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2月25日(月)

 我が本の雑誌社の出版物でいちばん大笑いできるのは、「発作的座談会」のシリーズなんだが、そのなかでも私がいちばん笑ったのは『沢野字の謎』。これは沢野さんが本の雑誌の表紙にいつも書いている不思議なつぶやきコピーをボツになったものからすべて一同に集め、椎名さん、目黒さん、木村さんが、どれが一番素晴らしいコピーであるか、決めるとんでもない座談会である。

 でそのコピーのなかでいちばん私が印象に残っているのは、「階段のあかりをつけたら妻がいた」である。玄関でないところがリアリティーがあって、いやはや怖い。そしてこんなコピーを捻り出せる沢野さんがおかしい。

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「会社の扉を開けたら新入社員がいた」

 あービックリした。
 営業を終えてフラフラと会社に戻ったら、見慣れぬ男が席に座っていた。新しい助っ人かと思い「お主何者ぞ?」と誰何したところ、「来週から入社するタッキーです」というではないか。

 そういえば先日浜本から「編集者に求めることはなんぞや?」と聞かれたので、「本作りとは、すなわち狂気。だから私のような立派な社会性は必要ありません。オタクでもなんでも一芸に秀でた人間」と答えたのだが、それがこの目の前に現れたタッキーなのであろう。

「タッキーか。よろしく。私は翼だからこれから本の雑誌のタッキー&翼を名乗ろうではないか」
「翼ですか……。す、杉江さんですよね?」
「いや、所属しているサッカーチームFC白和では、翼と呼ばれているんだ」

 そう教えていたら、年下の男子が入社しただけで鼻息を荒くしている事務の浜田が、「ウソ!? 翼?? 私そんなの知りませんでしたよ」と茶々を入れてきた。知るわけないだろう。私だって、3秒前まで知らなかったのだから。

 「ついでに教えてあげるけど、俺の所属しているサッカーチームの名前が、なんでFC白和だか知っている? あのね、だいたいサッカーの試合っていうのは土曜にあるのよ。でねチームメイトはみんなサラリーマンで金曜日は飲んだくれているの。そうするとね、試合が始まってもまだ二日酔いで、5分もするとみんなタッチライン沿いでゲロを吐くのよ。だから(ハクワ)なの。」

 すでに新入社員のタッキーも浜田も私の前から姿を消していた。

 おっと、大切なことを聞き忘れていた。
「タッキーよ、サッカーは好きかい?」
「いえ別に」
「特に応援しているJリーグのチームはあるかい」
「いえ、ありません」

 思想上の問題はないようだ。彼とはうまくやっていけそうだ。

2月22日(金)

 午前中は、『本の雑誌』5月号の特集の編集作業。午後は営業。夜はリブロ矢部さんの「坂の上のパルコ」の第2部の対談収録。まさに本の雑誌の阿部勇樹。どこか浦和レッズのように引っ張ってくれるチームはないものか…。でも中学のサッカー部の顧問からは、「杉江は器用貧乏でどこで使ったらいいかわからん」って言われたんだよな。

 通勤読書は『アゲハ蝶の白地図』五十嵐邁(世界文化社)。
 蝶に魅せられた、いや蝶に取り憑かれた男の蝶追い一代記。蝶は大嫌いだが、面白い!

2月21日(木)

 ここ数日読み続けていた『新世界より』貴志祐介(講談社)を読み終える。傑作傑作大傑作。まだ2月だが言ってしまおう。今年のベスト1は決まりだ!

 いやはや、久しぶりに自分がいる現実世界と、本のなかで語られる世界の区別がつかなくなり、本から顔を上げた瞬間「ここはどこ? 化けネズミはいないよね?」なんて辺りを見わたしてしまった。

 あれは確か10代の終わり、書店でアルバイトをしていたときに、バックヤードにうずたかく積まれていた新刊『IT』スティーブン・キング(文藝春秋)を見つけ、厚さと金額に恐れつつも、表紙絵に引き込まれ(実はそれまでスティーブン・キングを1冊も読んだことがなかった)、思わず購入。その夜からもはやあの世界から抜け出せず、翌日はアルバイトを休んで一気読みしたことを思い出す。

 私が読書を続けてきたひとつの理由は、おそらく、ああいう気分をもう一度味わいからであるのだが、そんな本はそうそうない。ないのだが、ついに出会ってしまった。それがこの『新世界より』貴志祐介(講談社)だ。

2月15日(金)

 本屋大賞の二次投票期間が半分を過ぎ、ノミネート作品の読破に追われる書店さんから悲鳴が聞こえてくる。しかし結構多くの書店さんで「発見」が語られ、何だかこの全部読んでのシステムはやっぱり成功だったのではないかと思うのである。大変ですが、よろしくお願いします。

 それから今年から参加される書店員さんが結構いて「文芸書の担当になるまでは、『なんだよ』なんてちょっと思ってましたが、担当になって参加してみたら無茶苦茶面白いですね」とか「今まで4回時間があったら参加しようと思っていたんですけど、今年は時間は作るもんだ!と発起して、頑張って参加してます」なんて言われると思わず泣きそうになる。

 またこの時期文芸書の出版営業の話題にかなり「本屋大賞」が挙がるようで、参加してそうな書店員さんとは「どの本に投票するんですか?」なんて盛り上がっているとか。お祭りになれるといいな。

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 3月刊予定の新刊『新書百番勝負』渡辺十絲子の判型をずーっと悩んでいたのであるが、ジュンク堂の田口さんの言葉で気持ちが固まる。

「杉江くんさぁ、全国の書店のどれだけに文芸評論の棚があるのよ?」

 小説がこれだけ売れなくなってもしっかり置かれているのは、小説の棚がすでに書店さんにあるからだ。その代わりエンタメ・ノンフがないがしろにされてきたのは、棚がないからであり、分類はとっても大切である。

 そもそも編集部から企画を提出されたときに、僕はいつも「どの棚(ジャンル)で売るの?」と問いただしてきたのであるが、そのジャンルの占有率までは考えたことがなかった。

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 夜、営業の大先輩の方々及び取次店T社のTさんと酒。どれくらい大先輩かというと、「中卒でS出版社に入って、あの頃は取次店K社も神田にあって、もう40年も前かぁ」なんて感じ。改めてじっくり取材させてもらうことにする。

 それにしても出版営業は面白い人ばかりで、本日は乗り鉄、戦闘機マニア、ディズーニーファン、音楽マニアなどなど。私のサッカーバカくらいではとても太刀打ちできない。

 帰りがけT社のTさんから「杉江さん! 取次店にも本好きがいっぱいいますから!」と握手される。私に握手をしてもまったく意味がないと思うが、なんだかとってもうれしかった。

2月14日(木)

 通勤読書は、雑魚から鯨にひとっ飛び。
 第14回小学館ノンフィクション大賞を受賞した『煙る鯨影』駒村吉重(小学館)。日本で5艘だけ残った商業捕鯨船に一年を同船した著者のルポ。捕鯨ものというとどうしても国際捕鯨委員会等の政治の話になりがちなのだが、この本はそこを踏まえつつも、7人乗りの小さな捕鯨船から見た捕鯨の現実を描いている。いや捕鯨本というよりは、漁師という生き様を描いたノンフィクションであろう。なかなか打ち解けられるずにいる船長との関係など著者の揺れ動く気持ちが、とっても真摯で、だからこそ一文一文に想いがこもっているのがわかる。今も日本のどこかで、この人達が鯨を追っているかと思うと、それだけ何だか豊かな気分になれるのはなぜだろう。

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 某作家さんが出版営業を主人公に小説を書いているそうで、取材を受ける。
 2時間ほど、デパートの古書市に吸い寄せられるとか、暑さに負けてプールに飛び込むとか、ダメ営業マンの現実を話したら、呆れられてしまった。出版営業の皆様スミマセンです。

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 先日見本を持っていった時に地方小出版流通センターKさんから「ここ3年の新刊で一番いいよ!」と喜んでいただけた渡辺一枝さんの写真集『風の馬』が本日搬入となる。ひとりでも多くの人にこのモノクロ写真を見ていただけることを願ってます。

 また朝日新聞夕刊で連載されていた「ニッポン 人・脈・記 わが町で本を出す(全13回)」は、昨年の本屋大賞の記事で頭に来て朝日新聞購読をやめた私を、改めて新聞購読させるほどのヒット! 本とは何か? 出版とは何か? 特に一番最後の結びの文章が心に残る。

「みんな『ヤセ我慢』をしながら志を貫いている。」

2月13日(水)

 腰痛は順調に回復。よほどヘンに動かさないかぎりは痛みもない。しかし恐怖心がつきまとう。
 恐怖心。なんだかリハビリあがりのサッカー選手みたいでカッコイイではないか。左足で踏み込むのに膝に不安がある、とか。これで私も一流のサッカー選手の仲間入りだ。岡ちゃん待ってるよ。

 昨日搬入の手伝いができなかった『本の雑誌』3月号では、江さんの連載「ミーツへの道」に続き、我らがタマキングこと宮田珠己さんの新連載「ブックス・メガラニカ」がスタート。空想か幻想か事実なのかよくわからない、エキゾチックな本を紹介していただいている。初回から面白本をタマキングらしく紹介しており、必読です。

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 通勤読書は、怪しい探検隊シリーズとしては、10年ぶりの新刊となる『わしらは怪しい雑魚釣り隊』椎名誠(発行:マガジンマガジン、発売:サン出版)。

 10代の終わりに突如本に目覚め、そして一番ハマったのが、我らが編集長・椎名誠の作品だった。そのなかでも一番影響を受けたのが、この怪しい探検隊シリーズだ。本を読んであんなに笑ったのは初めてだったし、こんなくだらないことをしている人達がいるのか!とビックリし、早速これは自分もやらなければと、親友シモザワや相棒とおる、番長シューヤなどに声をかけ、鍋や釜やカヌーを買い、西に東にケトばされに行ったものだ。

 その怪しい探検隊が帰ってきたとなったらこれは仕事をサボってでも読まなきゃいけないだろう。読書の友・山手線に乗り込んだが、すぐ下車する。なぜならあまりにおかしくて、とても人前で読めない。長老Pタカさん、バカヤロウの西澤に、懐かしの林さんなどなど相変わらず個性豊かというか、とんでもない人達が椎名さんの廻りには集まっているのだ。

 結局家に帰ってからじっくり読んだが、腰が痛いのを忘れるほど大笑いしてしまった。特に最終章「長老のカミさんの実家は銚子だった」は、ここ数年で一番笑った一編だ!

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 某書店さんとの会話 その1
「ワゴンとかで仕掛け販売しているのは、まあおまけというか、遊びというか、息抜きというか、自己満足かなあ。売れた売れたといっても全体から大した金額じゃないし、やっぱり書店にとって大切なのは棚ですよ」

 某書店さんとの会話 その2
「ここに異動になる前は大きなお店に居たんですよ。文庫の仕掛けとかもバンバンやっていて。で、こっちに来たらあんまり反応ないし、付き合いのあった営業マンも離れていったりするし、ショックだったんですよ。でも今考えてみたら、異動になって良かったですよ。俺、あそこにずっといたら勘違いしていただろうし、仕掛けっていっても結局自分が売っている気になりますけど、本当はお店が売っているんですよね。そういうことに気づいてほんと良かったです」

 某書店さんとの会話 その3
「骨盤ダイエットとか『いますぐ幸せがやってくる自分の愛し方100』リズ山崎(情報センター)とかほんと無茶苦茶売れるんです。その売上で文芸書支えます(笑)」

2月12日(火)

 日曜日の夜に腰に激痛が走り、その晩は痛さのあまり眠れなかった。
 どうしたんだ? 思い当たるのは3歳の息子に肩車をせがまれ、いつも以上に張り切って肩に載せていたことぐらい。しかしそんなことでこんな激痛が生まれるのだろうか。妻はしきりに結石ではないかと心配するが、月曜も休日で病院が休みだし、とにかく痛み止めを飲んでやり過ごしたのである。

 今朝、内科行った方がいいのか、整形外科に行った方がいいのかわからないまま、とりあえず近所の内科に行ってみた。受診の結果、腎臓も膵臓もキレイで、痛みの感じからすると、内臓系ではなく、筋肉痛の一種だろうと診断された。確かに土曜より日曜、日曜より月曜と痛みは引いていたのだ。

 湿布薬とともに「腰痛パンフレット」なんてものを渡されて、出社することになるのだが、いやはや腰痛持ちにとって、満員電車は地獄の列車であることを思い知る。何気なく揺れて、隣の人から体重をかけられたときの、あの痛み、しかもその痛みは隣の人と共有できないし、私が今日は腰が痛いなんてことも伝えることができないから、どうすることもできない。そういえば腰痛持ちの作家さんにお会いしたとき「いやー作家で良かったですよ。これがサラリーマンだったら通勤できないですから」と言っていたことの意味を思い知る。快速列車を一駅で降り、いくらか空いている各駅に乗り換え、命からがら会社に着く。

 そうはいっても営業に出なければ、仕事にならず、戸塚、上大岡などの神奈川を回る。

 通勤読書は『叱り叱られ』山口隆(幻冬舎)。これはサンボマスターの山口隆が、影響を受けてきたアーティスト(山下達郎、大瀧詠一、岡林信康、ムッシュかまやつ、佐野元春、奥田民生)と対談していくのだが、いやはや山口隆の絡み方が絶妙で、対談読み物としてピカイチ。もちろん真剣に語られる日本のロック史は、私のように音楽に疎い人間にはとってもわかりやすかったし、それぞれの音楽を聴きたくなるガイド本としても最高で(ムッシュかまやつのCDを買ってしまった)、また奥田民生との現代CD業界への憂いは、出版業界と何も変わらないことを教えてくれる。

 充分堪能したのであるが、腰痛だと本を持つのもツライことを思い知る。

2月8日(金)

 昼。ジュンク堂書店新宿店さんで地方小出版流通センターのKさんと待ち合わせし、新刊の搬入打ち合わせ。

 そのKさんの手に見慣れぬ、いやかつては見慣れていた手書きの短冊(スリップ)がたくさん握られているではないか。

 数年前までは新刊が入ってくると書店さんは、この必備スリップを狭い作業台の上で書き、通常のスリップとは別に挟み込んでいたのだ。私が教わった方法は、棚差し分に挟み込んでおき、それが売れてレジで回収されたとき、平台やストック分から本を持ってきて、またその手書きスリップを差し込み、棚に入れる。そうやって最後の1冊が売れると取次店に回し、それが出版社にいって補充される。補充されるときには売れた日付がハンコで押され、だからその必備スリップを裏返せば、今まで何回売れたのかすぐわかる仕組みになっていた。

 しかもなぜかそこに手で書名や著者名や値段を書き込むと、本を覚えるものだった。スリップのその文字をみると背表紙の色や棚の場所が浮かぶのだ。何でだろう。人間の記憶というのはそういうものなのか。

 まことに分かりやすい仕組みだったのだが、電子化が進むに連れ、いつの間にか手書きスリップは消え、打ち出されたスリップとなり、今ではデータだけが書店・取次・出版社間を飛ぶようになった。おそらくスピードや効率はべらぼうに上がっているのだろうが、最近の注文には味わいがなく、何だか売れている実感もない。

 そんなことをKさんが握っている手書きスリップを見た瞬間に思い出していた。
 しかしどうして今更手書きスリップ?

「いやね、ジュンク堂さんのシステムは、本が入ってくるとまずその本の所在地(棚の場所)が登録されるのね。でもね、それが1個しか登録できないからさ。例えば杉江君がいつも大好きって言っているこのジュンク堂の6階の自然科学からネイチャーフォトに流れる棚だって、新書や文庫もささっているし、写真集だってあるでしょう。そういう棚を一生懸命担当者が作っても、売れてもさ、次に入って来た時は登録されていた棚の番号が出て、そっちに振り分けられちゃうのよ。そうするとせっかく作った棚の維持が難しくてさ」

 そういえば僕が書店でアルバイトしているとき、科学と化学は担当が違くて、でも重なって置かれている本が結構あって、そういうときは手書きのスリップの上の方に「化」とか「科」とか書かれていたっけ。だから僕のようなバイトは、仕入れからあがってきた本のなかで、ジャンル分けの判断がしづらい本は、その文字を基準に台車に積み直していたのだ。

「でね、そういう無駄というか、間違いというか、自分の棚をね、きちんと管理すべく、担当者さんが復活させたんだよね、手書きのスリップを。数千枚は書いているはずなんだけど、それを手間だなんて考えないところがすごいよね。確かに棚、よくなっているしさ。ただ笑っちゃうのはさ、字が変わるのよ。ものすごい達筆だったりして、これは絶対お母さんとかお父さんに手伝ってもらったね」

 そういってKさんと見ていた棚は、この冬からジュンク堂書店新宿店に新設された「ふるさとの棚」というコーナーであった。これは残念ながら閉店となった書肆アクセスがなしえなかったコーナー作りだそうで、北海道から沖縄までを地域ごとに棚割りし、そこへ地方出版の本だけでなく、様々な出版社の本をぶち込んだ、今までに見たことのない棚づくりであった。

 東北の棚には蝦夷や白神山地の本とともに太宰治の『津軽』が並んでいたりする。まさにこんな本があったんだ?という発見だらけのすごい棚だ。

「こういうコーナーを維持するために、やっぱり手書きのスリップが必要なんだよね。」

 この10年、ものすごい勢いでデジタル化してきたが、これからはその前のアナログな時代の良さを改めてそのデジタルに組み込むことが大切なのではないか。

2月7日(木)

 本の雑誌社ビジュアル路線の第3弾!『風の馬[ルンタ]』の見本を持って取次店廻り。

 小学生のときのあだ名がチベットで、1987年の春以来、20年以上に渡ってチベットを訪問し続けている渡辺一枝さんが見つめてきた、人間や風景が切りとられたこの写真集は、その素晴らしさを言葉にするとあまりに陳腐になってしまいそうで、とにかく見てください!としか言いようがない。ぜひ。

 夜は、町の本屋さんの集合体NET21の新春の会にお邪魔する。

 その冒頭の挨拶で、「出版社の皆さんに伺いたいのですが、我々本屋は必要ですか? それともナショナルチェーンだけあれば充分ですか?」という問いかけがあったのには、衝撃を受けた。もちろんNET21の方々は町の本屋の誇りを強く持っており、その問いかけの後には、町の本屋の重要性をしっかり伝えていたのであるが、何だかとっても淋しい問いかけであった。

 私は、町の本屋さんが、営業的にも、人間的にもとっても重要だと思ってます。

 しかしそんな淋しい問いかけとは裏腹に、パーティー会場には130社を越える出版社の方々が顔を出し、広いはずの会場も超満員。NET21の書店さんにご挨拶しつつ、日頃営業中に挨拶する程度しか時間が取れない同業営業マンともゆっくりお話ができ、意義ある時間を過ごさせていただく。

 特に直扱いで独特な出版活動を続けているミシマ社の営業マンWさんとお会い出来たのはうれしかった。

「元々取次店で働いていて、あるときふと、扱っている本について何も知らないことに気づいたんですね。じゃあ本を作る側に行こうと思ったときに、ミシマ社の代表の三島に出会ったんです。今日もテスト販売している新刊があって、その書店さんからよく売れているって連絡が入ったんですけど、それを三島に伝えたらもう飛び跳ねるようにして大喜びしていて。なんだかその姿を見ているだけでうれしくなりますよね。」

 出版の原点が、今、この出版社に漲っているんだろうな。
 とっても元気づけられる出会いだった。

2月6日(水)


 直行で営業に出かけ、夕方は本屋大賞実行委員会の高頭さんと打ち合わせ。今年は記念すべき第5回なので増刊号『本屋大賞2008』で、この5年を振り返っていただくのだ。

 打ち合わせが終わってから、御茶ノ水M書店Yさんと新年会。

『いつまでもデブと思うなよ』岡田斗司夫(新潮新書)に影響され、自分の外見を茶髪&オシャレメガネ&丸井でスーツを一式購入したF社のYさんや、休暇中に奈良公園の鹿に胸を突かれたT社のMさん、携帯を打ち合わせの喫茶店に忘れたが、その喫茶店がどのお店がわからず街を彷徨うG社のAさんなど、出版営業マンはキャラが立ちまくっている人が多い。とても私にはかなわない相手ばかりである。

2月5日(火)

 終日初回注文〆切間近の新刊『風の馬[ルンタ]』渡辺一枝著の営業に駆けずり回る。この言葉、表現ではなく、事実である。考えて走れは何もサッカーだけでなく、営業にも大切なことだ。いやもしかしたら考えず走る方が大切かも。

2月4日(月)

 夜、例のごとく本屋大賞実行委員会の会議。議題は発表会の用意や予算など細々としたもの。こういうことは本当にやってみないとわからないもので、今となっては私、直木賞や芥川賞、あるいは既存の文学賞などの悪口はとてもいえない。それよりも138回も続いていることに並々ならぬ敬意を感じている。

 しかし毎度のことながら本屋大賞の会議は愉しい。何だろう。こんな真剣にそして多角的に様々な意見がでる会議を私は本屋大賞が始まるまで知らなかった。もちろん私はろくな意見が言えないのだが。

 しかもそれぞれ反対意見などをぶつけ合っても、会議が終わったらさっぱり。この日は福岡から異動で東京に来られたM書店Tさんが覗きに来ていたので、そのまま飲みに行ったりしたのだが、その酒の場では、もう一歩腹を開いて、それぞれの仕事について話をする。それぞれの話を聞きながら、もしかしてここにいるみんな「仲間」であり、「友達」であり、「同士」なのではないかと今更ながらにつくづく思うのであった。

 とにかく私はみなさんと一緒にいろんなことができるのがとても幸せです。

2月1日(金)

 午前中、中学2年生が本屋大賞の取材にやってくる。これがビックリするほど聡明な子で、インタビューも今まで受けた取材のなかで一番まともだった。しかし私の経験上、中学生がこんな真面目なわけがなく、ウリウリすると本心をさらし、屋上でタバコを吸いつつ、エロ本をどこで拾うかとかそういう男と男の話ができるのではないかと思ったが、隣に意味もなく座っている浜田が許さない。私が変な方向に話を持っていこうとすると「お茶飲む?」とか「チョコは食べない」とか邪魔をする。

 こいつだってきっと本屋大賞の話をするより、アホな話をしたいはずなのに…なんてことはなく、彼は月に15冊は本を読むそうで、好きな作家は伊坂幸太郎と本多孝好。本屋大賞に興味を持ったのはお父さんが「本屋大賞を信頼して本を買っている」と話していたからとのこと。「ラノベを読む友達はなぜか普通の小説を読まないんですよ」と憤りを呟いたりして、こやつまさに出版業界の申し子なのではなかろうか。アホ少年方面への勧誘は諦め、本の雑誌社入社方面に話を持っていく。

 午後、吉祥寺を営業。吉祥寺の本屋さんはやっぱり面白い。

 弘栄堂さん、ブックスルーエさん、リブロさんの有志で結成された『吉っ読』では、書店の枠を越えたフェアや販促をしているし、またその吉っ読には入っていない啓文堂さんは啓文堂さんで「おすすめ文庫大賞」などを開催している。いやそういう派手なイベントに思わず視線がいってしまうが、そうではなく、それぞれのお店の工夫された棚が面白いのだ。出来れば休日に、ゆっくり見て廻りたい。

 通勤読書は、会社でイラつくことがあったので、こういうときこそ我らがタマキングこと宮田珠己さんの出番だぁ!と『ときどき意味もなくずんずん歩く』(幻冬舎)。単行本を含めると、もうすでに4回は読んでいるはずなのに、読んでいる内に肩が震えだし、腹が痛くなり、涙をこぼし、しまいには周囲の人に「この人大丈夫か?」と冷たい視線を投げかけられるほど笑ってしまう。

 5度目の今回も、旅行中に使う言葉のところで大笑いしてしまい、埼京線車内最重要注意人物に認定されてしまった。しかしそのおかげで、会社でのイラつきは消え去り、良い気分で帰宅することができた。イライラしている人、疲れている人、我らにはタマキング(宮田珠己)がいるぞ!!

1月31日(木)

 田園都市線を営業し、二子玉川から自由ヶ丘へ路線変更。学芸大前、祐天寺と今度は東急東横線を営業し、新宿へ。J書店さん、K書店さんにゲラをお届けすると、すでに時計は17時45分。このまま会社に戻っても充分なのであるが、J書店さんで同業のC書房のOさんが必死に営業している姿を見かけたので、私もまだまだ負けていられないと、池袋へ。張り合う必要ないのにな。

 池袋のJ書店文庫担当のIさんに、ちょっと前に約束していたサッカーフェア用のリストを届けると「ありがとうございました。楽しみにしていたんですよ」と喜ばれる。この笑顔、会社に戻ったら見ることができなかったんだよな。そんな満足感を味わっていたら「あっそうだ、杉江さん「うばぢから」読みました?」と聞かれるが、うばぢから? って何だ?

「あっ! まだ知らなかったですか? あれですよジェフのGMだった祖母井(うばがい)さんの本ですよ。うちの田口が読んで、良かったって言ってましたよ」

 祖母井さんといえばオシムを呼んだ人ではないか。そして今は確かフランスでグルノーブルのGMをしているはず。しかし私が知っているのはそこまでで、果たしてどんな人物なのか気になるではないか。 すわ!とサッカー本のある2階へ向かい、早速『祖母力 オシムが心酔した男の行動哲学』祖母井秀隆(光文社)を購入。帰りの電車で読みだしたのが、これが面白いのなんの。2008年サッカー本大賞ナンバー1候補だ。

1月30日(水)

 秋葉原、神田、東京、銀座の一部を営業。

 最近また夢中になって書店さんを廻っている。こういうのはムラがあって、出来ればムラを無くしたいのだが、ムラがあってこそ人間であって、ムラなくグイングイン自動車にネジを締め付けているのはロボットで、いつか営業ロボットなんていうのが出来たら、どんな世界になるのだろうか。名刺はロボコンのように腹から出すのか、頭を下げたら重すぎてそのままひっくり帰ったりしないのだろうか。ロボットも私みたいに書店員さんの鋭い指摘にしどろもどろになりつつ、お願い光線を出すのかな? 「お願いビーム」なんてハート形の目をして、見つめたりして。

 いやロボットの話ではなかった。私が今なぜまたこんな夢中になって書店さんを廻っているかというと、先日、大宮のJ書店さんを営業している際、営業の大先輩C社のAさんにバッタリ出会ったからである。昔は半年に一度くらい飲んで、いろいろと営業などを教わっていたのだが、最近はお互い、ではなかった私はいつでも暇だが、Aさんが大変忙しそうだったので、なかなか顔を会わせる機会がなかった。

 せっかくお会いできたのだからと、営業を終えた後、喫茶店でお話を伺う。なんとAさんは、この冬で60歳で、本来は停年であったのだが、会社側が延長を申し出てくれたそうで、今も毎日書店さんを廻っているそうだ。私は前日編集者をワンアウトも取れず降板になってしまったが、Aさんは営業を40年近く続けた上に、延長戦に挑んでいるのである。

「いやーやっぱり好きなんですよ、この仕事が。書店さんに行って欠本とって、新刊紹介して、いろんな話して、ねっ。」

 もちろん私も営業という仕事が大好きだから、この言葉には大きく頷くのであるけれど、その仕事を40年近く続けるというのは並大抵のことではない。例えば今なら相手にしている書店員さんは自分の子供より若いだろう。そういう人に「そんなもんいりません!」なんて冷たく言われる可能性だってあるのである。普通の人だったら泣いちゃうし、僕だって泣いちゃう。たぶんAさんだって泣いていることがあるだろう。

 しかしそんな酸いも甘いも知り尽くした上で、Aさんは営業が好きだという。その言葉に嘘はなく、今も私以上に精力的に書店さんを廻っているし、しかも多くの書店さんで愛されている。その証拠に私と話している間にも書店員さんから連絡が入り、飲み会のお誘いを受けていた。

 それ以来、私も負けずに書店さんをアホみたいに廻っている。夕方には脹ら脛がパンパンになって、良いこともあれば、悪いこともある。でもこんな楽しい仕事はない。いつかAさんみたいになりたい。そう願って、今日も書店さんに顔を出す。

1月29日(火)

 某所にて某作家さんのインタビューに立ち会う。(2月末更新の「作家の読書道」)

 それほど多くの作家さんに会っているわけではないのだが、こうやって幾人かの作家さんに会って強く感じるのは、作家というのは、作家という生きものというか、作家になるべくしてなったというか、やっぱり表現者なのである。そのことを強く感じた一日だった。

 ではその仕事相手である編集者はどうか。ここ最近、編集の仕事をするようになり、編集者って何だろうと悩み、いろんな本を読んだのだが、『本の雑誌傑作選』に収録されている小林信彦さんの「編集者評論のすすめ」という文章にはビックリした。

少し長いのだけれど引用すると

「(前略)私の手元に『新刊ニュース』79年12月号の<読者と書店>という対談があり、じつは、これを紹介したいために駄文を弄しているわけだが、八重洲ブックセンター社長の河相さんという方の発言が、もう、モンダイの核心を、ずばずば突いていらっしゃる。出版界出身の人じゃないから、手かげんがない。

<経済的に恵まれるために編集者になるんじゃなくて、編集の仕事でもやろうかという者は、もっと違ったところに志があったはずなんですよ。それがどうも、本来、編集者にあるべき志とは違ったところに志が行ってしまっている。だからもっともっと感覚的に鋭さがなきゃいけない。やはり、人間の感覚的な鋭さは、物質的にも精神的にも、飢えて、はじめて研ぎ澄まされた鋭さが出てくるわけで、そのへんが欠けてるようですね。>

<読者が低俗であるという考え方を払拭しなきゃいかんと思いますね。少なくとも八重洲ブックセンターで見る限り、(本を)作ってくるほうより読者のほうが、そういった面では高いんじゃないかという気がするんです。>

 正論ではないか。
 たとえば小説本、雑誌が売れないのは、読者がマンガ本を買うからだーーなどという俗論があるが、これこそ逃げ口上であって、こうしたアホなことを口走る編集者は、もはや、現実も、読者も、見えなくなっているのだ。私は、同時代、同世代の<編集者だった人たち>を思い浮かべるのだが、編集者の方が執筆者よりずっと勉強し、原書を読み、モノを知っていたと思う。私の場合は、執筆者の大半より私の方が年下だったから、たえず勉強していないと莫迦にされる立場にあったのだが、それはさておき、みんな、気が狂ったように原書を読み、いざというとき、執筆者にレクチュアできるよう準備していた。そうでないと落伍してしまったのだ。」

とある。

 うう。出来れば、私、物質的にも、精神的にも飢えたくない。美味いとかマズイとか文句は言わないからせめてご飯を食べさせてほしい。出来れば屋根の下に寝て、家族とともに幸せに生きていきたい。それに自慢じゃないが、高校の教科書購入費をパチンコと麻雀に使ってしまい、原書どころか、高校一年生の英語の教科書も読めないと思う。莫迦にされるのは慣れているが、莫迦にするような人の本は作りたくない。参った。もしかしたら1回ワンアウトも取れずに降板だ。

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