WEB本の雑誌

9月30日(木)


 夜、ジュンク堂書店池袋店にて、編集長椎名誠のトークショー。

 椎名といるといつも思うのだが、椎名は僕にとって、まず上司なのである。上司だから僕はここでいつも椎名と呼び捨てで書いているのだ。だから、常に上司と部下という感じで話をし、接している(つもりだ)。

 しかし当然もちろん、椎名は作家である。(この日のトークショーもとっても大勢の人が申し込みがあったそうだ。抽選に洩れた方、申し訳ございません)僕もそのほとんどの著作を読んでいて、『哀愁の街に霧が降るのだ』や『あやしい探検隊』シリーズや『バタゴニア』や『アド・バード』が大好きだ。この会社の試験を7年前に受けたのは(おう!ちょうど7年前の今日だ!)たぶん椎名誠への憧れが強かっただろう。

 だから最初のうちは、椎名を作家・椎名誠として見つめていた。しかしそれだでは当然仕事にならないし、椎名も嫌がる。だから今ではすっかり上司として椎名を見、接する癖がついたのである。

 しかししかし、この日のようなトークショーに立ち会うとその関係性が思い切り揺らいでしまう。どこの会社に45日間も南米を旅し、カウボーイ(呼び方が違った)になって馬に乗っているなんて上司がいるというのだ。しかもその話がとっても面白くて、それは作家らしい世界観ってことなんだろうけれど、思い切り笑わされたり頷かされたりするのだ。うーん、カッコ良すぎて、とても上司の悪口で盛り上がるなんてことがない。

 1時間30分のトークショーにきっちり勝負をつけ、椎名は大きな背中を見せながら池袋を後にした。その手には事前に入って随分長い間各所の棚を徘徊し購入された本が抱えられていた。

9月29日(水)

 とてもショックなことがあって落ち込んでいるのだが、落ち込みから簡単に回復する方法なんてない。それは今までの経験でわかっている。しかも自分の身に降りかかったわけではないから、どうすることもできない。ようは時間の流れに身を任せるしかないのだが、その時間の流れの遅さがもどかしい。クソッ!

 営業という仕事に就くまで、大人になったら絶対友達なんて出来ないと信じていた。やっぱりガキの頃の、それこそ蹴り合い殴り合い牌の叩き合いをしてない人間どうしの付き合いがそんなに深くなるわけないと考えていたのだ。僕はふたつ両親に感謝していることがあって、ひとつは健康に生んでくれたってことで、もうひとつは一度も引っ越ししないで暮らしてくれたってことだ。

 引っ越しをしなかったっていうのは僕のような人見知りには、とっても重要なことで(本当はそれが要因で人見知りになった可能性はあるけれど)僕が今でも遊んでいる友達は、ほとんど小学校、中学校、高校の友達で、ずーっとずーっと一緒につるんでいるのだ。

 人見知りにもうひとつ僕の性格で鬱陶しいところは、気づかい屋ってことだろう。この矛盾がキツイ。こんなこと自分で書いたら誰も信じてくれないと思うけれど、僕は会社でも飲み会でも誰かがつまらなそうな顔をしていると、どうにかその人が楽しめるような場にしたいと思ってしまう。それでドンドン自分が疲れてくるし、そのつまらなそうな顔している人にとって僕の行いは、単なる迷惑であることが多いからドツボにはまる。

 だからなるべく人の集まりには顔を出せないし、出したくないのだが、やはり営業という仕事柄そういうわけにはいかない。で、色んな人に会い、色んな話をし、約10年ほどこんな仕事をしてきて、気付いたことがある。

 大人になってからも友達は出来るってことだ。
 ただしそれは学生時代の友達とは違うから、しょっちゅう会うわけでもないし、ダラダラとため口で話をするってことではない。そうじゃなくて、自分のことのように相手のことを考えて、そして信頼し合えるってことだ。

 なんでそこんなことを突然書き出したのかというと、本日僕の大好きな書店員さんが入院しちまったからだ。例え友達だとしても、できることは祈るだけ!

 元気になってください。そしてまたお店で会いましょう!!!

9月28日(火)

 銀座を営業しながら、9月22日付けの『荒なみ編集部日誌』で荒木が書いた『10年後の「読者」像』の違和感について考えていた。

 彼が言うには「活字離れ」 は憂うことではなく「都市化や進学率の上昇にともない、かつてに比べれば統計的に読者は増加している」と書く。確かにそれはそのとおりで頷ける。

 そして、またネットやメールによって「現在の若者たちほど習慣的に活字を読みかつ書くような若者がこれほど大量に出現した時代っていうのはたぶんなかったはずだ」というのも納得できる。

 ただし、である。
 だから何なんなの?と疑問を感じるのだ。

 なぜなら僕は出版社で働いているからだ。出版社の商品は「活字」ではなく「本」なのだ。どんだけ若者がメールやネットで文章を書こうが読もうが、彼ら彼女らが本を買わなければ、僕らに利益は生まれないのだ。

 たとえば売れない和菓子屋さんに「大丈夫ですよ、砂糖の消費量は戦後史上最高ですから」といったところで何の気休めにならないだろうし、それは酒蔵に対して「アルコールの消費量」を話しても一緒だろう。

 僕が憂いているのは、そういった活字という原材料のことでなく「本離れ」あるいは単刀直入に本が売れないことなのだ。

 そしてもし今後の出版業が「街に溶け込んだ読者(文字を読む人)」を相手にするためにネットや電子媒体を中心にしていくというのであれば、僕はこの業界からきっぱり足を洗うだろう。なぜなら僕は「本」そのものを愛しているのであって、コンテンツがどうこうなんていうのには興味がない。

 僕のこの辺の気分は、編集長の椎名がとっくのとうに『本の雑誌』に書いていた。最後にその部分を引用したい。

「『本の雑誌』を作っているから、やはり活字の未来というものが最終的にはいちばん気になる。個人コンピューター時代を迎えて、活字メディアがそれらの世界に次々に飲み込まれ、紙と活字ではない、机上のディスプレイで、デジタル化された記号文字で雑誌や本を読む時代に本当に切り替わっていってしまうのだろうか。目下の情報記事がしきりにその可能性を語っているけれど、ぼくにはまったく判断も予想のつかない世界だ。
 ひとつだけわかっているのは、雑誌や本がカメラのフィルムからデジタルへの大転換と同じようになっていくのだとしたら、それを機会にぼくは雑誌や本を読むのをきっぱりやめ、どこか北か南のはじっこのほうに行って、海や空などを眺める余生を過ごしたいと思う。」(本の雑誌 2004年2月号)

  僕の場合はまだ余生というほど生きていないし、生活していくために相当必死で働かなければならないので、きっとオヤジと兄貴に頭を下げて、機械屋の修行をすることになるだろう。でも「本」に触れずに働くならば、その方がずっとずっと楽しいはずだ。

9月27日(月)


 朝イチでかかってきた電話は、横浜のY書店Kさんからの『翻訳文学ブックカフェ』の追加注文だった。その電話の声だけでKさんだと自信が持てず、普通に注文を受け、最後の最後に「営業部の杉江がお受けしました」と答えたところ、Kさんも僕だとわかってなかった様子で「あれ? 杉江さんだったんですか? 何かよそゆきの声でわかりませんでした」と笑われてしまった。

 いやはや僕の声はよそゆきの声だったのではなく、ただ単に前日のガンバ戦で声を張り上げ過ぎてしまい声が出なかっただけのことです。

 そのKさんとは『夜のピクニック』恩田陸著(新潮社)のことで盛り上がる。前日の朝日新聞書評欄に池上冬樹さんの素晴らしい書評が掲載され、日曜日だけでかなり部数が売れたとのこと。元々Kさんの大推薦本だったのでとってもうれしそう。いやはや良い書評は、やっぱり読者の心を動かすのだなとこちらも朝から良い気分に浸る。

 雨の中、京王線の営業。

 聖蹟桜ヶ丘は、なぜかこの秋、書店紛争の勃発地点で、元々あるくまざわ書店さんを挟む形で、あおい書店さんとときわ書房さんが出店されるそうなのだ。ただしその2店の出店場所が元々書店さんのあった場所で(って本日が黒田書店さんの閉店日だったようで、何気なく覗いたところ棚の本を箱詰めしているところに遭遇してしまう。思わずしばし呆然と立ちつくし、泣きそうになってしまった)このような看板を変える形の閉店と出店が起こるカラクリが、僕にはよくわからない。もちろん看板が違えば、お店の方針も違うし、もしかしたら条件も違うのかもしれないが、うーん、本当に不思議だ。

 その後は、府中、調布と営業し、何だかなかなか担当者に会えない日だったので、流れを変えるために前々から訪問しようと考えていた書店さんを初訪問。ここでも結局担当者さんが会議中でお会いできなかったのだが、棚に意志を感じるお店で、いやはや今後が楽しみ。


 会社に戻って、HPを開けると「荒なみ編集部日誌」が必死に更新されているではないか。何だか荒木の文章は僕と違ってとっても頭が良さそうで、ショックを受ける。そしてそのことを会社のみんなに伝えたところ、編集補助の石山と助っ人のあかえ~が「そんなことないですよ!」と妙に真顔で反論してきたが、その真剣さが胸に刺さる。

 読者の皆様、この差は決して編集者と営業マンの差ではありません。
 ただ単に、わたくし杉江が、ガキの頃から両親に「勉強しろ」とまったく言われずに、その言葉通り、学校にも行かず遊び続けてしまったせいでありまして、個人の能力の問題であります。誤解なきようよろしくお願いします。

9月26日(日) 炎のサッカー日誌 2004.11


 隣で観戦していた身長193センチの巨人・キリーが、30センチ下にある僕の顔を見下ろしながらぼそりとつぶやいた。

「FC東京戦でバブルが終わって、やっぱ1勝の大きさ、勝つことの難しさ、そういうものを大切にしないといけないっすよね」

 ほんとその通りだ。かつては年間でこの連勝分くらいしか勝てなかった時期もあったのだ。
 あの頃、スタジアムには勝利に対しての凄まじい切望感が渦巻いていて、たった1勝を生で見られることの非現実性というか、その幸運の大きさは、まさに夢のような出来事であった。

 あれから十数年が経ち、ついに我ら浦和レッズは勝利するのがある程度普通になり、中堅上位から上位を狙えるチームに成長していっているのだ。あの頃と同じ想いは持てないけれど、今度は目の前にあるリーグ優勝の扉をこじ開けるために、勝利を切望していく必要がある。

 しかし勝利の女神はそう簡単に振り向いてくれないようだった。
 この2試合で、ここのところ信じられないほどのパフォーマンス見せていた山瀬と長谷部を連続して怪我で失うという試練を与えられてしまったのだ。おまけに忘れてもらっては困るのは、ジーコの無理使いのため、我らレッズは坪井も失っているのである。補強、補強と騒いでもこれだけ怪我人が出たのではとても追いつかない。こんななか待ち望むのは、現在いる選手たちの覚醒である。

 この日のガンバ戦、その覚醒が起こったのだ。ついにムラムラ山田がやる気を出したのである。あの山田が90分間ファイトしたのだ!

 今までだったら上を向いたり、人のせいにしてボールから目を離し、集中を切らすことが多かった山田が、この日怪我人の代役としてトップ下につき、90分間、一生懸命自分の仕事を探し、敵ゴール前から、自陣ゴール前まで走り続けたのだ。

 その山田に勝利の女神は微笑んだ。同点ゴールという幸福が彼の足から生まれ、より一層やる気を起こさせたのである。ノブヒサよ、浦和の優勝と同じくらいこの日を僕は待っていたのだ!

 その山田を中心に、中盤の選手達(鈴木啓太や酒井友之)の追い込みが利き出す。信じられない運動量でボールを追い回し、高い位置でのボール奪い、前線に供給する。そしてFC東京戦のように攻め焦ることなく、ダメなときは一度後ろにボールを戻し、再度穴を探すのだ。そう! それこそ前監督オフトに教わってきた大事なことだ。


 2対1の勝利は、前々節までの爆発的バブルな勝利ではないけれど、ここでこうやって勝てるようになったレッズは本物だ。僕はもう11月28日に浦和の街に勝利の歌が高々と響き渡るのを信じて疑わない。
 

9月24日(金)

 とことん気分が悪い。
 負けるのがこんなに悔しいことだと久しぶりに思い出す。

 荒木の『荒なみ編集部日記』を読むがまったく意味がわからない。
 笹塚駅前の南蛮茶館? 大吉や風淋は知っているが、そんな喫茶店どこにあるのかも知らんぞ。
 ダリオ・アルジェント? M・ナイト・シャマラン監督の『ヴィレッジ』? たぶん浜本も目黒もわからないと思うのだが、それで安心して良いのだろうか? それに新本格が読める社員なんて、本の雑誌社始まって以来かもしれない。

 でもまあ荒木は僕のような中途半端な小話を書くより、この路線で行った方が良いのではないか。そう思ってアドバイスをすると「杉江さんみたいにキャピキャピは出来ませんから」と意味不明の受け答え。オレってキャピキャピしてるのか?

 本日は社内にいて、デスクワーク。編集後記が書けず悶々としていると、松村がネタをくれたのだが、そのネタは「デブネタは全部オレのものだ!」と浜本に宣言され奪われる。デブネタって何だ?

 ああ、それにしても悔しい。日曜日はしっかり勝つぞ!

9月22日(水)

 吉野朔実著『犬は本よりも電信柱が好き』の搬入日。かつては搬入日というと雨が降ったのだが、最近はきっちり晴れているから搬入が楽だ。しかし雨の搬入は売れるというジンクスから遠のいているようで恐ろしい…。

 さて、ここで突然ですが、本の雑誌社出版物ご愛読の皆様にクイズを出します。

 この『犬は本よりも電信柱が好き』から、本の雑誌社の単行本としては、とても変わったことがあります。それは何でしょうか?

 正解は10月1日に発表の予定。
 ぜひぜひ、店頭でご確認くださいって、イヤらしいな、オレは…。

9月21日(火)

 仕事を終えてから、神保町へ。今夜は本屋大賞の打ち合わせ。

 第2回に向けて様々なことを決めているのだが、不思議とこの集まりはいろんな意見が出て、しかも決断が早い。理想的な会議の風景だと思うのだが、決めることが非常に多いので、結局10時近くまでかかってしまう。で、酒も飲まずに帰宅する。

 そのなかで挙がった提案で一番笑ってしまったのは、第2回本屋大賞の発表会の場に大森望さんと豊崎由美さんをお招きし、「本屋大賞生メッタ斬り」をしてもらおうではないかという案だ。自虐的過ぎる? あるいは受賞者に申し訳ないということで、とりあえず保留になったが。大森さん、豊崎さんいかがですか?

9月18日(土) 炎のサッカー日誌 2004.09

 開幕5連勝をかけたこの日の朝、つい興奮していて、メシを食いながら妻に話しかけてしまったのが失敗の元。

「優勝できそうなんだよ、優勝」
「えっ? あっ、カップ戦じゃなくてリーグ戦でってこと?」

 何だか嫌な言い方だ…。それでも我慢して会話を続ける。

「そうだよ、セカンドステージだよ、今4連勝中なんだよ」
「あっ、そうなの?」
「そうなの?って、ほんとに知らなかったわけ?」

 旦那が毎週毎週赤いユニフォームを着て、雨にも負けず、風にも負けず、ときたま富士山に負けつつ、スタジアムに通っているというのに、この妻は、サッカーに関心がない。

 関心がないどころか、コイツはトンデモナイ奴で、かつてJリーグが発足した当時、なかなか取れないチケットを命がけで手に入れ、その頃はまだ結婚していなかったから、エサのひとつとしてレッズ戦に連れていったことがあったのだ。そして試合が始まり十数分。何気なく隣をみたら、なんとコイツが、ぐっすり寝ていたのである。あのうるさい大声援の中で。

 あまりの驚きに瞬間呆然としてしまったが、さすがに神聖なるレッズ戦の最中に睡眠なんて許せるはずはなく、肘鉄で起こした。するとあくびをかみ殺しながら漏らした一言を僕は一生忘れない。

「だって、パスがつながらなくてつまらないんだもん」

 思わず「その通り!」と叫びそうになってしまったが、いやはやそれ以来、妻をサッカーに連れて行かないようにしている。


 さて今朝の会話の続きだ。

「お前、もしかして何も知らないんだろ?」
「えっ? 知ってるって…」
「じゃあ、神様エメルソン様は?」
「外人でしょ?」
 帰化する可能性はあるけれど、エメルソンなんて日本人はいないだろう。

「じゃあ、達也は?」
「達也って下の名前じゃわからないわよ」
「だから田中達也だよ」
「ああ、とおる君がいつだか家具の大川で会ったって興奮していた人?」
 当たっているけど、サッカーとまったく関係ない。

「売り出し中の、山瀬と長谷部は?」
「それは難しすぎるね」
「じゃあ、山田は知ってるだろ」
「ああ、新人ね」
 それは何年前の話だ。

「じゃあ、三都主は知っているだろ? 日本代表なんだからさ」
「三都主? あんたそれは狡いじゃない。他のチームの選手を言ってひっかけ問題出すなんて」

 結婚7年目にして初めて、わたくし声を荒らげてしまいました。
「おい! コラァ! 三都主はレッズの選手じゃ! そんなんも知らんで、お前は浦和に住んでるんか!!!」

 もちろんその後、家を叩き出されました。


★    ★    ★

 家を叩き出されても、僕にはスタジアムがあるから無問題。ここさえあれば、他は別にどうでもいい。しかも現在は、負ける要素のほとんどないレッズだから、幸せ以外の何物でもない。

 さて本日の敵は、アルビレックス新潟だ。こちらも熱心なサポーターが多く、埼玉スタジアム周辺でやたらとオレンジ色を目にするが、思わずその姿に「ありがとう」とつぶやいてしまった。やっぱり敵サポがいないと面白くないのだ。新潟の皆さん、一緒にJリーグを盛り上げていきましょう。


★   ★   ★

 試合開始してすぐ、ちょっと嫌な予感がした。
 当然と言えば当然なのだが、新潟が妙に引いていて、エメも達也も攻めづらそうだったのだ。今までのレッズだとこうなると攻め焦って……なときが多かった。これはマズイかも、なんて考えていたら、なんと信じられないことに大苦手のセットプレーから新加入のネネがあっけなくゴールを決めてしまうではないか。オイ!!!! しかも次の2点目もセットプレーからの得点で、いやはやどうしたレッズ? 

 相変わらずレッズのサッカーは素晴らしい。
 何が素晴らしいって、前回も書いたけれど、その献身的な動きから生まれる守備が素晴らしいのだ。そのなかでも山瀬と啓太のオリンピック落選組の信じられない運動量とパフォーマンスは驚愕に値する。山本昌邦よ、このことしっかり「備忘録」に書いておいた方がいいぜよ!

 DFラインの手前でボールを奪えば、その分早く前線のエメや達也にボールが渡せるわけで、だから相手のDFも結果として後手後手に回ることになる。。ゲームの主導権を完全に握り、レッズの選手は気持ちよさそうにサッカーをしているのが印象的だ。

 新潟のオウンゴールも手伝って、前半終わって3対0。観戦仲間の某取次店勤務Yさんが叫ぶ。
「俺たちをもっとイカせてくれぇ~」
 Yさん、スミマセン。僕はもう前半のサッカーだけで十分昇天しておりました、ハイ。

 そのYさんの願いが叶ったのは、後半始まってすぐの神様エメル尊のゴール。信じられない足の振り。Jリーグでエメルソンのプレーが見られる、これってスゴイ幸せなことなんじゃなかろうか。4対0。

 最後はいつもの悪い癖で1失点してしまったが、まったく危なげのない勝利で5連勝。単独首位。残り10試合、この短い2ステージ制では、1試合も負けて良い試合はない。「負けないよ」ではなく「負けられない」のだ。

★    ★    ★

 9時30分。家に着くと真っ暗。逃げられたかと焦って部屋に飛び込むと、すでに布団を敷いて眠っていた。あーあ、今ならパスも繋がるし、興奮する試合を見せられるのになぁ…。

9月17日(金)


 鳥は生まれて初めてみたものを親だと思う「すりこみ」という現象があるそうだが、もしかしてサラリーマンにも「すりこみ」があるんじゃないか。

 なぜそんなことを突然考え出したのかというと、新連載として始まった『荒なみ編集部日誌』に書かれている僕の姿が、あまりに僕が初めて就職したときの上司、H先輩に似ていたからだ。

 猫なで声で近づいてきて、ほんとに悪いんだけど…なんてつぶやきつつ、実はすでにすべてが決まっていて逃げられない状態になっている。このパターンで僕は何度もH先輩に泣かされて来たのだ。

 あの頃。
 金曜日の夕方、突然会社の近くの喫茶店に呼び出され「ごめん、明日、名古屋に行ってくれない」なんて言われて、「えー」と不満の声を漏らすと「この前焼肉食ったよな、特上カルビ…」と脅されたんだ。それで仕方なく了解の返事をした後、小声で「1週間ね」なんて言われたこともあった。また医学書の出版社は学会に付いていってその場で展示販売するという仕事が多いのだが、その場で突然「あとはヨロピク」なんていって手をヒラヒラさせてエレベーターの向こうに消えられてしまうこともあった。

 その時、僕は、入社1週間目で、どうやって販売したらいいのかもまったくわからなず泣きそうになったのだが、社会ってこういうもんなんだろうなと自分に言い聞かせ頑張ったのだ。しばらくしてわかったのはH先輩はそのとき木の実ナナの舞台を見に行っていたってこと。

 ただし、こんな風に扱われても僕は決してH先輩が嫌いにならなかった。いや逆にとっても好きな先輩といえた。なぜなんだろうか? うーん、たぶん人間味があって、キツイ仕事をさせられた後、しっかりうまいモノを食わせてくれて、そしてしっかり褒めてくれたのだ。うれしかったんだよなぁ、H先輩から褒められると…。

 荒木の連載を見ながら、ちょっとおびえつつも、まんざらでもない気分にひたっていると、何だか向こうからH先輩の声が聞こえてきそうだ。
「す、ぎ、え、ちゃ~ん」

 そうそう荒木よ、大人が「ちゃん付け」で呼んできたときはすげー危険なんだぜ。

9月16日(木)

 久しぶりに兄貴から連絡が入る。
 
 いや久しぶりといっても別に音信不通だったわけではない。ただ杉江家が全員浦和レッズサポになってしまって以来、スタジアム以外で顔や言葉を交わすことがなくなってしまったので、普通の日に連絡が来るなんてことが珍しいのだ。

「あのさ、日誌読んでいるよ」
 唐突に何を言い出したのかと思ったらこの営業日誌のことだった。そういえば、兄貴は結構このホームページを読んでいたっけ。

「それでさ、4周年なんだろう? おめでとう」
「あ、ありがとう」
「でだ。そろそろ本性出した方がいいと思うんだよ。オレはお前の兄貴で、だからお前が生まれたときからよーく知っているんだ。親と同じだけお前と長く付き合っているんだ。そういう人間が忠告するんだからしっかり耳の穴をかっぽじって聞きなさい。あのな、もうこうやって良い人ぶるのはやめなさい」
「何だよ、お前」
「だから、ハッキリ言うとな、お前はこんな人間じゃないんだ。もっと心が汚れていて、インチキくさくて、それでわがままで、人のアイスをこっそり食うような奴なんだ。お前食ったよな、オレのホームランアイス。おい! お前の身体のために言っているんだぞ、聞いてるか? こんな無理しちゃいかん。しかも4年も…。もし会社としてこういう感じで書かなきゃいけないっていうなら、オレが『裏・炎の営業日誌』のホームページを作ってやるぞ。どうだ?」

 どうだ? って何がどうだなんだ。
 昔からちょっとおかしかったのだが、四十の声が近づいて一段とおかしくなってきたようだ。向こうからまだ何かブツブツ言っている声が聞こえたが、電話を切った。

 でも裏日誌は面白うそうだな。会員制で金取ってやるか? まずい兄貴が言っていた本性が出てしまった…。

9月15日(水)


 今月2点目の新刊『犬は本よりも電信柱が好き』吉野朔実著の見本を持って取次店廻り。それにしても吉野さんの人気は絶大だ。何気なく受け付けたホームページでのサイン本予約があれよあれよの新記録を達成!

 その部数があまりに予想以上の数だったので至急印刷会社に連絡を入れ、見本部数の変更を伝える。ギリギリセーフというやつだが、今度は本当にこんなにサインしてもらって良いのだろうかと不安を感じてしまう、が、吉野さんは快く引き受けてくれた様子。いやはや、ご注文いただいた皆様、そして吉野さん、ありがとうございました。

★   ★   ★

 取次店の仕入れ窓口は、予想通り混んでいて、やはり各社ハリーポッターや村上春樹を避け、月末に新刊を持ってきたようだ。T社の仕入れ窓口には、受け付けた新刊の数が掲げられているのだが、そこには「21日 400部」の文字が…。たまたま一緒になった顔見知りの営業マンL社のKさんと「400部は久しぶりに見ましたね」とつぶやきあう。

 夕刻会社に戻ってメールをチェックすると、本屋大賞実行委員のメーリングリストに山のようなメールが届いているではないか。ついに第2回開催の時期が近づいてきて、こちらも臨戦態勢に突入したようだ。

 第1回目は、大賞受賞作の『博士の愛した数式』が大ヒットとなり、一応成功に終わったのだが、もうその成功はきれいさっぱり忘れるつもりだ。じゃないと2回目の成功はないし、たぶん第1回目の倍の精力を注いで、現状維持がやっとなのだろう。

 ほんとにこの賞の運営は大変で、先を思うとぐったりしてしまうのだが、そんなときは、とある大手出版社の営業マンにしたり顔で言われたこの言葉思い出しモチベーションをあげている。

「だいたいこういうのは尻すぼみなんですよ。うちの主催の○○だって初めはね。」

 本屋大賞は絶対そんな尻すぼみな賞にしないぜと心に誓い、さあ怒濤の日々が始まるのだ。
 実行委員の皆様、頑張りましょう!

9月14日(火)


 本日は、2004年秋、東京の超大型出店ラッシュの第1弾、丸善丸の内店さんのオープン日だ。丸善さん、相当パブリシティーに力を入れたようで、朝からテレビやラジオで取り上げられているし、電車の中吊りや新聞広告などもしっかり打っていて、通常の書店のオープンでは考えられないほどの話題づくりだ。果たしてその効果はどうなるのか? あるいはどのようなお店なのか? 興味津々で覗きに行った。

 まず驚いたのは、その近さである。
 反対側の八重洲ブックセンターさんの名刺の裏側には、なぜか駅からの距離が歩数で書かれているのだが、その例に習って丸善さんの駅から距離を伝えると、なんとたった188歩である。(僕の歩幅)しかも路面店である。これはたぶん首都圏の超大型書店のなかで、最短の距離なのではないか。いやはや立地か大きさかと言われているただ今の成功法則から考えると、初めてその両方を手に入れた店舗になるのではないか。

 次に驚いたのは、人の量である。
 僕がこの業界に入って10年以上になるが、新規店のオープン日にこれほど混んでいるのを見たことがない。しかも業界人でなく一般人の人出なのである。次から次へとお店に吸い込まれ、エスカレーターの人の列は途切れることがない。おまけにそのお客さんが単なる冷やかしの客でないことはレジに出来た長蛇の列が証明している。「ご迷惑をおかけして申し訳ございません…」本屋のレジでまさかこんな叫び声を聞くなんて夢にも思わなかった。いやはや本日の売上はいったいいくらになるんだろうか?

 さらに驚いたのは、お店の雰囲気である。
 今まで、どんな本屋さんが出来たってそれは本屋さんの延長線上にあったと思う。棚があり、平台があり…。しかしこの丸善さんは何かが違う。今までの本屋さんのお店作りからは、一歩どこかに飛んだ気がするのだ。空間演出というのかわからないけれど、ここにいる感じは、いわゆる本屋さんにいる感じではない。ならば何か? デパートとかそういうものに近い。もし明日からここで突然ブランド品を販売しても何の違和感もない。もしかすると書店という「場」が違う方向に向かい出す第1歩なのかもしれない。しかし余程の資金力がなければ、これだけの「場」は作れないだろう。

 最後に驚いたのは、棚の高さである。
 とにかく高い。しかもその高い棚に平台がくっついているから、自称身長165センチの僕には上の2段は手が届かない。これはどうだろうか…。ちょうどそんなことを考えていたとき隣にいた中年男性が一番上にある本を取るために、どこからかキャスター付きの踏み台を持ってきたのだが、何だかバランスが悪くて見ている方がハラハラしてしまった。ちょっとこの上段の棚の使い方は今後の課題かもしれない。

 まあ、他にもいろんなことを考えさせられたのが、百聞は一見にしかず。
 ご興味のある方は、ぜひ、覗いてみて下さい。

9月13日(月)


 孤独に闘うことを決意し、5年目に突入!

★    ★    ★


 かつて書店員さんにとってスリップは宝物だった。

 それは片面が報奨金というお金に変えられるものであったからという理由は当然あるのだが、それだけでなくスリップというものが売れ行きを理解するのにとてもわかりやすいものだったからだ。

 お客さんが本をレジに持って行ってお金を払う。その際レジの人は本に挟み込まれているスリップを抜く。だからそのスリップを数えれば何冊売れたかすぐにわかるし、それこそスリップの束の厚さで売上がある程度予想ができた。そういえばかつての書店員さんは売れ行きを伺ったときに「こんなに売れてるのよ」と、あたかもそこにスリップの束があるかのように手を広げたりしたものだ。

 またそのスリップの重なりによって、お客さんがどの本とどの本がまとめて購入したのか、そういった傾向も手に取るように分かった。だからかつての書店員さんは暇さえあればスリップを眺め、整理し、発注や売り場の商品構成を考えていたのである。僕が書店で働き出したとき言われたのは「スリップを見ただけで、背表紙が思い浮かぶようになって半人前」であった。

 ところがレジがPOS化され、販売データがデジタル化されるにようになって、スリップはゴミと同様に扱われるようになってしまった。今じゃまったく必要とされず、本当に捨てられてしまう店舗もある。

 もちろん売れ数は、パソコンで見ればわかる。しかし、パソコンで売れ行きを見るときに危険なのはベスト30とか50という上位だけに目がいくことで、その下位、週に1冊づつコンスタントに売れていくようなものをついないがしろにしてしまう傾向があるのではなかろうか。もしかしたら地道に売れるロングセラーが少なくなっているのは、こういうもののせいかもしれないなんて考えている。

 パソコンで出てくる販売データの情報の量と、スリップをいじって得る情報の量では、圧倒的に後者の方があったはずだ。本当にそれを捨ててしまっていいのだろうか?

9月10日(金)


 本日でこのホームページを開設して4年が経った。
 丸4年? 4周年? なんて呼ぶのかよくわからないけれど、明日からは5年目に突入するという。

 それにしても我ながらよく書いた。
 年200本で4年を掛けると800本! 過去の原稿を全く取ってないから、どんなことを書いたのかもほとんど覚えていない。それでもやっぱりこんな誰からも期待されていないものをよく書き続けたものだと、誰も褒めてくれないので自分で自分を褒める。

 それに引き替え、多くの人に期待されているのにまったく更新されない編集部の『さざなみ編集日誌』は、この4年で10回くらいの更新数なのではないか。これを怠慢といわず何というって感じなのだが、編集部曰く「役割を終えた」そうで、いやはやたった10回にどんな役割があったのかよくわからないが、今後も一切更新する気はないようだ。

 何だか独り相撲のようで悲しいし、無力感を感じる。
 それでも5年目も続けていく、のか?
 ……。

9月9日(木)

 書店さん向けDMの制作が終わり、あとはコピーと折り込み(オリオリ)と袋詰め(ツメツメ)。ここからはすべての助っ人アルバイトに任そうと考えていたのだが、出社してみたら全滅ではないか。今月号に募集告知を出したのだが、遅いって。というわけで、本日の予定はあっけなく崩れ、一日中コピーとオリオリとツメツメに明け暮れる。

 昨日訪問した紀伊國屋書店新宿南店で、入ってすぐの棚に妙に人混みがあって、なんだろうと近づいたところ、山のように、いや森のようにPOPが立っていた。なんじゃこら?と思ったが、何を隠そうこのなかに僕が書いたPOPも立っているのだ。そう、このフェアは、出版社の人間や作家の方々に推薦本とPOPを作ってもらった、『勝負本』フェアなのである。

★    ★    ★

 2ヶ月ほど前のある日。紀伊國屋書店新宿南店を訪問したところ、担当のHさんに声をかけられた。「みんなそれぞれ自信の1冊というか、すごい好きな本ってありますよね。それを一同に集めたフェアをやろうと思ってるんです」とこのフェアの案を教えていただいた。とても面白そうなのですぐさま協力を約束したのだ。

 ところがである。
 簡単に考えていた本の選定で迷いだし、なかなか決められなくなってしまった。

 今、ハマっているという意味での勝負本なら『バッテリー』あさのあつこ著(単行本:教育画劇 文庫:角川文庫)だけれど、少し前なら高橋克彦の陸奥三部作、あるいは北方謙三の『三国志』(ハルキ文庫)も頭に浮かぶ。しかしそのどちらが上か?なんて相対評価はとてもできそうにない。何しろそれぞれの面白さがあるんだから。また、仕事上で考えれば『書店風雲録』田口久美子著が僕の勝負本であったのだが、自社本を選ぶなんて野暮なこともしたくない。

 で、毎晩風呂上がりに自宅の本棚を睨み、また実家に戻って埃にまみれた本棚を見つめ直してみた。それでもなかなか決められず、結局締切ギリギリまで悩みに悩んで、最後はもう人に薦めるとかそういう観点は一切抜きにして、完全に個人的なもの、そう自分の人生を変えたまさに「勝負」をかけさせられた本を選ぶことにしたのだ。

 しかしここからがまた一苦労だった。今回のこの企画はPOPを推薦する本人が書くのがルールになっていたのだが、そのPOPが作れない。POPづくりってこんなに難しかったのか…。

 というわけで、悪戦苦闘して選定した本ととっても恥ずかしいPOPをつけた『勝負本』が、ただいま紀伊國屋書店新宿南店に並んでいる、はずだ。はずだと書くのはあまりに恥ずかしくってその棚に近寄れなかったからだ。

 それにしても資料としていただいた全POPがコピー集が面白い。ほんとみんな十人十色というか百人百色で、選んだ本もバラバラだし、POPにも強烈に個性が宿っている。やっぱり「本」で、勝負をしていこう!

※この『勝負本』フェアは、9月30日まで開催しているそうです。

9月8日(水)


 早起きは三文の得のはずが、とんでもない事態発生。
 
 妻の入院騒動以来、早起きの癖がついてしまっているので、ここのところずーっと8時半には出社している。(ちなみに本の雑誌社の始業時間は10時)誰もいない会社で、ぼんやりコーヒーを飲み、デスクワークをするのは、それはそれで落ち着いてモノを考えられたりするので、この早めの出社自体は気に入っている。

 本日は朝早くからフェーン現象のせいか妙に熱気のこもった暑さのなか出社すると、会社の前に一台のトラックが止まっていた。うん? 本日の予定を頭のなかで思い出す。今日は『本の雑誌』10月号の搬入日だ。えっ! もしかして、もう来ちゃったの?

 あわててトラックに駆け寄り、運転席を覗き込む。「本の雑誌?」と確認すると「そうだ」と深く頷かれる。しかし、どんなに深く頷かれたって、ここには僕と運転手さん以外いないではないか。もしかして二人でこの数千冊の本の雑誌を運び込むの? 勘弁してくれ。でも、この後一番早く来る社員は浜田だけど、それだって9時半頃だからまだまだ1時間はかかるそ。それに運転手さんだってこの後別のところへ行くなどの仕事があるだろう。やるしかないか…。

 いつもは浜田と小林と、編集補助の石山と助っ人の及川君の5人で運んでいる『本の雑誌』をたった二人で運び込むこのツラさ。中1階のフロアに運びあげるには、11段の階段を駆け上がらなければならず、しかも気温がぐんぐん上がっているようで、汗が噴き出てくる。『本の雑誌』をぬらしてしまってはどうしようもないので、ネクタイを外し、タオルを頭に巻いて何度もトラックと会社を往復する。

 しばらくするとランナーズハイじゃないけれど、何だか妙に楽しくなってくる。元々こういう仕事が好きだし、身体を動かす仕事というのは、心にもいいもんだなと感じていた。約20分かけてすべての『本の雑誌』を運び込んだときの達成感は、日頃の実態のない仕事とは大違いだった。
 
 その後、通常の出社時間となり、浜田、及川、石山が会社の扉を開けるたびに、すでにそこにある『本の雑誌』におののき、感謝の言葉を投げかけてくる。いや、今回は製本所が早く持って来ちゃっただけだから仕方なかったんだよ。

 そう返しつつも、まったく悪びれず、運び込まれているのが当然だと思って11時過ぎにやってくる編集部の面々、しかもすっかり搬入日なんて忘れている人間には、フツフツと怒りが沸いてくる。お前らなぁ、月に一度10時前に出社するのがそんなに大変なことか?

 それに本作りというのは、下版日が仕事の終わりの日でなく、そこからが本当の戦いなんだぜ。搬入があって、お店に並んで、市場というお客さんの前に出て、それで売れて増刷がかかったり、あるいは売れずに返品になって泣く泣く断裁して……。そうやってなぁ、いつまでも終わりがないもんなんだぜ。

 ああ。ひとりで運び込んだことより、こんな状況に疲れてしまう。ああ、嫌だ嫌だ。ふー。

9月7日(火)


 埼玉を営業する。

 この埼玉地区は、僕自身が住んでいる地区なのだが、ただいま唐突に開発が進み出し、京浜東北線の沿線だけをとっても、新都心、浦和、川口と大きな商業施設が出来るという。そしてその大きな商業施設には決まって大きな本屋さんがはいるもので、とりあえず来週オープンの新都心の商業施設には、紀伊國屋書店さんが700坪という大きさで出店される。

 いやはや、子供の頃、大きい本屋さんといえば、浦和の須原屋さんしか思い浮かばなかったのに、今じゃ三省堂さんにジュンク堂さんに書泉さんに書楽さんといっぱいあって、そこに今度は紀伊國屋さんができるというんだから、いやはや大変だ。

 ちなみに首都圏を担当している営業マン(僕も含めて)の印象でいうと、本の売れ方は東京がダントツで、その後に神奈川が続く。そして千葉、埼玉とかなり下がったところにあるような感じがするのだが、それは千葉、埼玉の人間が東京で本を買っているから当然のことだろう。

 ただしこれだけ大きな書店が、このような周辺都市に平気で出来てくると、そういった傾向に変化が出てくるかもしれないな。また、全国どこでも同じ現象だと思うけれど、こういう大きな出店に伴い、周辺の小さなお店はどんどん閉店していくのだ。

 そんなことを考えつつ、相棒とおるにメールを入れると「直帰しないように!」との返事。アホか、ここまで戻ってきておいて、また会社に帰るなんて面倒なことが出来るか?

 ちなみに本日、村上春樹の新刊『アフター・ダーク』(講談社)発売。ここかしこに今度は濃紺の壁が出来ているが、赤い本の話は発売日以降まったく出ないのはなぜなんだろうか?

9月6日(月)

 我ながら嫌な奴だと思うけれど、ついつい、このレッズの好調なときに、ライバルチームのサポーターがいる書店さんを訪問してしまう。

 本日はジュビロ磐田サポのS書店Nさんのところに顔出す。「来ると思った」と笑われつつ、しばらく世代交代について話し合う。とにかく今度のレッズは本当に強いと言われ、満足して帰る。ちなみに明日は横浜FマリノスのサポのS書店Kさんを訪問する予定。いやはや本当に嫌な奴だ。

 東京ランダムウォーク赤坂店に顔出すと、渡辺さんが大量にFAXを送っていた。どうしたんですか?と問いかけると、青山ブックセンターの再開用の注文書で、なんと渡辺さんが青山BCの六本木店に舞い戻るというではないか。その他、東京ランダムウォークのIさんやNさんといった、元々、青山ブックセンターの基礎を作った書店員さん達も、この非常事態に舞い戻り、再建に当たるという。

 いやはや何かうまく融合できればいいな…なんて外野の僕は考えていたが、ここまで一気に動き出すとは…。もちろん、まだまだ問題は山積みのようだが、ぜひぜひ現・青山BCの方々とうまく融合し、素晴らしいお店を作って欲しい。期待してます!

9月3日(金)

『翻訳文学ブックカフェ』の見本が出来上がったので、直行で取次店さんを廻る。月末でないから、空いている。午後は、地方小出版流通センターを訪問し、担当のKさんと9月以降に開く新店のお話など。帰り際、パンダ好きの浜田に頼まれていた『広告批評』9月号を購入。9月号は、Yonda?の特集なのだ。

 会社に戻って、しばらくしたとき、浜田が「エ~ッ!!」と大声を上げた。どうしたのかと机を覗き込むと、先ほど渡した『広告批評』のとあるページを指さすではないか。あわてて取り上げ読み出したところ、思わず僕も「エ~ッ!!」と声をあげてしまったのである。

 そこでは、Yonda?の仕掛け人である広告屋さん二人が対談されていたのだが、なんと新潮社文庫に立っている、あの手書き(風印刷)POPを、この二人が作っているというではないか。そうだったのか…。プロの技だったのか…。印刷なのはわかっていたけど、文面はせめてどこかのPOP王さんみたいな書店員さんか、新潮社が作っているのかと思っていたぞ。

 うーん…。手書きPOPは、販促ツールではなくコミニケーションツールとして、読者と書店さんの間にあって欲しかった。もちろんその結果として売れるのは大事だけれど、それを逆手にとってこのような形で使われてしまうと、POPに対する信頼関係が壊れてしまうんでなかろうか。

 いやはや、あの素人っぽい文面大事なんて言われると、記事だと思っていて読んでいた雑誌のページが、実は記事広告だったような、そんな悲しい気分に陥ってしまう。やはり手書きPOPには、書いた本人の署名をするべきなんじゃなかろうか。

9月2日(木)


 今頃になって4月入社の新人編集者、荒木の歓迎会を開催。ここまで延び延びなってしまったのは、僕の家がゴタゴタしていたからだ。スマン、荒木。

 というわけで、6時30分きっちり全員で会社を出て、水道道路にある中華料理屋「鍋家」へ。坪内さん並に先輩風を吹かして、荒木にカラもうかと考えていたのだが、いつの間にかに形勢が逆転していて「杉江さんみたいな人は、コントロールしやいすですよね」なんて言われてしまう。

 良いんだ、良いんだ、どんどん操ってくれよ。その代わり、面白くて、売れる本を作るんだぜ! ただ本を作るだけなら、誰にだって出来るんだからさ。

9月1日(水)

 本日は外回りをしても書店さんに迷惑をかけるだけだし、単なる情報屋(○○書店は何時で何部売たというのを報告しあう)になるのもシャクなので、社内に残って貯まっていたデスクワーク。紀伊國屋書店さんのパブライン(売上データ)を見られる版元さんは、一日中『ハリポタ』の売れ数を確認していたりするんじゃないか?

 しかし『ハリポタ』旋風を何も感じずに終わるのも淋しいので(結局野次馬なんです)、通勤途中に池袋で下車。しかし午前8時55分現在、どこも先行発売していない。そうなのか…。

 そういえば、前巻である4巻目の発売日の前日に、ジュンク堂書店の田口さんから電話があって(まったく別件だった)「明日は何時から販売するんですか?」と聞いたところ逆に「何のこと?」と問い返され、思い切りビックリしたのを思い出す。たぶんこのベストセラーに頼らない日本一大きな書店は、今年も何もしないのではなかろうか…。恐るべきジュンク堂。

 で、何だか肩すかしを食らった気分で新宿に着き、京王線の改札を出たところで、ついに『ハリポタ』を発見! 啓文堂書店さんがコンコースに机を並べ、特設販売していたのだ。「本日発売! ハリーポッター」手に高く掲げ、通勤してくる人たちに叫んでいるではないですか。売れるといいですね。

 また山下書店西口店さんでも1階を早くオープンさせ、ドーンと平積みしていた。僕が見ている間だけで2買われていって、店長さんがいらっしゃったので、声をかけると「なかなか順調な売れ行きなんです」と笑っていた。

 そのまま地下通路を通り、紀伊國屋書店新宿本店に向かっていると、その紀伊國屋書店さんと目と鼻の先の地下通路でテレビカメラが構えられていた。何? と近づいていくとそこにも『ハリポタ』が積まれていて、おおこれが丸善さんの「ONE DAY BOOKSHOP」という1日だけの特設販売書店か。うー、確か地下鉄の6駅だかで行うといっていたが、ここでやるのか…。大人って怖いな。

 さて、地上に出て、紀伊國屋書店さんの入り口を見ると、おお、あの外売りスペースがハリポタ特設売り場になっている。スゴイ。しかもなんだかたくさんテレビカメラが構えられていて、その中心になぜか林家パー子みたいな人がいるではないか。紀伊國屋さんも不思議な販促方法を取ったんだなだと思っていたら、いやはや違いました。静山社の社長さんでした。

 すげぇな、ピンクのマントにピンクのとんがり帽子をかぶってるよ。本当にそんなことしてるんだ…。でもでもうちの目黒考二だって直時代のクリスマス時期の配本では、サンタの格好して本誌を運んでいたんだよなぁ。オレも着ぐるみ買おうかなぁ。

 すっかり『ハリポタ』旋風を身体に浴びて、会社に出社。
 いつか見てろよ、オレだって…。いやそれはないな。地道に本を作りましょう。