1月23日(土)
所属しているサッカーチーム「FC白和」の新年会に参加する。
何せ私はチームの2年連続得点王だから、新年会の会費は無料なのだ。ここは誰よりも先に行って、大いに酒を飲まなければならない。開始1時間前にお店に着くと「予約は8時からです」と追い出された。しばし本屋で待つ。
思い返せば一昨年のことだ。
あの時は最終戦を前に、一番上手な松本が首位、1点差で私という状況だったのだが、どうしても得点王になりたい私は、味方のゴールをブロックするという「自殺クリア」をし、その甲斐あって得点王に輝いたのであった。
しかし喜んでいたのは私だけで、そのときの新年会は、「乾杯」の挨拶もなく、しばらくすると席が私だけ孤立。みんな別テープルで和気あいあいやっているをみて私は気づいたのであった。
「もしかしてサッカーって自分のゴールより、チームが勝つことが大事なのでは」
サッカーを始めて30年、目からウロコが落ちた瞬間であった。
そこで2009年シーズンは、チームの勝利を最優先に考え、日々のランニングによる影響で運動量が増えたこともあるのだが、守備に攻撃にと積極的にグラウンドを走り、ゴール前で点を取ることだけに専念するプレイスタイルから足を洗ったのであった。
それなのに最終戦で私が21ゴールでチームの得点ランキングトップだったのは、抑えきれないゴールへの嗅覚というか、能力以外のなにものでもないだろう。
だがこれでは2008年と一緒になってしまうと、私は3点差で私を追う森川や上田に、小野伸二よりも優しい「エンジェルパス」を供給したにも関わらず、彼らはゴールを外しまくったのであった。これも能力以外のなにものでもないだろう。
だからこそ、今回の2年連続得点王はみんなに祝福されるだろうと考え、レモンサワー片手に高らかと「カンパーイ」と発声したのに、みんなは沈黙。そして今年は丸テーブルの宴会場にも関わらず、私を挟んで右側と左側で別の話題で盛り上がっているではないか。私はどっちにも入れず、泥酔の人となったのである。
「もしかするとこれはチームが勝つことよりも、私が嫌われているのではないか」
お開きが近づくと、親友にして一緒にサッカーをして20年の下澤が、携帯電話片手に話し込んでいる。下澤の奥さんはアル中の酒乱で、旦那がどこかで酒を飲んでいることを大人しく見守っているようなタイプではない。おそらく自宅でワインの1本や2本を開け、「早く帰って来い!」と絡まれているのだろう。
しばらく話し込んでいた下澤が、電話をきると満面の笑みで私を見つめるではないか。
さすがに親友である。今までの冷たい態度は演技で、ここから金色に輝くスパイクなど取り出し、「杉江くん、おめでとう」というのであろう。
「杉江」
「うん?」
「クラス会呼ばれちゃった」
「えっ?」
「だから高校のクラス会があるんだって」
私と下澤は同じ高校の同じ教室で授業を受けた仲である。ということは私が間違っていなければ、同級生なのではなかろうか。
「あれ?」
「杉江、前も呼ばれなかったよな」
そういえば、高校を卒業して数年後、私が家でひっくり返ってテレビを見ていると下澤から電話があったのだ。
「お前、何で来なかったんだよ」
「えっ?」
「今日高校のクラス会だっただろう。忘れたのか」
そのとき後ろでゴニョゴニョ騒ぎ出している声が聞こえ、私が沈黙していると下澤はあわてて電話を切ったのである。あれは私の人生の七不思議のひとつだったのだが、そうか私はやっぱり声をかけてもらえなかったのか。しかしあれから約20年である。そろそろ水に流してやってもいい気分である。
「だから、今の電話で隣に杉江もいるから伝えておくよとか言ってくれたんだろう?」
「言わないよ」
「なんで?」
「だってお前のことみんな覚えてないよ。学校に来てなかったじゃん」
娘よ、息子よ、学校には行ったほうがいいぞ。
何せ私はチームの2年連続得点王だから、新年会の会費は無料なのだ。ここは誰よりも先に行って、大いに酒を飲まなければならない。開始1時間前にお店に着くと「予約は8時からです」と追い出された。しばし本屋で待つ。
思い返せば一昨年のことだ。
あの時は最終戦を前に、一番上手な松本が首位、1点差で私という状況だったのだが、どうしても得点王になりたい私は、味方のゴールをブロックするという「自殺クリア」をし、その甲斐あって得点王に輝いたのであった。
しかし喜んでいたのは私だけで、そのときの新年会は、「乾杯」の挨拶もなく、しばらくすると席が私だけ孤立。みんな別テープルで和気あいあいやっているをみて私は気づいたのであった。
「もしかしてサッカーって自分のゴールより、チームが勝つことが大事なのでは」
サッカーを始めて30年、目からウロコが落ちた瞬間であった。
そこで2009年シーズンは、チームの勝利を最優先に考え、日々のランニングによる影響で運動量が増えたこともあるのだが、守備に攻撃にと積極的にグラウンドを走り、ゴール前で点を取ることだけに専念するプレイスタイルから足を洗ったのであった。
それなのに最終戦で私が21ゴールでチームの得点ランキングトップだったのは、抑えきれないゴールへの嗅覚というか、能力以外のなにものでもないだろう。
だがこれでは2008年と一緒になってしまうと、私は3点差で私を追う森川や上田に、小野伸二よりも優しい「エンジェルパス」を供給したにも関わらず、彼らはゴールを外しまくったのであった。これも能力以外のなにものでもないだろう。
だからこそ、今回の2年連続得点王はみんなに祝福されるだろうと考え、レモンサワー片手に高らかと「カンパーイ」と発声したのに、みんなは沈黙。そして今年は丸テーブルの宴会場にも関わらず、私を挟んで右側と左側で別の話題で盛り上がっているではないか。私はどっちにも入れず、泥酔の人となったのである。
「もしかするとこれはチームが勝つことよりも、私が嫌われているのではないか」
お開きが近づくと、親友にして一緒にサッカーをして20年の下澤が、携帯電話片手に話し込んでいる。下澤の奥さんはアル中の酒乱で、旦那がどこかで酒を飲んでいることを大人しく見守っているようなタイプではない。おそらく自宅でワインの1本や2本を開け、「早く帰って来い!」と絡まれているのだろう。
しばらく話し込んでいた下澤が、電話をきると満面の笑みで私を見つめるではないか。
さすがに親友である。今までの冷たい態度は演技で、ここから金色に輝くスパイクなど取り出し、「杉江くん、おめでとう」というのであろう。
「杉江」
「うん?」
「クラス会呼ばれちゃった」
「えっ?」
「だから高校のクラス会があるんだって」
私と下澤は同じ高校の同じ教室で授業を受けた仲である。ということは私が間違っていなければ、同級生なのではなかろうか。
「あれ?」
「杉江、前も呼ばれなかったよな」
そういえば、高校を卒業して数年後、私が家でひっくり返ってテレビを見ていると下澤から電話があったのだ。
「お前、何で来なかったんだよ」
「えっ?」
「今日高校のクラス会だっただろう。忘れたのか」
そのとき後ろでゴニョゴニョ騒ぎ出している声が聞こえ、私が沈黙していると下澤はあわてて電話を切ったのである。あれは私の人生の七不思議のひとつだったのだが、そうか私はやっぱり声をかけてもらえなかったのか。しかしあれから約20年である。そろそろ水に流してやってもいい気分である。
「だから、今の電話で隣に杉江もいるから伝えておくよとか言ってくれたんだろう?」
「言わないよ」
「なんで?」
「だってお前のことみんな覚えてないよ。学校に来てなかったじゃん」
娘よ、息子よ、学校には行ったほうがいいぞ。