WEB本の雑誌

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10月31日(月)

 今月の新刊『北京の自転車おじさん』の見本を取次店に提出。その際、とある取次店の仕入れ窓口の方が「新刊点数が増える一方で…」と嘆かれていた。

 かつては給料日前後の数日に新刊点数300点!なんて大騒ぎしていたのに、ここのところ25日の週はほとんどが300点を越えていて、しかもその週を過ぎてもあまり減らないそうなのだ。きっとあと数年で年間10万点なんてことになるんじゃないですかねと予想されていたが、そうなった場合、現流通上では無理だろうとも話されていた。

 確かに、今だって新刊着日がかなり遅れたなんて話が出るし、書店の現場だって『中央公論』2005年11月号で行われた書店員座談会で新刊点数の多さにふれ「最低3日は置くようにしています」なんて話されていたとおり、もう物理的に限界を越えているだろう。

 しかしそうはいっても今の販売の仕組みでは、出版社は、今後も倒産しないために見かけ上の売上が必要だから今後も新刊を出し続けるだろう。

 そんなことを考えつつ、別の取次店の担当者さんと話していたら「やっぱり出版社にはなぜその本を出すのか? ということに対してしっかり理由のある本を出して欲しいですね、もちろん売上のためっていうのは抜きにして」なんて話され、もっと真剣に本と向き合わないとマズイな、と深く反省する。

10月29日(土) 炎のサッカー日誌 2005.15

「絶対に負けられない試合」なんて甘っちょろいものでなく、「絶対に勝たなければならない試合」であった川崎フロンターレ戦は2対0から追いつかれ、嫌な流れになったものの“闘う漢”闘莉王が後半31分に決勝ゴールを劇的勝利に終わった。

 選手がアウェー側、バックスタンドの挨拶を済ませ、我らゴール裏に堂々と歩いてくると、我が母親は、定期入れから小さなメモ用紙を取り出した。そこには“僕らの歌”歌詞が書かれていた。

 65歳の母親もその向こうの席にいる小学生も声高らかに歌う。

 スタジアムにいるときは、誰もが我が愛するチームの勝利を願い、そのために出来ることをする。そして勝利を手にしたときには、“僕らの歌”を歌う。

「We are Diamonds」

10月28日(金)

 昨日は、『2人目の出産』でお世話になっている安田ママさんのお引っ越し送別会、本日は横丁カフェで連載していただいている三省堂書店・下久保さんの結婚パーティーと、何だか僕の周りでは激しく人生が動いている人が多い。

 営業というのは人と“出会う”仕事であり、それだけいろんな人生の瞬間を垣間見ることになる。結婚、出産など。今のところ僕がまだ30代だからか不幸の話というのは少ないけれど、これからはそういうことも起きるのか。

 心のどこかであまり深入りしない方がいい、なんて考えることもあるけれど、やっぱり僕は人見知りのくせに、人が好きなので、だから付き合うならトコトン仕事の壁を越えて付き合いたいなんて思ってしまう。

 とっても幸せそうな下久保さんに「杉江さんはエライですよ。家族に優しいですもん」なんて誉めていただいたが、どうなんだろう…。ただただ家族という小さな共同体が好きなんだけど。

10月27日(木)

 とある書店さんで聞いたお話。

「読書週間が始まってそうするとすぐ若者の活字離れみたいなことが言われるじゃない。でも見てよ、この売場。ほとんど10代20代の若い人か50代以降の人でしょ? いや30代とか40代は働いている時間だっていうだろうけど、夜までずっとこんな感じなんだよ。それはさ、最近のベストセラーを見ればわかるけど、若い人が買ってるからベストセラーになるんだよね。あるいは年配の人を巻き込むか。そうそう雑誌だってそういう売れ方してるよね。とにかく本屋に30代40代はほとんど来ないと思った方がいいよ。出版社はそれを踏まえて本を作った方がいいと思うよ」

 確かに売場には若者と年配の人が本を手に取っていて、ちょうど僕くらい(34歳)年代の人はほとんどいなかった。このお店に来る以前に立ち寄った書店さんを思い浮かべてもそうだったような気がする。うーん、友だちを思い浮かべてみても本を読んでいない奴が多いな。

「『本の雑誌』もね、その辺難しいところだと思うよ。例えばいつも文芸誌を買っているような年配の人には、この表紙はツライよね。かといって10代、20代の人にはあまりに字が多くてつらいわけさ。まあ、そういう雑誌じゃないかもしれないけどさ」

 マーケティングといえば目黒とボビー浜本が「○○人くらい読者がいるよ!」なんて叫ぶだけの会社だし、年齢で読者層をとらえたことなんてないけれど、いやはや思わず深く頷いてしまった。ボビーどう思いますか?

10月26日(水)

 ロッテの日本一を受けて、朝から事務の浜田がうるさい。
「杉江さん、ボビー良いですよね。たまんないっす、タハー」

 彼女、決してロッテファンではないのだが、監督ボビー・バレンタインには10年前から惚れていたらしい。

「家族ですって、信頼ですって。うーん素敵なリーダーです」
 そういいながら、我が社のリーダー(社長)浜本茂44歳を眺めるのであった。

「だったらさ、名は体を表すっていうから、浜本さんのことボビーって呼んでみれば?」
 とにかくギャーギャーうるさいので適当な解決策を伝えると「それ良いかも、なるかなボビーみたいに」なんて本気になってしまった。

「ボビー、コーヒーいりますか?」

10月25日(火)

 何だかふっと気になって書店さんに聞いてみる。
「もしかして最近営業マンって減ってませんか?」

 するとその書店員さんは「何言ってるのさ。もう出版営業なんて仕事は絶滅危惧種だよ。減った、減った、ほとんど来ない」と笑うのであった。

 本が売れなきゃ出版社もリストラせざるえないだろう。
 出版点数は減らせないから編集者は切れない。じゃあ営業マンをと安易に考え、リストラする会社が多いのではなかろうか。

 しっかしそれは大きな間違いだ!
 もしいま営業を減らすような会社があったらその会社の未来はない!! なんて強く机を叩いてしまおうか。

 いやでもほんと年々営業が大事になっていると思うんだよな。なぜならすでにパターン配本なんて仕組みは崩壊寸前で、本を作ったから適当にまいてくれる取次店なんてないんだから。

 注文を取った分の+αくらい、いや営業マンの噂話でその注文分すら削られるなんて状況で、そうなるとこれからの出版社にとっての生命線は、やはり営業にあるといっても良いのではないか。

 果たしてこのまま出版営業という仕事は絶滅していくのだろうか? それとも復活があるのだろうか。

10月24日(月)

 「忙しそうですね」なんて人に言われることがよくあるのだが、実はそんなに忙しくない。浦和レッズの山田のように、忙しいフリをするのが得意なだけだ。

 残業は祖父の代から禁止されているので仕事が残っていようと定時が来れば基本的に帰る。最近は家で子供と遊ばないと一日が終わった気がしないし、最低7時間は寝ないと翌日集中して営業ができない。営業には体力と精神力が必要なのだ。これが崩れると悪循環に陥ってぐずぐずの営業になってしまうので、良い営業をするため睡眠をしっかり、体調を整える。

 ところがところが、この10月は、忙しかった。

 まず基本の営業が、編集の藤原が新刊チラシを作るのが遅く、通常の3分の2の期間で書店さんを廻らなければならなくなってしまったのだ。歴代編集者、みんな新刊チラシを作るのを遅らせて来たのだが、注文制の出版社としてはそれが命取りになることをわかっていたのだろうか? ようはある程度までは、営業期間の長短と売上は比例するのだから期間が短くなればそれだけ売上が減り、最終的には自分の首を絞めるということを理解できなかったのだろうか?

 鉄は熱いうちに打てなので、藤原にはこんこんと説教し、12月のチラシはいち早く作らせた。

 これだけならまだよくあることで、容易に乗り越えられただろうが、ここに『本の雑誌』12月号と『おすすめ文庫王国2005年度版』の書店員座談会3本の司会進行、『U-50』の取材立ち会い、おまけに浮き球△ベースで仙台に行ったりと、もはやこの163センチ、体重55キロのチビ男には限界だろう。

 水も入れずにコーヒーを煎れたり、ハンコを押すつもりで朱肉を手に取ったはずが切手用の海面に思い切りハンコを押しつけていたり、生まれて34年切れ長の一重まぶたが、整形もしないのにくっきり二重になっていたりしていたのだ。

 しかしどうにか昨日でその多忙な10月もほとんどケリがついた。(と思われる)フー。

10月21日(金)

 知らない土地に行ったら当然本屋さんに飛び込む。
 そして棚を眺め、書店員さんと話す。
 するといろんなことを発見する。

 まだ僕の知らなかった本屋さんがあったのだ。
 それは首都圏のそれも一部しか廻っていないんだから当然なんだけど、いやはやこの発見が面白い。できることなら日本中の本屋さんを訪問してみたい。

10月20日(木)

 夕方、編集の藤原が浮かない顔で近寄ってくる。
「杉江さん、土曜日なんですけど」

 さてはまたFC東京が負けるのが心配で不安で不安でしょうがないのだろう。ならばハッキリ教えてやろう。
「負けるに決まっている。お前らはJ2に落ちるのだ」
「そうじゃないんですよ。その大事な試合に行けなくなりそうなんですよ」

 聞けば今週土曜日東京ダービーがあるのだが、編集部は月に一度の出社日にあたるそうなのだ。仕事をしなきゃならないのはわかっているが、サッカーも見たい。藤原は悩んでいたのである。

「そんなの簡単だよ」
「そうですよね、やっぱりサラリーマンですからね」
 藤原は残念そうに財布からチケットを出し見つめた。

「そうじゃねーよ。行けば良いんだよ、俺らはサラリーマンである前に、サポーターなんだから、大事なもんを忘れちゃならん。浜本さんには事情を話して、休むか、抜け出させてもらえばいいじゃん。」
「そんなこと…」

 夜、その藤原からうれしそうなメールが届く。
「浜本さんがOKしてくれました。これで心おきなく応援できます。いやー良い会社に入りましたよ~」

 クソ~! 実はこちらは今週末のさいたまダービーが見られんのだよ。何せ編集長・椎名と一緒に浮き球△ベースをしに、仙台に行かなきゃならんのだから。くぅ。

10月19日(水)

 神保町には狭いエリアに大型書店が4軒もある。三省堂書店、東京堂書店、書泉グランデ、書泉ブックマート。どのお店も歩いて数分、下手したら数十秒で着く距離にあり、知らない人が見たらひとつで充分なんじゃないの? なんて思われるかもしれない。しかしこれがキレイに棲み分けられていて、品揃え(見せ方)がそれぞれ違うため、共存共栄というか客層が違いがハッキリ出るのである。

 それは販売データを一目瞭然だ。
 例えば本の雑誌社の本だと、まず坪内祐三さんの本は東京堂書店で一番売れる。とにかく売れる。神保町どころか日本一売れる。

 それは坪内さんの書かれるようなものが好きな人が、東京堂書店の品揃えが好きというのはその棚を見ていただければわかるだろうし、そもそも坪内さん自身が贔屓にされている書店さんだから、お客さんも坪内さん=東京堂書店という意識で、そこで買うことを楽しんでいるのかもしれない。

 ところがこれが編集長の椎名や沢野の本、あるいはその他普通のエッセイになると俄然三省堂書店で売れるのだ。まあこれは普通に考えたら規模、来客点数とも神保町では一番だからこの結果がでるのが当然といえば当然だろう。

 そんななか面白いデータが出たのが『都筑道夫少年小説コレクション』だ。神保町ならどこでもまんべんなく売れるかななんて考えていたら、なんとなんと?というか、やっぱり!というか、書泉グランデで売れていくのである。元々ミステリーやSFなどが強い印象があったんだけど、本当にそうなんだと実感した次第。そういえば古本ものもこの書泉グランデがよく売れたんだ。『未読王購書日記』や『あなたは古本がやめられる』とか。

 なんてことをその書泉グランデのHさんに話していたら、「いやーもっとうちが強いのがあるんだよ、ココ、ココ」と指さされたのが、入って左の棚である。そこには復刊された『植草甚一スクラップブック』シリーズや『植草甚一スタイル』(コロナ・ブックス)などが並べられていた。

 「今さらかな?なんて思ったけど、出版社がビックリするくらい売れてるね。あとは昭和ものとか、ああジャズもの、そうそうこのジャズのCDとかもすごい売れるんだよ。まあ、もしかしたら僕が好きで並べていたからお客さんがいつの間にか付いたのかもしれないけど」

 担当者の好みはもちろん品揃えに反映されるわけで、そういった歴史の積み重ねが、このような神保町の客層の違いを生み出してきたのだ。今、多くの街で起きている大型書店出店ラッシュが、時を越えてこのように成熟することがあるんだろうか。

10月18日(火)

 直行で横浜。京浜東北線でゆっくり寝ていこうと考えていたのに、乗り込んだのが途中で終点になってしまう蒲田行き。しかも混んでいて座れたのが田町じゃ意味がない。相棒とおるから「『インストール』の文庫を買ったが、何だか恥ずかしくて電車のなかで読めない」とのメールあり。何で?

 10時30分、横浜着。さすがにこんな早くから営業するのもマズイので、ロッテリアでコーヒー。『脱出記 シベリアからインドまで歩いた男たち』S・ラウイッツ(ソニー・マガジンズ)を読みながら、今日の予定を考える。僕は一日2万歩歩いているのだが、これ、8年分足したらシベリアからインドくらい歩いているのかな?

 東から西へ営業。M書店のYさんが公休だったのは大失敗。そうか、月曜でなく火曜だったんだよな。あわてて手帳にメモ。

 昼は当HP「横丁カフェ」で熱い書評を書いていただいている有隣堂ルミネ東口店加藤さんと沖縄そば定食。ただいま二人の心を熱くしている『凍』沢木耕太郎著(新潮社)をいかに売るかで?大いに盛り上がる。

 途中、加藤さんから「杉江さん、また自社本じゃないですよ」と指摘され、大笑い。しかし武士の情けか、順調なスタートを切った『作家の読書道』をフェア展開していただけることになり、追加注文をいただく。ありがとうございます。

 午後からは関内、川崎、蒲田と雨はツライが順調に営業。

 なかなかお会い出来なかった川崎のA書店Tさんに会え一安心。ただいまバックナンバーフェアも開催していただいており感謝感謝。そして、なんとこのお店の方が元・新刊採点員だったと伺い、そちらにもご挨拶。

 蒲田のY書店さんでは、古くからお世話になっているTさんが異動されており、ご挨拶。お忙しいところ時間をいただき、お茶。蒲田というとなんとなく下町というか、狭い感じというか、本が売れるの?なんてイメージがあったのだが、このY書店さんはいつ訪問しても混んでいて先入観って恐ろしいな…と反省していたのだ。

 そのことを素直にTさんに告白すると「そうなんだよね、でももっと売れるお店になると思うんだ」とあれこれ手を打っている話をされ、思わず聞き入ってしまう。Tさん、決して「必死に仕事をやっている感じ」を見せないのだが、ものすごく真剣に本と向き合っていて、カッコイイのなんの。

 17時30分、会社に戻る。

 降りて来た顧問・目黒に新刊情報を伝えつつ、本日初めてのメールチェック。
 昨日行われた本屋大賞実行委員の定例会の議事録。「酒飲み書店員POPコンテスト」の次回のお題と進行スケジュールなど。うりこみ堂に登場していただいている海と月社の松井さんにメール。

 19時から、会社の2階で12月9日搬入予定の『おすすめ文庫王国2005年度版』の座談会収録とその司会進行。匿名書店員による「文庫夏100フェアメッタ斬り!」(仮)。

 誰が持ってきたのか? 新庄のポスターが張り出され、それを指さしつつ、大いに盛り上がる。収録終了予定時間を大幅に延長し、終わったのが22時。

 帰宅23時30分。なぜか妻が起きていた。

10月17日(月)

 8時55分、出社。
 お湯を沸かし、コーヒーを煎れ、社内の清掃。この時間が結構好きだ。
 
 メールをチェック。
 三省堂書店のYさんにお願いしていたイベントスケジュールが届いたので、確認してシステム担当のムーミンに転送。

 リブロの矢部さんからは「めくるめくめくーるな日々」第2回の原稿も入っており、あわてて読むとこれがもう矢部さんらしい!というかまさに職人らしい話で思わず感激。こういう話が読みたくて何年もかけて矢部さんを口説いたのだが、いやはやほんと良かった良かった。これがいわゆる編集者的幸せというやつなのか? いやこりゃ単なる自己満足か? とにかくいち早く更新したく、システム担当のぷりしらに原稿を転送。

 10時30分会社を出て、営業に向かう。
 調布のS書店さんで、営業を終え外に出ようとしたところ、伝え忘れていたことを思い出しあわてて店内へ戻る。読書の趣向が似ている担当のNさんに『凍』沢木耕太郎著(新潮社)をオススメするのを忘れていたのだ!

 その後は、府中、聖蹟桜ヶ丘。聖蹟桜ヶ丘のくまざわ書店さんは現在リニューアル改装の途中で半分での営業。それでもお客さんがあまり減っていないのが不思議。ちなみにリニューアルオープンは10月27日で、抽選会やら花のプレゼントなど催しがあるらしい。工事中の店内を覗かしていただいたが、良いお店になりそうだ。

 ちょうど昼どきだったので、S店長さんと食事。鳥のマスタード焼きとイカフライのランチ。実は僕、このS店長さんを父親のお手本としているのだが、娘さんとの関わりなどをいろいろと伺う。やっぱり基本は愛情と優しさなんだろうな。

 食後は、父親としては反面教師のときわ書房の茶木さんを訪問。話題は『凍』で茶木さん曰く「山岳もの史上もっとも怖かった」とのこと。「他の作家だったらもう筆が踊っちゃうようなところを、沢木耕太郎は冷静に淡々と描くんだよね。さすがだよな。これは絶対本屋大賞だ!」って茶木さん、残念ながらノンフィクションは対象じゃないんですよ。そのルール作ったの…。

 午後からは南部線を経由して、立川、国立、国分寺、三鷹、吉祥寺と営業。お会い出来たお店、出来なかったお店と半々だが、まあアボなしなんだから仕方ない。

 17時30分、西荻窪の今野書店さんへ。
 当HPの『U-50』の第2回分の取材立ち会い。新刊『話を聞く技術!』(新潮社)や『インタビュー術』(講談社現代新書)を書かれている永江朗さんがインタビュアーなのだが、いやはやほんとに話を聞くのがうまい。7時30分、インタビュー終了、その後は打ち上げ(?)を兼ねて飲み会。

 帰宅は11時30分。全員就寝。息子と娘の頭の匂いを嗅いで、僕も布団にはいる。

10月15日(土) 炎のサッカー日誌 2005.14

 サッカー選手として、いや人としてやってはいけないことがある。

 柏レイソルの土屋は、自陣のディフェンスが浦和レッズの攻撃にズタボロにされると、もはやサッカー選手でも人でもなくなり、我がスーパー達也(田中達也)に牙を向いたのである。

 足を狙ったスライディングに達也は吹っ飛び、駆け寄った審判がすぐさまタンカを呼んだことで、そこから約100メートル近く離れて観戦していた僕にも大けがであることがわかった。(あとからテレビで見たら足があり得ない方向に向いていた!)そしてもうひとつわかっていたのは、土屋がまさにそれを狙ってスライディングしていったことだ。走っている時点で、全身から嫌なオーラが漂っていたのだ。

 タンカで運ばれていく達也を見つめながら、僕は神様に祈った。
 達也がまたピッチに立てることを!

 たとえ7対0という大勝利に終わっても、こんなプレーが飛び出す試合なんて見たくない!  我が罵倒選手ランキングの最上位、永久罵倒選手に鈴木隆行とともに、土屋は名を刻んだ。そしてこんなプレーにイエローカードも出ないなんて! じゃあ、誰が選手を守るんだ!!! 怒りで震えて家路につき、そこらじゅうにあるものを蹴飛ばそうと思ったが、それでは土屋と一緒だ。

 カモン! スーパー達也

10月14日(金)

 なんと! 横丁カフェで書評を書いていただいてるmBシェルフヤマナの山名弘晃さんが、わざわざ倉敷から遊びに来てくれたではないか!

 実はワタクシ、本屋大賞の投票コメントだけを頼りに執筆依頼をしており、山名さんとはお会いしたことがなかったのである。書評の方は期待通り毎回面白く。そして唸らさせられていたのだが、いやはや山名さん本人が、その書評のイメージとあまりにかけ離れていて、浜本ふたりビックリしてしまう。好青年というかすごく真面目そうというか、だったら書評はどうなんだ?と突っ込まれてしまいそうだが、ほんとなんか全然違うんです。

 来ていただけるだけでもうれしいのに、お店のレポートまで用意していただき、それをみるととても面白そうなお店。うう、行きたい。今度はぜひ出張でこちらが行きますからというと駅からすごい遠いんですよと笑われる。それでも実用系の出版社は月1程度、文芸系も年数回営業に来られているそうで、版元がそれだけ行くってことはやっぱり良いお店の証拠でしょう。

 夜、こちらも出張で上京していた京都の化学同人の山チャンと久しぶりの酒。山ちゃんの携帯音楽プレイヤーに浜田省吾の『 I AM  A FATHER 』が入っているではないか。山ちゃんまで「杉江さんの歌です」なんていうのでヘッドホンを借りて聴き出したところすぐ涙があふれてしまい、このまま聴いていたら号泣してしまいそうなので、あわてて返す。うーん、良い歌だ。

10月13日(木)

 夜中の3時。『凍』沢木耕太郎著(新潮社)読了!
 「すげー、すげー、沢木耕太郎がやってくれた!」と誰もいない居間で大騒ぎ。

 ここ数年の小説やら、かつての私ノンフィクションとはまた違った、取材対象者に乗りうつったようなこの描き方。だからこそ伝わる山の偉大さ、そして山野井夫婦の強さ。沢木耕太郎の新たな代表作になるだろう。

 あまりの興奮で結局朝まで眠れず、僕の目の前には吹雪く山があった。

10月12日(水)

 久しぶりに以前の勤め先の先輩Yさんと、これまた久しぶりの新橋・じゃんぼで酒を飲む。

 思い起こせばY先輩に出会ったのは、僕が22歳のときで、あのとき随分大人に見えたY先輩は29歳だった。それが今じゃ僕が34歳でY先輩が41歳だなんて…。

 歳といえば、最近書店さんを中心とした飲み会に参加すると、廻りにいる営業マンはほとんど年下なんてことばかり。特に文芸出版社の大・中規模のところは新入社員にまず営業みたいな流れがあって、そうなると23歳、4歳の子に囲まれてしまい、いやはやもうこちらは完全におっさん扱い。そういえば昔よく飲んでいた営業マンはもう書店廻りをやっておらず、課長とか部長など何かしら肩書きがついてデスクワークをしている人が多い。

 書店さんだってだんだん年下になってくるし(何せ長く勤められるような環境が整備されていない!)こうなると果たして僕が営業をやっていていいのか心配になってくる。誰だって同年代の人が来た方が話やすいだろう。うーん、引退間近のサッカー選手ってこんな気分なのか? でもカズや中山は10代の選手と一緒にまだ頑張っているわけで、歳なんか関係ないか。あとは会社の判断に任す! ああ、でも出世するポストがないんだよなぁ。

 酔っぱらったY先輩に「すぎえ~、お前の歌があるんだよ、浜田省吾の『 I AM A FATHER 』。絶対泣くぞ、これから俺が歌ってやるか?」なんてカラオケ屋に引っ張られていきそうになったが、いったい何で僕の歌なんだ?

10月11日(火)

「補助輪外したいって」
 食卓でひとりぼんやり夕食を食べていると、生協の注文書に記入していた妻が顔も上げずに言ったのは、先々週のことだったか。

 聞けば近所の友だちが補助輪を外した自転車に乗っていたの見て、娘が私も外すと騒ぎだしたそうだ。妻は練習しなきゃ乗れないのよと説得したが、乗れると言い張り、ならば乗ってみなとやらせたらすぐ転んじゃったという。そりゃ当然だろう。しかし、娘は、それでも泣かずに絶対乗る、パパと練習すると言いながら、この日は寝たらしい。

 その週の週末、僕は娘を連れてさいたまスタジアムに向かった。サッカーを観にいったわけではない。自転車の練習に行ったのだ。自転車の練習には広いところが必要だろうと考えたら、すぐ思いついたのがさいたまスタジアムだったのだ。確かスタジアムの廻りに芝生の場所もあったはずで、そこならいくら転んでもたいして痛くないはずだ。

 まずは地方小出版流通センターのKさんからお下がりしてもらった12インチの自転車を車から出し、補助輪を外す。後から近所のお父さんやサッカー仲間に聞いたところ、片方外すとか少し上げるとか、あるいはペダルを取って足蹴りでバランスを取れるようになってから、なんて練習方法があるそうなのだが、そんなことはまったく考えず、いきなり補助輪を取ってしまった。そして娘には「とにかくこげ」と指令を出した。

 必死な顔つきの娘は、思い切りこぎ出す。しかし当然フラフラして倒れそうになる。あわてて僕も走る。「こげ!こげ!こげ!」まるでゴール裏にいるときみたいに怒鳴りつける。自転車にサドルの後ろから支える棒が出ていたので、その棒を持ちながら娘と一緒に走る。

 スピードが増し、安定したところで離すが、やはり難しいらしく数メートル走ると倒れてしまう。倒れる娘をうまくキャッチできれば良いけれど、そうでないときは思い切りすっ飛ぶ。ハンドルと自転車の本体がくの字に折れて倒れたときなんて、スーパーマンみたいに飛んでいった。

 あわてて駆け寄るといつもは弱虫ですぐ泣くくせに、娘は顔を真っ赤にしつつも、下唇を噛んで必死に涙をこらえていた。

「パパ、わたし泣かないよ。頑張るよ。頑張って練習すれば、乗れるようになるんだよね?」

 思わずその真剣な言葉を聞いてこちらが泣きそうになってしまったが、僕も必死に涙をこらえ「パパもババと頑張って練習して、乗れるようになったんだから、お前も絶対乗れるようなるよ。練習、練習」と膝に付いた泥を落としてやり、また練習を再開した。

 そういえば僕も小学校の校庭で、兄貴と母親に自転車の特訓を受けた。母親はそのときのことを今でもしっかり覚えていて、笑いながら話すことがある。僕は「ほんとに良いんだな、ズボン何枚やぶいても」と逆ギレしながら練習していたそうだ。初めて補助輪なしの自転車に乗れたときどんな気分だったけ? そんなことを考えながら娘を追いかけていると、いきなり100メートルくらい真っ直ぐ乗れるようになった。

 すると娘は興奮しながら「パパ、パパ、風がすごい! 風が!」と叫んだ。そうだ! 風が気持ちよかったんだよな。今まで感じたことのないスピードを感じ、景色がぶっ飛ぶみたいですげー楽しかったんだよ。

 2時間ほどそうやって親子汗まみれになって練習していると、とりあえず真っ直ぐは走れるようになった。その翌日もさいたまスタジアムに出動し、今度はブレーキや曲がることを教えた。もちろん何度も転んでは、泣きそうになり、それでもこらえ、そのくり返しだった。

 何だかその汚れのない努力を見ていたらどうしてもコイツを思い切り誉めてやりたくなった。言葉ではいつも誉めているのだが、この日はどうしても何か記念のものをあげたくなった。ならば自転車が良いだろう。いつの間にか娘は大きくなっていて12インチでは膝がぶつかりそうになっている。16インチの自転車を買いに行こう!

 禁煙して溜めたへそくりがちょうど自転車代くらいあった。自転車を買ってやるというと娘はまったく信じなかったが、本当に自転車屋へ向かい、シンプルな真っ赤な自転車を選んで、お金を払っているのを見て嬌声を上げた。

「ヤッター、これ私のものになるの?」。そして「やっぱりパパは赤なんだね」と。

 今、帰宅すると、玄関に真っ赤な自転車がある。
 日々汚れていくその自転車を拭くのが、帰宅したときの僕の楽しみになっている。

10月7日(金)

 今月は『作家の読書道』に『都筑道夫少年小説コレクション4 妖怪紳士』と新刊が2点もあって、やたらと取次店に顔を出している気がする。2点でこんなに大変なのに月十点、数十点も出している出版社はその進行管理だけでも大変なことだろう。

 出版営業といってもその仕事はいろいろあってで、僕が主にやっているのは「書店営業」というものだ。書店さんを廻って注文を取って。僕はそれがやりたくてこの本の雑誌社に入社しかたらとても満足しているが、他には例えば新刊が多い出版社では、この日僕が行った取次店専門の営業がいて、その人たちは、日夜取次店の仕入れ窓口で新刊部数の交渉や重版配本の調整などをしていたりする。

 また書店さん相手ではなく、直の営業をやっている人たちもいて、これはもう個人の家を廻って企画商品を販売したり、あるいはそれぞれの販売先学校や病院などを廻っている営業マンもいる。

 それは実は書店さんも一緒で、店売りだけがすべてでなく、外商といって近所のお店やら会社から注文をいただき、配達している書店員さんがいる。

 小さな本屋さんでは店長さんがバイクや自転車に乗って、店と外商の両方をこなしているが、大きな書店さんでは、外商だけを担当する書店員さんもいる。売場には立つことのない書店員さんであるが、本を扱う、本が好きという意味ではまったく売場にいる書店員さんと変わらない。

10月6日(木)

『シャングリ・ラ』池上永一著(角川書店)、ただいま237ページ。面白すぎてページをめくるのが、もったいなくゆっくり読んでいる。

 とある書店さんから電話。人事異動で別の支店になったとのこと。その支店は今まで訪問していなかったんだけど、これから訪問することを約束。

 前日にも書いたけれど、もうすぐ入社9年目に突入だ。当初は3年で辞めようと考えていたのに、あっという間に時が過ぎてしまった。

 まあ、小さい会社は営業といっても企画を出したり、HPを担当したり、それこそ昨日第3回目のスケジュール発表をした本屋大賞があったり、いろいろと目新しいことをやることになるから、飽きずに済むというのが長続きしている大きな要因だと思うけれど、例えば古い付き合いの書店員さんは、その入社年どおりの付き合いの長さで、こんな人たちとお別れすることが出来るとは到底考えられない。

 そしてそういう人たちに会いたくて、僕は毎日営業に出る。
 たぶん、これからも続ける。

10月5日(水)


 雨でも人通りの多い銀座を営業。

 そのことを地下にあるY書店で触れると「銀座の歩かれ方が最近変わっているんだ」とT店長さんが教えてくれた・

「前はさ。デパート目当てに銀座に来る人がいっぱいいて、その入り口が地下にもあるからこの地下道の人通りが多かったんだ。でも今は路面で『いらっしゃいませ』と扉を開けてくれるようなブランドショップを目当てに来る人が多くなってさ。だから地上の人通りが増えているんだよね」

 定点で観測している人だからわかる街の変化か。こういう話を聞くのがとても好きだ。しかしその変化によって思い切り売上が左右されるのが書店さんであろう。

 その後は新人編集者・藤原に泣きつかれた企画依頼のためとある書店さんを訪問。まあ元々僕が出した企画であり、人選だったのでやって当然なんだけど。藤原君、実は俺、もうすぐ入社9年目なんだけど、それでも未だに緊張マンの人見知りだから、こういうとき膝が震えていたりするんだぜぇ。

 要領の悪い説明をくり返してしまい落ちこむが、とにかく返事は企画書に目を通し後、いただけることに。うまくいくことを祈る。

★   ★   ★

 夜、残業しながら逐次ネットでナビスコカップ準決勝第2戦・浦和レッズ対ジェフ市原千葉の試合速報を確認。前半2対0。思わずヨッシャーと叫び、失禁しそうになるが、その後は沈黙。悲しい。

10月4日(火)

 衣替えどおり涼しくなるのはうれしいが、35度を越える猛暑との差があまりありすぎてとても身体がついていかない。それでも風邪もひかないのは、営業たった一人というプレッシャーからかそれとも「健康保険証を10年以上使っていない」が理由で採用された人間だからか。

 ただいま夢中で読んでいるのが、ちょうど未来の世界がもっと高温化し、炭素を基本にした経済が出来、東京はCO2削減のため、品種改良された翠に覆われ、その上に新らしい東京が建造され…って、この文章を読んでいる人もまったく理解できないだろうけれど、読んでいる僕自身もイマイチ理解できないまま、それでも信じられないくらい面白い『シャングリ・ラ』池上永一著(角川書店)である。万人受けする小説ではないだろうけれど、とにかく今のところ個人的に今年のベスト1独走であった『告白』に迫る面白さ。ああ、仕事なんてしている場合でない。

 しかし本当にサボると家族が路頭に迷ってしまうので、ここはグッとこらえ『作家の読書道』の見本を持って取次店廻り。大阪屋さんや太洋社さんで「あっ良い本ですねー。装丁もキレイだし」なんて言われ、思わずうれしくなってしまう。売れてくれるといいんだけど。

★   ★   ★

 先日とある飲み会で出会ったコミック担当の書店員さんの話が、ずーっと頭を駆け回っている。

 コミックの仕入は、書籍の仕入より雑誌の仕入に似ているようで、出版社が指定部数書店さんに納品するような出版社ランクではなく(出版社ランクが使える出版社は限られているが…)、取次店さんのランクによって配本されているようなのだ。

 そのランクを決定する大きな要因は、販売実績と返品率だそうで、返品率が上がれば配本ランクが下がる。すなわち欲しい本が欲しいだけ入らなくなるそうで、それは書店さんにとって一番恐ろしいことである。

「だからですね、新刊一覧を見て全部の注文部数を決めるのに10時間くらいかかるんですよ。過去のデータを見て、いろんな情報を仕入れて。返品率15%以内を達成するためには、ほんと無駄のないようにしないと無理なんですね。常に今月何箱返品したか、あの本がちょっと多かったとか頭で計算してます」とその担当者さんは話される。

 例えばその返品率が20%を越えたらひとつ下のランクに下がるそうで、そうなると前述したとおり50部欲しかったコミックが40部しか入荷しなくなり、それは結局10部の販売ロスになり、それはまた10人の読者がお店から離れていくことに繋がるという。

 またコミックはとにかく発売日が大切だそうで(売上は日が経つにしたがって半分半分半分で下がっていくと話されていた)、この飲み会の日はちょうど人気コミック『ベルセルク』三浦建太郎著(白泉社)の発売日だったのだが、この担当者さんは朝7時に出社し(開店は10時)、お客さんが見逃すことのないよう各場所に平積み展開の準備していたそうだ。

 うーん、シビアだ…。

 もちろん文芸書はコミックの巻数ものように前回実績がそのまま使えるわけではないし、発売日にきっちり売れるような状況じゃないかもしれないが、「仕掛け販売」の名の下に、単品大量発注、大量返品が多くなっていると聞くし、しかも人出不足のせいか新刊納品された本が、そのまま台車の上に下手すると半日くらいお置きっぱなしになっている書店さんもあったりで、いやよく考えたら書籍には明確な発売日もなく、何だか未だに頭のなかをグルグルとこのとき交わした会話が廻っているのである。だから何だというわけでもないんだけど…。

10月3日(月)

 本の雑誌社営業部では、地方小出版流通センターさんのことを略してセンターと呼んでいる、って浜田とふたりだけの会話上のことなんだけど。

 で、本日。「センター分」と言って、短冊を渡そうとしたら、無意識に「セレッソ分」なんて言ってしまった。どなたかJリーグ傷心男を癒して下さい。

 先週今週と目の回るような忙しさ。
 なぜか関西出張に行ったり、飲み会が週に3回もあったり、荒木の送別会があったり、『作家の読書道』の事前注文〆切だったりで、久しぶりにタイトな状況なのだ。

 誰にも時間は24時間しかないので、直行で書店さんに向かい、掟破りの開店同時営業なんてことをしてしまう。ご訪問した書店様申し訳ございませんでした。

 そんななか新人編集者・藤原力が初めて作った『作家の読書道』の見本が出来上がってきた。その見本を片手に感慨深げに藤原が呟く。

「できちゃうもんですね」

 そうなんだよ、藤原君。本を作るのはとっても簡単なことなんだよ。でもね、商品になる本、それから売れる本を作るのはとっても大変なんだ。

 これから場数を重ねて、アンテナ広げ、いろんな人に会って、さいたまスタジアムの近く、浦和美園に新社屋が建てられるくらい頑張ってね。

 いやはやそれにしても『作家の読書道』はかなり良い仕上がりだと思われる。WEB上とはまた違った印象だし、これは絶対手に持っていたい。どうにか新人編集者のためにも、営業として頑張って売りたい1冊になった。

 うぅ、俺は優勝したいんだよ~。

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