WEB本の雑誌

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7月30日(月)

週末に親友シモザワと相棒とおる一家と海水浴に行ったせいで、身体中が痛い。どうして日焼け止めを塗らなかったのか。もう35歳なのに……。いやすっかり忘れていたが、今日で36歳ではないか。ハッピーバースデーオレ&松村。編集の松村とは誕生日が一緒なのだ。しかしそんなことより背中が痛い…。

ちなみに本日より社長の浜本は夏休み。すなわち僕らも夏休み。「あれどこいった?」「忘れてた!」そんな声が聞こえてこないだけで、僕らにとっては夏休みなのだ。仕事が捗る捗る。

そういえば昨年は社長以外正式な夏休みが取れなかったっけ。そのことについて当の浜本に不満を伝えたら「君たちも社長になれば夏休みが取れる」といわれたのだ。アホか。

大雨のなか営業に…と思ったら、突然止んだ。
『シャーロック・ホームズ万華鏡』北原尚彦著の営業が佳境を迎えているので、新宿、池袋、埼玉と彷徨き、誕生日記念に直帰する。

★   ★   ★

その帰宅途中、自宅近くのスーパーの前で、小さな女の子がスキップして歩いていた。手元には小さな手提げとスーパーの袋が握られている。おつかいかな?なんて思いつつ、追い越そうとしたら、なんと自分の娘ではないか。

「おい!」
「あっ、パパだ。早いね、今日は」

娘は珍しく早く帰った私に抱きついてきた。

「ひとりで何してるの?」
「えっ、秘密だよ」
「うん。ママに内緒ね」
「違うよ、パパに内緒だよ。あのね、今日パパの誕生日でしょ? でもママが生クリーム買うの忘れちゃったんだって。だから私が買いに来たのよ。」
「いつもしてるの? おつかい」
「うんうん今日が初めて。でもすぐ生クリームの場所、わかったよ」

娘は、私が押す自転車の前を相変わらずスキップで歩いていく。

娘よ、振り向くなよ。振り向くと、パパ、泣き虫って呼ばれちゃうから。

7月27日(金)

親友シモザワと出会ったのは高校の入学式で、その日の出来事は2003年1月10日の日記に書いたので、ここでは繰り返さない。

お互い、下手くそなサッカー部員であったこと、尾崎豊の「ハイスクール・ロックンロール」を歌いながら登校してくるところなど、共通点がたくさんあり、気づけば毎日のように学校を抜けだし、駅前の喫茶店でサボるようになっていた。

ほとんど学校にいない高校生活が終わり、僕たちは大学受験に失敗した。ほかにやることもなかったので、浪人生活に突入したが、なぜか予備校は別々だった。それでも毎日のように、お互いが乗り換える秋葉原駅の改札で待ち合わせ、ふたりで東武伊勢崎線に乗って帰宅していた。その頃つき合っていた彼女はいつも僕にこう言っていた。

「シモザワくんくらい、私のこと愛してよ」

それはどだい無理な話だった。なぜならシモザワといるときは言葉がいらなかったからだ。

★   ★   ★

そんなある日、いつもどおり二人で帰宅しているとき、僕はぽつりと国語の成績が上がらないことを嘆いた。このことも以前書いたが、シモザワは笑いながらこう答えた。

「そんなの当たり前だよ、お前、本読まないじゃん。」

そういえば国語の得意なシモザワは、秋葉原駅での待ちあわせの際、なんだかいつも小さな本を読んでいたっけ。

「だって面白くねーじゃん。ダザイオサムとかナツメソウセキとか。みんなウジウジしてるだけだぜ」

それまで読書感想文用に読んだ、クソみたいな退屈な本の作家名を僕があげると、シモザワは「そういうんじゃないのを読めばいんだよ、これとか」といって自分のカバンから本を取り出した。

「『69』村上龍(集英社文庫)。無茶苦茶面白いって! それにこの人の『愛と幻想のファシズム』(講談社文庫)もね。杉江は絶対好きだよ」

地元の駅に着き、ひとりで本屋に向かった。それまでマンガ売り場しか行ったことがなかったから、その本屋さんにこんなに本があったのかと驚いた。「む」の棚を探し、シモザワが言った本を買った。『愛と幻想のファシズム』は上下本で、僕はそんな長い物語を今まで読んだことがなかったので、ちょっと躊躇したけれど、シモザワが薦めるのだから間違いないだろう。

家に帰り、当然ながらまったく勉強をする気になれず、ならばと本を読み出した。夕飯を食う以外一切部屋を出ず、僕は、3冊の本を読み終えていた。

本って面白いじゃん。そしてもしかしたらジンセイってやつも面白いんじゃん?

その朝、僕は両親に予備校を辞めることを伝えた。大学に行ってもしたいことがないことに気づいたからだ。

W大学の付属校に行きながら祖父の会社の倒産で大学進学を諦めた父親は、怒鳴ったり泣いたりしながら説得してきたが、僕は聞き入れなかった。母親は、プータロウは一切認めないと言い切り、1ヵ月自宅に居た場合に必要な金額を計算し、請求書を渡してきた。兄貴は笑いながら金の良いバイトを紹介してくれた。それは氷点下の工場で働く精肉加工業のバイトだったのだが、僕は翌日からそこで働きだした。とにかく本を買う金とどこかに行く金が欲しかったからだ。

その日の午後、僕は秋葉原駅でシモザワを待っていた。約束をしていなかったから、シモザワは僕を見つけてとても驚いたけれど、僕が予備校を辞めることを伝えても驚きはしなかった。

「お前には学校、似合わないもんな」
「そうなんだよな。学校大嫌いなのに、なんでまた行かなきゃいけないんだって気づいたよ。本に書いてあったじゃん、楽しく生きていない奴は罪だって」
「そうそう」
「オレ、楽しく生きたいんだよね」
「じゃあ、何が楽しいか探さないとな」

僕はその後、精肉加工業で稼いだ金で本とカヌーを買い、楽しそうな道を探して歩き出した。シモザワは1年後、大学に合格した。それ以降も僕たちは付き合い続け、本を読み続けた。そして「僕らの物語」を見つけると、お互いに薦めあった。

楽しく生きるために。

★    ★   ★

明日、シモザワと海に行く。
お互い二人の子供を連れて。

その荷物のなかに、僕は『映画篇』金城一紀著(集英社)を詰めた。

7月24日(火)

相変わらず書店さんを廻ると取次店日販の流通のシステムトラブルで大わらわ。各店日販の方が来ていて、謝ったり、必死に商品を手配されていた。

「こうなると売れてない棚と売れている棚がハッキリわかるよね」と補充が出来ず斜めに倒れている棚とまるで関係ない棚を指さし、とある書店員さんは苦笑いされていたが、とにもかくにも一日でも早い全面復旧を、書店さんも出版社も、なにより読者が待っている。

というか、先の見通しとかはどうでもいいから、今現在どういう状況なのかきちんと連絡してくれるとうれしい。そうすることによってこちらで現状出来ることに取り組めるではないか。特に今うちは『本を読む兄、読まぬ兄』が好調だっただけに、1冊でも売れるようできるかぎりどうにかしたいのだ。

まあしかしおそらくそれどころじゃないんだろうな。とりあえず出版業界の専門誌「新文化」(http://www.shinbunka.co.jp/)のニュースフラッシュを頼りに、現状認識。

しかし出版流通がこれほど脆弱なものだとは思ってもみなかった。それはシステムの問題というよりは、大きな書店さん以外1書店1取次という商習慣が、今回のような結果を招いたのであろう。

ふと気になって、家業である酒屋を継いだ子分のダボに電話してみる。

「またビール? 勘弁してよ。えっ? 違うの。何? うちが問屋とどう取引しているかって? あっ良かった。またビール無料で届けろっていうのかと思ったよ。えっとね、うちみたいな町の酒屋で、だいたい4,5軒の問屋と取引してるんだよね。例えばスーパードライとかモルツとかテレビでCMしているような商品はどこの問屋でも扱っているのね。でもそうじゃなくて小さな酒蔵とかワイナリーの酒は、それぞれ扱っている問屋が違うわけ。だからそういうもので欲しい商品があったらそこが取引している問屋とこっちも取引しなきゃいけないわけ。まあ酒蔵と直接取引することも最近は多いんだけど。あとさ、スーパードライとかも、それぞれの問屋で値引きがあったりすんだよね。何ケース頼んだらいくらひいてくれるとか。こっちもその辺を考えて今月はあの問屋からとか考えて発注しているよ。あと個別に値引きの交渉したり。1軒だけの問屋と取引? そんなの考えられないよ。なんかあったら大変じゃん。あっでもさ。酒類問屋も最近は大変で吸収合併が進んでるんだよね。だからそのうちそうなるのかなぁ。でも合併していくような大きな酒類問屋はうちみたいな町の酒屋は切り捨てていくから、やっぱり小さな問屋と取引していくことになるんだろうね。あっ関係ないけど、美味い梅酒入ったよ。今度持っていくよ。奥さんがいるときにね。だって奥さんしか金払ってくれないんだもん」

こういう他業種の話はとても勉強になる。

梅酒の金は一切払う気はないけれど……。

7月23日(月)

 朝イチで椎名さんに『大冒険時代 世界が驚異に満ちていたころ50の傑作探検記』マーク・ジェンキング編(早川書房)を見せびらかすと、「おお、オレのためのような本だな」とすぐ買いに走った様子。「本の雑誌」創刊からすでに31年も経っているのだが、椎名さんは相変わらず面白本に目がなく、この辺の変わりのなさを、僕は誇りに思って働いてる。

 身体を包み込むような霧雨のなか営業に出かけるが、大不調。というか夏休み初日ということでショッピングセンター系のお店は、レジに列が出来るほどの大にぎわい。うう、こんなときに送品ストップで……。

 その頃会社では、浜本のプリンターがトラブル頻発で、大変だったらしい。他のプリンターも社内ネットで繋がっているのだから、そちらからプリントアウトすれば良いのに、浜本は妙に目の前にプリンターにこだわり、やたら紙詰まりするプリンターに対して「てめーぶっ殺すぞ!」とか「次の回でうまくいかなかったらただちに燃やす」なんて大声を張り上げていたらしい。さすがの事務の浜田もその姿に恐れをなし、定時連絡の際に涙声で「帰っていいですか」と告白してきたほど。

 嗚呼、梅雨なんてろくなことがないな。

7月20日(金)

 リブロ池袋店の矢部さんを訪問すると「杉江くん、大変なんだよ。日販の王子流通センターが止まっちゃって」といきなり切り出される。止まるって? えっ、システム障害で送品ストップ? 大変じゃないですか?!

 というわけでその後どのお店を廻ってもこの話題でもちきり。何だか新刊や電話注文等の短冊が差し込まれているアナログな注文は動いているようなのだが、自動発注等のネット系発注がすべて止まっているとか。想像しただけでも背筋が凍るような出来事なのだが、まさか実際に起きるとは……。

 しかし最前線に立っている書店さんは「大変、大変」と騒いでいるだけでは当然いかず、すでに文庫の棚はガタガタになっているし、客注のお客さまに遅れることをひとりひとり連絡したり、あるいはきちんと稼働したときの大量送品に備えバイトを確保したりと大わらわ。って出版社への注文はどうなっているんだろう。保留なのだろうか、消失なのだろうか。そうなったらとんでもないことなのだが、連絡は来るんだろうか。おそらく来ないんだろうなぁ。とりあえず早期復旧を願うばかり。

なんてことをいろんな書店さんで話していたら、先ほどお会いした矢部さんから電話が入る。

「今さあ、新刊を開けていたら杉江くん好みの本が入ってきたからさぁ」

あわててリブロに戻ると矢部さんが1冊の本を掲げている。その本とは『大冒険時代 世界が驚異に満ちていたころ50の傑作探検記』マーク・ジェンキング編(早川書房)。(http://hayakawanonfiction.boxerblog.com/daibouken/wtepromo.html)

 うおー!! 600ページを超えるケース入り本なのであるけれど、ひと目みた瞬間に自分好みなのがわかりすっかり逆上。「今、買います。すぐ、買います」と大騒ぎしつつ、荷物になるのも考えず、即買い。これは同好の士である、椎名さんにも教えなくては。

 いやーそれにしても7月は、先日書いた高野秀行著『怪獣記』(講談社)にこれから金城一紀著『映画篇』(集英社)もでるし、僕にとってはリーグ制覇に天皇杯優勝にナビスコ優勝と三冠達成のような幸せな新刊ライン。すっかり財布が軽くなってしまったけれど、うれしいぞ!

7月19日(木)

午前中、デスクワークに勤しみ、午後から営業。

まずは紀伊國屋書店人宿本店のHさんのところに、資料をお届けにあがる。

するとHさんから「やっとできたんですよ〜」と『今月のイチオシ作家コーナー』である桜庭一樹さんの棚に連れて行かれ、『ようこそ魅惑の桜庭ワールドへ』というペーパーを渡される。

おお、制作中と聞いて楽しみにしていたのだ。早速、中味を拝見。桜庭さんのコメントに応援宣言、それぞれの著作へのコメントと裏面には4コママンガもついていて、いやはや例えA44つ折りの1枚ものとはいえ、作るとなったら大変だろう。

Hさんは「これだけ新刊点数が増えてくるとどうしても埋もれちゃうものもあるし、お客さんも選べなくなってしまうかも。だから、そういった中から面白い本を見つけ、紹介していくのが書店員にとって、今は大切な仕事なんですよ」と話される。

うーん、かつてはそういう役割を書評が担っていたような気がするのだが、書評は我らが「本の雑誌」を含め、新聞や週刊誌も意識的に読まなければ目にとまらないものだ。それが店頭であれば、不特定多数のお客さんに伝えることができるわけで、先日のブックフェアの講演で、オリオン書房の白川さんは「情報を発信することが大切」というようなことを話されていたが、まさにそういうことなのだろう。その情報はお客さんはもちろん、今度は逆に出版社にフィードバックされ、そのときあわせて白川さんが話されていた「情報は発信するところに集まる」という二重の構造を持っているのだろう。

ちなみにいつ頃からこういう「ペーパー」と呼ばれるものが出来てきたのだろうか。僕が覚えているかぎりでは、まだ青山ブックセンターにいた頃の高頭さんが、柴田元幸さんの講演&フェアに合わせて制作された「舶来文学柴田商店全点カタログ」が最初なのだが、それがここ数年、主にときわ書房聖蹟桜ヶ丘店の高橋さんが中心となってゲリラ的に結成される、道尾秀介応援団や森見登美彦応援団で一躍浸透し、好きな本を売るときにPOPは当然のアイテムで、それ以上にもっと強く推薦したいときのアイテムとして、広がっているのだろう。

そういえば高橋さんも桜庭さんのペーパーを作っていて、それには読書クラブにありそうな本のリストが掲載されていた。

そんな「ペーパー」を越えて、こちらはもはや雑誌なのではないかと思うほどの、完成度&面白さがあるのが、その後訪れたブックストアー談錦糸町店の『桜通信』である。こちらは「文芸担当シロー君の読書感想文〜これ読みました〜」と表紙に書かれているとおり、その月に読まれた面白本が、「本の雑誌」顔負けのぎっしりとした文字詰めで10数頁を使って紹介されている。そこから溢れてくるのはシロー君の本への愛と、鋭い読書観である。そして何より文章が面白い!

しかし毎月こんな立派なものを作るのは大変だろうと思うのだが、やはりそれは「本への愛」で乗り越えていると思われる。そうなのだ、結局ここに紹介したすべてのペーパーは、みんなみんな書店員さんの本への愛情で制作されているのだ。だからこそ著者にも受け入れられ、快く協力してもらっているのだろう。しかし裏返せばそのペーパーから聞こえてくる言葉がある。

「出版社の人間よ、本を愛しているか?」

7月18日(水)

 僕には、新刊が出たら、何もかも放り出し、すぐに読み出す作家が4人いる。

 ひとりは言わずもがなの、我らの作家・金城一紀で、金城さんは7月27日発売予定で『映画篇』(集英社)という新作が出るのだが、その日は当然仕事もせず、読書に没頭するスケジュールを立てている。

 あとの3人は、明治・大正時代の小樽を舞台に傑作『ちぎり屋』(講談社)などの時代小説を書き続けている蜂谷涼と南米やかつての日本を舞台に宮崎駿を越えるくらいファンタジックな小説『アマゾニア』(中央公論新社)を書かれている粕谷知世。残念ながらこのふたりの新作情報は届いていないが、もし発売になればその日は当然仕事にならないであろう。

そして最後の一人が我らがエンタメ・ノンフ(エンターテインメント・ノンフィクションの略)の提唱者でありその雄・高野秀行である。その高野さんの待望の新作『怪獣記』が、ついに書店に店頭に並んだので、早速購入。「臨時休業」の札を立て、僕は山の手線の人となり、一気に読み進むのであった。

前作『アジア新聞屋台村』が自伝的小説だったのだが、『怪獣記』はまさに高野さんの王道である怪獣探しである。こんなものを王道にしている人は、川口浩亡き後、おそらく日本には高野さんくらいしかいないと思われるのだが、その真剣さは、川口浩の比ではない。

そして名作『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)ばりの探索が始まるのであるが、今回は今までの作品と違って不在の証明をしにいくのがミソ。高野さんが追い求めているのは<未知の未知動物>であって、<既知の未知動物>ではない。だから未知動物(UMA)ファンの間で語り尽くされているトルコの怪獣・ジャナワールのビデオが偽物であることの真実に迫ろうと勝手についてきた写真家や留学予定の仲間とともに旅立つのであった。現地では、まさに高野さんの才能のひとつであろう「とんでもないことが向こうから寄ってくる」が数々待ち受けているのである。

高野さんの著作はすべてそうなのであるけれど、バカだぁなんて笑っていると突然とんでもない真実を突きつけてきて深く考えさせられるわけなのだが、『怪獣記』でも笑うセールスマンの喪黒福造なみに、いきなり「ドーン」と打ち込まれてしまった。

いや、そんな小難しいことはどうでもよくて、とにかく40過ぎの男が、真面目に怪獣を探しにいくそのおかしさをひとりでも多くの人に味わって欲しい。間違いなく傑作。大傑作。

と山手線を3周して感動していると、浜田からメールが届く。
「仕事してますか!」

ドーン!!! こんなところに未知動物がいたなんて!! 人間GPSハマダーだぁ。

7月17日(火)

3連休明けで、郵便物がたんまり届く。入社10年が過ぎ、前社長である目黒とじゃんけんをし、名刺には「部長」という肩書きがついたが、相変わらず郵便物の仕分けやコーヒーを入れたりみんなの机を拭くのは僕の役目だ。そういえば前の会社では「丁稚の会」というのを結成し、各部署で丁稚的仕事をしている人間で集まって酒を飲んでいたのだ。ようはそういう仕事が性に合っているのだろう。

その郵便物のなかにいつも楽しみにしている「地方・小出版流通センター通信」が入っていたので、すぐに開封し読み出すとなんと「書肆アクセス閉店のお知らせ」なんてトンデモナイことが報告されているではないか。

「 〜略〜 今回の決算報告、及び毎月の売上報告をご覧いただければおわかりと存じますが、売上が一昨年より急激に悪化し、今期2006年度においては、読者販売が−11.3%、書店卸が−44%となり、回復の見込みが立たない状況です。書肆アクセスの経営は、読者売り3分の2、書店卸し3分の1の粗利で維持されてきました。書店卸しは、本の取次街=神田村の『卸し機能』の集積を背景として成立してきましたが、大手取次店売の移転、中小専門取次の倒産や廃業、関東周辺の利用書店の減少、駐車規制による不便さの増大などの要因で激減の一途で、今後復調は困難と予測しています。同じく、読者販売面においても、同様なことが言えます。センター全体の経営に余裕があれば、アンテナショップ、パイロットショップとしてお店を維持したいのですが、今期決算報告の通り余裕のある状況ではありません。残念ですが、今年11月の『神保町ブックフェスティバル』を終えた時期を目処に閉じさせていただく存じます。〜略〜」(地方・小出版流通センター通信 NO.371より)

うう、これほど実直な閉店の報告もないと思うのだが、それにしたって残念でならない。あの他の書店では到底見つけることができない、そして自由と奥深さのある地方出版物の唯一の専門書店がなくなるなんて……。

神保町は今、必死になって町おこしをしているようだが、書肆アクセスやランダムウォークがないようでは「本の街」の魅力も半減だ。ガンバレ!神保町!! ガンバレ!アクセス!!

7月12日(木)

営業を終え、会社に戻ると、助っ人のアマノ君がお茶を持ってきてくれた。
「えへえへ、杉江さん、お疲れ様です。」

営業マンほど他人の愛想笑いに厳しい人種もいないと思うのだけれど、アマノ君はいつも僕に愛想笑いで近付いてくる。

「お前その『えへ、えへ』つうの辞めろよ」
「いや、あの、決して愛想でなく、杉江さんに対しての親愛の情でして。その親愛の情がより一層募ったことがあるのですが、お話してもよろしいでしょうか?」

愛想笑いにプラスして、丁寧なのかバカにしているのかわからない、こんな話口調もアマノ君の癖である。

「あのですね。杉江さんが先日、それは6月29日だったと記憶しているのですが、ホームページの日記で、『逝きし世の面影』渡辺京二著(平凡社ライブラリー)を帰ってかえられたと書かれていたではないですか。実はその全く同じ日に僕も『逝きし世の面影』を買っておりまして、いやー、新刊ならともかく既刊書で、こんなことがあるのか、これぞ運命のいたずらなんて感激した次第なんです。」

「マジ?」

「マッ、マジです。運命感じますよね」

いったい何の運命なのかわからんけれど、珍しいことであるのは間違いないだろう。しかもこのアマノ君、読書傾向がまったく本の雑誌的でなく、助っ人との飲み会で本の話をしていると「どうせエンタメでしょ?」なんてくわえタバコで、そっぽを向いてしまうのだ。

そこで、ふと、そういえば今読んでいる本もアマノ君向きかもと思い、カバンから取り出す。

「アマノ君さぁ、これ面白いんだよ。1974年に、ほとんど団地の子供たちが通うために出来た新設の小学校でどんな教育が行われていたか……」

するとアマノ君、突然、僕の持っていた本を奪い取り

「す、す、杉江さん、これ昨日まで僕が読んでいた本ですよ。『滝山コミューン1974』原武史著(講談社)ですよね。これ、ハンパないっすよね。やっぱ運命感じちゃうなぁ」

★    ★    ★

『滝山コミューン1974』原武史著(講談社)は明治学院大学国際学部の教授にして政治学者である著者が、その小学生時代に受けた班活動を中心とした全体主義的な教育への違和感を、今改めてその時代をともにした同級生や先生に取材をし、問い直すノンフィクションである。

僕とは9歳違いなのであるけれど、このなかで行われている教育法は、僕の時代も引き続き行われた教育であり、僕自身も幼きときから団体行動が苦手で、班や委員会、あるいは合唱や林間学校のキャンプ・ファイヤーなどから距離を置き、その結果ダメ生徒の烙印を捺されてしまったのであるけれど、それが実は全国生活指導研究協議会というところが推奨する教育法だったのだと知り、初めて“敵”がどこにいたのかわかったのである。

そして、その実体に迫るあたりは、同じ時代に生きた人間ならばかならず息苦しくなるような、あの学校の姿であり、そういう意味で非常にスリリングである。そういった教育を受け入れるにしても、拒絶するにしても、どちらも自分を形作る上で大きな爪痕を残しているわけで、現にその教育の中心にいたと思われる同級生の告白は胸に迫る。

またそういった学校の中の出来事とともに、その学校があった団地という社会が(僕の家の近所にも大きな団地街があった)どのようなものであったのか、鋭く迫っていくのである。

いやー、アマノ君じゃないけど、ハンパない1冊。
同年代の人には是非ともオススメの硬派ノンフィクション。

7月11日(水)

新宿のK書店さんと御茶ノ水M書店さんを訪問後、常磐線を営業。

推薦されている本人のお店で、第3回酒飲み書店員大賞ノミネート作品である『とうとうロボが来た!』QBB著(幻冬舎文庫)を購入し、早速読み出すが、小学生男子がもつ、あのおかしさが、あまりに具体的に書かれているので、電車のなかで吹き出してしまい、あわててページを閉じる。オレもやったよ、コンセントにニクロム線突っこんで爆発させたこと。

とてもじゃないが、電車のなかで読めるような本ではない。

その夜、酒を飲んで帰宅し、家で読む。
あまりのおかしさに、座椅子を蹴飛ばし、エビのようにくの字になって大笑いしていると、寝ていた娘に「いい加減にしなさい!」と怒られてしまった。

7月10日(火)

 本の雑誌:8月特大号搬入。

 今月の特集は上半期ベスト10なのだが、そのなかに我が上半期ベスト1、しかもブッチ切りの1位に輝いている『ミノタウロス』佐藤亜紀(講談社)が入っていないではないか。思わず「書評誌の恥だぁ〜」と叫んでしまったが、同月号の新刊めったくたガイド欄で、永江朗さんがバッチリ紹介してくれているし、牧眞司さんもちょっと触れているし、石井千湖さんも私のベスト1で推薦されているので、まあ、ここはグッと我慢。年末のベスト10は、僕ら社員も参加できるので、ここで一発逆転を狙おう。

 午前中は単行本や雑誌の企画打ち合わせ。作りたいものや、やりたいことがいくつかあるのだが、それが会社の方向性と合うとは限らない。浦和レッズ本しかり。この辺の壁を打破すべきなのか、しないべきなのかしばし悩む。

 まあ、どっちにしても本が売れないかぎり楽しいことのない営業マンとしては、売れる本が欲しいだけなのであるけれど。

 午後から外に飛び出す。

 有隣堂ヨドバシAKIBA店さんを訪問すると、文庫の夏100フェア棚の脇に、有隣堂東京エリアセレクトの文庫が6点並んでいるではないか。そしてその横には秋葉原店独自の推薦文庫もあり、夏100を一層盛り上げている。

 担当のIさんに話を伺うと「どこのお店にいってもある夏100だけでなく、ここにしかないものを提案できれば」と東京エリアの担当者さんで話あってセレクトしたとか。一見同じように見えるかもしれない本屋さんも、こうやっていろいろと個性を打ち出しているのだ。

 また有隣堂さんといえば色が選べるカバーなのだが、今年はなんと夏限定のカバーが登場したようで(http://www.yurindo.co.jp/info/color_cover.html#asagi)書皮マニアの方はぜひ手に入れたいアイテムなのではなかろうか。

7月9日(月)

 通勤読書は成田本店とわだ店の櫻井さんが上半期ベスト3本だぁーとファックスを送ってきてくれた『ランナー』あさのあつこ著(幻冬舎)。

 こちらの作品は担当編集のS君が、元・本の雑誌助っ人ということでゲラを送って来てくれていたので、そのゲラで読んでいたのだが、単行本になったので、改めて読みなおす。

 高校の陸上部に入った主人公・碧季と家族の物語だが、『バッテリー』よりも陰が濃く、読み進めるのがつらいシーンがいくつかある。また同じく陸上をテーマにした『一瞬の風になれ』佐藤多佳子著(講談社)や『風が強く吹いている』三浦しをん著(新潮社)の両著ともまったく違う陸上小説である。

 そして『バッテリー』(教育画劇、角川文庫)で野球を扱ったあさのさんがなぜ今度は陸上なのか、それも長距離走なのか? それが読みはじめたときの疑問だったのだが、読んでいる途中で、これはもしかして、走ること=生きることをかけたのではないかと思い、物語のなかの「走る」を「生きる」に置換して読み直すと、これが猛烈なメッセージ性をもつ小説だと気づかされる。特に同級生・久遠の言葉が、胸に響く。誤読かもしれないけれど……。

 昨日の朝日新聞書評欄で6月の新刊『本を読む兄、読まぬ兄』が紹介されたので、朝から電話注文の応対やらチラシ作成なぞでバタバタしてしまう。

 いつぞや同じコミック紹介欄で取り上げていただた『千利休』清原なつの著のように、版を重ねられるとうれしいのだが。というかこうやって注文に追われるのは本当に楽しい。

7月6日(金)

 4夜連続の飲み(打ち合わせ、座談会、飲み会×2)をフラフラになって乗り越え、ついに金曜日を迎える。よく頑張った。伊坂幸太郎もいけるけど、僕もまだまだ行けるんじゃないか。でも今日は早く帰ろう。明日は本の学校分科会で司会をしなきゃいけないし。というわけでバタバタと仕事をする。

 紀伊國屋書店新宿本店さんを訪問し、やっとできあがった資料を渡そうと思ったがKさんは不在で残念無念。しかしお店のメインの入り口右手に「今月のイチオシ作家」なんて棚がいつの間に出来ていてビックリ!

 そしてそこには「今月のイチオシ」の桜庭一樹さんの作品がPOP付きで並んでおり、いやはやこういう棚は良いなぁとしばし眺める。来月は誰だろうか? 久しぶりに新刊の出る金城一紀さんだろうか、それとも今月中旬に傑作『怪獣記』が発売となる高野秀行さんだろうか、ってそれは僕の「今月のイチオシ」か。

 丸の内線に乗って東京へ。

 八重洲ブックセンター本店さんを覗くと、「“裏”『新潮文庫の100冊』」なんて面白そうなフェアが開催されているではないか。こちらは八重洲ブックセンターの店員さんと日経おとなのOFF編集部、北上次郎氏がセレクトした独自の新潮文庫100冊だそうで、あのパンダがチョイ悪に着飾っているのには大笑いしてしまった。

 最近の夏100は新しめのエンタメ色が強いが、こちらの裏100は古典名作が多く、本来の夏100ってこうじゃなかった?なんて気がしてくる。うーどっちが裏だかわからん。

 ちなみに担当のKさんにお話を伺うと売れ行きもかなり好調だそうで、今現在一番売れているのは『浅草博徒一代』佐賀淳一著だそうで、井上ひさし著『吉里吉里人(上)』もガクッと減っていた。

 ときわ書房さんも独自の夏100を作っていたりするけど、やっぱりこういうのは面白い。

7月5日(木)

 営業を終え、渋谷へ向かう。
 本日はA書店のFさんとNさんの異動を励ます会なのだ。

 わあわあ盛りあがりつつ、皆さんの出身地話になったとき、なんと同席されていた吉っ読のK書店Oさんが埼玉というではないか。「どの辺ですか?」「M町なんですけど」「えっ? 僕、春日部なんですよ」なんて会話を交わしているうちになんと高校の同窓生だということが判明する。

 僕とOさんは6歳違いなので、校舎で会うことはなかったのだが、いやはやこの業界で初めて高校の同窓生に会ってしまった。「変なダンスがありましたよね」「K高ダンスでしょ? 八の字ステップ練習されたよね」と夜が更けるまで盛り上がってしまったのである。

 ちなみに吉祥寺の書店さんが集い新たな本の販促に挑む「吉っ読」は、なんとこんなパンフレットとともにホームページ(http://www.kichi-yom.com/)が出来ているそうで、もう間もなく夏の文庫フェアが始まるだとか。吉祥寺に注目だぁ!

7月4日(水)

 通勤読書は、我が後継者・ウェイン・ルーニーの自伝『悪童自伝 物語は始まったばかり』(ランダムハウス講談社)。昨シーズンまではやたらとカードを貰い退場するイメージがあったが、今シーズンはグッと成長し、マンチェスター・ユナイテッドのリーグ優勝に大貢献したルーニー。何だかもうベテランや中堅のイメージがあるけれど、彼はまだ21歳の青年と呼ぶにも早いような若者で、ならば世間知らずの「悪童」なのかというと、自伝を読む限りとっても謙虚でのんびり屋さんのようだ。

 以前読んだロイ・キーンやガスコインの自伝は、まるでロックンローラーのような強烈な個性の固まりだったが、こちらはビックリするくらい普通の青年である。ならば面白くないのかというとそうでもなく、鏡を前にしてハゲに悩んだり、通常は朝7時30分に目覚ましをかけ…なんて律儀に生活が綴られていて、プレミアのスター選手が意外と地味にそして単調に暮らしていることがわかり面白い。しかし21歳で自伝が出る人生というのはすごい。そしてルーニーの今後が非常に楽しみだ。

 また同じくサッカー本として読み始めた『日本人よ! 』イビチャ・オシム著(新潮社)は、自著であるので期待したのだが、本人が語る「オシムの言葉」は例の「オシムの言葉」でなく、普通の言葉であった。書かれている内容は今まで方々で語られてきたオシムのサッカー感であり、特に驚きはなく、まあオシムのサッカーを知るにはちょうど良い入門書ではあるだろう。しかしこういうタイトルを付けるのがよくわからない。サッカー本では売れないから、日本人論、あるいはビジネス書のようなところの市場を狙っているのだろうか。そうならば、何だか哀しい。

 ただいくつか気になって点があって、やたらFC東京の平山の名前が挙がるのだ。それは期待していることの裏返しなのか、そして日本人化といいつつもやはりデカイのが必要なのかと疑問に思うのと、我が浦和レッズに関して、世界の潮流の良くない部分(勝つことを重用しし過ぎるサッカー)として論じていることだ。

 まあ確かに田中達也復帰以前の浦和レッズのサッカーはそういう部分があったかもしれないけれど、今はボールも人もかなり流動的に動くようになっており、そして何よりオシムが嘆く日本人の大人しさを超越したチームであることを忘れてはいけない。鈴木啓太はポンテや山田に遠慮せず怒鳴っているし、ポンテとワシントンがつかみ合いになりそうなこともあった。しかしそれはすべて勝利のためであり、岡野雅行はそんなチームを「98年のW杯予選のときに似ている」とたくましく思っているそうだ。

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 営業は小田急線。

 本厚木の有隣堂さんを訪問すると、文庫各社(新潮社、角川書店、集英社)の夏100フェアに合わせて「有隣堂厚木店スタッフが選ぶ2007夏の文庫ベスト39」なんて手製のパンフレットが置かれていて早速いただく。こちらは各社の夏100のなかからお気に入りの文庫を手書きPOPつきで推薦されているのだが、文庫夏100といえば各社力の入ったフェアだから何もしなくてもそれなりに売れるだろうが、そこにこうやって一手間かけるというのがうれしいというか、書店さんの魂を感じてしまう。

 また町田に移動してから伺ったH書店さんでは、新潮社の文庫の販促の仕方の上手さをC店長さんから伺う。それは今になって爆発ヒットしている志水辰夫著『行きずりの街』に合わせて、他の既刊本にも帯を付けてきたり(『情事』の売れ行きがダントツだとか)、本屋大賞発掘部門の投票から『家族八景』筒井康隆など3点にコメント入り帯をつけたり、また城山三郎さんがお亡くなりなったときも追悼帯を用意したりと、こういう点に関しては群を抜いているだろうとのこと。なるほど、なんて頷いていたら「本の雑誌社も人のところの本を売り出すばかりでなく、自分のところで売れる本をしっかり作らないとね」なんて言われてしまった。ぐさっ!

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夜は西荻のK書店さんと往来堂さんを見学し、酒。
書店員さんは他の書店さんを見るときどういうところに注目するのかと思っていたら、Kさん入るなり「この什器良いねぇ」と呟く。ああ、やっぱり全然見るところが違った。しかもお互い店長さん同士だから、話す内容もシビアで、賃料や人件費など、まさに経営の話で、非常に勉強になった。

7月3日(火)

 コーヒーをいれようと思ったら給湯室にうなぎパイがあった。新幹線に乗れば車内販売でその名を聞くが、目の前にうなぎパイがあるという状況は、私が子供時代、父親が出張や社員旅行から帰ってきたとき以来ではなかろうか。特別うまいと思ったこともなければ、食べたいと思ったこともない、意識するような食べものではないと思うのだが、ならばなぜここにうなぎパイがあるのだろうか。

 コーヒーがドリップから落ちるのを眺めつつ、しばしそんなことを考えていると「杉江さん、それ私のおみやげ。食べてくださいね」と事務の浜田がいう。おみやげ? 君は週末に名古屋に行っていたのではないのか? と聞くと「わたし、うなぎパイ、大好きなんです。自分用にはVSOPっていうスペシャルな奴を買ってきて、今、家で食べてるんです。夜のお菓子うなぎパイ、ぐへへへへ」

 通常34歳未婚の女性に「わたしうなぎパイ大好きなんです」なんて言われたとしたら、それが例え午前9時47分の告白だったとしても、妄想が脹らみ、ある種興奮状態に陥るのではなかろうか。しかし私はそんな状況にはまったくならず、コーヒーを見つめたまま、田中達也復帰後の浦和レッズについて考えていた。それが浜田に問題があることなのか、私自身に問題があるのかはわからない。

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今まで「どんなジャンルが好きですか?」と聞かれるのが結構ツライ質問であった。エンタメ小説や時代小説を好んで読むけれど、それはジャンルが好きというよりは、その作家が好きだったりするし、SFもミステリーも読みはするけれど、こちらもジャンルとしては読んでいない。

いや根本的にいうと実はそんな小説が好きではない。小説がなくてもおそらく生きていける。だから本屋大賞に関しても運営には真剣に夢中になって取り組んでいるが、何が選ばれるかとかそういうことはそんな興味がなかったりする。対岸の出来事って感じか。

ならば好んで読むのはノンフィクションなのだが、そういうと人は社会派ノンフィクションを思い浮かべるようなのだ。いやそうではなく僕が好きなのは笑いつつ本質に迫るようなノンフィクションなのだが、なかなかそれが伝わらない。

例として著者を挙げるならば『幻獣ムベンベを追え』(集英社文庫)の高野秀行さんや『晴れた日は巨大仏を見に』(白水社)の宮田珠己さん、その路線を深く辿れば我らが編集長・椎名誠がいるのだが、じゃあ果たしてこれらの人達の作品をどう呼べばいいのかわからない。書店にもそんな棚はないし、それどころか著者で集めてもらえもせず、著作が方々の棚に所在なさげに押し込まれているのである。

そんなところに本の雑誌7月号で、高野秀行さんがノンフィクションの世界にも「面白い読み物であることを第一義にした『直木賞的ノンフ』ー私が呼ぶに『エンタメ・ノンフ』があり」と新たなジャンルを提示してくれたのである。

 この原稿を読んだ瞬間、僕は雷に打たれたような衝撃を受け、「あっ、オレが好きなのはエンタメ・ノンフだったのだ!」と叫んだのであった。まさにアメリカ人が肩こりという言葉を知った瞬間に肩こりになるというようなもので、僕はその瞬間にエンタメ・ノンフ・マニアであり、略してEN者になったのである。

 ならばこのジャンルの発展と拡大に貢献しなくてはならない、いやそんな大袈裟なことでなく、とにかくエンタメ・ノンフの旗を高く掲げなくてはと、バタバタと本の雑誌編集部チームに殴り込みをかけ、「スマンがエンタメ・ノンフの特集をやってくれ」と殴るのはマズイので、足をバタバタして駄々をこねてみたのである。すると浜本も松村もあっけなく同意してくれ、何とこの夜「緊急座談会 エンタメ・ノンフの棚を作れ」が開催されたのである。

 座談会の出席者は、ジャンルの名付け親である高野秀行さんと書評界で「変な本好き」とくくられていた東えりかさん、また新進気鋭エンタメノンフ評論家某氏と僕である。とにかくこれぞエンタメノンフだと思うものを持ってこいというので、今までほとんど誰にも見せたことのないお気に入りの本を持って座談会にのぞむと、僕のような甘チャンが持っている本は、ほとんど全員読了済みで「これ面白かったよね〜」なんて言うのである。また他の人の推薦本も誰かしらは読んでいて、大いに盛り上がり、こちらも思わずその本のことを知らずに過ごした人生を悔やみつつ、あわててメモを取るの繰り返し。嗚呼、生まれて初めてこれらの本で盛り上がれる。こんなときが来るとは思わなかったぞ。

 そうか、そういうことだったのか。SFファンやミステリーファン、あるいは古本者が妙に集まって、酒を飲んだり、会を開いたりしているのが不思議だったのだが、自分の好きなジャンルの本で語り合えるってのは、とても幸せなことではないか。この日も結局、座談会収録の3時間では飽き足らず、駅前の居酒屋に場所を変え、終電まで語り合ってしまった。

 この夜の座談会の様子と「エンタメ・ノンフ棚必読作家・作品リスト」の発表は、『本の雑誌』9月号にて報告される予定。同好の士よ、集まれぇ〜!

7月2日(月)

年1回のアウェー観戦権の行使をシーズン後半に取っておくため、土曜日にエコパであったジュビロ磐田戦の小野伸二のスペシャルゴールは生で見られず。何だか情けないというか、こんなんじゃサポじゃないよなと落ち込みつつ出社。そういえば韓国はホームなのかどうか妻と話しあっていなかった。アジア人だからホームという主張はとおるだろうか。

渋谷を営業。ブックファーストさんを訪問するが、いまだこのお店が10月中旬で閉店することが信じられない。大型書店なのに妙に血の通った棚作り。それはオープンから何年もかけて、店員さんとお客さんが無言の会話をしつつ、ゆっくり出来てきたものなのだろう。もちろん他の書店さんだってそれは同じ。出来ることなら、どのお店も在り続けて欲しい、と切に願うが、ブックファースト渋谷店だけでなく、赤坂の僕の大好きなランダムウォークも先月末で閉店してしまった。哀し過ぎる。

これだけのお店が閉店するとなると廻りのお店は喜んでいるかというとそんな簡単なことではないようで、L書店のHさんは「ブックファーストさんがあるから好き勝手な品揃えが出来た。これからは今までと違った役割を求められてしまう」と困惑していたし、別の書店さんは「お客さんのシャワー効果もあるけれど、出版社の営業マンのシャワー効果がなくなるのが怖い」と話していたという。

会社に戻り、ちょっと休憩と、以前書店員さんに『よこしまくん』(偕成社)を紹介されて以来お気に入りの作家となった大森裕子さんの新作絵本『ぼく、あめふりお』(教育画劇)を取り出す。

今作は大人の絵本というよりは子供の絵本(といっても大人も楽しめる)になっていて、雨を降らしてしまうてるてる坊主が主人公。子供と図書館に行ったときのような気持ちで読み出したのだが、ラスト3枚のページがあまりに印象的で、じわりと涙がこぼれてしまった。

 仕事で張りつめているときに、こういうのはヤバイ。しかもこの作者とはどうも笑いや涙のツボが似ているようで、どのページも見入ってしまった。ああ、良い絵本だなぁと娘の顔を思い出す。

 良い気分転換を終え、夜遅くまで白川さんや高坂さんと7月7日の講演の打ち合わせ。

 まだ席に余裕があるようなので、高橋さんを含め、おそらくぶっちゃけトークだらけになるであろう、書店員の現実を知りたい方は、お申し込み、よろしくお願いします。

6月29日(金)

 何だか今週は煮え切らない1週間というか、消化不良のまますべての仕事が終わってしまった気がする。いや営業自体は、『らくだの話ーそのほか』椎名誠著と『本を読む兄、読まぬ兄』吉野朔実著が好調で嬉しく、また久しぶりに高津淳さんにお会いし、抱腹絶倒の書店話を伺うという、楽しい時間を過ごしたりし、かなり充実していたのだ。しかし他の部分が全部中途半端で、何だか哀しい。

 定時になって、本日が給料日だったことを思い出す。おこづかい制なのでそんなに嬉しくないけれど、「本は見かけたときに買っておけ」同様「金のあるうちに買っておけ」の法則に従い。ストレス解消とばかりに帰りに本屋さんへ。

 営業で毎日10件近い本屋さんを廻っているのに、どうして本屋さんに行くのはこんなに楽しいんだろうか。お店に入り、新刊棚を徘徊し、それから既刊書を彷徨く。仕事中は見ることのない、理工書(自然科学)や歴史書、人文書の棚をゆっくり見る。また娘と息子用に児童書の売り場も覗き、絵本などを手に取る。

 そうやって2時間ほど彷徨いて購入したのはこの3冊。『逝きし世の面影』渡辺京二著(平凡社ライブラリー)、『金沢城のヒキガエル 競争なき社会に生きる』奥野良之助著(平凡社ライブラリー)、『絵で見る日本の歴史』西村繁男著(福音館書店)。

 新刊はゼロだが、幕末から明治にかけて日本を訪れた外国人の日記などからその時代の生活を浮き彫りにした『逝きし世の面影』と金沢城の池に住む1526匹のカエルを9年間調査した驚きの記録『金沢城のヒキガエル 競争なき社会に生きる』はいつか読もうと思っていた本で、そのタイミングを計っていたのだ。また『絵で見る日本の歴史』は、先日図書館で借りて、娘と二人で気に入った本なのだ。

 しかしこの、本を買って、袋に入れてもらって、お店を出た後の、この幸福な気持ち。これは浦和レッズの勝利同様、何物にも代え難い心地よい感情だ。

6月26日(火)

とある大型書店さんを訪問し、売れ行きベスト10を確認したら、文芸書が一冊もなかった。そこは文庫、コミックを抜いた総合のベスト10を掲げているのだが、重松清や江國香織、本多孝好の新刊が出てもこれなのだ。

ガックリしつつ担当者さんに話を振ると「そんなんで驚いちゃダメですよ。ベスト50のなかに小説が2冊しか入ってないんですから」とベスト50のラインナップを見せていただく。うう、マジで小説が2冊しか入ってない…。そして「今や単行本の小説なんて専門書と一緒ですよ」と呟かれる。

ここ数年いちだんと単行本の小説が売れなくなった原因のひとつは、間違いなく文庫化スピード速くなっていることであろうと思うのだが、これはまた別の書店員さんに言われたことなのだが「お客さんが小説に費やす金額が、完全に文庫の金額が基準になってしまいましたね」とのことで、もはや元に戻すなんてことは不可能なのではなかろうか。

ではその分、文庫の売り上げがあがっているかというとそこまででもないような気がするし、文庫の最低初版部数が上昇しているなんて話も聞かない。また文庫も最近は解説がついてなかったりして、結構経費削減しているような気もするし、値段事態じわじわと上昇しているではないか。

ようはパイは広がらずに、金額だけ下がってしまったのではなかろうか。ならばそれは商売として最悪なのではないか。いやもちろんユニクロのように安く作る方法を考えて値段を下げるなら良いんだけど、本の制作費がここ数年ドンと下がったなんてこともなかろうに、果たしてこんなことをしていていいのだろうか。

書店も出版社も大変だが、果たして作家はどうやって生活をしているのだろうか。数千部の単行本を年に何点か出し、そのうち何点かが文庫になったとして、それだって単行本が売れていなければ1〜2万部程度なのではなかろうか。これではとても生活できないだろう。

本日通勤時、京王線のなかで僕が座っていたシートと対面のシートには、12人の人が腰をかけていたのだが、そのうち6人が本を読んでいた。活字離れなんてウソだろう。人は結構本を読んでいるのだ。

うち文庫本を読んでいたのが4人で、単行本(ビジネス書)が2人だった。ちなみに雑誌を読んでいる人は車両中に一人もおらず、何だかこの辺に今の出版傾向を現れているような気がしたのだが、そういえば電車のなかで単行本の小説を読んでいる人を見かけなくなった。たまに見かけたとしてもビニールパックされた、図書館の本であることが非常に多い。

小説の読書は文庫。

こんなことが常識になるのであれば、いっそのこと文庫と単行本を出す順番を逆にして、文庫を出してから、人気のあるものを愛蔵版として単行本にするというのもありなのではないか。いやなぜみんな文庫を買うかというと実は値段の問題だけでなく、ある程度評価の定まったものを購入したいという考えもあるのではなかろうか。でも、ケータイ小説はなぜか文庫は売れず、ハードカバーでみんな欲しがるのはなぜなのだろうか。あれは「本を読んだ」という実感が欲しいのか? 嗚呼、そもそもそこまで単行本にこだわる必要があるのだろうか……。「本の雑誌」も新刊めったくたガイド欄に文庫番を作った方がいいのではなかろうか。

いろんなことが頭の中を駆けめぐる。頼むから「読書は、文庫あるいは新書」にならないで欲しいとチビ出版社の営業マンは願うのであった。

その晩、とある書店員さんと酒を飲みつつ、上記のような話をしたら、グッとビールを煽った後にこういわれた。

「出版社の責任ですからねえ」

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