ゴールデンウィーク前のこと。中井の伊野尾書店を訪問すると、店長の伊野尾さんから「あっ今から神田村に仕入れに行くんですよ。もし時間があるなら一緒に行きませんか?」と魅力的な誘いを受けた。神田村というのは神保町界隈にある小さな取次店さんの総称で、都内の書店さんは急ぎの商品や大手取次店に発注してもなかなか手に入らないような本をこちらで仕入れていたりする。以前から神田村の話は聞いていたのだが、実際、覗いたことはなかった。その日は都合良くそれほど急ぎの仕事もなく、というかチビ版元のひとり営業なんていつも急ぎの仕事なんてないわけで、二つ返事で了解し、伊野尾さんの車に乗り込んだのである。
中井から早稲田通りを通って神田村へ。意外と道は空いていてあっという間に到着。まず向かったのは日書連の建物。もしかして若手書店員代表として何か意見を申しにいったのかと思ったらビニール傘を仕入れに来たそうで、「ほら、うちは地下鉄の出口の脇にお店があるでしょ。だから売れるんですよ」と伊野尾さん。なるほど傘はここで売ってるのね。
次は大洋社の店売へ。1階には新刊がずらっと並べられていて、一見、普通の本屋さんと変わりない。伊野尾さんは手にした短冊を眺めつつ、該当する本を抜き、他にもめぼしい新刊がないか真剣な表情で店内をうろつく。その日は『鹿男あをによし』万城目学(幻冬舎)の重版がちょうどあがった日らしく、平台の一番良いところに10数冊積まれていた。
「あっ」と嬉しそうに伊野尾さんが手を伸ばす。
僕はてっきりガバッと全部取るのかと思ったら3冊のみ。
「そんなもんでいいんですか?」と聞くと、「まあ」と呟く。そうなのか? もっと売れるんじゃないか?なんて勝手に想像してみるが、そうじゃないのかもと考えを改める。
なんていうかもっとシビアなのかもしれない。この神田村の取引は、通常取引のある取次店との取引ではないから現金商売なのだ。だから伊野尾さんはこの後、腕に抱えた本をレジに差し出し、お財布からお金を出し購入したのだ。それは当然返品できない「買い切り」を意味するわけで、ならば売れるかもの部数ではなく、売り切る自信のある部数の発注になるのは当然か。そういえば、町の本屋さんを廻っていると多くの店長から「俺たちは、そんな無謀な発注しないって。売れる数わかるからさ。だから買い切りにして指定にしてもらった方がいいよ」なんて意見を聞くんだよな。
またこの辺の感覚の違いは町の本屋さんと大きな書店さんの違いかもしれない。というのは町の本屋さんは、不本意かもしれないが、本が「ない」というのをお客さんに伝えるのにそれほど恐怖感がない。お客さんだってなくたってそうは怒りはしないだろう。ところが大きな本屋さんはそうはいかない。「わざわざここまで来たのに」とお客さんから怒られるし、隣のライバル書店にその売れ筋商品があったらたまらない。うーむ、これは役に立つ社会科見学だ、と必死にサボっているわけじゃないぞ、と自分に言い聞かす。いや笹塚方面に向かって呟く。
次はすぐ近くの八木書店へ。こちらはてっきり古本だけ扱っている取次店さんなのかと思っていたのだが新刊がしっかりあって、不勉強を恥ずかしく思う。結構人文書のシブイものが並んでいたので「こんなんどうですか? 面白いですよ」と調子に乗って伊野尾さんに薦めるが、「それは大きな本屋さんで買ってもらいましょう」と、ここでも無理はしない。
その後は官報で急ぎの客注を抜き、神田村の核心である東京堂書店の裏手にまわる。まるで普通の町の本屋さんのようなたたずまいなのだが「一般のお客さまには販売しません」の札が堂々と掲げられている。この感じどっかで見たことがあるぞ、と思ったら、そうか小学生時代にガンダムのプラモデルが買えなくて、御徒町かどっかの問屋街を歩いたときの雰囲気だ。そこにあるのに買えない、あの悔しさ。僕は大人になったら問屋に入れる人間になろうと固く決意したのであった。
これらの神田村の中小取次店には得意ジャンルというか、取引している出版社が微妙に違っているようで、○○は角川の新刊が入るんだよねとか、××は文春があるからさ、なんて毎日神田村をバイクで仕入れに行っている飯田橋の深夜ブラス1の浅沼さんが話していたっけ。
そのせいなのか、伊野尾さんもまるで目的買いをするような感じで、いくつもの取次店を廻り
、目当ての本を仕入れていく。とある取次店から出てきたときちょっと悔しそうな顔をされていたので「どうしたんですか?」と聞くと、「いやー新潮文庫の『憑神』浅田次郎著と『深追い』横山秀夫著が欲しかったんですけど、前の人に取られちゃって。他のはみんなあるんだけどなぁ」と。なるほどここはここで書店さんが生に在庫の奪い合いをしているわけか。それにしても浅田次郎や横山秀夫はやっぱりベストセラー作家なのだと実感する。
最後に立ち寄った取次店は、間口の狭い取次店さんだったので、僕は伊野尾さんの車の前でしばし考える。
例えば僕が本屋さんに客として行くする。その際、購入するのは当然ながら自分の欲しい本だ。どんなに頑張っても息子に小学館の図鑑NEOの『のりもの』を買ってやるか、妻に『田中宥久子の造顔マッサージ(DVD付)』田中宥久子著(講談社)をプレゼントするくらいだろう。
それでできれば二人に喜んでもらいたいし、妻にはありがとうと本の代金といくばくかの交通費をいただけたら幸せだ。いや金、金、いうような奴だと思われたくないので、その日の晩は発泡酒ではなくビールを注いでもらいたい。
いやそういう話でなく、とにかく普通、人が本を買うのは自分のためだ。当たり前だ。しかし本日伊野尾さんが購入した(仕入れた)本はすべて自分のためでなく、他人のためだ。この誰かのために本を買い、それが目の前で売れていくというのはかなりの快感なのではないかと思うのである。
そんな難しいことでなくって全然難しくないか。なんていうか人間みんな買い物欲というのがあるではないか。僕はまだまだ本が買いたいし、買ったら気持ち良い。でも欲しくない本は買えないし、お金もない。それが本屋さんになれば仕入れで解消し、なおかつその仕入れたものが売れるというのは二重の喜びを生むのではなかろうか。
そういえばとある書店のコミック担当者さんが、某出版社から引き抜きの誘いを受けたときに話していたのがこんなことだ。「出版社はさ、自社の本しか売れないじゃん。でも書店はすべての本から選んで売れるんだよね。その醍醐味は手放せないよね」と。
おそらくこの辺にも書店という仕事の面白さの秘密が隠れているように思う。
最後の取次店から伊野尾さんが出てくると片手に妙に赤い本が握られていた。
「杉江さん、いります?」 その本は『決定力 なぜ日本人は点が取れないのか』福田正博著(集英社)だった。「おお!出たんですね!」とあわてて財布を出し、その場で購入。その瞬間、伊野尾さんは出会ってから一番素敵な笑顔になった。まさに書店員の顔である。「楽な商売だなぁ。もう1冊店で売りたいから仕入れて来ますよ」
うーん、やっぱり面白そうだな。夜、バイトしようかな。伊野尾さん、時給は本の雑誌助っ人価格720円でいかがでしょうか? 試用期間は3ヵ月その間は680円で可です。そんな甘くないか。スミマセン。