昨春、助っ人(アルバイト)を辞めていった木村君が、沸き立つような匂いのする桃を持って遊びに来てくれた。彼は今、青果の仲卸業者に就職し、市場で働いているそうで、青果・仲卸・市場と通常の僕の世界ではまったく知る機会のないその仕事がとっても面白そう。思わず小一時間ほど質問を繰り返してしまった。ちなみに木村君は、果物部輸入果物課グレープフルーツ係という肩書き。
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本の雑誌社のアルバイト募集に応募してくるような学生は、出版業界への就職希望者が多い。この会社がそのために役立つとは思えないし、元々門戸の狭い業界だから、ほとんどの学生が希望叶わず他業種へ就職していく。まあ、長い目で見たらそれはそれで幸せなことだと思うけれど、自分も必死になってこの業界へ潜り込んだ口だから、無念さもよくわかる。
そんな助っ人学生のなかで、木村君はちょっと異質であった。まず何により理系であることだ。それも農学部。いや理系で、農学部で応募してくるのに何の問題もないのだが、それまでほとんど理系の応募者というのがいなかったので履歴書を見て驚いた。初めて接する学部というかタイプの人間になりそうなので、とりあえず面接に呼んでみたのだ。
会ってみるとこれが面白い。こちらは勝手に細っこい人間を想像していたのだが、身長175センチ、ガタイはガッシリ系だった。ガッシリの理由が陸上部に所属していたそうで、いまだに毎日10キロは走っていると話した。
応募動機は、たまたま友だちに薦められて「本の雑誌」を読んでみたら、たまたまアルバイトの募集が載っていて、たまたま暇だったので応募してみたら、呼び出されたとのことで、やたら「たまたま」を連発する奴だった。まあ、こちらだって気まぐれで呼び出してみたんだから同じことか…。挨拶もしっかりできるし、受け答えも問題なし、本も好きで、特にライトノベルが好きだという。ならばとその場で採用を告げた。
木村君は、それから1年、週1程度で、コンスタントに会社に顔を出した。しっかり仕事が出来る奴だったので、あっという間に頼れる存在に成長していった。だから4年になったらリーダーを任せられるなと考えていたところ、突然、アルバイトを辞めると告げられた。そのときはかなりショックを受けた。しかし理由を聞いてみると、気持ち良く送り出してやりたくなった。
「もうすぐ4年生で、やはり就職を考えなければなりません。今のところ出版、イベント、それから大学で学んでいる農業系に興味があります。そのなかからこれを仕事にしたいと思うものを探さなければならず、そのために4年生の1年間、いろんなことを試してみたいと思うんです。」
うん、うんと僕は深く頷いた。木村君は目をきらきらさせて、真剣に希望を語っていた。その姿は10歳年下とはいえ、とてもカッコ良かった。
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今年の5月。
約1年ぶりに木村君から連絡があった。
「初めての給料が出たので、フルーツの詰め合わせをお送りさせて頂きます。」そのとき初めて彼が市場で働いている事を知った。なぜ市場になったのか、そのことが気になっていたので、いつか遊びに来いよと誘うと「夜中の1時から昼くらいまでが仕事なんですよ。杉江さんが起きている時間に寝ています。でも時間を見付けて顔を出します」とのことだった。いろんな仕事があるんだなと今更ながら驚いた。
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本日、久しぶりに平日休みが取れたのでと、律儀にその約束を守って、会社に遊びに来てくれたのだ。
詳しく話を聞くと、市場の仕事の先、5年後、10年後の彼はしっかり考えていた。
「お前、ほんとカッコ良いよ」僕は素直に言った。社会に出れば、もう同じ人間だ。
しかし木村君は浮かない顔をして僕を見つめる。
「どうした?」
「そういってくれるのは杉江さんだけで、女っ気がまったくないんです。どうしたら良いでしょうか?」
それは僕に答えられる答えではなかった。