7月21日(火)
- 『幻獣ムベンベを追え (集英社文庫)』
- 高野 秀行
- 集英社
- 562円(税込)
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先日訪問した書店さんから手紙(FAX)が届いたのであるが、そこに私の特徴として「いつも笑顔で自信に溢れてない」と書かれており、大笑いしてしまった。確かに私はザリガニのようにいつも腰が引けていて、何ものにも自信がない。営業は店頭でバッティングする他社営業マンを見て自信を失い、サッカーはC・ロナウドやメッシのプレイを見て腰を抜かしている。
だからいつまで経っても偉くなれない(見えない)のだと、私はそれを自分自身の弱点だと思い改善しようと考えていたのだが、この手紙ではそこが良いのだ!と誉められており、大変うれしかった。ありがとうございます!
もう1件、銀座のK書店YさんからもFAXが届いていたのだが、こちらは先日紹介した『俺のロック・ステディ』に関しての連絡で、集英社のPR誌「青春と読書」で花村萬月と鮎川誠の対談が載っていることを伝えてくれたのであった。さっそく読んでみたが、鮎川誠がカッコ良かった。
書店さんからの手紙(FAX)で思い出すのは、浦和レッズがJ2に降格した翌日のことである。会社に出社すると「死なないで」というFAXがたくさん届いていたのだ。あの頃はまだこのホームページもなく、私は書店向けDMでなぜか浦和レッズの事ばかり書いていたのである。今思い出しても泣けるエピソードである。
高野秀行さんのお家に行って、昨年ずーっと聴講していた上智大学の授業の出版についての相談。一番懸念していたのはタイトルだったのであるが、神に打たれたように高野さんの口からぴったりな言葉が出て、もう恐れるものはなくなった。
さて私はただいま減量しており、朝はバナナ1本とヨーグルトと豆乳と野菜ジュースで過ごしているのだが、さすがに成人男子にそれはきつく11時にはお腹がぐーっと鳴るのである。この日、高野さんの家に訪問したのはちょうどその腹が鳴る時間で、もし腹が減った場合のことを考え、高野さんの好物でもある(はずの)大福餅を6つ買って行ったのである。すなわち腹が減ったら「いただきものですがね」と出される大福を食べようと思っていたのだ。
ところが高野さんとの話はいつもどおり最初から盛り上がり、しかも多岐に渡るため、気付いたら1時を過ぎていた。その時間を確認した瞬間、私の腹はキュルキュル伸縮し出し、あまりの空腹に目眩が襲ってきたのである。
しかし高野さんの口からは「いただきものだけどね」が出ず、目の前に置かれている大福餅が袋から取り出される気配はない。私はもう我慢の限界であったのだが、そのとき高野さんのお腹もグウーと鳴った。いや鳴った気がしたのかもしれない。空耳か。どちらにしても私の空腹は限界をとっくに越えていたので、思わず「高野さんの好物ですから、ご遠慮なさらずどうぞ」と袋をあけるよう促したのであるが、高野さんは大福餅を確認しただけで開封せず、またプロレスの話に戻っていった。
プロレスはこの際どうでもいいのである。
私はもはや餓死寸前の男である。お願いですからその大福餅をひとつ恵んでください。恵んでいただけましたら、鬼ヶ島でもUMA探しでもソマリランドでもどこへでも付いて参ります、と言いたいところだったのだが、高野さんは相変わらずジャイアント馬場がいかに素晴らしいか話していたのであった。
思い返してみると目の前にいらっしゃる辺境作家・高野秀行さんは早稲田大学探検部の隊長としてコンゴの湖へ謎の怪獣・ムベンベ(『幻獣ムベンベを追え』集英社文庫)を探しに行った際、マラリアに罹り生死を彷徨っている隊員・田村氏に向かって「病は気から」と言ってのけた人物なのであった。
普通の人間であればそこで人間関係がぶち壊れるのが当然かと思うが、探検部というのは恐ろしい集団で、後に隊員・田村氏はこのときの体験をふまえ、人生で一番大切なものは家族であると知り、「やるっきゃない」という人生訓を得たと喜んで語っているのである。
ということは、今、私が大福餅を食わせてもらえず、空腹で死にそうになっているのも、もしかしたら高野さんから何かを教わろうとしているところなのかもしれない。たぶん今回は「やるっきゃない」では、ないであろう。「食うっきゃない」か? 奪っていいのか、その大福餅を。
私の記憶はその辺で飛んで、次に意識が戻ったときには松屋で牛丼を食べていた。
もしかして高野さんは大福餅が嫌いだったのだろうか。
だからいつまで経っても偉くなれない(見えない)のだと、私はそれを自分自身の弱点だと思い改善しようと考えていたのだが、この手紙ではそこが良いのだ!と誉められており、大変うれしかった。ありがとうございます!
もう1件、銀座のK書店YさんからもFAXが届いていたのだが、こちらは先日紹介した『俺のロック・ステディ』に関しての連絡で、集英社のPR誌「青春と読書」で花村萬月と鮎川誠の対談が載っていることを伝えてくれたのであった。さっそく読んでみたが、鮎川誠がカッコ良かった。
書店さんからの手紙(FAX)で思い出すのは、浦和レッズがJ2に降格した翌日のことである。会社に出社すると「死なないで」というFAXがたくさん届いていたのだ。あの頃はまだこのホームページもなく、私は書店向けDMでなぜか浦和レッズの事ばかり書いていたのである。今思い出しても泣けるエピソードである。
高野秀行さんのお家に行って、昨年ずーっと聴講していた上智大学の授業の出版についての相談。一番懸念していたのはタイトルだったのであるが、神に打たれたように高野さんの口からぴったりな言葉が出て、もう恐れるものはなくなった。
さて私はただいま減量しており、朝はバナナ1本とヨーグルトと豆乳と野菜ジュースで過ごしているのだが、さすがに成人男子にそれはきつく11時にはお腹がぐーっと鳴るのである。この日、高野さんの家に訪問したのはちょうどその腹が鳴る時間で、もし腹が減った場合のことを考え、高野さんの好物でもある(はずの)大福餅を6つ買って行ったのである。すなわち腹が減ったら「いただきものですがね」と出される大福を食べようと思っていたのだ。
ところが高野さんとの話はいつもどおり最初から盛り上がり、しかも多岐に渡るため、気付いたら1時を過ぎていた。その時間を確認した瞬間、私の腹はキュルキュル伸縮し出し、あまりの空腹に目眩が襲ってきたのである。
しかし高野さんの口からは「いただきものだけどね」が出ず、目の前に置かれている大福餅が袋から取り出される気配はない。私はもう我慢の限界であったのだが、そのとき高野さんのお腹もグウーと鳴った。いや鳴った気がしたのかもしれない。空耳か。どちらにしても私の空腹は限界をとっくに越えていたので、思わず「高野さんの好物ですから、ご遠慮なさらずどうぞ」と袋をあけるよう促したのであるが、高野さんは大福餅を確認しただけで開封せず、またプロレスの話に戻っていった。
プロレスはこの際どうでもいいのである。
私はもはや餓死寸前の男である。お願いですからその大福餅をひとつ恵んでください。恵んでいただけましたら、鬼ヶ島でもUMA探しでもソマリランドでもどこへでも付いて参ります、と言いたいところだったのだが、高野さんは相変わらずジャイアント馬場がいかに素晴らしいか話していたのであった。
思い返してみると目の前にいらっしゃる辺境作家・高野秀行さんは早稲田大学探検部の隊長としてコンゴの湖へ謎の怪獣・ムベンベ(『幻獣ムベンベを追え』集英社文庫)を探しに行った際、マラリアに罹り生死を彷徨っている隊員・田村氏に向かって「病は気から」と言ってのけた人物なのであった。
普通の人間であればそこで人間関係がぶち壊れるのが当然かと思うが、探検部というのは恐ろしい集団で、後に隊員・田村氏はこのときの体験をふまえ、人生で一番大切なものは家族であると知り、「やるっきゃない」という人生訓を得たと喜んで語っているのである。
ということは、今、私が大福餅を食わせてもらえず、空腹で死にそうになっているのも、もしかしたら高野さんから何かを教わろうとしているところなのかもしれない。たぶん今回は「やるっきゃない」では、ないであろう。「食うっきゃない」か? 奪っていいのか、その大福餅を。
私の記憶はその辺で飛んで、次に意識が戻ったときには松屋で牛丼を食べていた。
もしかして高野さんは大福餅が嫌いだったのだろうか。