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11月22日(日)炎のランナー日誌

 明日、23日はさいたまシティーマラソンで、私はこれに娘のサッカー仲間と走ろうと考えていたのだが、まだハーフ・マラソンどころか、15キロ以上走ったことがなく、まあ簡単に言えばチキンなハートに負けて、申し込みできなかったのである。

 その悔しさというか、しょぼさというか、まさに自分らしい姿に嫌気がさし、前日、ランニングに出かけた。日曜日のランニングは、『マラソンは毎日走っても完走できない』小出義雄(角川SSC新書)の教えどおり、スピードではなく距離を長くはしることを目標してスタートした。だから私の走るコースのうちの15キロをコースを選んだのだが、何の気なしにいつものコースを逆回りで走り始めた。

 5キロほど走った頃だろうか。いつも気付かなかった橋が目の前に見えてきた。私が走っているのは見沼代用水という江戸時代に灌漑された川沿いなのだが、その橋はその真ん中を走る芝川を渡る橋であった。あっちへ行けば大宮だ、確か向こう側にも水路があり、並行して走っているはずだから、その水路を走って帰ろうと方向転換したのである。そこまでは「ぶらり途中下車の旅」であった。今まで存在を知らなかった神社などを発見し、石段を駆け上がったり、ラン園などを見ながら心地よく走っていた。

 ところが私があるはずだと考えていた、反対側の水路はいつまで走っても見当たらず、これはもしかすると頭のなかにある地図と実際の地理は違うのではないかと考え出したときには、時既に遅し。方向感覚もわからなくなっており、目印になるはずの建物も見えなくなっていた。完全に迷ってしまった。

 そうは言ってもさいたま市である。走っていれば知っている所にでるだろうと、適当に走り続けていたのだが、いつまで経っても見覚えのあるところが出てこない。電信柱の地名を見ても見慣れぬ地名で、それがさいたま市のどの辺なのかまったくわからない。そこで気付いたのだが、車で道に迷ったときは何分か走らせていれば国道や太い道にぶつかって自分の位置関係がわかるものなのだが、ランニングの場合、30分走っても私の場合移動距離はたったの5キロなのである。ひとまず川を見つけたのでそれ沿いに走ればいつか付くはずだと思ったのだが、川の流れが私の想像と逆だと気付いたときには、すでに迷って30分以上が過ぎていた。

 これはもしや遭難というのではないか。あたりは日が暮れはじめ、しかも街灯もないようなところである。

 とにかく車の通る道に出て、道を尋ねようと走り出すが、そういう道にでるまでまた15分はかかった。ところが道に出ても歩いている人はおらず、びゅんびゅん通り過ぎて行く車ばかりである。もはや気分は「田舎に泊まろう」だ。

 やっと人影を見つけたのは、ボックス型の精米所で、親子が唸り上げる精米機にお米を投入していた。助かったと、扉をノックし、「すいません、走っていたら道に迷っちゃって」と声をかけると、振り向いたのは外国人であった。東南アジア系のおっさんで、どうして私は私の地元さいたまで外国人に道を聞かなければならないのか。しかし仕方ない。まさかここであっ、いいですとは言えず、わからないだろうと思いつつも道を尋ねる。

「東浦和駅ってどっちですかね?」
「ヒガシウラワですか? この道をまっすぐいくとコクドウ122ゴウセンにぶつかります。そこに看板がデテマスカラ」

 この道を真っ直ぐ......。私は右の方だと思うんだけど、違うのか。しかも国道122号は全然違うのではないか。やっぱりこの外国人は適当なことを言っているんじゃないか。いろんな想いが私のなかで芽生えたのあるが、今はこの人を信じるしか、まさに道がない。というわけで言われたとおり真っ直ぐ走り出したのであるが、やっぱり外国人である。日本語が達者だったが、どう考えても私よりさいたまに詳しいわけがない。

 しばらく言われたとおり道を走ったが、何だか不安であるし、思ったような場所に出て行かない。ちょうどそのときビニールハウスの手入れをしている若夫婦がいたので、また道を聞くことにした。

「あの〜ランニングしていたら道に迷っちゃって」

 頼む、笑わないでくれ。笑いたい気持ちはわかる。俺だって庭先でこんな風に話しかけられたら笑ってしまうだろう。でも当事者の私は笑うどころか泣きたい気分なんだ。
 
「あっそれだったらその先の信号を右ですね」

 笑いをかみ殺しつつ、旦那さんが教えてくれた。ありがとう、やっぱり外国人は間違っていたのね。まるでゴール直前のランナーのように私はスピードを上げて、その先の信号を目指した。しかしその信号の上には方向を示す青看板が出ているのであるが、まっすぐが埼玉スタジアム・越谷で、右折は大宮なのである。おい! 俺が行きたいのは浦和であり、東浦和だ。まあ、最悪、埼玉スタジアムまで行ければ、帰路はわかるのであるが、自分のいる位置が分からない以上、そのT字路から埼玉スタジアムまでの距離がわからない。ずーっと先かもしれないではないか。

 その時点でもうとっくに日は暮れており、私は家を出てから一時間半が過ぎていた。走った距離は15キロを超えたであろう。過去最長ランニング距離更新は間違いないのだが、もしかすると家族が心配して捜査願いを出しかねない。あの徘徊老人のように、市内中に響き渡るスピーカで呼び出されるの勘弁して欲しい。

「赤いジャージを着た38歳の男性が、夕方より行方不明になっております」

 それよりも私は外国人が言ったどこまでも真っ直ぐか、若夫婦が言った右か選択しなければならない。どうしたらいいんだ......としばし立ち止まって考えていると、路線パスが通った。それは私が日頃使用している駅から出発しているはずのバズで、そのバスは大きな敷地のなかに吸い込まれていった。そここそが、バスの終点であり、操車場であった。私は走って(いやずーっと走っているのだ)、その操車場に入り、バスの運転手に道を尋ねた。だから笑わないでくれって。

 結局、私は浦和と大宮の間におり、私が考えた場所より、ずーっと岩槻よりにいた。そして外国人が教えてくれた道も、若夫婦が教えてくれた道も間違いではなかった。どっちからも行けたのだ。

 さて、そこからバスに乗って帰れば楽なのであるが、私は一銭も持っておらず、というか何も持たずにランニングしているため、迎えにきてもらうこともできない。バスの運転手に地図を見せてもらい、最短コースを教わると(それはバス路線だった)、そこから約一時間かけて私は家に着いた。

 走り始めて2時間半。距離にしたら25キロぐらいだろうか。ハーフマラソン以上である。

 さぞや家族も心配しているであろうと思ったら、妻と子どもたちは風呂に入っており、みんなで「忍たま乱太郎」の主題歌「勇気100%」を歌っているではないか。

 ホッとして座り込んでしまったが、何だか家の様子が変である。今までと違うような気がする、というか私自身が何だか変なのである。ここは本当に私の家だろうか。まるで宇宙人に連れられて、金属チップを埋め込まれたような気分であった。

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