WEB本の雑誌

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7月29日(金)

 朝、経理の小林から「一日早いですけど、おめでとうございます」と封筒を渡される。なんのこっちゃと封筒を眺めると誕生祝いとあって、明日が自分の誕生日だったことを思い出す。ついでに松村も誕生日だと思い出す。なんとこれだけ正反対の人間なのに、僕と松村、誕生日も血液型も同じなのである。

 34歳。うーん、もう立派な中年だ。最近ほんとに体力低下を自覚していて、なんていったって浦和レッズを応援した翌日も疲れが抜けず子供の相手が本気で出来ないほどなのだ。嗚呼。ちなみに袋の中味は本の雑誌社の唯一の福利厚生である誕生祝いの図書カード5000円。

 夜、その5000円の図書カードを持って本を買いに行く。日中散々本屋さんを回って仕事をしているというのに、こうやってプライベートで本屋さんへ向かい、棚を眺めているとほんとにほんとに疲れがぶっ飛ぶ。あっ、こんな本出ていたんだ? これこれ買いたかったんだよな、なんて本を手に取っているのは、至福の時間だ。

 そういえば先日とある人にどうしてそんなに働けるの?なんて聞かれたけど(ほんとはたいして働いていないんですけど)やっぱり「好きだから」としか答えようがない。本屋さんも本屋さんの人もそれから本が好きなのだ。

 本日購入したのはこの6点。
『定食バンザイ』今柊二(ちくま文庫)
『竿をかついで一人旅 長野編』鈴木啓三郎(えい文庫)
『日本<島旅>紀行』(光文社新書)
『川漁師 神々しき奥義』斎藤邦明(講談社+α新書)
『ニッポン駅弁大全』小林しのぶ(文藝春秋)
『四万十川 山行き 田辺竹治翁聞書1』永沢正好(法政大学出版局)

 『四万十川~』が3,360円と高く、お祝いでもらった図書カードでは足が出てしまったが、民話好き、そして四万十川好きにはたまらない1冊。全3巻になる予定なようで、2巻の川行きが出るのが待ち遠しい。それ以外は最近の興味のまま購入。なんとなくテレビ東京らしいセレクトか?

 そういえば四万十川まで仲間と車を走らせ、カヌーに乗っていたのもかれこれ15年近く前になるのか…。ああ、年取るわけだ。

7月28日(木)

 暑い暑い暑い。なるべく直射日光に当たらずに済むようなルートを考えるが、『都筑道夫少年小説コレクション』の事前注文の〆日が近づいており、それどころではない。

 いくつかの書店さんで話を聞くと、どうも7月の売上はそこそこ良かったようで、春からの最悪な状況は抜け出した様子。ただし誰も楽観はしておらず、「前月が悪かっただけかな」なんて。

 うーん、とにかくほんとにそろそろマズイんじゃないか、この業界は。出版社は新刊を出して誤魔化す自転車操業状態に陥っているし、書店さんも新店を出すことによっての自転車操業状態に入り出しているような気がするし、どう考えても行き着く先は暗いのであるが、それを方向修正するためには、もう取引の抜本的改革しかないのではなかろうか?

 ある小さな書店さんと話していた時『論座』の書店特集の話題になり「みんな個性とか思想とか文化とか言っているけど、マージンのこれだけ低い商売で、そんなこと言ってられないんだよね。雑誌売って、エロ本売って、少しでも金を作らなきゃ。そんなに文化的な場所にしろっていうなら寄付して欲しいくらいだよ」と怒っていたのを思い出す。

 うーん、誰がどうするとこういうものって変わるんだろうか…。

7月27日(水)

 台風一過。来たぜぇ、35度! 営業しているというよりは熱帯雨林を探検している気分。浜本よ、早く猛暑手当の支給を!
 
 夜、版元営業2氏と酒。その際、営業スタイル、というか、営業中に休憩を取るかの議論で盛り上がる。

 僕は外廻りを開始したら、集中力とテンションを下げたくないため、ほとんど休憩を取らない。、水分補給は、カバンに入れてある水筒で済ませ、昼食もひと段落つく4時頃まで取らないことも多い。決して猛烈社員とかでなく、すぐやる気がなくなるダメ人間なので、自己防衛しているのだ。

 他の営業マンのうち一人は僕と同じようなスタイルだったが、もうひとりはお腹が減ったら動けないし、逆に集中力もなくなるから、それを楽しみに営業を頑張っていると話していた。

 いろんな方法があるけれど、結局みんな、営業は気力が大事ということで、その気力を高め、保つための努力をしているのだ。しかしそんな努力をあざ笑うかのようなこの暑さ。うーん、ツライ。

7月26日(火)

 台風接近。しかしお店が開いている限り営業マンはいつも通り外廻り。というか雨や風でお店が空いていた方が書店員さんも時間を取れるというもので、もしかしたら営業マンは悪天候の方が仕事になるのではないか。

 ところが台風台風と騒いでいたわりには降ったり止んだりで中途半端。だからお店の方もそこそこ混んでいて、まあ、売上を考えたら喜ばなきゃいけないんだろうが、営業マンとしての目論見は失敗に終わる。

 そんななかとある書店さんで「『ナラタージュ』、本の雑誌の上半期で1位に選ばれてから動きが変わりましたよ」と報告を受け、とってもうれしい気分。

 まあ僕自身は『ナラタージュ』が好きじゃないんだけど、顧問・目黒が「自分の本が売れるより、自分がオススメした本が売れた方がうれしい」と話されていたように、書評誌を営業している僕も自社本が売れるのと同じくらい反響が出るとうれしい。

7月25日(月)

 予定から1ヶ月遅れで発売となった椎名編集長の新刊『読書歯車のねじまき仕事』。遅れたせいで、今月は椎名編集長の新刊が4冊も出るという非常事態になってしまい、読者、ファンの皆様大変申し訳ございませんでした。

 しかし、その発売したばかりの新刊『読書歯車のねじまき仕事』には、ちょっと仕掛けというか付録というか、今までの本の雑誌社の単行本にはなかったものがついているのだ。

 それは構想5年、制作1ヶ月(って自分で作るのをあきらめ、元・単行本編集のカネコッチに頼んだらすぐ出来た)かけて出来上がった「出版案内」なのである。あの三つ折りや4つ折りで、よく本に挟み込まれているやつを、本の雑誌社としては約20年ぶりくらいで作ったのだ。

 ぜひ、店頭で『読書歯車のねじまき仕事』を見かけたら、浦和レッズ・カラーの「出版案内」を探してみてください。

★   ★   ★

 秋葉原S書店さんへ、『千利休』と『忘れ物BOX』を直納。相変わらず両著作とも売れていて、ロングセラーというものがどういうものか実感する。うれしー。

 その後は山手線を反時計回りに営業し、大塚のA書店さんを訪問。ここの店長さんとは2ヶ月ほど前に酒の席で一緒になって、訪問を約束していたのだが、こういう時どれくらい間を置いて顔を出すべきなのかいつも悩む。すぐ訪問するのもいやらしいし、あまり開くと忘れられてしまうだろうしというわけだ。

 ずーっと悩んでいたのだが、2ヶ月ほど経った本日、もう覚えておいていただける限界なのではないかと「えいや!」とお店を訪問。店長さん、しっかり覚えてくださっていて、ありがとうございます。

 夜は、地方小出版流通センターのKさんが来社。お願いしていたパソコンソフトのインストールと扱い方を事務の浜田とともに説明を受ける。しかし予想以上に時間がかかってしまい、終了いたのが10時半。外は台風の影響で大雨。Kさん、ありがとうございました。

7月22日(金)

 夕方、新人の藤原力が、糞詰まりのような顔をしていた。
 入社早々体調を壊されたのではたまったもんじゃないので「どうした?」と声をかけると「相談なんですけど」なんて今までの僕の人生で一度もそんな振られたことのない言葉をかけられる。ワオ! オレってもしかして頼れる先輩?

「明日なんですけど編集部は本の雑誌の下版前で出社日なんですよ」
「うん」
「でですね。僕の愛するFC東京は国立で夜の6時30分から試合がありまして」
「うん、J2降格予定のチームね。」
「降格なんてしません!! そうじゃなくて、この試合に行って良いものか良くないものか‥」

 あっ、もしかして仕事サボってサッカーに行って良いのか悪いのかをオレに相談しているのか?
そりゃ聞いた相手がマズイっていうか、お前確信犯だろう。ふふ。頼れる先輩というよりは、人生の師として教えてやろう。

「あのな、サッカーの試合つううのはその日その瞬間しかないわけだ。それに比べて大概の仕事は明日でも明後日でも良いわけだ。だったら結論はすぐでるだろう。それに明日なら国立に行ってサッカー見て、それでまた笹塚に帰ってきたって出来るじゃんか」
「でも僕まだ新入社員ですし」
すっかり話を聞いていた浜田が割り込んでくる。
「杉江さん、入社してすぐ直帰してサッカー行ってましたよ!」
「最初が肝心なんだよ」

 せっかく神を見るような目で僕を見つめていた藤原君が、また可哀相な生き物をみるような目で僕を見ているではないか。

「どっちにしても好きなら行けよ。好きなことやるために働いているんだろ。それとその好きなことと同じくらい好きだと思える仕事をやっていくうちに探すんだよ。それが見つかったら思い切り働けばいいじゃん。」

 結局、藤原君はファミリーマートに行ってチケットを購入してきた。
 コイツ、結構良い奴かも。東京サポじゃなきゃ‥。

7月21日(木)

 午前中、ほんつな株式会社のTさんが来社。その社名どおりのホームページ「ほんつな」(http://www.hontsuna.com/)の説明をしていただく。

 読者・書店・出版社とをつなぐホームページ、そういうものが必要だという趣旨はよくわかるし、ファジーに大きく検索できる「つながりの森」に魅力も感じるんだけど、いかんせんすでにこれだけ自社ホームページを作り込んでしまっている本の雑誌社としては、今から別のホームページで新しいページを作るというのは難しい‥。もしうちの会社にホームページがなかったら、これだけ安くブログが作れ、しかも書誌データも使えるし、すぐ参加しただろうと思うんだけど。

 午後は埼玉を営業。川口の駅前に、川口とは思えないキレイなショッピングビルがオープンしていてビックリ。まあ本屋さんは入ってないから僕には関係ないビルだけど。それよりも驚いたのはS書店さんで、こちらは5フロアから3フロアに縮小されているではないか。

 しかし何だかお店としてはこの方がまとまりがあるような印象も受ける。売場面積と売上が決して=でないことが実証されたら面白いんだけどなんて勝手に考えるが、お店は本当に忙しそうだった。

 夜は直帰して浦和の「力」へ。とある書店さんの転勤送別会を地元でこぢんまりと開催。

 よくよく思い出してみるとその書店員さんと出会ったのは、僕が本の雑誌社に入社してすぐの頃で、まだどう営業して良いのかもわからない頃だった。ドキドキフワフワしながら書店さんを訪問し、ガチガチのトークをしていたのだが、その書店員さんから、サッカーの話題を出され一気に打ち解けていったのだ。決して率直に熱意を語るタイプの人ではないのだが、仕事ぶりや棚を見れば本気で本と格闘しているのがわかる書店員さんだった。それ以来、すっかり公私ともにお世話になってきたのだ。

 今度はそう会えるところでない店舗に異動になるため、しばしお別れ。いつか出張がてら訪問することを約束しつつ「絶対良い店、作ってくださいね!」と別れの言葉をかけると、「自分も期待してるんだ」と深く頷かれた。何だかうれしくて淋しい夜だった。

7月20日(水)


 新規オープンから営業時間の延長、そして増床など、書店さんは売上確保のために様々な手を打っている。

 本日は八重洲ブックセンターが増床となり、7Fに医学書と建築書の専門フロアーが出来上がる。15年ほど前、その医学書担当のアルバイトだった僕としては感慨深く、即訪問。

 うーん、広い。そしてキレイ。しかし当然まだバタバタしており、担当者のOさんやKさんとはゆっくりお話できず残念無念。医学書はキッチリ揃えて、お客さんに認知されれば、とても強い売場になるはず。頑張ってください!

 夜は一路、船橋へ。
「酒飲み書店員共同企画」という不思議なプロジェクトの飲み会に混ぜていただく。こちらはその名の通り「酒飲み書店員」さんが何軒か集まり、2ヶ月に一度お題を決め、そのお題に沿った文庫を互いに1冊ずつセレクトし、お店で販促し合うのだ。それぞれ自身の推薦本にPOPを付け、最終的には、全店の販売部数を集計し、決着をつける。まさにお店の枠を越えた交流戦か? 他店の店員さんの直筆POPが売場に立つなんて、本屋大賞とはまた違ったかたちだけど、とても面白そう。

 現在は「200頁以下」というお題で勝負されており、開催しているのは以下の書店さんだ。【堀江良文堂(松戸)、東西書房葛西店、東西書房妙典店、旭屋書店船橋店、ときわ書房船橋店、ときわ書房聖蹟桜ヶ丘店】是非、覗いてみてください。

 驚いたのはこの企画の調整役をされていたのが、なんと当ホームページの新刊採点員【単行本班】の安藤梢さんだったこと。いや直接面識はなかったし、どこで働かれているのかも知らなかったのだが、いやはやこんな近くで、しかも同業の仕事をされていたとは!

 しかもまだ若いのにこんな面白そうな企画をまとめられていて、その安藤さんの上司が「あの若さでこれだけやれるとなるとぼくらの年代になったら恐ろしいですね」と呟かれたのには思わず大きく頷いてしまった。

 どっちにしても本好きの集まる飲み会ほど楽しいものはなく、この日もあっという間に時間が過ぎ去り、終電間近。ああ、一日がもう少し長ければ‥とやたらに揺れる武蔵野線に窓に寄りかかりながら考えつつ帰宅。

7月19日(火)


 36度にでもならないとわざわざ暑いなんて誰も言わなくなってしまったけれど、30度だろうが32度だろうが、やはり暑いもんは暑い。我が友人・相棒とおるは、かつて営業中にプールに行き、思い切り日焼けして帰社した強者だが、その気持ちがよくわかる。

 夕刻、会社に戻ると、約束の時間どおりA出版社のDさんが来社。Dさんとは我が書店アルバイト時代の同僚で、彼女はその後編集者に、そしてぼくは営業マンになったというわけだ。メールではポツポツ連絡を取っていたけれど、顔を合わせたのは数年ぶりで、ゆっくり話をするのは10年ぶりくらい。仕事、プライベートに関して1時間半ほど盛り上がる。

 ふたりの意見で大きく頷きあったのは、社会に飛びだしてすぐ、あの職場で働けたことの幸せだった。そこはとても厳しい職場だったけれど、教えられたことの多さといったら、その後に経験したことなんて何でもないかもと思われるほどいっぱいだった。いつも棚陰で互いに不平不満を口にしていたけど、今から考えれば、あそこで社会人として、というか仕事人として大切なことの多くを学んだといえるだろう。

 大きな問題は、あの頃僕たちに仕事を教えてくれていた先輩たちの年齢に僕たちがなってしまったってこと。うーん、こんな適当じゃマズイよな。

7月18日(月) 炎のサッカー日誌 2005.08

 一昨日の自分のサッカーを考えると、とても選手にヤジなんて飛ばせない。何せこちらはボールも止められなければ、まともに蹴ることもできないし、それ以前に体力不足で走れもしないし、芝の上の湿気を含んだ暑さの恐ろしさも知ってしまったのだ。

 というわけで本日はおとなしく、選手に深く深く敬意を払いながら観戦しようと考えてたのだが、本当に敬意を払いたくなるほどのプレーをレッズの選手達が見せてくれた。

 特にエメルソン亡き後の、我らが浦和レッズを支える田中達也の動き出し及びボールタッチの素晴らしさ。ワオーーーーー、どうしておいらと同じ身長でこんなに違うんじゃ!  隣で観戦しているDNA提供者の父親と母親を睨みつけつつ、その達也のビューティフル・ゴールに思わず失禁!

 達也よ、お前は俺たちの気持ちをわかってくれよー。

7月16日(土) 炎のストライカー日誌

 ハッタリばかりかましていると大変な事が起きるのだと大いに反省する。なんと営業仲間のL社のNさんから「出版社対抗のサッカーリーグがあるんでうちのチームのメンバーとして参加しませんか?」とお誘いを受けてしまったのだ。

 嗚呼、日本代表にオレを呼べ!なんてアホなことを書いているからこんなことになるのだ。本当は日本代表どころか春日部市立武里中学校でもレギュラーになれず、トラップだって10回くらいしかできないまさに下手の横好きサッカーバカでしかないのに。しかも最近は自分のチームも11人集まらず、月2回ほぼフットサル専門になっているのに。

 しかししかし「遊びの誘いは断るな」という顧問・目黒の有難き教えを忠実に守り、猛暑の午後2時、僕は大宮河川敷のピッチに、同じく生け贄にさせた相棒とおると立ったのである。

 そのとおるがいきなりゴールを決めてしまい全く立つ瀬のない状況に追い込まれる。しかししかし、フルコートではそう簡単にこちらもゴールができるわけでなく、ただただ迷惑にならないように走り回るだけに終わった。

 それでもやっぱりフルコートのサッカーは面白い。そして生まれた初めてやった管理された芝の上でのプレイは、やみつきになりそう。嗚呼Nさん、2軍でもかまわないんで、また呼んでください。

7月15日(金)

 『明日の記憶』化が激しくなり「やるべき仕事」というファイルを作ったのだけれど、そのファイルを見たくないがために机の奥の奥にしまってしまい、結局デスクワークがたまってしまった。本当だったら毎日始業時間より1時間は早く出社しているのだから、その時間にやるとか、残業してやればいいものの、ガキの頃をから予習も復習もしないような人間が、そんな計画的になれるわけがない。

 というわけで本日は机にしまえないほど厚くなってしまった「やるべき仕事」ファイルと終日格闘。

 夜は、横浜へ向かい、気心の知れた書店員さんと酒を飲む。ひとり営業の僕には、同僚も上司も部下もおらず、それはまた、ガキの頃から誰かといないと淋しくて不安でしょうがない次男坊の末っ子には、とてもつらい状況なんだけど、こうやって書店員さんが「人」として付き合ってくれる場があるのが救いだ。

 約束していた金城一紀さんの著作オススメPOPを渡しつつ(また他社本のPOPですか!と浜田に怒られたが、金城さんは他社とかそういうんじゃないんだ!)最近読んだ本の話などで大いに盛り上がる。気づいたら終電間近で、夜の横浜を疾走。げろげろ。

7月14日(木)

 直木賞選考日。

 その陰で、第3回本屋大賞に向けての会議が神保町の某会議室で行われていたなんて、淳ちゃんもテルちゃんも知らないだろう。というか、この日が選考日だということをすっかり忘れて会議を招集してしまっただけなのだが…。

 第2回の反省点を話し合い、第3回の日程等を調整。それから本屋大賞実行委員会としてもっと書店店頭、そして出版業界に活気が出るような企画を考えていこうと様々な案が話される。

 その間に直木賞の結果が届く。
 うーん…。

 こうなると我ら本屋大賞への期待が大きくなってしまうのではないか。2年前のちょうどこの場所で実行委員の人たちが交わしていた「投票あるかなぁ?」「俺たちだけでも売ろうね」なんてのがまるでウソのよう。ありがたいけれど、ちょっとキツイ。何せこちらは出来てまだ2年。試行錯誤のくり返しなのだ。

 まあ、とにもかくにも、本の雑誌社は「本屋大賞」を辞退しますけど。

7月13日(水)


 直行で取次店さんを廻る。
 20日搬入の椎名編集長の新刊『読書歯車のねじまき仕事』の見本出し。

 当ホームページのTOPページの真ん中あたりをつーっと動いていく『流れるこぼれ話』で紹介したとおり今月は椎名さんの本がドカドカでる非常事態。うーん、なんか椎名さんの本は重なることが多いな。なぜなんだろう? ちなみに以下4点が月末にかけて発売になるようだ。

『にっぽん海風魚旅(5)』<仮題>(講談社)
『全日本食えば食える図鑑』(新潮社)
『世界おしかけ武者修行 海浜棒球始末記(2)』(文藝春秋)
『読書歯車のねじまき仕事』(本の雑誌社)

 予定通り直帰し、国立競技場へ。着いたところで気づいたが、僕、本日直行しているので一度も会社に顔を出していない。新人が入ったばっかりでさすがにマズイかと思ったが、先輩が道を切り開いてやらないと、チカラ君もサッカーに行きづらくなってしまうだろう。なんて後輩想いの先輩だ…とひとり呟きつつ、サッカー観戦。

 しかしまるで新興宗教に騙されていたような気分にさせられたエメルソン退団の結果、チームは崩壊。そりゃ昨年の中心選手が3人もいなくなりゃ、どうにもならんというものだ。永井だって中盤でやっと確変したのに、また前線に戻されたって戸惑うだけ。

 激しいブーイングがゴール裏に渦巻いていたが、こりゃ選手のせいじゃないだろうと思い、素早く帰宅。考えてみたら、朝の8時から立ちっぱなしの14時間。心も身体もボロボロです。

7月12日(火)

 昨日ジュンク堂書店池袋店を訪問したら、文芸担当のKさんにビックリ仰天な話をされる。

「杉江さ~ん、この前、事務の浜田さんが直納に来てくれたことあったじゃないですか?」
「ハイ。夜、持って行ったときですよね?」
「そうです。それであのとき浜田さん、地下の仕入れに来てくれたんですが、帰った後、『あの美人な人、誰?』って大騒ぎだったんですよ」
「Kさん、僕、杉江でして、本の雑誌社の人間です。わかってますか?」
「わかってますよ! だから浜田さんのことですよ!」

 いやはやビックリ。これは報告しなければと、会社に電話を入れる。

「ハマちゃん?」
 不機嫌そうに電話に出た浜田であるが、その数秒後に気絶寸前のソプラノボイスをあげた。
「マジですか? マジですか? 生きてて良かった。今まで一度もそんなこと言われたことないですよ~」

 良かった良かった。幸せになりなさい。なにせ浜田。先週行われた新人助っ人歓迎会で、こちらも赤面するほどの「実話雑誌な女」に変貌していたのだ。

 そろそろ何かハッピーなことがないと、このままトンデモナイところに行ってしまうのではないかと心配していた矢先だったので、いやはやKさん、よろしくお願いします。

7月11日(月)


 新入社員出社。
 藤原力、28歳。

 僕、身長164cm、彼、182cm。
 僕、浦和レッズサポ、彼、FC東京サポ。
 僕、寿司はイカとタコとエビだけ食し、彼、イカとタコとエビ以外を食す。

 うーん、とことん正反対。

 その彼を見あげながら「ホームページに日記を書きなさい。タイトルは僕が考えたから。『藤原力の力ラリアート日誌』。どう?」

 彼、とても可哀相な人も見る目で僕を見つめ、首を横に振る。
 一筋縄ではいかなそうな新人が登場!

7月9日(土) 炎のサッカー日誌 2005.07


 大宮に住んでいる人に浦和在住と話すと「県庁があるところね」なんて言われる。その言葉の背後には、県庁は浦和にあるけれど、埼玉の中心は大宮よという強い想いが含まれている。

 それは確かにそのとおりで、浦和駅周辺の大きなお店といえば、伊勢丹とコルソがあるだけで、あとは古く小さなお店が並ぶばかり。僕はそういう落ち着いた感じがとても好きなのだが、商業地として比較した場合は、大宮にはそごうにルミネに丸井にロフトに高島屋にと他にも大きなお店がいっぱいあって、街のデカサがまったく違うのである。おまけに駅の乗降客数だって相当違うだろうし、そういう意味でいったら埼玉の県庁は大宮?といわれてもおかしくないのである。

 そんな県庁とかあるいは県の中心がどこに行こうがどうでも良い。大宮の人たちが欲しいならとっとと県庁を移せばいい。しかし埼玉のサッカーの中心は、浦和だ。わかったか!

 なんて想いが、やっぱりダービーには欠かせない。身近な地域だからこそある争いをピッチの敵対に反映させ盛り上がる。これぞダービーの醍醐味だろう。

 ところが試合開始してすぐ嫌な予感がする。大宮アルディージャの中盤の寄せが半端じゃなく強く、そこには「絶対勝つ」という明確な意志が伝わってくるものだった。そして浦和のウィークポイントである三都主サイドを、元浦和の選手であるトゥットが思い切り付いてくるのだ。

 それに対して我が浦和レッズの選手達はどこか身体が重そうで、確かにこの過密スケジュールじゃ仕方ないかと思ったけれど、それは大宮も同じこと。サッカーの基本は、「勝ちたい」という願いの強い方が勝つという至極当然のことなのだが、その通りの結果になり1対2のダービー敗北。

 クソー、向こうゴール裏に揺れるオレンジ色の集団が、死ぬほどムカツク。チクショー!

7月8日(金)

 前日訪問した東京国際ブックフェアにいらしていた新潟の書店さんと連絡を取り、昼飯をご一緒する。

 新潟は地震や洪水で大変でしたね、と何気なく話すといやはやほんとなんですよと携帯電話で撮った写真を見せられる。そこには棚からすべて崩れ落ちた本の山というか川が出来ていて、その本を一生懸命棚に戻す作業をされているスタッフの方が映っていた。「辛かったのは、一生懸命棚に戻した本が結局余震でまた落ちてしまったことですね」の言葉には、思わず背筋が震えてしまったほどだ。

 これはその後地震が起きた福岡の書店さんも話されていたのが、やはりその手の関係本が売れるそうだ。活断層の地図(?)、地元の新聞社が出版された写真集なんてのも飛ぶように売れていったとか。

 いやはや知の欲求といっていいのかわからないけれど、事件や事故と切っても切り離せないのが出版のもうひとつの側面なのだ。諸手をあげて喜べないかもしれないけれど、それでもその書店員さんは「売れた」という話をされたときに声に力がみなぎっていた。

7月7日(木)

 ちょっと用事があったので、東京国際ブックフェアを初訪問。

 大きな会場にいろんな出版社が出店されていて、いやはや、こりゃ医学書出版社にいたときのデンタルショーみたいだな興奮してうろつき廻るが、途中から頭の中が「?」マークで埋め尽くされる。この展示会は誰向けで、それから各出版社のブースで20%オフで本を売っているけれど、ここで本を安く売るのは良いのか? お祭りだから?? ならばデパートのバーゲンもお祭りだから、本も安く売っていいのか? うん? 出版社が値段を定められるのが定価だから、メーカー直ならいくらで売ってもいいのか? およよ、何だかわからないなあ。

 結局「?」だらけのまま会場を後にする。謎だ。

7月6日(水)

 再開されたJリーグはいきなりの過密スケジュールに突入。我が浦和レッズは3日、6日(本日)、9日、13日、16日と14日間で5試合も行うことになっているではないか。しかもこの14日間5試合の開催場所が、さいスタ、国立、さいスタ、国立、さいスタと全部行ける圏内なのが恐ろしい。いやうれしい…。

 ハァ、大変ですよ、選手もサポも…なんて嘆いていたら、なんと突然「本日じゃないと出来ない打ち合わせ」なんてのがあれよあれよとセッティングされてしまう。

 これが社内のことならブッチぎって国立競技場に向かってしまうのだが、取引先とのことなので「レッズの試合があるんです!」なんて言い出せず、ああ、ついにオレもつまらない大人の仲間入りだ。

 しかししかしその打ち合わせが予想以上に面白く、大いに盛り上がる。その間、友人から届いたメールでレッズの大勝利を知り(7点も取りやがった)ちょっと落ちこむが、まあ仕方ない。ああ、ほんとにオレ大人になっちまったなぁ。

7月5日(火)

 東京駅中央線のホームで思わず大きなため息をついてしまう。
 またひとり同年代の書店員さんが辞めていく。

 しかも今回は僕が書店バイト時代に新入社員で入ってきた、ある意味元・同僚みたいな関係の書店員さんだから、何だか無性に淋しい。引き留めたいけど、気持ちはわかる。うーん、つらい。

 落ちこみつつ、次に訪問したA書店ではI店長さんがアハハハと笑いながら突然の告白。

「杉江くん、炎の営業日誌に書いておいてよ。50歳過ぎて孫みたいな子供が出来た書店員が、元気に頑張ってるって。オレ、いつまで働けばいいのよ、って感じだけど」

 うわ! ビックリ。でもI店長さん、おめでとうございます。

 そして退職されるKさん、長い間ありがとうございました。お元気で!

7月4日(月)

 面接していて思ったのは、いやー営業って仕事は本当に大変だってことだ。

 何せこちとら営業マンは、いつも人を評価するってことより、自分がどう評価されるかってことしか考えていないから、それが逆の立場になってみて、どれだけ恐ろしいことかよくわかる。

 人に不快感を与えず、また会ってもいいかな…と感じてもらえるようにするためには、初対面のときに好印象を残すことも大事だし、出来れば回を重ねる毎に少しでもその印象を良くし、しかもそこに当然商品とお金のやりとりがあるのだから、こりゃとてもしんどい仕事なんじゃないか、なんて。

 まあ、そんなことに気づいたって、明日は明日でまた書店さんを訪問し、この面接とは逆に僕自身がその瞬間瞬間を評価されていくわけで、とにかく良い印象を残せるよう、そして良い仕事が出来るよう頑張るしかないんだけど…。

 わざわざこんなチビ会社に面接に来ていただいた皆様、ありがとうございました!

7月3日(日) 炎のサッカー日誌 2005.07

 その藤田は名古屋に奪われ、それどころかブラジルに一時帰国していたエメルソンは、そのまま戻らず。戻らずって何だ? さすがに僕でも会社を休むときは電話くらいするし、飛行機の乗り方くらいは知っている。嗚呼、神は光臨せずってことなのか…。そしてこの最悪のタイミングに「エメル丼」を発売した埼玉県下のファミリマートは…。 

 しかもエメルソン問題とは別に、日本の審判に狙われまくった我らが頼れるアニキ、アルパイまで退団しちまったじゃないか。奴の熱いプレーと魂に惚れていただけにショック。ウウ…。やはり我らが浦和レッズの辞書には「安泰」の文字はないのか。

 開門してしばらくするとさいたまスタジアムに雨が降り出した。誰が言ったか「雨降って地固まる」。エメルソンの代わりに、永井がFWに入り、トップ下には山田が入る布陣。

 ピッチを眺めながらしばし悩む。これで勝ってしまったら、当社拒否のエメルソンは、俺がいなくても勝てるんだからいいだろなんてつぶやき、ヨーロッパに飛んでしってしまうのだろうか? それなら負けた方が…。否! PRIDE OF URAWAのない選手なんかと一緒に戦えるか! そして目の前の試合は当然すべて勝って、秋の終わりには我らが手にトロフィーを! 

 雨の振る中、キックオフ。なぜか新潟がベタベタに引いていて、我らがレッズはキレイにボールを回す。ところが最後の最後のツメが甘く、ゴールを奪えない。ついエメル尊様がいらしたら…なんて考えてしまうのは失恋した女子中学生みたいなもんか。

 そうこうしているうちに引いていた新潟が狙っていたカウンターが炸裂し、よもやの0対1。おいおい、この雨降るなか、傷心の俺をどこへ連れて行こうとしているんだ。

 後半がはじまり、もうやけっぱちの大声でコールする。隣にいる父親も母親もカッパ姿で声援をおくる。あんたら二人とももう60歳過ぎで、下手すると肺炎になって死ぬぜ。そんな心配をしていたら、なんと覚醒設定アップの山田暢久がミドルシュートを決め、同点に。

 ゴール裏は雨も忘れヒートアップしていくと、今度は田中達也が、長谷部誠の強烈なクロスに飛び込み、大逆転。そのまま最後までしっかり守って、逆転勝利。エメルソンなしでも勝てる! そのことを一番喜んだのは選手たちかもしれないが、なかなか良い感じでボールが動いていて、見ている側も充分楽しめた。

 カッパで覆われた母親は「お母さん、幸せ」とつぶやき、スタジアムの後にしていった。
 エメルソンよ、お前が失おうとしているものは、とてつもなくデカイのだぞ!

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