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- 『散歩の達人 2010年 02月号 [雑誌]』
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連日の仕事と酒でフラフラなのだが、明け方になると娘が布団に潜り込んで来て、それをぎゅっと抱きしめると身体の芯からジワジワと力が沸き起こってくる。
去年の今頃は「もう来年は9歳だし、お父さんとべったりしたりしないだろうな」と不安に思っていたのだが、もしかすると我が娘は永遠に父離れせず、このままべったりなのではないかと逆に心配になる。
よくよく考えてみるとこのひとつの布団に父と娘が抱き合って寝ている姿というのも異様で、娘の身長は現在132センチで私は163センチだから30センチしか差がないのである。これは180センチの男性と150センチの女性が付き合っているのと構図は変わらないわけで、父と娘ということを取り除くと、とんでもないことなのだる。しかも隣には妻が寝ているわけで、こんなところで、別の女と抱き合って寝ていたら大変だ。
娘だからいいのだ、と自分に言い聞かせる。いや私の気持ちとしては当然これは女として抱きしめているのではなく、猫や犬を抱きしめているのとまったく同じ気分なのである。しかし、なんとなく娘は女の子から女になりつつあり、いまだ一緒に入っているお風呂では、胸が大きくなっている気がするのである。思わず視線をそらしそうになるが、それも変なので、必死に気にしないようにしている。それでもやっぱりそれは確実に大きくなっており、いったいこれはどこまで大きくなったときに風呂に入るのをやめたら良いんだろうか。
世の中には20歳までお父さんとお風呂に入っていたという娘さんもいるようだが、そのときお父さんはどんな気持ちでどんなことになっていたのか私は知りたいのである。娘に捨てられるのもツライが、娘を突き放すのもツライ。どうしたらいいんだ。
直行で営業。本日のルートをここに書いたらほかの営業マンにビックリされるだろうが、秘密にしておく。なぜならこれがスタンダードになってしまったら私も死んでしまうからだ。
埼玉では「散歩の達人」の大宮・浦和特集が飛ぶように売れていた。浦和人の私も即購入し読んでみたが、住民でも知らないようなお店がいっぱい載っていて面白かった。また『これでいいのかさいたま市』(マイクロマガジン社)という、こちらはサブカル的なムックも有り、これは浦和のK書店さんで三桁を超える大ベストセラーになっているそうだ。ちなみに今これを書いている時のこの本のamazonの売上順位は134,023位である。リアル書店とネット書店の違いが鮮明にでる面白い例だと思う。
今日こそは早く帰ろうと思ったのに、家に就いたら22時だった。
娘を抱きしめて寝る。
目黒さんには大変申し訳ないのだが、最近会う人会う人「顔が小さくなりましたね」といわれるのだった。現に先ほど届いたメールには「杉江さん、お顔が締まりましたね。」と書かれていたし、本日お会いした書店員さんには「男前になりましたね」と誉められた。体重は昨夏から8キロ減っている。相変わらずランニング三昧の日々で、週4日計40キロが、日課というか週課なのである。
駆けずり回り営業の日々。
こんなことになるなら12月にもっと頑張っておけば良かったのだ。
夜は、横浜のY書店NさんとUさんと酒。
「杉江くんの良いところは、ウソをつかないところと威張らないところとブレないところだ」と酔ったNさんから褒められるが、妻が聞いたらズッコケていたことだろう。
ああ、ついに発見してしまった。というか今頃読んでいるのか、という感じなのだが。
残念ながらお亡くなりになった動物行動学者、日高敏隆さんの『セミたちと温暖化』(新潮文庫)を読んでいて、やっぱり科学をしている人の文章はいいなあと思いを深める。そこでずーっと気になっていた『寺田寅彦随筆集』(岩波文庫)を手にしたのだが、これがもう私好みのまさに「随筆」で、とにかくページをめくっているだけで心地よいのだ。しばらくはこのシリーズ全5巻を読むことに集中したい。
そういえば金曜日は、お医者さんから執行猶予付きで釈放された大竹聡さんと浅草を取材したのであった。ガンマーの下がった大竹さんは、相変わらずガブガブと酒を飲み、二人でテレビに映る朝青龍の相撲を見たのであった。
営業は2月の新刊『キムラ弁護士、小説と闘う』の事前注文取りが佳境を迎え、あり得ない移動で書店さんを駆けずり回る。
夜、松戸のR書店さんで3月から始まる販売コンペの説明会&飲み会に参加。
御茶ノ水では2度勝っているのだが、ここ松戸ではいまだ優勝経験がなく、今度こそ勝ちたいのだが、周りを見渡すとみんな大きな会社ばかりで、なぜに私がここにいるのかという感じになる。
そういえば名刺交換させていただいた出版社の営業マンからも「たぶんなんかうちの会社もお世話になっていますよね」と言われたのだった。偉くも大きくもなりたくないが、卑屈にもならないようにしないとな。
所属しているサッカーチーム「FC白和」の新年会に参加する。
何せ私はチームの2年連続得点王だから、新年会の会費は無料なのだ。ここは誰よりも先に行って、大いに酒を飲まなければならない。開始1時間前にお店に着くと「予約は8時からです」と追い出された。しばし本屋で待つ。
思い返せば一昨年のことだ。
あの時は最終戦を前に、一番上手な松本が首位、1点差で私という状況だったのだが、どうしても得点王になりたい私は、味方のゴールをブロックするという「自殺クリア」をし、その甲斐あって得点王に輝いたのであった。
しかし喜んでいたのは私だけで、そのときの新年会は、「乾杯」の挨拶もなく、しばらくすると席が私だけ孤立。みんな別テープルで和気あいあいやっているをみて私は気づいたのであった。
「もしかしてサッカーって自分のゴールより、チームが勝つことが大事なのでは」
サッカーを始めて30年、目からウロコが落ちた瞬間であった。
そこで2009年シーズンは、チームの勝利を最優先に考え、日々のランニングによる影響で運動量が増えたこともあるのだが、守備に攻撃にと積極的にグラウンドを走り、ゴール前で点を取ることだけに専念するプレイスタイルから足を洗ったのであった。
それなのに最終戦で私が21ゴールでチームの得点ランキングトップだったのは、抑えきれないゴールへの嗅覚というか、能力以外のなにものでもないだろう。
だがこれでは2008年と一緒になってしまうと、私は3点差で私を追う森川や上田に、小野伸二よりも優しい「エンジェルパス」を供給したにも関わらず、彼らはゴールを外しまくったのであった。これも能力以外のなにものでもないだろう。
だからこそ、今回の2年連続得点王はみんなに祝福されるだろうと考え、レモンサワー片手に高らかと「カンパーイ」と発声したのに、みんなは沈黙。そして今年は丸テーブルの宴会場にも関わらず、私を挟んで右側と左側で別の話題で盛り上がっているではないか。私はどっちにも入れず、泥酔の人となったのである。
「もしかするとこれはチームが勝つことよりも、私が嫌われているのではないか」
お開きが近づくと、親友にして一緒にサッカーをして20年の下澤が、携帯電話片手に話し込んでいる。下澤の奥さんはアル中の酒乱で、旦那がどこかで酒を飲んでいることを大人しく見守っているようなタイプではない。おそらく自宅でワインの1本や2本を開け、「早く帰って来い!」と絡まれているのだろう。
しばらく話し込んでいた下澤が、電話をきると満面の笑みで私を見つめるではないか。
さすがに親友である。今までの冷たい態度は演技で、ここから金色に輝くスパイクなど取り出し、「杉江くん、おめでとう」というのであろう。
「杉江」
「うん?」
「クラス会呼ばれちゃった」
「えっ?」
「だから高校のクラス会があるんだって」
私と下澤は同じ高校の同じ教室で授業を受けた仲である。ということは私が間違っていなければ、同級生なのではなかろうか。
「あれ?」
「杉江、前も呼ばれなかったよな」
そういえば、高校を卒業して数年後、私が家でひっくり返ってテレビを見ていると下澤から電話があったのだ。
「お前、何で来なかったんだよ」
「えっ?」
「今日高校のクラス会だっただろう。忘れたのか」
そのとき後ろでゴニョゴニョ騒ぎ出している声が聞こえ、私が沈黙していると下澤はあわてて電話を切ったのである。あれは私の人生の七不思議のひとつだったのだが、そうか私はやっぱり声をかけてもらえなかったのか。しかしあれから約20年である。そろそろ水に流してやってもいい気分である。
「だから、今の電話で隣に杉江もいるから伝えておくよとか言ってくれたんだろう?」
「言わないよ」
「なんで?」
「だってお前のことみんな覚えてないよ。学校に来てなかったじゃん」
娘よ、息子よ、学校には行ったほうがいいぞ。
最近考えているのがクチコミに関してである。
例えば、新刊を出す。
評判が気になってタイトルでネット検索をする。
早い人は発売日に感想をアップしたりするが、そうでなければ1週間、1ヶ月、あるいはずーっと後になって、ブログやamazonやたなぞう、読書メーターなどで感想が書かれる。
書かれた量に比例して、本の売れ行きは当然上がっていく。
広告ではないけれど、出版社や著者にとって、これほどありがたいことはないし、そこから出てくる答えは、「いい本(面白い本)を作ればいつか伝わる」という性善説のような思いである。
しかし問題なのはその時差だ。
新聞やテレビ、電車の中吊りなどで大々的に広告を打てば、本が出たことや面白いことが不特定多数の人に伝わり、一気に動き出すこともあるだろう。
しかしこのクチコミはもっと時間がかかる。明日かもしれないし、来月かもしれないし、来年かもしれない。たとえツイッターのように即時性があったとしても、やっぱり時間がかかると思う。
そうなったときに完全にミスマッチしているのが、いまの出版業界なのではないか。
新刊の点数が膨大なため、2週間とか1ヶ月で書店さんは本の見切りをつけなければならない。数日前に書いた返品の話だ。しかし読者がクチコミでその本の存在を知るにはもうちょっと時間がかかる。知ったときには店頭になく、諦める人もいれば、ネット書店で購入する人もいるだろう。つけ麺が美味しいと噂になっているラーメン屋に行ったら、つけ麺は先月までで、今月からは味噌ラーメンですと言われているようなもんだ。
またそれは出版するほうも一緒で、作家や作品を売れ出すまで我慢できなくなっている。沢木耕太郎の『旅する力--深夜特急ノート 』を読んだとき、それは沢木さんがどうやってノンフィクション作家になっていったかの部分なのであるが、こんなにじっくり育ててもらえたのかと思ったのである。今だったら文章修業はもちろん、3作も待ってくれない会社ばかりだろう。磨けば光材料を磨き切るまえに諦めているか、あるいはもう磨く能力もないのかもしれない。
クチコミとはまったく違うところに辿りついてしまったが、こういう状況をどうしたらいいんだろうか。いろんなことを考えていると、いつだか書店員さんが言っていた言葉を思い出す。
「お客さんにとってはその日手に取った本は、みんな新刊だからね」
明日に迫った2010年本屋大賞ノミネート作品発表に向け、準備に大わらわ。
午後からは太田和彦さんのところへ伺い、打ち合わせ。そしてそのまま五反田や目黒などを営業。
直木賞受賞作の重版分がやっと店頭に届いたようだが、やっぱりこのタイムラグは、現代において厳しいのではないか。先日聞いた書店さんの話だが、発表後品切れになり、お客さんに1週間後に入りますと答えてもほとんど予約取置していく人はいないそうだ。その間に読者は次なる情報を手に別の本を買っているか、直木賞のことをすっかり忘れている可能性が高い。
もったいないおばけが棚をうろうろしていた。
『増大派に告ぐ』小田雅久仁(新潮社)をじっくり読みつつ、その合間に出たばかりの『活字たんけん隊』椎名誠(岩波新書)を読む。椎名本をすべて読んだ気になっていた若い頃、岩波新書でこのシリーズの最初の作品『活字のサーカス』を発見したときの嬉しさを思い出す。そして読み出してすぐあまりの面白さに大笑いしつつ、まさに活字の世界に引き込まれていったのも忘れていない。思えばあの辺から私の今の人生は始まったのかもしれない。
今作も相変わらず椎名的読書の名エッセイになっており、まったく興味のない世界の本なのにみんな読みたくなってしまうのはどういうことだ。面白小説を追い求めるのも読書のひとつであるが、椎名さんのように好奇心に赴くままずんずんとそのジャンルを探求していくのも読書の醍醐味だろう。早くこういう大人の読書ができるようになりたい。
営業は京王線へ。
なんていうか最近はまっとうな営業マンに戻り、黙々と書店さんを廻っている。
そして気づいたのだが、やっぱり営業は楽しい、ということだ。いいことも悪いことも普通のこともみんな楽しい。
週末に読んだ2冊の小説があまりにつまらなく、書評家の東えりかさんが以前言っていた言葉を思い出す。
「どうにもならない小説は本当にどうにもならないんだけど、ノンフィクションの場合、どこかしらへえって思うところがあるじゃない」
確かにその通りである。どうにもならない小説はどうにもならないのだ。
その口直しというよりは、「本の雑誌」2月号で豊崎由美さんが「第21回日本ファンタジーノベル大賞が、とんでもなくハードでヘビィな新人を発掘してくれたことに感謝。皆さん、読んで下さいと切望。読んでくれなきゃ失望の巻なんであります。」とまで、オススメされていた『増大派に告ぐ』小田雅久仁(新潮社)を読みだす。冒頭を読んだけで、これが本物の小説だとぶっ飛ぶ。ドキドキ。間違いなくすごい小説だ。
★ ★ ★
月曜日。出社するのが楽しみだ。週末に売れた補充がファックス注文で届いていたり、電話が鳴り出したりするからだ。まあそういうことはそう多くなく、浜田のデカい声だけが響いていたりするのだが......。
しかし本日朝イチで送られてきたファックス注文が、先週金曜日に発売したばかりの『新書七十五番勝負』で、もしや未着なのではないかと注文短冊を疑った目で見てしまったが、そこには大きく「追加分」の文字。うれしい。
うれしいときには手を叩こう、ではなく直納だ!というわけで、神保町のT書店さんへ。
「2階の新書コーナーで売れてるんだけど、新刊コーナーにも積むから」
ありがとうございます。頭を垂れつつ、すぐ近くのS書店さんを訪問するとこちらも新刊コーナーと新書コーナーに平積みしていただいおり、早速日ごろ面識のない新書担当者さんに感謝の念を伝える。
その後、東京方面に営業に向かうがなかなか会えず、気分一新、中央線の続き。
阿佐ヶ谷へのS書店さんや荻窪のB書店さんを営業し、会社に戻ると『新書七十五番勝負』の追加注文状況を事務の浜田が嬉しそうに伝えてくる。
頑張れ!『新書七十五番勝負』!!
営業は中央線の続き。
なかなか終わらないのである。
たとえば吉祥寺......。私が営業で訪問しているのは3軒。そんなの半日あれば終わるだろうとふつうの人は思うだろうが、そう簡単に行かないのがアポなし営業である。
A書店のAさんは食事中、その間にB書店を訪問するとお休み、じゃあとC書店へ向かうとこちらは現在会議中なんてことがしょっちゅうある。振り出しに戻ってA書店に伺うと、レジの時間だったりしたら、もうオシマイだ。私には上司がいないからいいけれど、きちんとした会社であれば報告書にどう書くか悩んでしまうだろう。
ならばアポ取りすればいいじゃないかと思われるだろうが、おそらく電話をしたら「いいよ、いいよ、忙しいでしょう。注文は10冊ね」なんて電話で終わってしまう。
楽ではないか。そう思ったあなたは営業に向いていない。なぜなら注文を取るだけが営業の仕事ではないのである。書店さんの棚を見て感じる何かがとても大切なのだ。ハッキリいって売上データなんていう情報はすべて過去の産物であって、これからのことはどこにも書いていないのである。それは書店の棚にあるのである。
長い言い訳になってしまったが、なかなか営業が捗らない。そこで別の駅へ移動すると、てっきり教科書販売に追われている頃かと考えていた店長さんが売り場におり、そのままお茶へ誘っていただく。♪幸せは歩いてこない だから歩いていくんだね
本屋さんや出版業界の現状を事細かに教わりつつ、ずーっと不思議に思っていた質問を投げかけてみる。
「本が売れなくなってもどうしてこう暇にならないんですかね。暇になるどころか忙しさは増してますよね」
「出版社はまあ1点の売上が下がれば出版点数で稼ぐってことだからそれはアイテム数が増えて忙しくなるよね。書店はさ、売れているときは例えば5冊入ってきて4冊売れたとするでしょう。まあ追加注文するならす別だけど、そうじゃないなら残った1冊を棚に差して、新刊で入ってきた別の本を平積みすればいいの。でもさ、今みたいに売れないと、新しい本が入ってきても返品をしないと積む場所がない。その返品が難しいんだよね。明日売れるかもしれないわけだから。だから過去のデータをみたり、いろんなことを考えて棚から抜き取るのに時間と手間がかかって結局忙しくなっちゃう。まあ、人手が減っているというのが大きいけど」
そういえば別の書店員さんが言っていたっけ。
「書店っていうのは入荷には意思はないけど、返品には意思があるんだよ」
店長さんとの長話は、「結局、僕たちが願うのはとにかく出版社にいい本、売れる本を作って欲しいってことに尽きるんだけど」で終わったのだった。
「本の雑誌」2010年1月号でレポートした「新潮社10万部越え記念特装本」の続きで、ではその革張りの特装本はどうやって作られているのか取材に向かう。
場所は大口製本印刷三芳工場。
しかし、ここまで来ると私や浜本ではその凄さをしっかり伝えることができないだろうと、『印刷に恋して』(晶文社)や『本に恋して』(新潮社)の著作もあり、どっぷり本造りの世界にハマりこんでいる内澤旬子さんに取材をお願いする。
内澤さんはビデオとカメラを手に、迷いのまったくない動きで革を貼り、折り、魔法のように本を作っていく職人さんに食らいついていくのであった。その姿があまりにカッコよく、浜本は「内澤さん凄いよ」と呟いたのであるが、帰りので電車のなかで内澤さんはこう感想を漏らしたのであった。
「あー、血のでない取材は久しぶりだったなあ」
やっぱり内澤さんはカッコいいのであった。
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夜遅くまで、本屋大賞の会議。
朝5時に起きてランニングしていたので、もうクタクタである。
中央線の続きで、吉祥寺を営業。
吉祥寺の書店事情は、駅ビルの建て直しや階層による、この春また激変する。弘栄堂のあとに出店していたブックファーストは、現在駅ビル・ロンロンからアトレへの階層により閉店しているが、4月のアトレオープンとともに、再オープンする。またユザワヤのビルの建て直しにより、啓文堂は場所を変えて(丸井)営業となるそうだ。私はこの、吉祥寺の啓文堂の売り場が、引越ししても良いほど大好きだったので大変残念なのであるが、移転後もぜひあの売り場を再構築して欲しい。
夕方、WEB赤坂見付けで打ち合わせした後、阿佐ヶ谷のよるのひるねへ向かい、出版サッカーバカ飲み会の新年会に参加。いつもどおり4時間ほどサッカーの話で盛り上がるが、高校サッカーから古い時代のサッカーまで語り尽くす人たちに、記憶力のまったくない私はついていけないのであった。
私が部活好きだと思われたのか、出版前の仮綴本が届いた。
第22回小説すばる新人賞受賞作『桐島、部活やめるってよ』朝井リョウ(集英社・2月5日発売)。
しかし実は私、部活が心底嫌いなのである。なぜなら中学校のサッカー部で、長ランにウルトラドカンを履いたパンチパーマの先輩達と命がけの2年間を過ごし、また顧問という名の頭のイカレタ先生と日々熱いバトルを繰り返した結果、身も心もボロボロになってしまったのだ。だからこそ好きだったサッカーともおさらばし、高校では部活に入らず、学校にも行かず、麻雀とパチンコに明け暮れていたのである。
だから「騙されたと思って読んでください」と言われても、騙されない覚悟で読み始めたのであるが、あっという間に物語の高校生たちの生活に引き込まれてしまった。そうだよな、そうだよな、どんな部活に入っていようが、入っていまいが、毎日こうやって悩むんだよなと埼京線のなかで涙したのであった。
野球部、バレー部、ブラスバンド部、女子ソフトボール部、映画部のそれぞれの子たちをオムニバス形式に追う連作なのであるが、誰ひとりとしてスーパーな高校生が出てくるわけではない。ただしここで描かれているのは等身大の高校生の暮らしであり、そしてそれは今、38歳の私と何ら変わらないのであった。
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本年最初の「本の雑誌」2010年2月号が搬入となる。
吐く息が真っ白になるなか、雨に濡れないよう抱え込んで社内に運び込む。
この2月号は、船戸与一や志水辰夫の作家デビューのきっかけを作った名編集者・白川充氏のインタビューから超マニアによるプロレス本座談会、そして特集の読書手帳といろんな切り口から本の面白さを伝えられる自信作です。ぜひ。
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営業は中央線の立川、国立。
配本の少なすぎる文庫に怒る書店員さんや逆に配本が多すぎる単行本にあきれ果てている書店員さんと話す。
その後、山口瞳さんのエッセイのなかでもよく出てくる国立の増田書店さんを訪問。Y店長さんから「最近『本の雑誌』は完売が続いているよ」と嬉しい言葉をかけられる。「子どもはいっぱい本を読んでいるみたいだから、これからは大人に本は楽しいんだってどんどん伝えていかなきゃ」。ここにもひとり、本の力をしっかり信じている人がいた。
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その国立出身の「酒とつまみ」編集長・大竹聡さんから電話が入る。大竹さんは昨年12月、γ-GTPが1000を超える(通常値75ぐらい)という快挙(暴挙)を達成し、怒り狂った医者から「あんたこのままだと死ぬよ」と1ヶ月の禁酒宣告をされたのであった。
おそらく自分でも酒抜いたらどうなるか試したかったのだと思うが、大竹さんは医者の言いつけを守り、この1ヶ月間ノンアルコールビールやジンリッキーのジン抜きなどを酒場で大人しく飲んでいたのである。しかし態度は酒を飲んでいる時とまったく変わらず、それを隣で見ていた浜田は「アンタたちに酒に必要はないね」と断言したのであった。
禁酒から1ヶ月過ぎた本日、再検査をしたところ、γ-GTPは200まで下がったそうで、これで肝硬変の疑いは晴れたそうだ。
「飲もー。飲もー」
大竹さんの牛のような声が電話の向こうから聞こえてきた。
ファンによる、ファンのための高野秀行講演会へ本を売りに行く。
以前医学書出版社に勤めていた頃、週末は学会等に本を持ち込み展示販売をしょっちゅうしていたので、机に本を並べて出店のように本を売るのが大好きなのである。
幹事の方から「濃い高野ファンの集まりだからみんな全部持っていて売れないかも」と心配されたのであるが、濃いファンはサイン本保存用にもう1冊買ってくれたりしてびっくりしたのである。
二次会にもまぜていただくと、美しい女性が「本の雑誌社の杉江さんですよね、この本復刊してください」と1冊の本と小指を差し出してくるではないか。その本とは、高野ファンの間で幻と言われている『アマゾンの船旅』ダイヤモンド社であった。これは「地球の歩き方」の執筆を依頼された高野さんが、気づいたら情報原稿でなく旅エッセイを書いてしまい、そのためにまた別のシリーズを立ち上げ出版された経緯のある本なのである。後に文章の部分は『巨流アマゾンを遡れ』(集英社文庫)となるのであるが、写真満載のこの単行本はまた違った印象を残す、素晴らしい本であった。
もちろん私も持っておらず、できることなら酔った勢いで盗んで帰ろうかと思ったが、女性は私の目をじっと見て「復刊してください」と相変わらず小指を差し出しているではないか。その向こうでムハハハと笑っている高野さんがおり、これはどうも刺客のようであった。私はじっと女性の小指を見つめつつ、頭のなかでソロバンを弾いていた。
朝イチで会社に向かい、出きたばかりの『新書七十五番勝負』の見本を持って、取次店廻り。この本は新書のところにも、文芸評論のところにも置けるようにと考え、判型は新書ながら、装丁は平野甲賀さんにお願いし、素晴らしい本になったと自負していたのであるが、地方小出版流通センターのKさんから、「いい本になったねぇ、売れそうじゃん」と声をかけられたのは、大変嬉しかった。
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夜、会社に戻って新しい編集者と単行本の企画の打ち合わせ。私にとって良い企画とは、その本を営業したくなるかどうかなのであるが、ほとんど今すぐにでも書店さんに紹介したい企画ばかりで、ほとんどゴーしてしまった。
通勤読書は『野人伝』岡野雅行(新潮社)。多くの逸話を残し、出てきただけでスタジアムの雰囲気を変えられる数少ない選手であった岡野雅行の自伝である。
サッカー選手の自伝なんて、大抵は貧乏な暮らしから逃げ出すようにサッカーをはじめ、あれよあれよと有名な選手になっていくパターンなのであるが、そこは破天荒な岡野である。よくわからず飛び込んだ先の全国の不良が集まる高校の話は、サッカーのことは関係なく爆笑できるものである。そういう意味ではプロになる前が面白いという珍しいサッカー選手の自伝であり、レッズサポだけでなく、またサッカー好きでなくても、楽しめる1冊。バモス岡野!
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新年が明けたら仕事の山だった。
午前中は企画会議。そういうえば昨日から新しい編集者が入ったのであるが、その紹介はジワジワとしていく予定である。
本屋大賞の一次投票の締切が迫っており、毎年のことながら書店員さんはギリギリで投票してくる。だから現時点で思ったほど投票数が伸びていないのも心配しなくていいのかもしれないが、そうもいかない。胃が痛い。
痛い胃を抱えて、1月の新刊『新書七十五番勝負』渡邊十絲子著の事前注文締め切り日が本日と迫り、まだ注文をいただいていない書店さんへ訪問したり、FAXしたり、電話したりの営業活動。
「新年早々大変ですね」と書店さんから声をかけられるが、なーに、私たち出版社は年末年始に休んでいるんだから大変なんてことはない。それどころか、この数年で、元日からの営業も当たり前になっている書店さんのほうがずーっと大変である。
夜遅くまで新刊の締め作業。明日は高崎。
明けましておめでとうございます。
本年も「本の雑誌」および単行本をよろしくお願いします。
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年を重ねるごとに、正月というか、新年が好きになっている。昔は初詣なんて面倒くさいばっかりで、父親や母親から「浅草寺に行くぞ」と声をかけられるだけで、もう動く気もしなくなったのだが、今や私が家族を率先して浦和レッズもお参りしている、調神社に向かっているのである。
思うに私は、もはや人生が自分の思うようにならないことを悟り、100円のお賽銭による神頼みにすがっており、また去年のことをすっきり水に流せる新年の感じが、たまらないのである。それにしても調神社の入り口には、でっかい肉をぶら下げたシシカバブを売る外国人の屋台が出ていたのはなんだったんだろうか。せめてだるまにして欲しい。
というわけで、今年の目標なのであるが、営業という仕事を15年以上続けた結果、どこかしら先入観が生まれ、動く前にあきらめることが増えてきた気がするのである。そして編集仕事を言い訳に廻るお店の数や頻度も減っている気がするのだ。これではイカン。私の存在価値は、ひとりであっちこっちも回っていることであるわけだから、今年は一度リセットして、営業に精進したいと思うのである。
ちなみに年末年始休暇の7日間は、合計21試合のプレミアリーグを見たのであるが、やはり元日に国立競技場のゴール裏に立てるサポータが羨ましかった。