19歳の夏、本屋さんでアルバイトを始めた。
しばらくすると、お店にやってくる人たちのなかに、お客さんでもなく、もちろん店員でもない人達がいることに気づいた。その人達は、主におじさんで、重そうなカバンを肩から下げ、何かしらの紙っぺらを広げて、社員の女の子にぺこぺこ頭を下げていた。そしてその紙にハンコを押してもらうと嬉しそうな表情になって帰っていき、あるいは店長に理不尽に怒鳴られたとしても、何度も頭を下げていた。
もう少しするとそのおじさん達が出版社の営業マンと呼ばれる人達だとわかった。
その頃、僕は出版社には編集者と呼ばれる人しかいないと思っていたので、営業という職種があること自体にもビックリしてしまったが、10代の若者にはあまりに強烈な格好悪さで、僕は死んでもなりたくない職種ナンバー1として胸に刻んだ。ちなみにナンバー2は先生だったが、1年半のアルバイト時代、その思いは変わることがなかった。
出版社では働いてみたい、でもあんなペコペコオヤジにだけはなりたくない、と考えつつ、出版社の求人募集に履歴書を送り続けていたら、とある専門書の出版社から書類選考通過の連絡が届いた。
100通送って初の良い返事だった。喜び勇んで面接に向かうと、まず初めにイカツイ顔をした経営者の方に「いきなり編集は出来ないだろうからまずは営業で」と話されたときのショックは非常に大きかった。頭の中にはあのペコペコおやじの姿が浮かび、思わずそのまま断って席を立とうかと思ったが、高卒で出版社に入る手だてなんてそうそうあるわけでなく、次にいつ扉が開かれるかもわからないので、「働かせて頂ければ…」と答えていた。
数日後、その専門書の出版社から電話が入り、就職することが決まった。死んでもなりたくなかった「出版営業マン」である。ただし落ちこんだり、悩む暇はなかった。何せ翌日からの出社だったからだ。とにかくワイシャツとネクタイを買いに走り、そして『出版幻想論』藤脇邦夫著と言う本を勉強のつもりで読み始めた。
これが面白かった。それまで読んできた出版社に関する本はどれもこれも編集側から書かれていた本であったから、それを逆から見られたときの目から鱗の感覚、今でも忘れていない。そして僕のなかにあった変な「編集者への意識」はそのとき消え去り、誇りをもって出版営業をしている藤脇さんを知り、明日からの「死んでもなりたくなかった」仕事に初めて興味を抱かせてくれた。
何でこんな昔話を書いているかというと、本日営業先で、その『出版幻想論』の著者であり、現在も白夜書房で営業マンをされている藤脇さんに初めてお会いすることが出来たからだ。興奮して名刺交換をさせていただいたのだが、ミーハーに話しかけるのも恥ずかしいので、しばらく脇に立って店長さんと藤脇さんの話を伺っていた。するとやっぱり営業が上手い。
まずは相手と趣味のあう話(音楽だった)をして、しばらくすると業界の話題を挙げる。その話題は僕も知らなかった噂の真相的ネタで思わす引き込まれてしまった。一段落したところで新刊の注文書を広げたのだが、すべての注文を取るなんて暴挙には出ず、きちんとお店に品揃えにあった新刊を提案していた。その素早さといったら…。
そして最後は、今後の店長さんのお休み等を確認し、さらっとお店を出て行く。いやその間に本を1冊買っており、そのとき漏らした一言は「まずは業界人が買わなきゃね」だった。カッコイイ。
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出版営業という仕事に就いて約12年が過ぎた。
「死んでもやりたくない仕事」は「死ぬまで続けたい仕事」に変わった。今では僕が会社の先頭に立ってペコペコ頭を下げている。しかしそれは別に卑屈な思いで下げているのではなく、挨拶するのに頭を下げるのは当たり前だし、うれしいことがあれば「ありがとうございます」と下げるのは当然のことであり、意味があって頭を下げているのだとわかっている。
またハンコは注文の証拠であり、それがあって初めて本が本屋さんに届くのだと知れば、うれしがるのも当然のことだろう。それにどこかで店長さんに怒られるとしたら、それは決して「理不尽」にではなく、こちらに問題があったからだ。
アノ本を出した頃の藤脇さんはいったい何歳くらいだったのだろうか?
うー、参った、いつまでも追いつきそうにないし、そもそもこんなところでアホな話ばかり書いているので、出版営業という仕事に対しての誇りを傷つけてしまっているかもしれない。
でもでも、僕はこの仕事が好きだ。