というきっちり判で押したような生活をしているから寝ている可能性大だ。それでも誠意だけは見せなくてはとあわてて帰り支度。

 すると発行人改めトーマス改めアバレンジャー浜本と帰宅が一緒になる。先週は車で来ていたのだが、今週からは健康を考え電車通勤にしたと胸を張る。確かに歩くことは大事だし、おまけにこの浜本、自動車通勤だとマクドナルドのドライブスルーの誘惑に勝てず、毎日毎日ビックマックを頬張りながら出社するのだ。そりゃ身体に悪いだろうし、太るわな。

 十号通りを抜け、甲州街道を渡り、笹塚駅へ。改札を通るといきなり浜本が携帯電話を取り出す。

「ああ、オレ、オレ。32分に乗るから。うん、うん。」

 家に連絡を入れているようだ。そういや浜本の息子とうちの娘は同じ年だった。時はすでに8時半。きっと浜本の息子も寝ているのだろう。父親とはなんと悲しい生き物なのだ。

 ところが隣にいる浜本が突然へんてこりんな声色で怪しい言葉をはき出すではないか。

「パパでちゅよ~。今から電車に乗るからね~。おみやげは、秘密でちゅ。秘密っていったら絶対秘密でちゅ。」

 浜本の息子は起きていたのか。いや、そんなことよりもこの変わり様は何なんだ。会社じゃいつも部下に向かって怒鳴ってばかりいるくせに。

「ご飯は食べまちたか? そうでちゅか。パパのこと待っててくれまちゅか? うん、いっちょにおいしいご飯食べまちょね」

 ホームにいた大勢の人たちが、浜本を見つめ、すすすっと離れていく。僕も離れようかと思ったが、こんな人でもいちおう我が社の社長である。社長につれなくすれば、給料は上がらない。それどころか、失業の可能性がある。とにかくじっと我慢で、浜本のアホ語を聞き続けた。

 京王新線に乗る浜本とは笹塚駅のホームで別れ、一安心。あのオヤジはいったい何者なんだ? あんな風に子供と接しているのか。確かに会社のコンピュータの壁紙を子供の写真にするほどの子煩悩だ。

 しかしそれにしても、気持ち悪りいったらありゃしない。これは酒でも買って帰らなきゃ、とても寝付けそうにない。

 途中スーパーでビールを6缶買い、家に着く。窓を見上げるとすでに明かりは消えていた。やっぱりうちの娘はすでに寝ているようだ。

 またひとつ約束を破ってしまった。自転車をガタリと停めた瞬間、その二階から声が漏れてきた。

「あっ、ママ、パパだよ。パパ、帰ってきたよ。」

 自転車の鍵を取るものもどかしくそのままにして、あわてて玄関を開ける。そして僕は叫んでいた。

「鬼でちゅよ~、鬼が来まちたよ~、オニは~、外」

2月2日(月)

 今年になって唐突に二人の作家にハマった。
 
 ひとりは池上永一さんで、何気なく最新作の『ぼくのキャノン』(文藝春秋)を読んでぶっ飛んだ。ファンタジーというか、コミカルというか、しかし笑っているうちに、強い芯にぶち当たる。どこか宮崎駿アニメに似たような世界観。

 そんな話を社内で叫んでいたら、奥から単行本編集の金子が顔を出す。そういえば、金子が池上永一さんのファンなのを思い出す。おい、ちょっと待て! 今まで一度も読書の趣味のあったことのない金子と同じものを好きになってしまったのか…。ああ、僕もついにひねくれ者の仲間入りか。

 しかししかし。どうも金子も純度100%のひねくれ者というわけでなく、話せば良い奴なんじゃないか? ということに気づく。とにかく二人で池上さんについて語り合う。

 金子曰く「池上さんは中場さんに通じるところがあるな。思いきり笑わせておいて、核心をつく。登場人物もオバァがおかんでさ。もしかしたら、岸和田と沖縄が似ているのかもしれない」なんだかわからないけど、何となく納得もしてしまう。いやー、とにかく今後も池上さんについて「だけ」は話し合っていけそうでうれしい。

 そしてもうひとりの作家は、以前から気になっていたのだがなかなか読む機会がなかった樋口明雄さんだ。

 先日何気なく文庫の平台を眺めていたら『狼は瞑らない』(角川春樹事務所)が文庫化されているではないか。よし、挑戦だぁと読み出したところ、興奮のまま徹夜一気読み。山岳冒険小説になるのだが、その面白さは同じ雪山を舞台にした『ホワイトアウト』や『神々の山嶺』を越えるのではないか。

 こちらについても誰か話し相手がいないかと探っていたところ、ひょんなことから我が尊敬する書店員のひとりL書店のYさんが愛読していることを知る。

 うう、早くYさんのところに行って樋口作品について語り合いたい。

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