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2月15日(月)

高丘親王航海記 (文春文庫)
『高丘親王航海記 (文春文庫)』
澁澤 龍彦
文藝春秋
514円(税込)
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 宮田珠己さんから「まだ読んでなかったんですか。それはいけません。」と半ば呆れられた『高丘親王航海記』澁澤龍彦を読む。じっくりと読む。その傑作ぶりに驚く......というか今さらこんなことを書いていて私は大丈夫なんだろうか。しかし無知というかバカなのだから仕方ない。恥を晒してでも死ぬまでに読めて良かった。いや死ぬ間際まで、何ども読みなおすことになるだろう。

 天竺へ向かう高丘親王なのであるが、そこで描かれるのは「どこだろう、ここは。」であり、「おや、へんなものがある」であり、すなわち旅そのものである。その未知と発見がまず素晴らしいのだが、読み進めていくうちに気づくことになるのは旅=人生という主題であり、最後の章で書かれす死生観は、言葉を失うほど美しい。

 ああ、この本は文庫本ではなく、単行本で読みたかった。いや単行本を持っておきたいと思わされる本である。しかしならが読み終えた後、文庫版についている高橋克彦の解説を読むと、またこの解説の作家愛、作品愛、作品理解の素晴らしさに打ちのめされる。最高の小説に、最高の解説。

★    ★    ★

 しびれるような読書に身を委ねた後考えていたのは、あまりに体たらくな姿となった日本代表チームのことであった。私は今や浦和レッズ至上主義なので、正直代表チームがW杯でどんな成績を残そうとどうでもいいのであるが、日韓戦といえば97年のフランス大会予選の国立競技場で放たれた山口素弘のループシュートであり、その後の逆転負けの悔しさだ。あの日は確か前夜から国立競技場の隣の公園にテントを張って相棒とおると泊まり込んで日本代表を応援していたのだ。

 それが今や......。しかしこんなチームでも、こんな選手でも日本代表なのである。カズとゴンは引退していないけれど、あの頃、あるいはそれ以前に日本代表として戦った選手たちを見よ! と八王子に向かう京王線のなかで叫びそうになった瞬間、出版業界の新しい制度を思い浮かんだ。

 そうなのである。出版物には絶版はあっても引退はないのである。だからこそいつまでも『高丘親王航海記』のような名作が読めるわけだが、しかし日本代表チームのような新陳代謝は進まないのである。

 サッカーに例えて言えば、書店の棚にはいまだマラドーナやクライフが、釜本や杉山が現役で戦っているのである。スーパースターがそこにいるかぎり、現役の選手が割って入るのは至難の業だ。この10年で成功した作家は、東野圭吾と伊坂幸太郎と佐伯泰英ぐらいだろうか。

 というわけで、私が提案するのは出版物引退制度である。引退は作家の死後なのか、年齢なのか、出版後の年数なのか判断のムズカシイところだが、たとえば発表後20年で、作品を引退させなければならないとなったら書店の棚は様変わりするのではなかろうか。いつまで経っても夏には『人間失格』が売れていたのではいかんのではないか。夏目漱石もそろそろ引退してもらって、ガバリとあいた棚と平台に新しい作家が並ぶべきなのではないか。そうでないと作家が育たないし、食っていけないではないか。

 また明日で『さらば国分寺書店のオババ』は引退です、なんてセレモニーとともにフェア展開したら、名波の引退試合のように盛り上がるのではないか。引退した本ばかりを集めた新たな出版流通を作ってはどうか。

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