「補助輪外したいって」
食卓でひとりぼんやり夕食を食べていると、生協の注文書に記入していた妻が顔も上げずに言ったのは、先々週のことだったか。
聞けば近所の友だちが補助輪を外した自転車に乗っていたの見て、娘が私も外すと騒ぎだしたそうだ。妻は練習しなきゃ乗れないのよと説得したが、乗れると言い張り、ならば乗ってみなとやらせたらすぐ転んじゃったという。そりゃ当然だろう。しかし、娘は、それでも泣かずに絶対乗る、パパと練習すると言いながら、この日は寝たらしい。
その週の週末、僕は娘を連れてさいたまスタジアムに向かった。サッカーを観にいったわけではない。自転車の練習に行ったのだ。自転車の練習には広いところが必要だろうと考えたら、すぐ思いついたのがさいたまスタジアムだったのだ。確かスタジアムの廻りに芝生の場所もあったはずで、そこならいくら転んでもたいして痛くないはずだ。
まずは地方小出版流通センターのKさんからお下がりしてもらった12インチの自転車を車から出し、補助輪を外す。後から近所のお父さんやサッカー仲間に聞いたところ、片方外すとか少し上げるとか、あるいはペダルを取って足蹴りでバランスを取れるようになってから、なんて練習方法があるそうなのだが、そんなことはまったく考えず、いきなり補助輪を取ってしまった。そして娘には「とにかくこげ」と指令を出した。
必死な顔つきの娘は、思い切りこぎ出す。しかし当然フラフラして倒れそうになる。あわてて僕も走る。「こげ!こげ!こげ!」まるでゴール裏にいるときみたいに怒鳴りつける。自転車にサドルの後ろから支える棒が出ていたので、その棒を持ちながら娘と一緒に走る。
スピードが増し、安定したところで離すが、やはり難しいらしく数メートル走ると倒れてしまう。倒れる娘をうまくキャッチできれば良いけれど、そうでないときは思い切りすっ飛ぶ。ハンドルと自転車の本体がくの字に折れて倒れたときなんて、スーパーマンみたいに飛んでいった。
あわてて駆け寄るといつもは弱虫ですぐ泣くくせに、娘は顔を真っ赤にしつつも、下唇を噛んで必死に涙をこらえていた。
「パパ、わたし泣かないよ。頑張るよ。頑張って練習すれば、乗れるようになるんだよね?」
思わずその真剣な言葉を聞いてこちらが泣きそうになってしまったが、僕も必死に涙をこらえ「パパもババと頑張って練習して、乗れるようになったんだから、お前も絶対乗れるようなるよ。練習、練習」と膝に付いた泥を落としてやり、また練習を再開した。
そういえば僕も小学校の校庭で、兄貴と母親に自転車の特訓を受けた。母親はそのときのことを今でもしっかり覚えていて、笑いながら話すことがある。僕は「ほんとに良いんだな、ズボン何枚やぶいても」と逆ギレしながら練習していたそうだ。初めて補助輪なしの自転車に乗れたときどんな気分だったけ? そんなことを考えながら娘を追いかけていると、いきなり100メートルくらい真っ直ぐ乗れるようになった。
すると娘は興奮しながら「パパ、パパ、風がすごい! 風が!」と叫んだ。そうだ! 風が気持ちよかったんだよな。今まで感じたことのないスピードを感じ、景色がぶっ飛ぶみたいですげー楽しかったんだよ。
2時間ほどそうやって親子汗まみれになって練習していると、とりあえず真っ直ぐは走れるようになった。その翌日もさいたまスタジアムに出動し、今度はブレーキや曲がることを教えた。もちろん何度も転んでは、泣きそうになり、それでもこらえ、そのくり返しだった。
何だかその汚れのない努力を見ていたらどうしてもコイツを思い切り誉めてやりたくなった。言葉ではいつも誉めているのだが、この日はどうしても何か記念のものをあげたくなった。ならば自転車が良いだろう。いつの間にか娘は大きくなっていて12インチでは膝がぶつかりそうになっている。16インチの自転車を買いに行こう!
禁煙して溜めたへそくりがちょうど自転車代くらいあった。自転車を買ってやるというと娘はまったく信じなかったが、本当に自転車屋へ向かい、シンプルな真っ赤な自転車を選んで、お金を払っているのを見て嬌声を上げた。
「ヤッター、これ私のものになるの?」。そして「やっぱりパパは赤なんだね」と。
今、帰宅すると、玄関に真っ赤な自転車がある。
日々汚れていくその自転車を拭くのが、帰宅したときの僕の楽しみになっている。