WEB本の雑誌

1月31日(月)

 清澄白河、西葛西、葛西、行徳、船橋、津田沼と営業。久しぶりのお店、初めてのお店、あるいは書店員さんに会えたり会えなかったりと、営業としては納得の一日。

 それにしても営業マンを10年以上やっているのに、相変わらず初訪問のお店に入る時は心臓が口から飛び出しそうになるほどドキドキしてしまう。お店に入る前にはこんな話をして、こんなことを語って、そして注文をいただければ…と考えているのだが、その考え通りうまくいくことなんてなくて、その瞬間、その場ごとに軌道修正して話をしていくしかない。

 しかし、そこでうまく話ができたときの喜びは、サッカーでシュートを決めたときと同じくらいの快感を産むものだ。そういや昨日はフットサルをやり、3試合で7得点3アシストの大爆発。チームメイトのハゲージからは、「これでお前の2005年は終わった」と言われてしまったが、営業もこれくらい爆発してくれたらイイんだけど…。

 結局、予定の仕事を終えたときには、既に辺りは夜になっていて、会社に戻るにも時間がかかりすぎるため、直帰の連絡をいれる。

 そして総武線から武蔵野線に乗り換えるために西船橋駅で下車したところ、あまりの駅の変わり様にビックリ! あの西船橋が、こんなにキレイになってしまうなんて…。

 しかもそのキレイになった駅中には、JR系の書店さんがオープンしていて、こちらもビックリ! わりとコミック売場の広い店舗だったが、それにしても早速お客さんがいっぱいいて、いやはやこれは本数の少ない武蔵野線待ちの人にはうれしいだろう。売上もドーンとあがるのではなかろうか。

 果たしてこの手の駅中書店が増えていき、町の、それも駅前書店さんすら苦しい状況に追い込まれている。そういえば新宿駅も大改装中で、あそこにそこそこの大きさの本屋さんが出来たら大変なことになるだろうな、なんて考えつつ、様変わりした西船橋の駅をあとにした。

1月25日(火)


「あーあ、杉江がケチらなきゃ、こんなことには…」と浜本が朝からぼやき、そこから逃げ出すように外に出、今度は夜会社に戻ると、「ほんと杉江さん、あれほど良いって僕がいったのに、見る目ないっすね」と荒木に攻められる。

 いやはや11月に発売した『千利休』清原なつの著が、あれよあれよという間に在庫がなくなり、現在品切れ状態。こうなると突然編集部は強気になるモノで、ここ数日攻められっぱなしのツライ日々。もちろん重版の手配はしているのであるが、くーーー。僕だって後悔しているんだよ。

 でもでもこんなに売れるなんて、っていうか、どうせ僕はアホだから清原さんをよくわかってなかったし、うーん、ほんとファンの皆様、それから清原さん、こうなったらプライドも捨て、浜本に、荒木よ、スミマセンでした。

 ちなみにそのファンの方から届く愛読者カードがたまりません。皆さん、清原さんの新刊をクビを長くして相当待たれていたようで、「とにかく出版してくれたことに感謝」なんてうれしい言葉が続くのです。いやはやこんな言葉、私にはもったいないっす。

 ででで、調子に乗ると一気に火がつくのが営業で、こうなったらトコトン行こうと、清原さんの過去の作品のなかから単行本未収録の作品を単行本化することに!!! ファンの皆様、こちらもしばしお待ち下さい!!!

1月24日(月)


 吉祥寺のK書店さんを訪問すると、担当のMさんが棚整理の真っ最中。
 棚から本を出し、ホコリをはらい、背表紙を揃え、またきっちり入れ直す。

 本来であれば基本中の基本の仕事なのだろうけれど、とにかく唯一削れる経費である人件費削減のため、書店員さんがドンドン減っている現在の状況では、実はなかなか手の付けられない仕事だったりするのである。

 そういえば昔の書店員さんは、棚整理やそれにあわせての若干の棚陳列の移動あるいは平台の本の位置を変えることを「棚を耕す」なんていっていたっけ。あの言葉、機械屋の父親が使う「モノをこさせる」って言葉と同じようで、好きな言葉だったんだよな、なんて思い出しつつMさんに話を伺うとまさにその棚を耕しているところだったそうで、毎日少しずつでも時間があると気になっている棚を変えているそうなのである。

 この日は評論の棚を耕していたのだが、一番目に付く高さにあった「宮沢賢治」関係を少し上にあげ、今度は「三島由紀夫」をその場所に入れたりしていた。売れ行きはもちろん、季節だったり、事件だったりそういうものを考えつつ棚をいじっているとのこと。売上が上がるといいですねと話すと、いやいや既に棚から売れる本の割合が高いそうで、効果が出ているとか。うーんやっぱり見ている人は見ていてくれているんだな。

 これで本日の日記は一件落着なんて考えていた、次に訪問したP書店さんで文庫担当のTさんと話していてビックリなことが。

 なんと去年の1月号のベスト10で目黒が気合い一発一点張りでベスト1に選出した『シービスケット』L・ヒレンブランド著(ソニー・マガジンズ)が文庫化されているではないか!! あわてて手に取り確認したところ単行本は2003年7月の発売だったから、約1年半での文庫化。ただし驚いていたのは僕ひとりで、Tさんはもう日常茶飯事の様子で「今はもう、お客さんが単行本発売と同時に文庫は?と聞いてくる時代ですから」と話す。

 ちなみに今一番「小さい本ありませんか?」と問い合わせを受けるのは、映画放映中の『東京タワー』江國香織著(マガジンハウス)だそうで、「大きいのしかないんですよ」と答えるとほとんどそのままお店を出て行くそうだ。

 また2月には村上春樹の著作としては異例の早さで『海辺のカフカ』が文庫化されるそうで、いやはやこうなると単行本の既刊棚なんて必要なのか? なんてついつい考えてしまう。いやもちろん文庫なし出版社である本の雑誌社のような会社にしては、既刊棚がとても重要な棚なのだが、文芸の棚を注意してみるとかなり多くの「文庫化」された本が並んでいるのだから、これでは耕しようもないのか…。

 うーん、うーんと唸りつつ、ついでに本の寿命について考えてしまう。
 単行本が約2年、文庫の寿命は売れ行き次第、それにしたって月に20点近く出ている出版社であれば、年間200点くらいは品切れ絶版の憂き目にあるだろうから平均4、5年か? そうなると6,7年というのが文芸書の寿命になるのかもしれないが、これはまだ良い方だろうな。

 はぁ、俺たちは一体何を作っているんだ…。

1月21日(金)

 会社に着いてすぐ、Aさんから電話が入る。Aさんは元・書店員で、結婚退職後、本の雑誌社で1年ほどアルバイトをしていたのだが、昨秋とある出版社に就職が決まり、営業&事務を任されることになったそうだなのだ。

 いくつか営業的な質問を受け、それに答えていると、自分がかつてこの会社に入った頃のことを思い出していた。

 僕の前任の営業マンSさんは極めて真面目な方で、几帳面な営業をされており、書店さんからの信頼もとても篤い人であった。それは「この度、急遽Sの後任ということで…」と名刺を差し出す度に、多くの書店員さんが嘆き悲しむことで伝わってきたものだ。僕はいったいこんな出来る人の後でどうやって営業をすれば良いんだと、駅のベンチに崩れるように座り込み、ああ、転職しなければよかったな、なんて落ちこんでいた。

 そのときまずこれはとても「今は」勝ち目がないと悟った。そしてとにかく本を売るのは3年経ってからだ、3年間は自分を売ろうと考えた。それは何も奇をてらう行動をするということではなく、DMやら訪問でゆっくりだけれど、自分の色を出していった。(あの頃はこんなホームページもなかった)

 前にも書いたことがあるけれど、営業マンは本を売っているのではなく、自分を売っていると考えている。だからこそ面白く、そして怖いのだ。

 そうやって営業していると、しばらくすると、何人か面白がってくれる書店員さんが現れた。数日前に書いた深夜プラス1の浅沼さんもそんな一人だ。そしてそんな書店員さんにわからないことを聞いていった。今でもそのやり方は変わっていないし、僕にはそんな方法でしか営業していけないだろう。

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 Aさんの立場がどんな立場なのかわからないけれど、出版営業は決して短距離走ではなく、長距離走だと僕は考えている。だから、ゆっくりと一日数歩でも進んでいくしかないと思うのだ。何せ根幹は「人間関係」。それがそう簡単に築かれるわけがないのである。

 ゆっくりと、頑張って下さい。

1月20日(木)


 昨日の19日は、息子の1ヶ月検診で、僕は上の子のお守りをしなければならず、会社を休ませてもらった

 普通こんなことで大の男が会社を休めないだろうけれど、僕は大の男でなく小のオトコだし、社長の浜本が僕以上の子煩悩で、餅つき大会や父子参観の度に率先して休んだり、遅刻したりしてくれるので、休みが取り易いのである。

 おかげさまで息子は順調に育っており、一安心。そして誰に向かって言えばいいのかわからないけれど、感謝だ。

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 午前中はデスクワークで終わってしまい、午後から神保町、水道橋と廻って、夕方、飯田橋のミステリ専門書店深夜プラス1へ。するとなんと近々扶桑社文庫に店長の浅沼さんの推薦帯がつくというではないか。「いやはや勇気のある版元さんもいるもんだ」と言ったらどつかれ、「帯コメントは『買うまで帰さん!』ですか?」と聞いたら体当たりされてしまった。

 ちなみに浅沼さんの推薦本は『密林・生存の掟』アラン・ディーン・フォスター著で、パプア・ニューギニアの奥地を舞台にした大興奮冒険小説だとか。当然「買うまで帰さん」書店だから購入、なんていうのは冗談で、面白そうなので購入する。こういう既刊本は、紹介してもらわないととても見つけられないのだ。

 そうこうしていると日下三蔵さんが来店。二人の間で交わされる本にまつわる会話は、僕にはとてもついていけないのだけれど、脇に立って聞いているだけで面白い。それにしても日下さんの本を手に取るときの真剣さにはビックリしてしまう。緊張感が漂っていた。

 夜は『翻訳文学ブックカフェ PART.14』の立ち会い。新婚ホヤホヤの新元良一さんがあまりに幸せそうで、こちらまで暖かくなってしまう。

1月18日(火)

 週末にやったフットサルで、飛び入り助っ人のN出版社のUさんが、試合終了間際に相手DFとぶつかり、そのまま崩れるように倒れてしまったときには驚いた。大丈夫?とあわてて駆け寄ると膝を抱えたまま「うー」と唸り声を上げていて、急遽、近所の接骨院へ運んでいくことに。

 診察の結果、靱帯損傷で全治2~3週間。腫れが引くまでは、膝をしっかり固定し、松葉杖を使うようにとのことで、それを聞いたUさんが青い顔をしたのは当然だ。何せ彼は僕同様に出版社の営業マンだから毎日外を歩くのが仕事なのである。それが松葉杖ではとても仕事にならないだろう。いやはや、大変だ。

 とりあえず二日は休んだようだが、果たしてどうなるのだろうか?

 身近でこんなことが起きてみて初めて気づいたのだが、営業の基本はやっぱり身体であり、特に足だろう。僕がもし同様の怪我をした場合は、ひとり営業だから誰も変わってくれるわけではなく、そのときを想像すると背筋が冷たくなってしまう。うーん。

 とにもかくにもUさんの一日でも早い快復を祈るばかり。

1月17日(月)


 今月の新刊『笹塚日記 うたた寝篇』の見本を持って、直行で取次店さん廻り。
 最初に訪問した御茶ノ水のN社さんが空いていたので、やっぱり1月は新刊が少ないのかななんて考えていたら、大間違い。その後訪問した飯田橋のT社さんはあふれんばかりの状態で、いやはや僕は逆廻りしたってことか。

 毎回毎回この新刊窓口に並んでいて思うのは、「こんなに新刊って出てるのか」なんてアホみたいな感想である。各社それぞれ思惑があって出されるだろうけれど、ほんと書名すら読めない専門書から、えっ?こんなの本にしちゃうのまであって、このバラエティーの広さが出版の良さなのだろうけど、果たしてどこまで商売になっているのかはわからない。

 しっかしそれにしても書店さんからの注文短冊を一枚も持っていない出版社もいて、そういう人がしらっと「1500部お願いします」なんて言っているのを聞くと、熱いものがこみ上げて来てしまう。たはー、大変なんだぜぇ、1500部注文集めるの! 

 駆け足で廻ったので午前中にどうにか全件廻り終え、午後には会社に戻る。
 そして地方新聞社の集まりの方から「本屋大賞」についてちょっとした取材。いつだか編集長の椎名が映画を撮っているときに、とにもかくにも映画のために取材を受けるなんて言っていたけれど、本屋大賞に関してはそんな感じだ。しかし途中でサッカーの話題を振られ撃沈。私、もしどんだけ偉くなったとしても、サッカー接待で落ちるバカになるでしょう。

 本屋大賞もノミネート作品を発表し、新刊も一段落つき、いやはや、やっと年が明けたか。本でもゆっくり読みたいけれど、家はふぇーふぇー泣きまくるカワイイ息子がいるので、それどころでない。うーん。

1月14日(金)

 元・助っ人学生で現在手があいている子がいたため、またバイトに来ないか?と誘ってみたのだが、話を聞いたらもう30歳に手が届く年齢でいやはやビックリ。今度はキッチリ就職先を探すのでと断れたが、そりゃ当然のことだ。気軽に誘ってスマンかったと謝りつつも、時が過ぎているんだなぁ。

 その助っ人制度もそろそろ限界で、あまりに放任しているせいか、いる日といない日の差が激しく、うまく機能しなくなってしまった。前だったらリーダーみたいな子がその辺をまとめてくれたのだが、今はちょっとそういうのも期待できない。

 しかしよくよく考えてみると、かつてはしょっちゅう一緒に飲みに行って、意思疎通出来ていたからうまくまとまっていたのであって、今は僕も仕事も家も忙しく全然飲みに行ったりできないのが問題なんだろうな。

 チクショー、時間が倍あったらトコトン飲んで、お前らの悩みでも何でも聞いてやるのに。スマン!!!

1月13日(木)

 19歳の夏、本屋さんでアルバイトを始めた。

 しばらくすると、お店にやってくる人たちのなかに、お客さんでもなく、もちろん店員でもない人達がいることに気づいた。その人達は、主におじさんで、重そうなカバンを肩から下げ、何かしらの紙っぺらを広げて、社員の女の子にぺこぺこ頭を下げていた。そしてその紙にハンコを押してもらうと嬉しそうな表情になって帰っていき、あるいは店長に理不尽に怒鳴られたとしても、何度も頭を下げていた。

 もう少しするとそのおじさん達が出版社の営業マンと呼ばれる人達だとわかった。

 その頃、僕は出版社には編集者と呼ばれる人しかいないと思っていたので、営業という職種があること自体にもビックリしてしまったが、10代の若者にはあまりに強烈な格好悪さで、僕は死んでもなりたくない職種ナンバー1として胸に刻んだ。ちなみにナンバー2は先生だったが、1年半のアルバイト時代、その思いは変わることがなかった。

 出版社では働いてみたい、でもあんなペコペコオヤジにだけはなりたくない、と考えつつ、出版社の求人募集に履歴書を送り続けていたら、とある専門書の出版社から書類選考通過の連絡が届いた。

 100通送って初の良い返事だった。喜び勇んで面接に向かうと、まず初めにイカツイ顔をした経営者の方に「いきなり編集は出来ないだろうからまずは営業で」と話されたときのショックは非常に大きかった。頭の中にはあのペコペコおやじの姿が浮かび、思わずそのまま断って席を立とうかと思ったが、高卒で出版社に入る手だてなんてそうそうあるわけでなく、次にいつ扉が開かれるかもわからないので、「働かせて頂ければ…」と答えていた。

 数日後、その専門書の出版社から電話が入り、就職することが決まった。死んでもなりたくなかった「出版営業マン」である。ただし落ちこんだり、悩む暇はなかった。何せ翌日からの出社だったからだ。とにかくワイシャツとネクタイを買いに走り、そして『出版幻想論』藤脇邦夫著と言う本を勉強のつもりで読み始めた。

 これが面白かった。それまで読んできた出版社に関する本はどれもこれも編集側から書かれていた本であったから、それを逆から見られたときの目から鱗の感覚、今でも忘れていない。そして僕のなかにあった変な「編集者への意識」はそのとき消え去り、誇りをもって出版営業をしている藤脇さんを知り、明日からの「死んでもなりたくなかった」仕事に初めて興味を抱かせてくれた。

 何でこんな昔話を書いているかというと、本日営業先で、その『出版幻想論』の著者であり、現在も白夜書房で営業マンをされている藤脇さんに初めてお会いすることが出来たからだ。興奮して名刺交換をさせていただいたのだが、ミーハーに話しかけるのも恥ずかしいので、しばらく脇に立って店長さんと藤脇さんの話を伺っていた。するとやっぱり営業が上手い。

 まずは相手と趣味のあう話(音楽だった)をして、しばらくすると業界の話題を挙げる。その話題は僕も知らなかった噂の真相的ネタで思わす引き込まれてしまった。一段落したところで新刊の注文書を広げたのだが、すべての注文を取るなんて暴挙には出ず、きちんとお店に品揃えにあった新刊を提案していた。その素早さといったら…。

 そして最後は、今後の店長さんのお休み等を確認し、さらっとお店を出て行く。いやその間に本を1冊買っており、そのとき漏らした一言は「まずは業界人が買わなきゃね」だった。カッコイイ。

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 出版営業という仕事に就いて約12年が過ぎた。

「死んでもやりたくない仕事」は「死ぬまで続けたい仕事」に変わった。今では僕が会社の先頭に立ってペコペコ頭を下げている。しかしそれは別に卑屈な思いで下げているのではなく、挨拶するのに頭を下げるのは当たり前だし、うれしいことがあれば「ありがとうございます」と下げるのは当然のことであり、意味があって頭を下げているのだとわかっている。

 またハンコは注文の証拠であり、それがあって初めて本が本屋さんに届くのだと知れば、うれしがるのも当然のことだろう。それにどこかで店長さんに怒られるとしたら、それは決して「理不尽」にではなく、こちらに問題があったからだ。

 アノ本を出した頃の藤脇さんはいったい何歳くらいだったのだろうか?
 うー、参った、いつまでも追いつきそうにないし、そもそもこんなところでアホな話ばかり書いているので、出版営業という仕事に対しての誇りを傷つけてしまっているかもしれない。

 でもでも、僕はこの仕事が好きだ。

1月12日(水)

 昼も夜も神保町。昼はもちろん営業で、夜は本屋大賞の打ち合わせ。ついに一次投票の集計が終わり、ノミネート作品が決定する。実行委員のひとりは、前日トンデモナイ本(W先生とかの著作)がずらっと並ぶ悪夢を見て飛び起きたと漏らしていたが、何を何を。素晴らしい10作品が並び思わずバンザイ。

 その打ち合わせの場に、WEB本の雑誌のスタッフもいたので、この『帰ってきた炎の営業日誌』のビジュアル化を提案する。実は子供が生まれたお祝いに本の雑誌のスタッフがお金を出し合ってデジカメをプレゼントしてくれたのだ。(中田が使っている奴と一緒でカッコイイ。そしてありがとう。これでサッカーの写真がいっぱい撮れる)

 ならば字ばかりで愛想のないこのページをもう少しにぎやかにしようと思って提案したのだが、運営のNさんは「いやーそれは反対ですね」と素早い反応。「イメージが大事なんですよ、イメージが。今まで続けてきて読者の皆さんに脹らんでいる杉江さんのイメージを壊しちゃいけませんよ」。

 何も自分を撮ろうなんて考えておらず、一日に3回転ぶ松村の姿とか、鼻をかんでかんでかみまくってティッシュの山に埋もれる浜本とか、正月明けに○キロ太ってパンパンに脹らんだ目黒とか、そういうのを載せたかったんだけど。

 しかしそういうと今度はシステムのSさんが「それをやろうとすると全体のシステムを構築し直さなきゃならないわけで…」とどう考えてもウソ(だろう)な意見で断固として反対してくる。

 うーんどうしてみんなそんなに反対するんだ?
 あっ、もしかして、自分が生け贄になるのを恐れているのか? それともNさんの意見の反対で、僕にチビ薄毛専のファンがどっと生まれるのを焦っているのか?

 どっちにしてもビジュアル版『帰ってきた炎の営業日誌』は生まれないらしい…。

1月11日(火)


 直行して、お招きいただいていた取次店・栗田出版販売の新年会に参加しようと考えていたのだが、金曜日に締め切った本屋大賞一次投票の状況と、週明けの注文状況が気になり、結局早出で会社に顔を出すことに。休み明けの出勤ほど楽しい日はない。

 そしてFAXとメールを確認し、ほっと一息胸をなで下ろしていると、会社の前に大きなトラックが止まる。ワオ!『本の雑誌』2月号が納品になってしまったではないか。ちょっと予定の時間より早い…。うーん、参った。本当はこの搬入作業をみんなに任せ、僕は栗田さんに向かう予定だったのだ。しかしトラックを待たせるわけにもいかず、結局浜田と二人で数千冊の「本の雑誌」を運び込む。

 フラフラになりつつ、老体にむち打ち、栗田さんへ駆け足で向かう。
 どうにか乾杯の挨拶に間に合い、お招き頂いたYさんにご挨拶。そして会場を見渡しビックリ!

 今までこういう会に参加したことがなっかったので知らなかったのだが、書店さん、出版社さんとすごい人数が集まっているではないか。むー、こんな会があったとは…。

 しかし、そうはいってもチビ出版社のチビ営業マンで、しかも顔の極端に狭い僕には、数百人のなかで顔見知りは数人であり、その方々に新年のご挨拶するのが精一杯。名札を見つつ、あっ! なんて思ったがいきなりお声をかける勇気もなく(これだからダメ営業なんだよなぁ)奥にあった展示コーナーを覗く。すると「栗田読書倶楽部が選んだ2004年ベスト10」というのがあるではないか。しかもその栄えある1位が、目黒は2度読み、僕は3度読み驚愕した『イニシエーション・ラブ』乾くるみ(原書房)で思わず納得。

 実は日頃取次店の方とまともにお話する機会がほとんどなく、果たしてどういう人達が働いているのかよくわかっていなかったのだが、きちんとこうやって本が好きで、本を読み込んでいる人がいっぱいいるではないか。当然といえば当然のことなのだが、何だかその事実を知ることができ、とてもうれしかった。

 その後は渋谷、菊名(P書店が隣に移転していた!)を経由し、横浜へ。横浜はM書店さんが昨年冬に改装を終え、ついにすべての書店さんがスタートラインに立った感じか。各店それぞれ客層があって面白いのだが、それにしてもE書店さんのお客さんの多さにはビックリというか、横浜自体の人出が異様に多く感じるのだが、果たしてどうなんだろうか?

 そして夜は、飲み会へ。現在尊敬する人NO.1のNさんの隣で腹筋が痛くなるほど大笑いし、2005年初の飲み会は夜遅くまで続いたのであった。

 

1月6日(木)

 新年早々連日の超残業モードに突入してしまい新年会どころではなくなってしまった。というのも本屋大賞の一次投票〆切が明日に迫っており、その投票の呼びかけやら、今年から大々的に受け付けるようにしたFAX投票の登録やら、ノミネート作品発表後の用意やらで、とにかくやらやらだらけで大変なのだ。

 しかし本屋大賞は元来本業ではないため、昼は当然、通常の書店営業をしなければならなくて、そっちはそっちで事前注文〆切の佳境を迎えていてヒートアップ。しかも、その営業している新刊本が『笹塚日記 うたた寝篇』というタイトルを見ただけで怒りを感じ、ゲラを読んで殺意を覚える、寝てばかりの隠居オヤジの本で、いやいや巡り合わせが悪いってもんだ。

 実は去年この本屋大賞を「大変、大変」と書きすぎて、皆さんにご心配をおかけしたり、ひとりだけ大変な感じを訴えるのも、なんて考えて今年は書かずにいたのだが、いやはややっぱり大変なのだ。

 それも去年の初めての大変さとは2回目の大変さでは質が違い、そして1回目があんなに成功してしまったものだからのプレッシャーもキツイ。おまけにこのように組織をまったく頼らない自発的な投票システムというのは、ほんとにフタを開けてみなければどんなことが起きるか検討もつかず、胃に悪い。

 くそーこれだけ大変なことをして、儲かるのは該当出版社で、何だかこうなるとやたら自社本に賞を上げる某賞の気持ちがよく分かって来るではないか。ううう。

 そんなわけで超残業モードで帰宅すると生後20日の息子がふぇーふぇー泣いていてウンコをプシューっとしているし、そのおしめを替えつつ乳をさらけ出した妻は充血した目で僕を睨み、そして赤ちゃん返りした娘はふて寝しているではないか。スマン、本当にスマン。妻よ、お前が大変なのはよーくわかっているし、今が回復期で大切なことも承知している。

 でもな、でもな、オレには実は娘と息子以外に、もうひとり子供がいて、それがこの「本屋大賞」なんだ。こいつはこいつで、すごく手間のかかる子供で、そしてこの子供の成長を待っている人がいっぱいいるし、たぶんオレが今まで生きてきて、しかもこれから生きていくなかでも、こんなにまともなはきっと出来ないだろう。だからこいつがもう少し成長するまで我慢してくれ。

 それにな、妻よ。すごいんだぞ、書店さんからのFAX投票が。事務の浜田がそのFAXを見て「杉江さんの大好きな、魂バリバリじゃないっすか」っていうくらい、ほんとに全国の書店員さんから気合いの入った投票が送られてくるんだよ。当然全部手書きでさ。伝わってくるんだよなぁ。

 それがな、オレがこれだけ残業して、朝も早出しているのに、その間に届くんだぞ。書店員さんがいつ書いているか、お前にもわかるだろう。この本気に、こちらも本気でぶつからなきゃ、オレがオレで在り続けらないだろう。だからさ、負けないように気合いをいれて投票集計しているんだ。

 それでな、あのな、その投票を読んでいるとな、本を買いたくなるんだよ。みんなの推薦がすごくてさ。でさ、あのな、スマン、一昨日もらった小遣い、もうなくなっちったんだ。前借りさせてくれーーーーー。

1月5日(水)

 明けましておめでとうございます。

 2005年は、本の雑誌社にとっては特別な年です。
 それはたぶん創刊時には誰も想像していなかったであろう創刊30周年を迎える年だからです。僕はたまたまその30周年目に立ち会うことになりましたが、ここまで多くの方々の支えでこの雑誌が、そしてこの会社が在り続けたのは間違いないわけで、その末席を汚さぬよう、今年も頑張って営業して参ります。

 またこの「WEB本の雑誌」も今年の9月で5周年目に突入です。初めはパソコンを始めたばかりの目黒と浜本を中心に大丈夫なんだろうか?と心配しながら開設されましたが、バックアップメンバーの熱意によって、どうにかここまで成長して来られたと思います。このWEB本の雑誌がなければ、出会うことのなかった読者の皆様もたくさんおり、秋には大々的なお祭りができればと考えております。(って勝手なことを言ってはいけないな…これはウソです、たぶん)

 とにもかくにもそんな2005年。
 今年もよろしくお願い致します。


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 新年だろうが、仕事始めだろうが、ひとり営業マンの仕事は、いつもと変わりがなく、ただただひたすら書店さんを廻って、注文をいただくこと。唯一の違いは初めの挨拶が「こんにちは」から「明けましておめでとうございます」に変わるだけか。

 2005年一発目の営業は、朝イチで注文を頂いた新宿・紀伊國屋書店本店さんへ『本の雑誌』1月特大号の直納だ。新年早々直納だなんて嬉しい限り、新春気分溢れる新宿の人並みをかき分け、お届けし、仕入れのHさんや1FのHさん、Kさんにご挨拶。

 こちらの紀伊國屋書店さんでは、昨年より店員さんが選んだ自発的なベスト10を制作していて、その名も『キノベス』というのであるけれど、これがなかなかの推薦本の山でいやはや立派。おまけに『本の雑誌』でもできないカラー刷りの小冊子まで作っていて、しかもベスト1に選ばれた恩田陸さんの原稿まで入っていて本格的なのだ。

 うん? 本の雑誌のベスト10は一方的に決めるばっかりで著者のコメントをもらったことなんてなかったな。そういうのはどうなんだろうかと思ったが、ベスト1の理由が、一番声のデカイ推薦だったからなんていうことはとても著者に説明できないか。

 それにしても昨年の本の雑誌ベスト10を決める座談会は非常に納得がいかない。なぜに僕が休んでいるときに開催するのか? しかも電話で聞いてきたから思い切り熱く語ってやろうかと思ったらあっけなく切りやがるし。くー、本当だったらアノ本をもっと上にして、あの本をランクインさせなんて、悔しさいっぱいだ。今年は見てろよ、浜本に、松村め!!

 そんな怒りを感じつつ、書店店頭を眺めていると、年末に浜本がぼやいていたように「ランキング」ものや「本」ものが増えた気がするなぁ。おまけに似たような雑誌に堂々と顧問の対談が載っていたりして、これはいかがなものなのか?

 そのことは発行されてすぐに顧問にも発行人にも伝えたんだけど、まったく危機感を抱いてない様子で、それが30周年を迎える余裕であるなら良いんだけど、平台という限られたスペースを争っている営業からみると、ひとつでも同様の範型の似た企画の本が出れば、それだけスペースの取り合いが大変になるわけで戦々恐々なのである。

 本日もその辺を気にしながら店頭を覗いていたのだが、やはり『本の雑誌』は1、2冊の棚差しになっているお店が多く、その他諸々が平積みになっていたりして。しかしよくよく考えてみると来週には2月号が出るわけで、こんな時期に山のように平積みされていたら、そっちの方が怖いことに気づく。

 とにかく発行人も、顧問ももう少し考えるようにと呟きつつ、そういうことを考えないから30周年を迎えられたのかも、なんてことも思わないわけではない。

 何だか歯切れの悪い一発目の日誌になってしまいましいましたが、今年もこの『帰ってきた炎の営業日誌』を宜しくお願い致します。