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2月5日(金)

 最近、私が会う多くの書店員さんが、ここ数年進んだ「書店の大型化」に疑問符を投げかけている。なかには自身が大型書店の店長さんだったりするのだが、何だか違ったのではないかと感じているようだ。

 八重洲ブックセンターのオープンから始まった「ない本はない」を目指す大型化は、後にジュンク堂の飛躍とともに、全国に波及していった。出版不況もなんのその、いやそれを埋めるために自転車操業と化した出版社の新刊点数の増大とともに進んでいったのだ。しかしその大型化の象徴だったジュンク堂書店池袋店のオープンから約15年、2000坪への増床から10年が経った今、書店という場は変わってきているのかもしれない。

 そう私自身も感じたのは、その大型書店で書店員さんを待っていたときだ。あまりに多くのお客さんがお店に入ってくるとともに検索機をたたいているではないか。そしてプリントアウトされた紙を持って棚に向かう。おそらくその本を手にレジに行くのだろう。

 もちろんそれは間違った行為ではないし、私自身も本を探すときにそうしているのだが、そこで行われている行動は、ネット書店で本を買っているのとまったく変わらない姿だと気付いたのだ。検索、購入、検索、購入。そう気付いた瞬間、目の前にあるリアル書店が、私にはamazonの倉庫に見えた。

 大型化は本来、本を探す、いやたくさんの本を発見する場を提案するはずだったはずだ。こんな本があったのか、こんな本も出ていたのか。それなのにどうもそういう使われ方をされていない。その辺のジレンマというか矛盾点を、私が会った書店員さんは感じているのだろう。

 そもそも本屋さんに来るお客さんというのは、何割ぐらい買う本が決まって来店しているのだろうか。私が思う購入する本が決まっている人は意外と少なく、「なんか面白い本ないかなあ」と思ってお店に入ってきている人が多いのではないか。あるいは本当は購入したい本だけでなく、他になんかないかなと思っているお客さんも多いのではないか。

 そういう浮動票的なお客さんにとって1000坪、2000坪の本屋さんは実は使いずらいのではないか。何せ文芸書の棚の前で首を振っても、著者名が「か行」から「さ行」に変わるくらいの変化しかないのである。町の本屋さんのように、となりに自然科学の本が並んでいたりしないのだ。それではあまりに発見がなさ過ぎる。

 私は一昨年の年末、中井の伊野尾書店さんでアルバイトさせていただいたのだが、そのときレジに入りながらお客さんを観察してみると、約20坪の店内をくまなく歩いて見るお客さんがたくさんいた。購入する文庫本を手に、ひとまず全部の棚を徘徊していたのだ。

 その姿と大型書店で検索機を叩いて本を買って行くお客さんの行動を比較すると、実はお店の広さは伊野尾書店のほうが広いということにならないだろうか。

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