3月29日(月)
- 『スパイクを買いに』
- はらだ みずき
- 角川書店(角川グループパブリッシング)
- 1,620円(税込)
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「金!」
と手を差し出してきたのは、所属するサッカーチームのキャプテン森川だった。
私はいったい何のことだかわからず首を傾げると、あきれたような顔をして理由を説明してきた。
「お前、この間の新年会のときに、チームのユニフォームを新調する話しただろう?」
「そうだっけ?」
「そうだっけじゃねえよ。うちのチームはワールドカップの年にユニフォームを変えるんだよ。もうスポーツショップに申し込んだから金払え」
森川は私の財布から1万円札を抜き取っていた。もうこの日のコート代を払ったら私の財布はからっぽだ。
「どこのユニフォームにしたんだよ?」
「最悪だなあ。お前がゴール前でパスが欲しいからって、エースの松ちゃんの言うとおりにしろって騒いだんだよ。それで松ちゃんがバレンシアの90周年記念ユニがいいって」
もちろんそのこともまったく覚えていなかったし、海外のサッカーはプレミアリーグしか見ない私には、スペインのクラブチームのユニフォームのデザインなんてまったく見当がつかない。
「ところで背番号なんだけど......」
「わかってるよ、10番だろう。サイズはS。まったくお前が10番つけるから本当のエースの松ちゃんが21番なんて番号になっちゃうんだよ」
大人になって改めてサッカーを再開したとき、私はなにより背番号にこだわった。部活ではやっぱりうまい順に番号が与えられ、私はいつも控えのFWの番号14番だった。それはサッカーの神様でもある、ヨハン・クライフの背番号でステータスのある番号ではあったが、私のサッカーライフでは、控えの番号以上の意味を持つことはなかった。
高校の同級生を中心に集まった今のチームで、ユニフォームを作ることになったとき、私はそのデザインに関しては何も言わなかった。浦和レッズのユニフォーム以外興味がなかったし、そもそも私は世界のチームのユニフォームをほとんど知らなかったからだ。
「オレはイタリア代表のピチピチがいい」
身体を鍛えている森川がそういうが、とてもサッカーができる体型とは思えない相棒とおるはすかさず否定する。
「切れちゃうって。レアル・マドリーがいいよ」
「ダメですって、白は膨張色なんですから。僕は絶対アイルランドがいいです。僕たちは下手ですけど、あの魂は見習えます」
静かに語るのはGKの石野君だった。
結局、最後は間をとろうということで、誰も推薦しなかった水色と白のユニフォームのアルゼンチン代表に決まった。
次は背番号の話しに移っていく。
それぞれがつけたい番号を言いだすが、なぜか10番とは誰も言わない。10番とはそういう番号なのかもしれない。
しかし私は黙っていられなかった。そこに人生で最初で最後のエース番号が転がっているのだ。
「俺、10番!」
「えっ?!」
全員がユニフォームのカタログを見つめていたのだが、顔を上げて私を見た。
「俺、10番!」
「10番いなくなって良いんだよ別に」
森川が言うが、私はもう一度、言った。
「俺、10番!」
「お前、10番たって、ユニフォームを考えろよ、アルゼンチンの10番だぜ。マラドーナだよ。アルゼンチン人だって、恐れて付けたがらない10番だよ」
2週間後、コートで配られたユニフォームには、10番が縫い付けられていた。
それは私が初めて手に入れたエースナンバーであり、それ以降、イングランド、バレンシアとなっても私の背番号は変わっていない。
絶対に譲らない。
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はらだみずきの新刊『スパイクを買いに』(角川書店)は、突然サッカー部を引退してしまった息子と、その理由を知りたくて40歳を越えて初めてボールを蹴り出した父親の物語だ。いつでも何かが始められる、そんな物語だ。