10月13日(火)
- 『股旅フットボール』
- 宇都宮 徹壱
- 東邦出版
- 1,543円(税込)
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- 『本の雑誌 317号』
- 本の雑誌編集部
- 本の雑誌社
- 700円(税込)
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我が浦和レッズは、天皇杯2回戦で松本山雅FCに敗北を期す。
松本山雅はアジア・チャンピオンズ・リーグに出場している中国のチームで......というのはまったくの嘘で、北信越リーグ1部に所属しているチームである。地域リーグに関しては『股旅フットボール』宇都宮徹壱著(東邦出版)に詳しいが、おそらく、たぶん、私の記憶に間違えがなければ、浦和レッズが所属するJ1リーグより、3つ下の半分はアマチュアのリーグだと思うのだが、もはや私の記憶は16年前に飛んでいるので定かではない。天皇杯で、地域リーグのチームにJ1のチームが負けたのは史上初という言葉が私のうつろな頭を彷徨っているが、それもよくわからない。とにかく来年の元日に、私が国立競技場にいないということが、10月11日に確定したということだけ理解している。
その翌日の月曜日、春日部の実家に行く用事があったのだが、晴れ渡る空を見て、私は唐突に走って帰ろうと思ったのであった。
ちなみに私が住む浦和から春日部まで15キロあり、この一年間ランニングを続けている私にとってその距離は未知の世界であった。ただ最近私はランニングの怖さというものに気づき出したのであるが、私は平日5キロ、休日10キロほど走っており、これを続けていると例え10キロ走っても達成感や疲労感などほとんど感じなくなってしまうのである。
ランニングを始めた頃は3キロ走っただけで息が上がり、心臓の鼓動は耳元で聞こえるほど大きかったのであるが、今では10キロ走っても汗をかくくらいで、そのままサッカーの試合をしても問題がなさそうである。それはそれで体力や筋力が付いたから良いのかもしれないが、運動をしたからにはそれなりの苦労を味わいたい。ヒーヒーハァハァ言いたいのである。
おそらくマラソン大会に出場している人は、ここから飛躍するのだと思う。いったいどれくらい走れるのだろうか? あるいはどれくらいの早さで走ることができのか? そう思って各地域の大会にエントリーしているのであろうし、一度そうやってタイムが計測されたら、おそらく一生そのタイムと戦うことになるのだろう。
危なかった。
実は私も先日「さいたまシティマラソン」にエントリーしそうになったのである。ただ、その我らが聖地・駒場スタジアムをスタートし、大宮方面へ走る20キロという距離を私は走ったことがなかったのだ。10キロまでは走れる自信があるが、それ以上については皆目検討がつかない。コース途中に相棒とおるの家があるので、つらくなったら風呂にでもいれてもらう方法もあるかもしれないが、それにしたって不安である。
いや、そもそも私は一人になりたくてランニングを始めたのに、集団になって走ってどうするというのだ。しかも私は死ぬほどの負けず嫌いで、一度でもタイムを計ったら、それをクリアするために何でもするだろう。
というわけで、私はエントリーを諦めたのであるが、しかし心のなかに「私は何キロ走れるのだろう?」という想いがわいたまま消えないのだ。その挑戦が今日なのである。
「1時間経ったらスタートしてくれ」と車で実家に向かう妻には言い残し、いつも車でひた走る道を走り出す。
30分経っても軽快で、1時間が過ぎてもどこも痛くない。しばらくすると「パパ、すげー」という声が聞こえ、娘が助手席から大きく手を振って、過ぎ去っていった。その頃から私にとって未知の距離、未知の時間に突入し、少しだけ息が上がり出したのだが、もう実家はすぐそこであった。
その瞬間であった。私はランニングでこのような感情がわき起こるとは想像もしなかったのであるが、サッカーの試合でゴールを決めたような、あるいは直球で4番打者から三振をとったときのような、爆発的な歓喜が、心の底からわき起こってきたのである。実家の玄関をあけると、私はマラドーナのように絶唱したのであった。
次の瞬間、私が思ったのは「ヤバい」であった。
なぜならこんな感情を一度でも味わってしまったら、ランニングがやめられなくなってしまうではないか。
★ ★ ★
思わず長くなってしまいましたが、本日は、そんなことよりも『本の雑誌』11月号が搬入となりました。特集は昭和の文学が面白い!です。高野秀行さんの「名前変更物語(中)」と永江朗さんのルポ「『1Q84』24時」も必読です。
松本山雅はアジア・チャンピオンズ・リーグに出場している中国のチームで......というのはまったくの嘘で、北信越リーグ1部に所属しているチームである。地域リーグに関しては『股旅フットボール』宇都宮徹壱著(東邦出版)に詳しいが、おそらく、たぶん、私の記憶に間違えがなければ、浦和レッズが所属するJ1リーグより、3つ下の半分はアマチュアのリーグだと思うのだが、もはや私の記憶は16年前に飛んでいるので定かではない。天皇杯で、地域リーグのチームにJ1のチームが負けたのは史上初という言葉が私のうつろな頭を彷徨っているが、それもよくわからない。とにかく来年の元日に、私が国立競技場にいないということが、10月11日に確定したということだけ理解している。
その翌日の月曜日、春日部の実家に行く用事があったのだが、晴れ渡る空を見て、私は唐突に走って帰ろうと思ったのであった。
ちなみに私が住む浦和から春日部まで15キロあり、この一年間ランニングを続けている私にとってその距離は未知の世界であった。ただ最近私はランニングの怖さというものに気づき出したのであるが、私は平日5キロ、休日10キロほど走っており、これを続けていると例え10キロ走っても達成感や疲労感などほとんど感じなくなってしまうのである。
ランニングを始めた頃は3キロ走っただけで息が上がり、心臓の鼓動は耳元で聞こえるほど大きかったのであるが、今では10キロ走っても汗をかくくらいで、そのままサッカーの試合をしても問題がなさそうである。それはそれで体力や筋力が付いたから良いのかもしれないが、運動をしたからにはそれなりの苦労を味わいたい。ヒーヒーハァハァ言いたいのである。
おそらくマラソン大会に出場している人は、ここから飛躍するのだと思う。いったいどれくらい走れるのだろうか? あるいはどれくらいの早さで走ることができのか? そう思って各地域の大会にエントリーしているのであろうし、一度そうやってタイムが計測されたら、おそらく一生そのタイムと戦うことになるのだろう。
危なかった。
実は私も先日「さいたまシティマラソン」にエントリーしそうになったのである。ただ、その我らが聖地・駒場スタジアムをスタートし、大宮方面へ走る20キロという距離を私は走ったことがなかったのだ。10キロまでは走れる自信があるが、それ以上については皆目検討がつかない。コース途中に相棒とおるの家があるので、つらくなったら風呂にでもいれてもらう方法もあるかもしれないが、それにしたって不安である。
いや、そもそも私は一人になりたくてランニングを始めたのに、集団になって走ってどうするというのだ。しかも私は死ぬほどの負けず嫌いで、一度でもタイムを計ったら、それをクリアするために何でもするだろう。
というわけで、私はエントリーを諦めたのであるが、しかし心のなかに「私は何キロ走れるのだろう?」という想いがわいたまま消えないのだ。その挑戦が今日なのである。
「1時間経ったらスタートしてくれ」と車で実家に向かう妻には言い残し、いつも車でひた走る道を走り出す。
30分経っても軽快で、1時間が過ぎてもどこも痛くない。しばらくすると「パパ、すげー」という声が聞こえ、娘が助手席から大きく手を振って、過ぎ去っていった。その頃から私にとって未知の距離、未知の時間に突入し、少しだけ息が上がり出したのだが、もう実家はすぐそこであった。
その瞬間であった。私はランニングでこのような感情がわき起こるとは想像もしなかったのであるが、サッカーの試合でゴールを決めたような、あるいは直球で4番打者から三振をとったときのような、爆発的な歓喜が、心の底からわき起こってきたのである。実家の玄関をあけると、私はマラドーナのように絶唱したのであった。
次の瞬間、私が思ったのは「ヤバい」であった。
なぜならこんな感情を一度でも味わってしまったら、ランニングがやめられなくなってしまうではないか。
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思わず長くなってしまいましたが、本日は、そんなことよりも『本の雑誌』11月号が搬入となりました。特集は昭和の文学が面白い!です。高野秀行さんの「名前変更物語(中)」と永江朗さんのルポ「『1Q84』24時」も必読です。