WEB本の雑誌

9月22日(木)

 最も愛する本屋さんのひとつ、文鳥堂四ツ谷店が閉店すると聞き、あわてて電車に飛び乗る。

 そして大好きな書店員さんである店長の斉藤さんにご挨拶。バックヤードにはまだ箱になっていない段ボールが山積みされていた。きっと来週にはこのお店の棚を埋めている素晴らしい本たちが、この箱のなかに詰め込まれ、単なる荷物となってそれぞれの帰るべきではない場所に帰っていくのであろう。

「町の本屋は本当に大変だけど、せめてもの救いは、仕事が楽しかったってことかな」
 斉藤さんが呟いた言葉が、今もずーっと頭の中を駆けめぐっている。

9月21日(水)

 事務の浜田が、負け犬脱出のキッカケづくり(本人談)として自動車免許を取得。

 そのまま夏休みを取り帰省してしまったため、本日は社内にてデスクワークに勤しむ。6刷目が出来上がった『千利休』の販促チラシ、書店向けDM「本の雑誌通信」などなど順調に進む。

 夜は販売ではもちろん、当ホームページの人気コンテンツ『尾道坂道書店事件簿』でもお世話になっている啓文社の児玉さんが上京していると伺い、仲の良い出版社連中で集まる。

 仕事の話はまったくなく、本の話やそれぞれの家庭の話や田舎の話で大いに盛り上がり、気がづいたら夜の11時。車椅子の児玉さんを中心にその宿泊先までみんなで送っていったのだが、何だか突然この仕事って幸せかもなんて思ってしまった。だってだって年齢も性別も立場も違う人間が、こんな風に付き合えるんですよ。

9月20日(火)


 16日の金曜日は、お休みをいただき10年ぶりの墓参り。伊豆の先っぽ子浦という町が、父方の田舎なのだが、いやはや遠い。車で6時間もかかってしまった。ジイサン、バアサン、孫は元気に働いておりますとご挨拶。墓をキレイに洗って、出版健保の伊東に1泊。

 娘、息子を連れて初めての旅行だったのだが、家族旅行がこんなに幸せなものだとは知らなかった。基本的に毎日外回りをしているため、休みの日にわざわざ出かけるのが嫌いなのだが、家族がそれぞれ喜んでいる顔を見るのはたまらない。また金を貯めて旅行に行こう。

 その金曜日、秋葉原にオープンした有隣堂ヨドバシAKIBA店を訪問。これだけ電器屋のある街なのに、やはりヨドバシカメラの力はスゴイのか、日中から多くのお客さんがいるのが何とも不思議。その多くが普通のビジネスマンなのを見ると、有隣堂さんがそれほど秋葉原のオタク文化を意識せず、普通の品揃えしたのも納得がいく。ここの敵は、すぐ近くにある書店さんではなく、近隣の大型書店になるのではなかろうかなんて考える。

 それにしてもお客さんが多い。やはりもう書店のシャワー効果なんていうのより、電器屋の噴水効果が大きいのだ。川崎の紀伊國屋書店さんも、あおい書店さんも電器屋さんの上にあるし、浜松町のブックストア談さんなんかもそうだ。そういえば大宮そごうのなかにある三省堂さんも並びに電器屋さんが出来てから売上が上がったなんて話があったっけ。うーん、電器屋さんってそんなに行くものなのか?

 有隣堂では担当のIさんにご挨拶。「お恥ずかしいくらいまだまだなんです。でも頑張りますんで」と充血した目で話しつつ、棚整理。相当寝ていないんだろうな。Iさん、横浜のときみたいに面白い店にしてください。期待してますよ。

9月15日(木)

 夜、本屋大賞実行委員会の会議。
 第3回目のスケジュールその他がほぼすべて決まり、これでまた来年の4月に向けて走りだすことに。詳細は10月に入ってから発表の予定です。

 誰もが当然あると思っているようだけれど、本来は遊びで1、2回やって…なんて考えていたわけだったりして、それが広げた風呂敷の何十倍も反響を受けてしまい、その結果、そう簡単に辞られなくなってしまったという感じか。

 しかしそんなことよりやっぱり本屋大賞は面白い。今から何がノミネート作に選ばれるか? そして大賞は? なんて考えているだけでワクワクしてしまう。投票される書店員さんも相当悩みつつ、今も新刊と格闘しているのではないか。僕には、難しいことはわからないけれど、この面白いというのが一番大切だと思っている。そしてその面白さを外と内に伝えるのが実行委員の大きな役割なのではないかなんて考えている。

 第3回の一番の懸念材料は、実は発表会の会場を押さえることだった。第1回、第2回を出版クラブ会館にかなりの無理を言って格安で利用させていただいていたのだけれど、あまりに人が多く集まり過ぎて、出版クラブ会館の一番大きな部屋でもおさまらず、去年は空気が薄くなるほどの混乱で、多くの参加者にご迷惑をかけてしまったのだ。

 その反省を元に、様々な会場をあたっていったのだが、予算のあまりのなさで、どこも手が出ず。このままでは発表会なしの第3回になるのではないか?と頭を痛めていたところ、なんとダメ元でお願いしていた明治記念館が、あまりに可哀相な組織だと、とてもリーズナブルな料金で貸していただけることになったのだ!

 実は、本屋大賞実行委員の間では、日本イベント大賞を頂いた際に訪れた目黒・雅叙園の華麗さにビックリし「いつかは雅叙園」というのを合い言葉にしていたのだ。ところが「いつかは雅叙園」どころか「いきなり明治記念館」。

 果たして明治記念館の舞台に立つのは誰になるのか? 乞うご期待!

9月14日(水)

 当ホームページ「WEB本の雑誌」の5周年記念ということは、この「炎の営業日誌」も5周年なのではないか? 何だかリニューアルでバタバタしていて(そのわりに自分の担当分がまだ半分もオープンしていない…)すっかり忘れていたが、いやはやもう5年も書いているのか。そういえば1000回突破でパーティーを開いてくれると言っていた人はどこへ行ってしまったんだろうか?

 先日唐突に新人編集者・藤原力が、「炎の営業日誌」を単行本にしませんか?なんて浜本に言い、思い切り無視されていたけれど、果たして単行本にした場合、何頁分くらいあるのだろうか? 上下巻どころか、上中下巻分くらいあるのだろうか? いい加減許してくれないだろうか? って誰に聞いているんだろうか。

 ちなみに一番初めの広告(本の雑誌2000年10月号)を確認するとコンテンツはこんな感じだったようだ。「読書相談室」(相談員は池上冬樹氏、茶木則雄氏、日下三蔵氏、東えりか氏、大森望氏、吉田伸子氏、北上次郎氏)「今月の新刊採点」(単行本のみ)「過去の新刊めったくたガイド」「連載ページ」として「WEB版三角窓口」「今月買った本」「恋愛のススメ」吉田伸子氏、「まんがの密林」日下三蔵氏、「ウエちゃんのタクシー日記」植上由雄氏。そして埋め草ページとしてこの「炎の営業日誌」と「南台便り」があったのだ。

 …のだ、なんて書いたが実はほとんど覚えていない。なぜならその頃は、ホームページに関して目黒と浜本の二人で決めていたし、僕自身は自分の日記にどれだけ赤が入れられるかドキドキしながら原稿を提出するので精一杯だった。そしてもちろん5年後にこれだけの広がりをみせているとは想像もしていなかった。

 当初からお世話になっていて、今も継続してこの「WEB本の雑誌」に関わって頂いているのは、東えりか氏と池上冬樹氏ということになるのか。お二人とも本当にありがとうございます。

それから忘れちゃいけない、よせばいいのに5周年を記念して「魚眼レンズ」なんてページを作ってしまったシステム担当のムーミンさんもずーっと関わっていただいているし(と思ったらオープン3ヶ月後の入社だと判明)、運営の博報堂のNさん、Sさんにもお世話になっていた。

 皆様、本当にありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いします。って本の雑誌社の人間よ、もうちょっとホームページに積極的に参加してくれぇ~。

9月13日(火)

 みっちゃんは突然現れた。

 小学校六年の写生会の日、みんなと違う絵の具セットと画板を抱え、真っ黒に日焼けした顔で、僕の親友ウーマンの隣に立っていた。
「転校生だよ、沖縄から来たんだって」
 誰にも優しいウーマンは、そうみっちゃんを紹介してくれた。僕はその頃沖縄がどこにあるのか知らなかったけれど、地黒の僕より黒いみっちゃんを見て、きっと暑いところなんだろうなと思った。
「一緒に絵、書こう」
ウーマンが提案し、3人で大きな木の下に座って、神社に向かった。

 僕自身、実はその日とても大切な日だった。なぜならそれまでの5年間写生会ではいつも入選していて、この日次第で6年間連続入選の兄貴と同じ栄誉を手に入れられるかどうかが、かかっていたからだ。だから必死になって鉛筆を縦にしたり横にしたりして、下書きをしていった。

 ふと顔をあげ、隣に座っているみっちゃんの絵を覗いた。

 驚いた。そこには小学生の描く絵ではない、なにか大人びた神社が描かれていた。遠近法も影もしっかりあって、図工の教科書に載っているようなカッコイイ絵だった。結局その写生会では、みっちゃんの絵には絵の具では絶対出ないピカピカした色の小さな紙が貼られ、僕の絵には何も張られなかった。その瞬間、みっちゃんは僕のライバルになった。そして、その後一生のライバルになった。

 同じ中学に進むと、みっちゃんと僕はほとんど同じくらいの成績だった。要領だけ良い僕は受験に必要な主要5教科だけ勉強し、学年で20番くらいをうろついていた。みっちゃんは5教科だけだと僕より下だったけど、音楽や技術もしっかり勉強するから全教科になるといきなりベスト10にランクインした。

 勉強だけじゃない。スポーツもだいたい同じくらいのタイムで走るし、やっている部活は、サッカーと野球と違ったけれどお互いレギュラーと補欠のギリギリのあたりを彷徨っていた。女の子に関してはみっちゃんはジャニーズ系の色男だったけれど、野球部=坊主が災いし、その頃流行っていたチェッカーズカットにしていた僕の方が一歩リードしていたか。でもそれも3年の夏休みまでのことで、部活を引退して髪を伸ばしたみっちゃんは、突然学年の女子の人気者になっていった。

 一度だけケンカしたことがあって、それは確か僕が勝ったけど、本当はみっちゃんは空手をやっていて、僕なんか一発でやっつけられる力を持っていたことを後で知った。僕を殴らなかったのは、たぶん僕のプライドを守るための優しさだったのだろう。

 高校受験は僕が勝ち、ひとつだけランクの上の高校に入学したけど、僕はそこで力尽きた。大学受験に失敗し、予備校を二ヶ月で辞め、アルバイトをはじめた頃、みっちゃんは理系を選択し短大に入学。その後予定通り4年生に編入し、大学院まで行ったっのにはビックリした。

 遊び方も僕がカヌーに乗ってフラフラしている頃、みっちゃんはクラブでカッコイイ酒と綺麗な女の子をつかまえていたっけ。

 その辺からライバルはずっと向こうを歩きだす。
 就職先は社員数万人の世界企業。研究所に勤め、海辺のアパートを借りて、週末はマイク真木みたいに自由に暮らしているという。いつも遊びに来いっていうけれど、ガキ二人を抱えて何だかすんなりおとっつぁんになっちまった身としては、ちょっとその生活を見るのはつらいかとなかなかすんなり誘いに乗れずにいる。

 そうみっちゃんはいつもセンスが良くて、そして僕はいつも泥臭かったんだ。

 だから僕はいつもみっちゃんの書く絵に憧れ、その生活が羨ましかった。最後に会ったのは確か3年前の子分ダボの結婚式だったけど、そのとき着ていたみっちゃんのスーツ、格好良かったなぁ。おまけに僕のスピーチはたいして面白くなかったけれど、みっちゃんの余興、大盛り上がりだったもんな。

★    ★    ★

 そんなライバルみっちゃんから久しぶりに連絡があった。

「本を物色していたら「本の雑誌ベスト1」と書かれた帯を見つけ『流星ワゴン』を読む。昔、ツグ(僕のこと)に薦められて読んだ『リプレイ』を思い出しつつ、堪能。しばらく重松清を読んでいたら『本の雑誌』30周年記念号を発見! 懐かしの『透明人間の告白』が出ているし、しばらくはこのベスト30をたよりに本を読みます」

 そういえばみっちゃんと本の趣味は一緒だったんだよね。僕が『本の雑誌』100号で知った『リプレイ』や『透明人間の告白』、それからロバート・B・パーカーの『初秋』を読んで二人で思い切りスペンサーシリーズにハマったっけ。

 みっちゃん、今度、俺が今一番好きな金城一紀の著作、送るね。

9月12日(月)


 相棒とおるから「甥っ子の誕生日プレゼントにゾロリの最新刊を頼まれたんだけど、今日は東京の××に行くからその辺で絶対置いてある本屋さん教えてくれない?」とメールが入る。

 いやその前に「アマゾンってどれくらいの日数で届く?」というメールが来ていて、期日的に無理だったのと、1500円以下だから送料がかかると答えたら、リアル書店で買うという連絡とともに、上記の質問が飛んできたのである。

 ゾロリの最新刊ならたいていの書店さんで手に入りそうだが、とおるの向かう場所には大型書店があったのでそこを教えた。

 すると数時間後、こんなメールが届いた。
「いやー児童書が最上階にあるとは思わなかったよ! しかも店員の対応が悪いし疲れたね。本に罪はないが気分が悪い!」

 うーん、もしかして接客ってリアル書店がネット書店に対抗する際の大きな武器だと思っていたんだけど、ひとつ間違うと最悪の結果になるのか。こうなると嫌な気分になる可能性があるくらいならネットで買うって人もいるのかもしれない。何だか恐ろしいけど、とおるよ、リアル書店の良さ、いっぱいあるからさ…。

 そのまた数時間後、相棒とおるから興奮のメールが届く。
「会社の近くの○○書店、今度ショッピングセンターのバーゲンに合わせてカード購入だと10%オフなんだよ!!!」

 これが普通の人の感覚なのかも…。

9月10日(土) 炎のサッカー日誌 2005.11

 どうしてどうしてどうしてなんだよ。
 どうして浦和レッズはここぞというところで負けてしまうのか。

 国道463号線を自転車で走りながら何度も呟いた。
 シャッフルにしておいたi-podからPeter Gabrielの「Don't Give Up」が流れて来たときには思わず号泣しちまったじゃないか。

 この日の「マッチデープログラム」で監督のギド・ブッフバルトは鹿島戦の追い上げについて「勝者のメンタリティー」という言葉を使って説明していたが、優勝争いの大事な一戦でこんな無様な試合を見せるのが「勝者のメンタリティー」なんだろうか。

 それどころか、まるでチームがまとまっていないというか、意思統一が出来ていないというか、個々は必死なんだろうけれど、戦術がまったくないというか、ああ、ツラスギル。僕たちは優勝を目指しているが、選手や監督は目指していないのか? いやそんなことないだろう…。

 延々続く自問自答の答えは、もちろんこれからの試合でしか確認できないのだろうけれど、とにかく僕はそこにレッズがあるかぎり、試合を見に行き、声を枯らして応援する。今までだってそうして来たし、これからだってそうするのだ。「WE ARE REDS」ってそういうことだろ

9月9日(金)

 昨日、猛暑のなかムキになってやたら営業したせいで、本日はふらふら。
 おまけに冷たいものを飲み過ぎたせいか昨夜からひどい腹痛に襲われている。
 
 昼、地方小のKさんと会い、新刊搬入の打ち合わせ。その後は町田に向かい、今週いっぱいで出産休暇に入る書店員さんとしばしお別れのご挨拶。ぷっくり出たお腹を思わず撫でたくなってしまったが、それはセクハラだと我慢。無事、赤ちゃんが生まれることを祈る。

 思わず感心してしまったのは「うちのお店は女性に優しくて、今後も働きやすい環境なのはうれしいんですけど、優しすぎて育児休暇後はデスクワークとか事務職にまわされることが多いんですよね。私は売場に立ちたい!」とのことで、ぜひぜひまた売場に戻って、素晴らしいPOPやコーナーを作って下さい。待ってますよ、Sさ~ん。

9月8日(木)

 都筑道夫少年小説コレクションの3巻目『蜃気楼博士』の見本を持って、取次店廻り。

 この『蜃気楼博士』は当ホームページの案内コーナーで編者の日下三蔵さんが<実は、世評に高く、出来映えも素晴らしい『蜃気楼博士』だけならば、復刊のチャンスはないこともありませんでした。でも、私は「切り売り」はしたくありませんでした。『蜃気楼博士』だけを復刊すれば、その他の作品は逆に復刻しにくくなってしまいます>と書かれているとおり、ファンの間では垂涎の書であり、僕自身、出版を知った書店さんや営業マンから「ほんとに出るの!」と驚かれたほどなのである。ほんとに出ます、皆様。14日搬入です。

 しかも今回は、日下さんのご尽力により、『中一時代』(旺文社)に掲載されていた「フォトミステリー」シリーズも収録。これが凄いのだ! 昔よく雑誌にあった写真をヒントに謎を解く、その写真には芸能人が登場しているってパターンで、いやはや僕が読んでいた幼年誌にもこんなのあったよなあと思い出しつつ読み出したら、いつの間にか謎解きに夢中になってしまった。

 それにしても書店さんを訪問して「○○出版に本屋大賞によろしく、なんて言われちゃいました」なんて聞くとケッ!なんて思っていたのだが、このようにミステリーの名作を出版してみると、思わず「このミス」投票者を廻りたくなってしまったではないか。

 ああ、黒川博行の『蒼惶』(文藝春秋)みたいに現ナマもって茶木さんのところに行こうかな…。あっ、茶木さんだったら金より…の方がいいか…。

9月7日(水)

 同業営業マンのホームページとして、というよりは出版全体の情報を知るために覗かせていただいている『知ったかぶり週報』(http://www.sittakaburi.jp/)のkajieさんと初めて酒を飲む。

 前々から僕のような直情型人間と違って、とても頭の良い人なのでないかと考えていたのだが、その想像通りの人であった。知識量、分析能力、批評眼、すべて兼ね備えており、しかも頭の回転が速い。

 もうちょっと若い頃だったら嫉妬に苦しんだかもしれないが、今ではこういう人が上司として僕の鵜匠になってくれればなんて考えてしまう。それは、もう自分自身のどうにもならない弱点に気づいているからか。あっ! kajieさんの方が年下じゃないか…。

9月6日(火)

 僕がこの会社に入って約8年が過ぎようとしている。その頃、渋谷に営業に向かうと、いの一番に顔を出していたのが旭屋書店だった。教科書のような棚づくり。新刊の並びを確認しつつ、その頃担当だったHさんとお話するのが楽しみであった。

 その渋谷の旭屋書店が先月末で閉店。その前には渋谷の老舗大盛堂書店も閉店しており、渋谷の書店地図は、一気に変わろうとしている。ちなみに8年前に僕が廻っていた渋谷駅近辺の書店は、旭屋書店、大盛堂、紀伊國屋書店、山下書店、パルコブックセンター(現在リブロとして営業)、三省堂書店の6軒だったか。

 ここにブックファーストが出店し、もう飽和状態だろうなんて大騒ぎしていたのだが、それ以降も出店は止まらず、啓文堂書店、TOKYO文庫TOWER、TSUTAYA、山下書店南口店、文教堂、それにタワーレコードなどのCDショップも本の販売を広げて来た。

 結局今現在このなかで、前述の旭屋、大盛堂と、それ以前に三省堂書店がビルの改装に合わせ閉店しているが、これからも出店、閉店は続くのだろう。それは渋谷に限ったことでなく、京都も激しく入れ替わろうとしているし、多くの都市でこのようなことが起きていくのだろう。

 出版社の営業は心を失わないととてもやっていけない仕事になりつつあるが、働いている書店員さんはもっともっと苦しいだろう。旭屋があったこと、大盛堂があったこと、それから三省堂があったこと、僕はいつまでもその棚と担当者さんのことを覚えていたい。

9月5日(月)

 一昨日の土曜日はサッカー観戦、昨日の日曜日はフットサルをやり、サッカーづけの幸せな休日を過ごし、いざ出社。新人編集者・藤原をつかまえサッカーの話をしようかと思ったが、不機嫌も不機嫌。まるで同じく月曜の目黒考二と一緒ではないか。あわてて新聞を広げ確認したところ、彼の大好きなFC東京は4対2で負けていた、って知っていたんだけど。

 午前中はデスクワーク、午後から営業。赤坂見附、銀座、東京と移動しつつ、10月刊の新刊『作家の読書道』の販促。銀座K書店のYさんが「最近のお客さまは天変地異に敏感で、だから台風が近づいているともうほんと早く帰っちゃうんですよ」と嘆かれていたとおり、街の人出は淋しい状態。

 それにしても丸善丸の内店がもうオープンして1年が過ぎようとしていることにビックリ!「早いもんですねぇ」と担当のUさんに話しかけると「いやーもう2度と出来ないような経験でした」とのことで、ほんとお疲れ様でした。

 さて、この丸善さんで僕はジャンルを越えた新刊棚が各階に設置させれているのがとても気に入っている。例えば急いでいるときは1階でその新刊台を見れば、各ジャンルの主要新刊がすぐわかるし、あるいは3階で文庫を選びつつ、なんか新刊出てないかな?なんてときもすぐそこでわかるのは便利だ。多層階の書店さんでのこの取り組みはとても良いことだと思うけれど、作る(管理する)方は大変だろうな。

 そういえば地方小のKさんと話していたときに、まだどこも雑誌と文庫をジャンルの棚まで落とし込んでいる大型書店はないよね? という話題になったことがあった。実用書の棚、例えば釣りの本の棚に釣りの雑誌が入っていたらもっと選択肢が増えて買うんじゃないか? しかもお客さんの多くが、実は雑誌とムックと文庫と単行本の区別なんてつかないわけだから、本があることを知ってもらう機会を増やすには良い棚かもなんて思って盛り上がったのだがどうだろう…。管理すごい大変そうだな。

9月3日(土) 炎のサッカー日誌 2005.10


 子供が出来たとき、妻から拇印を強要された。捺印を拒否しようと思ったが、拒否=家庭崩壊の雰囲気だったため、仕方なく親指を書類に載せた。その書類にはこう書かれていた。

「アウェー観戦は、年に一度だけにします」

 2005年、その大事な大事なただ一度のアウェー観戦日は、優勝争いの一番大切な試合に取っておこうと考えて、これまで清水やら名古屋やら行きたい気持ちを抑えて耐えてきたのだが、ついにその日がやってきた。首位、鹿島アントラーズとの戦いだ。勝ち点差4。いざ、出陣!

★   ★   ★

 鹿島との試合はいつもこのテーマに落ち着く。
 「この世に神様がいるのか?」

 90分間倒れることしか考えていないFWに、倒すことしか考えていないMF&DF陣。声の高いブラジル人はそれをマリーシアと叫ぶけど、日本の道徳観でみたら見るに堪えない汚いプレー。こんなサッカーで勝ってうれしいんだろうか? とついつい対面にいる鹿島サポに同情してしまうが、この日は悪魔に魂を売った審判がいて、開始早々倒れ込んだFWの肩を持ち、PK宣告。思わず僕、「神様、この世に正義がありますように」と祈ったけれど、神は光臨せず、0対1。

 その後も醜いアタック、酷い判定が繰り返され、ナーバースになった選手達は本来の良さであるはずのボール回しを忘れ立てポンサッカーに終止、ぼくらサポもコールよりも怒号の方が大きくなってしまい、いつの間にかDFのミスもあって0対2。最悪だ最悪だ、神様なんていないんだと嘆いていると前半終了の笛。

「はぁ」
 大きなため息をつきながら椅子に座り込んだら、観戦仲間のオダッチに怒鳴られる。

「まだまだ終わってないんだよ!」
 その瞬間、僕の心に火がついた。そう神様を頼って嘆いていては何も始まらない。選手を信じて声の限り叫ぶのがぼくらサポの勤めではないか。そうまだ45分あるんだし、審判なんて関係ない。

 後半開始早々、僕らの祈りのテーマ「アレオ浦和」が始まって、誰も諦めちゃいないゴール裏はまるで勝っているときのような大声援。つられるように選手たちも自分たちのサッカーを思い出したようで、じっくりボールを動かし、サイドと中を使ってうまく攻め出す。

 相変わらず酷いジャッジでトゥーリオが激怒の退場となり意気消沈…なんてことはなく僕らゴール裏はいつもどおりの大声でサポートを繰り返す。

 すると奇跡は起きた。後半30分過ぎ、怪我上がりの田中達也が執念の追い上げゴールを決めると、試合終了間際の40分、浦和のマジシャン・ポンテがヘディングで同点ゴール。どんなときも諦めない男・オダッチと激しく抱き合い、たたき合う。

 正義があれば悪もある。
 世の中そのもの結果で、この日は同点で終わったが、僕らは浦和レッズの戦いに誇りを持つ。

 PRIDE OF URAWA!