伊野尾書店の伊野尾さんを訪問。
伊野尾さんは最近出会った若い書店員さんの言葉を話してくれた。
「その書店員さんが、言うんですよ。本屋さんって悩んでいる人とかつらいときに来てくれる人がいて、私はそういう人に応えられるお店にしたいって」
実は私も数年前、目の前に配られたカードがすべてジョーカーで、絵札どころか2や3すらない、絶望の淵に立たされたときがあった。もはや自分の力で、どうすることもできない。駅のホームに立っているとまるでドラマのように列車の音が聞こえ、握りしめた手には脂汗がじっとりしていた。
営業にでかけてもとても人と話せるような状況ではなかった。
私はどこをどう歩き、どう移動したのかわからなかったけれど、気がつくと、日頃、営業では訪問していない、小さな駅のなかの書店にいた。
そのお店に入ったときの、肩から力が抜けた感触を今でも忘れていない。
何がそうするのかわからないけれど、本屋さんという場所には、こんな言葉を使うのも恥ずかしいけれど"癒し"の効果がある。もちろん欲しい本が決まっていて駆けこんで来る人もたくさんいるだろうけれど、あの場所の、あの雰囲気に接したくて足を向ける人も大勢いるだろう。
その苦しかった日に、本屋さんで何気なく手にしたエッセイによって、私は凝り固まっていた頭をやわらげることができた。
目の前のジョーカーも時が立てば、スペードに変わるかもしれない。いや変わらなかったとしても、飼い慣らして一緒に暮らしていけるかもしれない。
私はまさに本屋さんによって生き延びさせられた一人だとあの日以来考えているし、本との出会いというのは必要としたときにまるで呼ばれるように手にするもので、その出会いを作ってくれた本屋さんは私とって「いい本屋」さんなのであった。
★ ★ ★
伊野尾さんとの長い話が終わって私が帰ろうとすると、「あっ杉江さんに読んで欲しいマンガがあるんですよ。奥さんを亡くしたマンガ家のその後を一年を描いたマンガなんですが、なんていうんですか、本を読んで泣くってことがあるでしょう。でもね、泣くっていうのはまだ娯楽なんですね。このマンガは泣けないんですよ。そんなもんじゃないんですよ。」と1冊のマンガ本を手渡してくれた。
『さよならもいわずに』上野顕太郎(エンターブレイン)
確かに泣けない。でも全身に立った鳥肌が消えない。ものすごい力を持ったマンガだった。
そしてこの本のなかにも妻を失った夫と娘が、本屋さんで本を買うシーンがあった......。
本屋さんとは、本当に不思議で素敵な場所だと思う。
昨夜、帰宅途中、M書店Sさんから携帯にメールが届く。
「twitterが面白いことになってますぜ」
私は個人でtwitterをやっておらず、会社のアカウントをときたま覗く程度で、しかも自宅は「炎の営業日誌」を始めてから、家族にバレるのを恐れ、ネット環境を断絶しているため、「面白いことになっている」と言われても、どうすることもできない。携帯で見られるのかもしれないが、そんなことは微分積分の授業と同じくらい私にとって遠い出来事だ。
ただ送ってきた相手はM書店のSさんであり、そういえば先日Sさんとのやりとりをこの日記で書いたので、そのことで何か炎上してしまっているのではないかと気が気ではなかった。そこでいつもより早く出社し、twitterを覗いたのが、8月25日(水)8時34分のことで、いまそのままこの文章を書いているのである。
そうだったのだ。
昨日が、この「炎の営業日誌」の10周年記念日だったのだ。
カウントダウンまでしていたのに、すっかり忘れて帰ってしまったではないか。
その記念日は当然当日日記を更新し、ひとりお祝いしようと考えていたのに、土、日が間に入ったらあと何日なのかすっかり忘れてしまい、しかも昨日は猛暑のなか書店さんを駈けずり廻り、もうクタクタで早く帰ってしまったのだった。
まあ、ここ数週間、10年についてずーっと考えていたのだが、実は、何もなかった。
いったいこの「炎の営業日誌」とは何なんだろうか。営業日誌といいながらほとんど営業のことは書いていないし、出版のことも書いていない気がする。本にするためにゲラを読んだ時以外読み直したこともないので、もはやどんなことを書いてきたのかもほとんど思い出せない。
私の両親は私のことを「自分勝手」というが、まさにその自分勝手な象徴が、この「炎の営業日誌」のような気がする。ジャンルはムチャクチャだが、その日その日、心の動いたことを書き記してきたのは間違いないわけで、そういう意味では正しい「日記」なのかもしれない。
ただ10年経っても、営業はもちろん書くことに関してもまったく上達しないあたりは、私の草サッカーと一緒だ。「継続は力なり」というが、継続するだけでは力にならないことをこの日記というか、私が体現しているような気がする。「継続=努力」なんだろうが、私は努力と練習が大の苦手なのだった。
というわけで、気分的にいうと、10年と自分で煽ったわりには、感慨も達成感も何もなく、そしてすっかり忘れて一日が過ぎてしまったというのが現状である。
もしお祝いしてやりたいという方がいらっしゃったら、単行本版『「本の雑誌」炎の営業日誌』(無明舎出版)をぜひとも購入してやってください。
私はどうでもいいのだが、酔いの力で思わず本にしてしまった無明舎出版・安倍甲さんには、深く感謝しており、また一番迷惑をかけた相手だと思っているのだ。安倍さん、ごめんなさい。
そして何よりもお世話になっている書店員さん、本当にありがとうございます。
いつかどこかで恩返しできればと常々考えているのですが、なかなか実力が伴わず、ごめんなさい。
また好き勝手に本の感想を書いてきてしまった作家のみなさんにも謝らなければならない。申し訳ございませんでした。
浦和レッズサポーター以外の方にも不快な想いをさせたと思われる。ごめんなさい。いや浦和レッズサポーターにも同様にごめんなさい。
本の雑誌のスタッフ、そしてOBの方、「本の雑誌」を汚してしまい、ごめんなさい。
うーむ、なぜか謝罪ばかりが並ぶ、10周年+1日の原稿になってしまった。
何はともあれ、「本の雑誌」があるかぎり、この「炎の営業日誌」は続かざる得ないわけで、できることなら永遠に続いて欲しいし、永遠に続けられるよう、私は今日も営業に行く。
一気読み間違いなし!と話題の『悪の教典(上下)』貴志祐介(文藝春秋)を読了。これは一気読み間違いなしというよりは、熱いうちに食べないとまずくなる料理のような本ではなかろうか。
夜、ジュンク堂書店新宿店で、『スットコランド日記 深煎り』発売&『怪獣記』文庫化記念と称し、宮田珠己さんと高野秀行さんの対談。言葉のはずみで司会を仰せつかり、緊張のなか話しを進めていく。
『怪獣記』の文庫化を機に読みなおしたのだが、やはり高野さんが子供用ボートでワン湖へ繰り出すシーンで涙が止まらなくなってしまった。それはなぜかというと高野さんの自由さが象徴されたシーンであって、私はおそらくそういった自由にずーっと憧れているのだ。
私が高野さんの本を薦めても、もはや当然だと思われるかもしれないが、『怪獣記』は本当にお薦めです。
※「炎の営業日誌」10周年まであと4日
昨夜、本屋大賞とともに生まれたY書店の読書サークルにお呼ばれし(というか私もメンバーの一人なのだが)、ガヤガヤと本の話をしていると、突然「今日集まったのには理由があるんですよ」と幹事役のNさんが言うのであった。
会のひとりが異動になるので、そのお祝いというか激励だろうと思って聞いていると、なんとこの「炎の営業日誌10周年祝いだ」と言い、浦和レッズグッズをプレゼントしてくれたのであった。
言葉もなく感動していたのだが、「あれだけ日記でカウントダウンしたらお祝いしろって言っているようなもんだ」と苦笑される。そういう思惑はなかったのだが、いやはやうれしい。
ちなみにこの日の読書話では、4人中3人が『ふがいない僕は空を見た』窪美澄(新潮社)を絶賛し(一人は未読)、一生懸命売ろうと誓い合ったのである。
※「炎の営業日誌」10周年まであと5日
川崎のM書店を訪問するとSさんから「ちょっと話したいんだけど時間大丈夫?」と訊かれる。大丈夫も何もSさんに会いに来たのだから問題はないのだが、その後、話されたSさんの話は考えさせられる内容だった。
それはこの約10年近く、自分の仕事は大げさに言えば「ベストセラーを作りだす」というような仕事だった。そのためにPOPを書いたり、出版社と話をしたり、その他もろもろしていたわけだが、ふと気づくと、ゼロか百かみたいな感じになっており、5部売れる本を15部、20部にするような、いわばもっと裾野を広げるような方法はないのだろうかという話であった。
先日のゲラの話ではないけれど、"仕掛け"ることも大事だけれど、もっと地道に本を売る、いやお客さん自身が面白そうと思って本を手にとってもらうにはどうしたらいいのだろうか。
「あれだけ売れている東野圭吾の読者は、東野圭吾の作品をすべて読んだ後にどうするんだろう?」
とSさんは言うのであるが、もしかしたら次の東野圭吾の作品が出るまで本を読まずに待っているんじゃないだろうか。それは我々(Sさんと私)が、ゲームはドラクエ以外やらないというのと同じなんじゃないか、
じゃあ我々はどうやって自分で本を選んで買うようになったのか。例えば私とSさんの読書の面白さを開眼させてくれた本はたまたま一緒で、それは椎名誠の『哀愁の町に霧が降るのだ』(三五館)なのであるが、それで面白いと思って自分たちがとった行動を振り返ってみる。
そうすると当時椎名さんの著作は今ほどなく、それらをすべて読んだ後は、椎名さんの友だち(あやしい探検隊の面々)や椎名さんと対談している人、椎名さんが好きな作家、あるいは椎名さんと似たテイストそうな本をどこかの嗅覚を働かせ、そして追体験できた作家の本をまた読んだのではなかろうか。
そういえばこれと似た話をちょうど先日、別の書店さんとしたのだが、そのときお互い若い頃に『EV.Cafe 超進化論』村上龍、坂本龍一(講談社文庫)を読んでそこに登場した吉本隆明や柄谷行人や浅田彰らの本を背伸びして読んだよねと。
要するにSさんが悩んでいるのは、どうしたらそういった「読書の愉しみ」みたいなものを、売り場で伝えられるかということなのだろう。そしてそういう本の読み方を伝えられれば、今までお店で5部しか売れなかった本が10部、15部と売れるようになるのではないかと。
ふたりで延々話し込んでいたのだが、当然そんな簡単に答えは出るわけはなく、そして話は元に戻るのだけれど、私たちはどうしてドラクエ以外のゲームを買わないのだろうか。
※「炎の営業日誌」10周年まであと6日
昨日、熱中症になりかけたことを妻に話すと「これがいいらしいよ」と飴の袋を渡される。「熱中飴」というもので、暑さのなかで失われる塩分を補充する成分が入っているそうだ。
しかしなぜ今日まで渡してくれなかったのだろうか。戸棚の中から出したということは、ずーっと前からあったはずなのに。
夜、熱中症をどうにかやっつけて向った埼玉スタジアムで号泣す。
※「炎の営業日誌」10周年まであと7日
もはやこの世とも思えない暑さのなか、営業に出かけるがやはり無謀だったようだ。
3時過ぎ、とある書店さんを出たところで、猛烈な頭痛とめまいに襲われる。
あわてて駅のベンチに座り込むが、いっこうに治まる気配はない。毎日外に出ている俺が、熱中症?
信じられないが、身の危険を感じ、ベンチの隣にあった自動販売機で買ったポカリスエットをノドに流し込む。そして来た電車に乗り込む。
本日の営業予定がすっかり狂ってしまう。参った。
参ったといえば、今後のスケジュールを見ると8月中に夏休みが取れそうにない。私は別にいいのだが、子どものことを考えると痛い頭がいちだんと痛くなる。娘は小学4年生で、もしかすると来年はもう口をきいてくれないかもしれない。一緒に海にも行ってくれないかもしれない。いっけん永遠に感じる子育ても、実はその日その日の限られた時間のなかにあるものだ。
淋しい夏だが、私は娘の愛情を信じている。
※「炎の営業日誌」10周年まであと8日
午後、WEB本の雑誌の会議。
てっきり私の10周年を祝ってくれるのかと思ったら、WEB本の雑誌全体の10周年記念イベントの話であった。そうか、WEB本の雑誌も10周年だったのか。
営業の後、池林房へ向かい太田和彦さんの著者インタビュー。
9月に出す太田和彦さんのエッセイ集『月の下のカウンター』の帯でちょっとした遊びをするのであった。
日程的にかなり厳しい展開であり、インタビューを録り終えると、すぐさま会社に戻り、太田篤哉さんがごちそうしてくれた宮城の新澤醸造店の「ひと夏の恋」で心地よい酔いのなか、テープ起こし。
そうしていると浦和レッズユース・コーチの岩瀬健さんからメールが届き、「ホームページ読みましたよ、家に帰れないなら(笑)飲みませんか?」とお誘いをいただく。
仕事は週末自宅ですることにし、すぐさま地元の居酒屋へ。
低迷する浦和レッズのこと以上に、コーチ業について山のように聞きたいことがあり、まず手始めに、岩瀬さんと同席されたハートフルのコーチ長井敦史さんに「コーチにとって一番大切なことはなんですか?」と伺うと、二人は声を合わせてこう答えるのであった。
「人柄ですかね」
ヒョウ柄のパンツは一枚持っているが、人柄はタンスのどこを探しても入っていない。
※「炎の営業日誌」10周年まであと11日
なんだか劇団ひとりの8月末に出る新作が面白いらしい。
何人もの書店員さんが、それも読みに厳しい人たちが、「いいのよ〜」と薦めてくる。ベストセラーにもなり、斎藤美奈子からも「ふつうに直木賞をねらえるレベル」と言われた『陰日向に咲く』よりずっと良いらしい。そういわれても発売は8月末だとかで、まだ読めないのであった。
そんな話をとある書店員さんとお茶を飲みながらしていたのだが、その書店員さんは「でもね、ゲラばっかり読んでちゃダメなのよ。やっぱり好きな本を読まなきゃいけないし、本はお金を出して買わないとさ。例え面白かったとしてもね、1500円の価値があるかってのが大事だから」と話すのであった。
確かに一部の書店員さんには、毎日のようにゲラが届き、そしてそれを読んで感想を伝えるのが仕事になっていたりする。感想を言わないと指定注文ができなかったり、そもそも「読んでいただけましたか?」と聞かれるのはかなりのプレッシャーだろう。
そういうゲラが出るなんてことが考えられなかった時代から書店員をされている人たちは、「こんなに読んでられっか!」なんて言いながら机に山積みにしているが、真面目な若い書店員さんたちは、通勤電車や睡眠時間を削って、それらのゲラと格闘しているのだ。出版社の人間は、会社で机に座ってゲラを読んでいても仕事になるが、書店員さんは仕事中にゲラを読むわけにはいかない。
発売前に内容やカバーなどわかったほうが、売る側からすれば当然いいだろう。しかし、読むのが仕事である前に、売るのが仕事なのだから、たぶんどこかでボタンの掛け違いがあるような気がしないでもないが、でも読まないとなかなか売れないのも現状で、なぜなら何かしら仕掛けない(訴えない)と本が売れないのだ。
POS化やそういうものとはまったく別に、たぶん、ここ10年で書店員さんの仕事は激変している......と思ったけれど、これはすべて文芸書や文庫の話であって、それ以外の売り場がどうなっているのかわからない。
面白そうな新刊がたくさんあるのだが、私は『ツバメ号とアマゾン号 (上・下)』アーサー・ランサム(岩波少年文庫)を読んでいるのであった。
※「炎の営業日誌」10周年まであと12日
今日から娘と息子はジジババの家に泊まりに行き、家には私と妻だけ(義母はいるが)となる。
参った。
たとえ車のなかの十数分間でもふたりだけになると会話がなく、どうしたらいいのかわからなくなり大混乱の上、赤信号を突っ走りそうになってしまうのに、三日間も二人だけというのはどうしたらいいのか。
これが営業なら天気の話から始めて、売れている本や面白い本の話でもすれば、どんどん膨らんでそれこそ朝まで話しは尽きないのであるが、今朝起きた瞬間に妻との会話は話が尽きているのである。
決して仲が悪いわけではなく、共通する話題がないだけだと思っているのだが、それは私の一方的な思い込みかもしれない。とにかく私が話せることは、サッカーのことと浦和レッズのことと娘のチームのことと本の話だけで、妻はたぶん......。うーん何に興味があるんだろうか。
朝から家に帰るのが不安になり、誰か誘って飲みに行こうかと思ったが、なんだかこういう日に飲みに行くのもわざとらしい。かといって早く帰ると喜んでいると思われるのも素敵な勘違いであって、何度も何度も「お疲れ様でした」といっては帰らない私を、社員一同不審者のような目で見つめるのであった。
結局、妻が寝ているかもしれない、でも起きているかもしれない、どっちつかずな時間に帰ったのだが、居間の明かりがついているのを遠くから発見し、そこで自転車のブレーキをかけ、立ち留まった。
深呼吸して、考える。
「ただいま」
「おかえり」
「子どもたちはいないのか?」
「朝からいないでしょう」
「そうだった」
「......」
「......」
三秒で終わってしまいそうな会話だ。
いやはや、どうしたらいいんだ。
ひとまずUターンして、スーパーに駆け込み缶チューハイを買う。そして店頭で一気にあおる。生暖かい風が吹く中、少しだけ勇気が湧いてきた。
どうせならここで12月にイギリスにサッカーを見に行くことを宣言しちゃえばいいんじゃないか。
「俺、イギリスに行くから」
「えっ、なんで?」
「サッカー、観に」
「えっ?!」
「友だちがイギリスに留学したからそれで」
「えっ?!」
「......」
「......」
やっぱり三秒しかもたなそうだ。
いったい他の夫婦はどんな会話をしているんだろうか。それとももしや夫婦が会話するというのは幻想で、どこの夫婦も会話なんてしていないのかもしれない。そうか会話しなきゃいいのか。
いつまでもスーパーの前にいるわけにはいかないので、自宅に向かう。
頼む、寝ていてくれ。
※「炎の営業日誌」10周年まであと13日
『本の雑誌』9月号が搬入となる。
特集は「たちあがれ、翻訳ミステリー」なのだが、私にとって一番衝撃的なのは「さらば深夜プラス1」である。
深夜プラス1は、飯田橋の神楽坂下にある30坪程度の小さな本屋さんなのであるが、ミステリーを中心とした個性あふれる本屋さんであった。
私はこのお店で、というかこのお店の書店員・浅沼茂さんによって、営業のすべてとエンタメ読書の面白さを教わったといっても過言ではなく、どんだけ返しても返せないほどの恩があるのだ。
しかしこの8月、深夜プラス1は閉店する。
私はどうしたらいいんだろうか。
そういえばこの「炎の営業日誌」の最初が新橋B書店閉店の話であり、10年の締めくくりが深夜プラス1閉店の話になってしまうとは......。
※「炎の営業日誌」10周年まであと14日
重版を決断したら、途端に宮里は私から興味を失ったようだ。
一日中社内にこもって書店さん向けDMの作成に励む。
夜、赤羽で相棒とおると待ち合わせし、酒。
とおるの仕事は「プラントのバルブがどうしたこうした」で、何度聞いても覚えられないのだが、本日見せられた打合せの資料はすべて英語だった。しかも会っていたのはイタリア人とのことで、同じ専門学校で機械設計を学んでいた、しかも、とおるは一年で退学したはずなのに、ずっとずっと遠くへ行ってしまったようだ。
ふたりで飲んで3640円。ここはどこだ? 赤羽だ。
※「炎の営業日誌」10周年まであと18日
そういえば今週は発行人の浜本が夏休みで不在なのだった。
だから会社は静かで、6時を過ぎると事務の浜田が給湯室にこもり、何だか「プシュ」「プハー」という音を立てているのであった。飲んだら吐くな、吐くなら飲むな。いや、飲んでも働け、働きながら飲めか。
営業から会社に戻ると、単行本編集の宮里が私の顔をチロチロと見る。
ここ数日毎日そうやって見つめてくるのだが、そろそろ愛の告白をされるのだろうか。
いや違った。宮里が私の顔を見るのには理由があって、それは彼が作った『活字と自活』荻原魚雷著が、品切れになってしまったからだ。
世の中の商品は品切れになれば当然増産体制に入り、どんどん作るだろうが、そこは返品制度のある出版業界である。たとえ出版社の倉庫から本がなくなろうと店頭には在庫があるわけで、今現在書店さんの在庫である本が、一度返品箱に入れられたら出版社の在庫になってしまうのだ。
だから品切れはうれしい反面、私のように営業を受け持つ人間には厳しい判断を求められるものでもある。基本的には毎日廻っている書店さんの状況と、電話注文やその他の注文の内容、何よりも一番大事なのはその本そのもののが持つパフォーマンスを考え、あとは屋上に登って靴を投げ判断を仰ぐのであった。
おお、上を向いたから、増刷だ!
いやいや、この『活字と自活』は、当然もっと読まれるべき本だろう......というわけで、重版を決定したのであった。めでたしめでたし。
※「炎の営業日誌」10周年まであと19日
相変わらず合宿ボケのなか、千葉方面を営業。
七月下旬からだいぶ回復傾向にあるらしく、船橋のA書店では特に年齢層の高いお客さんに合う本が調子いいらしい。『高峰秀子の流儀』斎藤明美(新潮社)や『母 オモニ』 姜尚中(集英社)、『終わらざる夏』浅田次郎(集英社)が売れているとか。
以前から考えていたのだが、今現在本を作っている世代というのはおそらく3、40代が中心だろう。本を作るというのは自分の価値観がかなり入り込む作業だから、そこから出て来る本も当然それらの世代に合う本になる。
しかし実はその世代こそが一番本を読まない世代で、このミスマッチを解消する必要があるのではなかろうか。要するに5、60代あるいはそれ以上の人たちに向けて本を作った方がいいんじゃないか。
それとまた似たような話なのであるが、Yさん曰く「書店の現場って今女性がほとんどでしょう。そうするとやっぱり棚(品揃え)が女性向きになっちゃうの。女性にはわからない分野の本はどんどん棚から外れちゃうっていうか」と店作りの性差の問題を話されるのであった。
なるほどと思ったのは、私が好きな本屋さん、例えばブックスアイにしても、山下書店にしてもどちらも担当が男性だった。
「だから◯◯や◯◯のジャンルの本はぜんぜん分からないのよ」とYさんは話しを続けるのであるが、それならば男性である私がそれらの本の必読書というか面白本をピックアップしてリスト化したら重宝されるのではなかろうか。ちょうど指摘されたジャンルが私の好きな分野だったのでできるかもしれない。むむむ。
※「炎の営業日誌」10周年まであと20日
娘に付き添い、金、土、日と三日間「草津サッカーフェスティバル 第15回少女サッカー親善大会」にコーチとして参加してきたのだが、そのあまりに濃密な体験に完全にヤラれてしまった。まるで長い海外旅行明けのような気分で、仕事がまったく手につかない。目をつぶると、芝生の上をひたむきに走る子どもたちの姿が目に浮かぶ。私はいったいどこへ向かっているのだろうか。そうして合宿中に39歳になってしまった。
『傷だらけの店長』伊達雅彦(パルコ出版)を読んで、どうしても会いたくなった書店員さんがおり、久方ぶりに訪問したのだが残念ながら不在だった。ただし元気なのは棚を見れば一目瞭然で、びしっとした品揃えに代わりはなかった。
それにしてもこの本はあまりにリアルで、息苦しくなるほど書店の日常が書かれており、しかもハードボイルドタッチの素晴らしい文章なのでぐんぐんと引き込まれてしまうのだが、最終的に書店を離れてしまっているのが大変残念だ。『リストラなう』にしてもそうなのだが、出版業界を離れてしまえば、もうその人たちがどんなに本が好きだったとしても、本と格闘することはできないのだ。
私たち、現役の人間は、確かにほとんど希望はないかもしれないけれど、今日も明日も明後日も本を触ることができる。この喜びを自ら手放すなんて私には考えられない。どんなに「傷だらけ」になろうが、リングに立ち続ける。
『スットコランド日記 深煎り』の見本を持って、取次店さん廻り。
こういう日に限って雨が降るのは、おそらく日頃の行いのせいだろう。
ただでさえ、「スコットランド」と勘違いされる書名なのに、そこに「深煎り」である。もはや何が何だかわけがわからなくなってきていると思われるだろうが、著者と編集者には深い深い考えがあるのであった。
一見何でもないように見えることにものすごく深い意味があるという典型的な例である。ただし、その答えはおそらく読んでもわからないだろうが、読んで損がなかった、いや読んで良かった、また読もう、すぐ読もうという本であることは間違いない。
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明日は休んで草津。
温泉ではなく、娘のサッカーの合宿に付き添うのであった。
何だか私の人生は忙しすぎるのではなかろうか。
「俺、今日、メシいらないから」
朝、妻にいうと、お泊り保育で泣かずに帰ってきた息子も口を揃える。
「僕、今日、虫いらないから」
★ ★ ★
書評家の東えりかさんから「掛け値なしの傑作だから絶対読んで!」と教えられたのが、第8回R-18文学賞大賞受賞作『ふがいない僕は空を見た』窪美澄(新潮社)。
いきなりコスプレ好きの主婦とやりまくる高校生が出てきてビックリしたのだが、読み進んでいるとその人間として綺麗事ではすまない欲望と、それを踏みしめても人を愛する気持ちというか、人間の負の部分を受け入れて、なお生きるということを肯定する物語に感動し、気づいたら何度も涙が溢れていた。
これはR-18文学賞の選考委員である唯川恵、山本文緒、角田光代の誰かの作品が好きな人なら絶対気に入る小説だろうし、それどころか今年度ベスト級の1冊だ。それにしても、末恐ろしい新人が現れたものだ。ゆっくりといいものを描き続けて欲しい。
★ ★ ★
8月の新刊『スットコランド日記 深煎り』宮田珠己著の見本が出来上がってくる。
担当編集としてこみ上げて来るものがあるが、担当営業としてはこれからなのであった。
本日も引き続き直納ラッシュ。
神保町の東京堂書店さんは、なんと売上ランキングベストテンの第1位で、ショーウィンドウの目立つところに本が掲げられていた。
感動しつつ店長のSさんに『活字と自活』を納品すると、「もうこれしかないんだよ、ありがとう」と平台を指差される。そこには3冊の在庫があったのだが、こちらにはサイン本も含めて初回70冊も納品しており、いったいどんだけ売れてるんだ。
その後も直納が続くが、出版営業の難しいところは、すでに出ている本と最近出た本とこれから出る本を同時進行で営業していかなければならないということだ。通常時であれば、その3次元的状況をこなしていくのも苦ではないのだが、このように注文を頂き、それを届けていると、これから出る本の営業予定がどんどん狂っていく。まあ、こんな悩みも営業が一人で、しかも直納大好きだからなのかもしれないが。
夜、御茶ノ水のM書店さんの飲み会に参加。
この飲み会は随分と続いており、年に2回それぞれが持ち寄った本で売上を競い合うフェアをしていたりする。そうやっていつもお世話になってばかりなのだから、たまにはこのメンバーでお店が盛り上がるようなことをしませんか? と提案しようと思いつつ飲み会に駆けつけたのだが、なんとお世話になっているK店長さんが異動になられるとのことで、その提案もしないまましんみりと飲む......はずだったのだが、妙に盛り上がり、大騒ぎの夜。