WEB本の雑誌

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6月30日(水)


 週末に病院へ呼ばれ、頭が真っ白になってしまった。

 元々こんなプライベートなことを公の場でさらすなんてことは、よろしくないことだったのだろうが、勢い余ってというか、書かずにいられなくて書き出してしまったので、ケリだけはつけなくてはらない。子供をあきらめることになりそうだ。

 これ以上はここまで風呂敷を広げて起きながら、読んでいる方には大変申し訳ないが、これでお許しください。本当にすみませんでした。励ましのメールやら声をかけていただいた皆様、本当にありがとうございました。

 さてさて、仕事。
 こればっかりは、しっかりやろう。
 

6月23日(水)

 飯田橋の深夜+1を訪問し、在庫の入れ替え。路面店はどうしても本が汚れてしまうため、年に一度は本を入れ替えるようにしている。本が棚で笑っていた。

 浅沼さんと昼食をとった後は、総武線に揺られ千葉方面へ。今日も30度を越える暑さだが、昨日があまりに暑かっただけに、何だか楽だ。

 千葉、津田沼、船橋、行徳、本八幡と営業し、直帰。

6月22日(火)


 朝、天気予報で埼玉の予想最高気温が36度だと吠えていた。それを聞いたとたん出社する気がゼロになるが、東京の方がなぜか最高気温が低いらしく、ならば出社した方がマシだと、重い腰をあげる。

 すっかり忘れいていたが、本日は年に一度の健康診断だった。今年はタバコも辞めたし(禁煙55日目)、どこかの誰かさんみたいに太ってないしで、胸を張っての受診が出来るというもんだ。特別問題もなく終わり(血液検査と尿検査の結果は後日送られてくるのだが)、午後からは通常通りの営業。

 いやはやそれにしても暑い。頭はぼんやりしてくるし、呼吸も何だか苦しい。

 東京のM書店さんからY書店さんへ移動する際、いつもならば中央通りを歩いていくのだが、さすがにこの暑さのなか外を歩く気力もなく、いったん東京駅方面へ戻り、クーラーの効いた地下街を歩く。

 その通り道、何気なく八重洲古書感を覗いたら、なんと別冊本の雑誌1『ブックカタログ1000』と別冊本の雑誌2『読み物作家100人集』が棚にささっているではないか。

 あわてて値段を確認すると300円と500円という安さ。実は編集見本で社内に1冊ずつ残っているものの、営業部としては売り物(在庫)はもちろん、見本としても残っていなかった2冊であり、すぐさま購入。

 ちなみに『本の雑誌』の創刊号は、門外不出の1冊が金庫に入っているそうで、僕自身まだ一度も拝んだことがない。

 約20年ぶりに出版元に戻ったこの2冊の別冊。今までどんな人生(本生)を送ってきたのか非常に気になるのだが、ところどころ鉛筆でチェックされているあたりを見ると、きっと持ち主の役に立ったのだろう。

 帰りの電車のなかで『読み物作家100人集』をペラペラ読み。この本の改訂版を作りたい。

6月21日(月)

 妻の入院が、4週目に突入。

 ただしやっとお医者さんから「退院」の言葉が聞け、ほっと一安心。母子ともに安定を取り戻したようで、まだ日程は決まっていないが、来週には家に戻れそう。

 ご心配頂いた皆様、本当にありがとうございました。皆様のお言葉にどれだけ励まされたことか、本当に感謝しております。


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『出版営業の方法』(http://www.pot.co.jp/shuppaneigyouh/)というHPを見ながら、一覧注文書の製作。

 一覧注文書とは、自社の書籍を全点リスト化した注文書のことなのだが、このHPを見ていて、自分があまりに今まで何も考えずに作っていたのか思い知る。

 本の並びはもちろん読みやすい(FAXでも潰れない)フォント選びから、ISBNコードも入れるなど、言われてみれば当然のことだが、いやはやまったく工夫していなかった…。


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 そういえば、数年前、書店さんで話していたとき、FAXで送られてくる新刊案内を見せられ、この版元とこの版元はバカよねと二つの山に分けられたことがあった。

 どちらの山もFAXの文面にそれほど違いがあるとは思えなかったのですぐ理由を問いただしたのだが、答はとても簡単なことだった。それはそのFAXにそのまま返信できる注文書が付いているか、いないかの違いであった。

「別にこっちで注文書を作ればいいんだけど、やっぱり面倒くさいのよ。まあ、そんなこと言って入らないほど売れている本なら関係ないけど、追加注文を出すか出さないか微妙な本だったら、こういう何気ないところで、決めちゃうかも」

と返信注文書をがついていない注文書を指さしながら、その書店員さんは話していた。


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 そのとき実は、本の雑誌社で作っていた書店さん向けDMはそのまま返信できる注文書がついていなかったのだ。まさにバカな出版社であり、翌月から注文書を付けたところ、反応がまったく変わった。

 たぶん、何気ない工夫で売上は変わる。例え、一気に変わらなくても小さな注文が集まることによって、長期的な売上は大きく変わってくるだろう。

 そのためには、常に自分の仕事を疑うべきだ。ただし僕の場合、そこかしこに問題がありすぎて、他の人に変わった方が早そうだ…。

6月17日(木)


 ここ2週間ほど発行人浜本の機嫌がすこぶる悪い。

 朝といっても、昼過ぎに出社してくるのだが、そのときもほとんど無言で一切こちらの顔を見ようともせず、すぐさま自分の席に向かってしまう。これが機嫌の良いときなら、ガオレンジャーの主題歌を高らかに歌いながら扉を開けるのだから大違い。

 そして自分の席に座ると、深いため息一発、唸り声数十発を発し、パソコンの電源を入れると、機嫌の悪いとき第2症状である超パワフルタッチでキーボードを叩き出す。この人、既に4台のキーボードを壊しているくらいの筆圧(?)なのである。


 このままでは会社の雰囲気が悪く、仕事が捗らないため、浜本不在の午前中、急遽、緊急対策会議を開く。

 「あのさ、浜本オヤジが機嫌悪いみたいなんだけど何が原因なの?」

 まずは原因を知らなければ解決できないとみんなに問いただす。が、誰もが思案顔で、浜本の一番近くにいる松村もうーんと唸ったまま沈黙。

 いったい何が原因なんだ? もしかして俺か?

 事務の浜田に聞いてみると「杉江さんが感じ悪いのは今に始まったわけではないんで、それだったらずーっと機嫌が悪いはずです」との答え。

 何だったら、俺が機嫌悪くなってやろうか…。

 そのとき突然、新人荒木が「あ~っ!!!」と声を挙げた。

「あのですね。えーっと先週健康診断があったじゃないですか? それで僕、今年に入って太ったなぁと思って、太った太ったってブツブツ言っていたんですよ。そしたら浜本さんが寄ってきて何キロ太ったか聞いてきたんです。そんで1キロも太ちゃったと答えたら、突然機嫌が悪くなって『そんなの太ったうちに入らない!』って怒鳴られたんですけど…。もしかしてそのことですかね?」

 思わず社員一同で声を張り上げる。
「ビンゴ!!!!!」

 それから約30分に渡って、新人荒木に体重の話を社内でするときの注意事項をレクチャーする。

 1キロ太ったくらいで「も」なんて助詞を使っちゃいけない。<たった>1キロといいなさい。そもそも太るというのは年で3キロ以上増えた場合のことで、それ以下のときは、現状維持と答えなさい。それからあまり体重の話は、社内でしないように。するならば、痩せましたねとか減ってる場合だけ。

 律儀な荒木は、ノートにしっかりメモを取り、なるほどなるほどと頷いている。君はきっと出世するだろう。

 
 まあ、とりあえず原因はわかったので、午後からは解決策に取り組む。なーに、これは簡単なことで、顔を会わす度に「あれ? 痩せました?」と浜本に言えば良いだけなのだ。

 早速出社してきた浜本に、事務の浜田が声をかける。
「痩せました?」
「うるせーなぁ」と言いつつも、まんざらでもない様子で答える。あと5回も言えばきっと治るであろう。ああ、気の遣う会社だ。

6月15日(火)

 今月の新刊『よりぬき読書相談室 特盛すこぶる本編』の事前注文短冊を持ち、取次店さんを廻る。

 それにしても暑い。どうして春はあんなに短いんだろうか? ほんの数週間だけスーツの上着を着てちょうど良い季節「春」があるが、その後は上着どころかYシャツも脱いで、ついでにパンツも脱いでしまいたくなるほど暑い夏が、延々4ヶ月も続くのだ。営業マンには、四季なんて季節感はなく、夏と冬という二季しかない。

 おまけに妻の不在16日目にして5度目のハンカチ忘れ。いやはや入院で金がかかるというのに、余計な金をまた遣ってしまう。かなり落ち込みつつ、T社に向かう飯田橋の長い道のりを歩く。

 暑さボケなのか、見舞い疲れなのか、はたまた、ほぼ徹夜EURO観戦疲れの影響か、注文書と同時に取次店さんへ渡すべき、フロッピーディスクをすっかり忘れてしまう。いやはやこれにて午後もう一度訪問しなけれならないことが決定! 落ち込みはブルーゾーンに突入。

★   ★   ★

 深夜+1浅沼さんご推薦のラーメン屋「黒兵衛」でみそ野菜ラーメンを食い、午後からは、地方小出版流通センターさんを訪問。すぐさま噂の床板を探す。

 ありました、ありました、韓国芸能情報誌『HOT CHILI PAPER』の増刊号『韓流スターの時代1』のあまりの納品量でぶち抜けた床板が! 今は鉄板を敷いて補修されていたのだが、いやはやすごいもんです、床板を抜くほど納品ができるなんて…。

 というわけで急遽担当のKさんに高々と宣言する。
「本の雑誌社営業部の今後の営業目標が決定しました。地方小さんの床板を抜くということです!!」

 Kさん、苦笑しつつ「8月特大号の村上春樹ロングインタビューで抜けるんじゃない」なんて冷やかすが、実はちょっと本気で狙っていたりする。

 しかし問題は『HOT CHILI PAPER』が4色カラーの重い雑誌であり、「本の雑誌」とはその1冊の重みがあまりに違うということだ。こうなったら、砂でも詰めるか…。

★   ★   ★

 地方小出版流通センターさんからの帰り道「床板」よりも目標にすべきものを発見! なんとなんととってもカッコイイマンションが建設されていたのだが、その建主が「小学館不動産」となっているではないか!!

 うう、セカチューの売上がこんなところで不動産に化けたのだろうか? いやはや、やっぱり『本の雑誌』で儲けて、早く浦和美園(さいたまスタジアム脇)に自社ビルを建てよう!

6月14日(月)

 妻の入院は3週間目に突入。

 病名は「絨毛膜下血腫」というもので、これは卵膜と子宮壁の間に血が溜まってしまうものなのだが、特別な治療法もないらしく、安静にしているしかないそうだ。そしてしばらしすると血腫が消える場合もあるし、血腫が残ったまま出産する人もいるという、何とも微妙な病気だ。とりあえず血腫の状態が改善傾向を示すまでは入院し続けるとのことで、父と娘は今週も「頑張ろうね」をかけ声に、非常事態生活が続く。

 昨日の日曜日は、ストレスの限界を感じ、自分のフットサルに娘を連れて出かける。大声を出して味方に指示を出しつつ、走り回り、ゴールを決めたときの爽快感は何事にも代え難く、一気に気分も晴れていく。(タバコを辞めたおかげで、心肺機能もぐっとアップ!)

 娘は娘でチームメイトに遊んでもらい笑い転げており、ああ、これでレッズ戦に行ければノープロブレムなのだが、さすがに娘をあの場に連れていくのも問題だし、夜の試合は時間的に無理。

 チームメイトにそんな愚痴をこぼすと「お前は新潟に行ったりして、散々好き勝手してきたんだからこれくらいは我慢しろ!」と怒られる。確かにそうかもしれないが…。

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 仕事の方はやはりどこか中途半端になってしまう。

 先週は座談会の収録があったのだが、夜のため立ち会うことが出来なかったし、週末土曜に行われた『翻訳文学ブックカフェ』も浜田任せになってしまった。今週の椎名編集長のトークショーの入院継続が決定しまったため、どうすることもできない。

 こういうときになるとよくわかるのだが、僕、絶対に仕事で何かを成す人間でない。

 一流の仕事人というか、仕事の出来る人というのは、やはりこういうときだって、仕事を減らしたりしないし、責任を持って自分でやっていくだろう。

 まあ、仕方ない。仕事よりも大事だと思うことがあるんだから。

6月8日(火)

 妻が入院してちょうど10日。
 出血も止まり、胎児もしっかり成長しているそうで、母子ともに安定状態が続いている。

 僕も娘もこの非常事態にだいぶ慣れ、日々の暮らしは安定し出す。しかし非常事態は非常事態に変わりなく、なるべく家のなかで「ママ」という言葉を使わないようにしている。


 京浜東北線を営業。

 川崎の駅ビルY書店さんにて直筆POP付きで展開されていたのは『追伸ー二人の手紙物語』森雅之著(バジリコ)。本日ちょうど安田ママさんがHP『銀河通信』(http://www2s.biglobe.ne.jp/~yasumama/)でオススメしていた本だ。

 担当のHさんに話を伺うと「版元さんがゲラを持ってきてくれて、スタッフで読んでみたらとても評判が良かったんで…」とのこと。小社もゲラ出しとかした方が良いのかなと考えつつ、購入。何だか面白そうな予感がする。

 その後は、蒲田、大井町、田町と営業し、そのまま病院へ。

 あと1週間ほど様子を見て、退院の判断をするとのこと。
 ガンバレ! かぁーちゃん、生きろ! 小僧。

6月3日(木)

 
 妻が入院して以来、通常よりも1時間半早く起きるようにしている。

 自分と娘の朝食の用意し、簡単に掃除をして、ゴミの日にはゴミを出す。洗濯は苦手なので義母に任せ、その間に娘を起こし着替えさせ、朝食を一緒にとり、そして出勤する。文章にするとたった数行なのに、これが結構時間がかかる。

 今までサッカーの日以外、家事を手伝う良い旦那を自称していたのだが、手伝うことと責任を持って自分ですることのあまりの違いに打ちのめされている。家事というのは、本当に終わりがない仕事であり、かなりの重労働であるということを思い知る。いやはやツライ。

 助っ人あかえ~にそのことを愚痴ったら「仕事は山型でピークがあって終わりがあるから満足感というか達成感があるでしょうけど、家事は集落型ですから平坦でそして連鎖していって終わりがないんですよ」なんて妙に納得させられる言葉を返される。確かに次から次へと涌いてきて、終わりがない。

 まあ、そうはいっても出勤してしまえば、娘の面倒を義母に任せられるわけで、その辺はズルイといえばズルイか。

 営業の方はいつもと同じように続けている。
 ほぼ毎日面会のために直帰しているのだが、何だかこの方がいつもより捗どっていたりするのはなぜなんだろうか?

 本日も直帰し、面会終了時間15分前に病院へたどり着く。

 いつの間にか病院特有の匂いに慣れてしまっている自分に驚きつつ、強く手を引く娘に引っ張られるようにして病室へ向かう。母子ともにとりあえず安定してきたようで、妻の腕から伸びている点滴の薬が、いくらか弱いものになったとのこと。ただし、ただいま一番流産の危険性の高い週数らしく、それを越えるまではとにかく入院し安静にしているのが大切なのだという。

 まだしばらくこんな生活が続くのか…。まっ、良い結果をたぐり寄せるためには仕方ない。

6月1日(火)


 娘と義母との変則的な生活が始まった。

 娘がつい僕に向かって「ママ」と呼ぶ。僕もつい「あのさ」と誰もいない台所に声をかけそうになる。その瞬間、室内の空気の動きが止まる。

 仕事を休むわけにはいかないので、義母に娘の面倒を頼み、いつもどおり出社する。もし内勤だったら娘を会社に連れていけたのになんて考えるが、逆にわりと融通が利く外回りなので直帰を増やさせてもらうことにした。そうすれば8時までの面会時間に間に合い、娘に好きなだけ「ママ」と呼ばすことが出来るだろう。

 妻と胎児は、あれだけの血を流しておきながらも、どうにか持ちこたえ、順調に回復しているようだ。本日の診察では、エコーに小さな胎児がしっかり心臓を動かしている姿が映ったと、だいぶ落ち着きを取り戻した妻がうれしそうに話していた。

 もし本当にこのまま順調に回復し、無事生まれるようであれば、このガキはきっと運の強い子になるだろう。そんな話を空調の効いた病室でぼそりぼそりと話した。

 本日も娘はとっても物分かりよく、「ママ、バイバイ。また来るね」と手を振り、あっけなく病室を後にした。

 ところが家に帰って、お風呂に入れていると突然火がついたように大泣きしだす。それまで金魚すくいセットで機嫌良く遊んでいただけに、ビックリして「どうしたんだ?」と強く問いただしてしまう。するとその声の大きさに驚いてしまったようで、娘は一段と大声で泣き出し、激しくクビを振る。

 やっぱり情緒が不安定になっているのかななんて思いながら頭を撫でてやると「違う違うの、とっても淋しいの」との思いがけない返事。「淋しい」なんて言葉、そして概念を知っていたのか?

 その言葉を聞いた瞬間、情けないことに僕も我慢していた涙が止まらなくなり、その後しばらく一緒に風呂場で泣いてしまった。

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