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6月14日(月)

 朝、とある書店さんから相談されたのは、文芸書の棚構成に関してだった。

 そのお店は男女一緒に五十音順にした「小説」を中心に「ミステリ」「海外文学」など分かれているのだが、宮部みゆきなどを代表として、今やジャンルをクロスオーバーして書く作家が増えているため国内の小説はすべて著者別五十音にするのをどう思うか? という内容であった。

 ブックオフはたしかすでにそうなっており、今や書店とのファーストコンタクトがブックオフという子どももいる時代だから何がスタンダードなのかわからない。とにかくいろんな書店の棚構成を確認してみますねと電話を切り、向った先は横浜だった。

 営業しつつ棚割りを拝見すると、エンターテインメントや国内作家など呼び方はともかくとしてどこも「小説」「ミステリ」「時代小説」「海外文学」と分けられているではないか。もちろん「エッセイ」や「サブカルチャー」あるいは「タレント」なんて棚もあるのだが、今日見ているのは小説に限ってであるので脇に置いておく。

 そうなのである。おそらく私がこの業界に入った18年前から書店さんの棚はずーっとこういう分け方で構成されており、それが悪いという気もないし、私自身も不便を感じたこともまったくないのであるが、これだけ不況が続く世の中で何も変化がないというのは不思議だ。

 たとえば今の人はそういうジャンルで本を読んでいるのだろうか。
 唯一そのジャンルの強さを感じるのはSFなのであるが、なぜかSFという棚を作っているお店は少ない。少ないからかもしれないが、そういうお店ではSFが売れていたりする。

 それはともかくとして、ジャンルというのは今の時代そこまで有効なのだろうか......って書きながら今気づいたのであるが「本の雑誌」の新刊めったくたガイドも、大まかそのようなジャンルで分けられているのだ。むむむ。

 そこで思い出したのは、とある書店員さんとの会話だ。
「なんか嫌なんですけど『泣ける本』っていうコーナーを作ったらすごい売れているんですよ」

 影響力のある書店のPOPを研究してみると、その本を読んだときの効用が書かれていることが多い。「泣ける」「笑える」「気分が楽になる」など。ということは読者はどんなジャンルの本なのかよりも、その本を読んだ後の気分を知りたいのではなかろうか。

 そうだとしたら「ミステリ」や「時代小説」などという分け方よりも、「泣ける本」や「笑える本」「スカッとくる本」などという棚構成もありなのではないか。

 ただジャンルや棚構成というのは本当に強固で、高野秀行さんとともに「エンタメ・ノンフ」などといって、一生懸命新たなジャンルの確立を騒いだりしたのだが、なかなか今ある棚に割って入ることはできなかった。

 それにしてもだ。
 ずーっと本が売れないのに、私たちは何も努力していないのかもしれない。

 それは本作りに関しても一緒で、本があり、カバーがあり、帯があり、そして四六版に、文庫本に、新書に、と本そのものの面で変化はずーっとないのである。これが最終型なのかもしれないが、商品というものはその時代の消費者に合わせて姿を変えていくものなのではなかろうか。

 本が邪魔にされるなら文庫よりも小さいサイズにしてもいいのではないか。あるいは薄い紙を使ってもいいのではないか。単行本のページの概念をもっと変化させてもいいのではないか。安くするためにカバーや帯をやめてもいいのではないか。

 そう考えると書店も出版社もまだまだやれることがあるのであった。
 それはとても楽しいことだと思う。

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