2月8日(金)
昼。ジュンク堂書店新宿店さんで地方小出版流通センターのKさんと待ち合わせし、新刊の搬入打ち合わせ。
そのKさんの手に見慣れぬ、いやかつては見慣れていた手書きの短冊(スリップ)がたくさん握られているではないか。
数年前までは新刊が入ってくると書店さんは、この必備スリップを狭い作業台の上で書き、通常のスリップとは別に挟み込んでいたのだ。私が教わった方法は、棚差し分に挟み込んでおき、それが売れてレジで回収されたとき、平台やストック分から本を持ってきて、またその手書きスリップを差し込み、棚に入れる。そうやって最後の1冊が売れると取次店に回し、それが出版社にいって補充される。補充されるときには売れた日付がハンコで押され、だからその必備スリップを裏返せば、今まで何回売れたのかすぐわかる仕組みになっていた。
しかもなぜかそこに手で書名や著者名や値段を書き込むと、本を覚えるものだった。スリップのその文字をみると背表紙の色や棚の場所が浮かぶのだ。何でだろう。人間の記憶というのはそういうものなのか。
まことに分かりやすい仕組みだったのだが、電子化が進むに連れ、いつの間にか手書きスリップは消え、打ち出されたスリップとなり、今ではデータだけが書店・取次・出版社間を飛ぶようになった。おそらくスピードや効率はべらぼうに上がっているのだろうが、最近の注文には味わいがなく、何だか売れている実感もない。
そんなことをKさんが握っている手書きスリップを見た瞬間に思い出していた。
しかしどうして今更手書きスリップ?
「いやね、ジュンク堂さんのシステムは、本が入ってくるとまずその本の所在地(棚の場所)が登録されるのね。でもね、それが1個しか登録できないからさ。例えば杉江君がいつも大好きって言っているこのジュンク堂の6階の自然科学からネイチャーフォトに流れる棚だって、新書や文庫もささっているし、写真集だってあるでしょう。そういう棚を一生懸命担当者が作っても、売れてもさ、次に入って来た時は登録されていた棚の番号が出て、そっちに振り分けられちゃうのよ。そうするとせっかく作った棚の維持が難しくてさ」
そういえば僕が書店でアルバイトしているとき、科学と化学は担当が違くて、でも重なって置かれている本が結構あって、そういうときは手書きのスリップの上の方に「化」とか「科」とか書かれていたっけ。だから僕のようなバイトは、仕入れからあがってきた本のなかで、ジャンル分けの判断がしづらい本は、その文字を基準に台車に積み直していたのだ。
「でね、そういう無駄というか、間違いというか、自分の棚をね、きちんと管理すべく、担当者さんが復活させたんだよね、手書きのスリップを。数千枚は書いているはずなんだけど、それを手間だなんて考えないところがすごいよね。確かに棚、よくなっているしさ。ただ笑っちゃうのはさ、字が変わるのよ。ものすごい達筆だったりして、これは絶対お母さんとかお父さんに手伝ってもらったね」
そういってKさんと見ていた棚は、この冬からジュンク堂書店新宿店に新設された「ふるさとの棚」というコーナーであった。これは残念ながら閉店となった書肆アクセスがなしえなかったコーナー作りだそうで、北海道から沖縄までを地域ごとに棚割りし、そこへ地方出版の本だけでなく、様々な出版社の本をぶち込んだ、今までに見たことのない棚づくりであった。
東北の棚には蝦夷や白神山地の本とともに太宰治の『津軽』が並んでいたりする。まさにこんな本があったんだ?という発見だらけのすごい棚だ。
「こういうコーナーを維持するために、やっぱり手書きのスリップが必要なんだよね。」
この10年、ものすごい勢いでデジタル化してきたが、これからはその前のアナログな時代の良さを改めてそのデジタルに組み込むことが大切なのではないか。