とある書店を訪問すると顔見知りの営業マンが書店員さんと話し込んでいた。
邪魔になってはいけないと私は彼の商談が終わるのを、そのきれいに編集された棚を眺めて過ごした。しばらくすると彼の話が一段落したようなので、お二人の話に加わり、都内の別の面白い書店さんなどを語り合っていた。
その話が一区切りついたところで私は新刊のチラシを書店員さんに差し出したのだが、なんとその様子を見て彼は「あっ! 営業するの忘れてた」と慌ててチラシを差し出したのだった。
私と書店員さんは思わず笑ってしまったが、これが実は笑えない真面目な話なのである。
なぜなら次に訪問したお店では児童書の営業マンが、書店員さんに向かって次々とチラシを渡しながら商談していた。しかしそれは会話というよりは、まるで音声テープのように一方的に営業の女性が話しているだけであった。
新刊の説明が終わると季節にあった既刊書の紹介し、次から次へとチラシを渡していく。
その前にあったチラシを出すことすら忘れていた彼とこの女性の姿をどこかに隠れてモニターしたら、どんな会社の上司だって女性の営業を評価するだろう。
しかしである。書店さんから注文がもらえたのは、営業するのを忘れていた彼のほうなのだ。平積み分以上の部数が書き込まれ番線印の押された注文書を彼は書店員さんから渡されたが、女性のほうはというと「検討して連絡します」と書店員さんに言われ、結局1冊も注文はいただけなかったのだ。
なぜか。
これはおそらく本の善し悪し(売れる売れない)ではないだろう。
書店という場は絶対切らしてはいけない本以外、まだ自由の効く場であり、だからこそそれぞれの書店の個性というものが宿るのだ。そうしてこの日営業されていた本はどちらかといえばその自由の効く場に置かれるような本だったのだ。それはどういうことを意味するか。どっちを置いてもいいというわけで、あとは書店員んさんの判断次第ということだ。
ならば営業経験の差か。
それも違うのである。なぜなら注文書を差し出し忘れた彼はまだ営業になって日が浅く半年ていどなのだ。そして児童書の女性営業マンはその立ち居振る舞いからおそらく10年を超えるベテランだと思われる。
ではこの差はどこから生まれるのか。
私はそれは恐らく愛情だと思っている。
自社本への愛情、その書店さんへの愛情、そういった想いは、どうしたって営業の会話にはあらわれてしまう。
児童書の営業マンが話していたのは、まるでお店のことも本のことも考えていない、単に説明であった。説明は人の心を動かさない。なぜなら自分の心も動いていないからだ。そして書店員さんの心を動かさないかぎり、注文はもらえない。
注文書を出し忘れていた彼は、それまでの長い時間、そのお店のフェアや棚について真剣に話していたようだ。そこにはこのお店が好きという気持ちが溢れていたし、またこのお店の良さを吸収したいという熱意でいっぱいだった。
そして営業のマニュアル本やその手のセミナーでは「雑談95%要件5%」みたいなことがよく書かれているが、実はその雑談が単なる雑談であってはいけないのである。お互いがプラスになるような雑談が求められているのだ。
本の売り方、作り方のヒントがつまった雑談でなければならない。
そうしてそういう雑談は、愛情がなければできない。
そんな大切なことを営業たった半年の若者から、私は改めて教わったのであった。
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「本の雑誌」12月号が搬入となる。
めずらしく雨も降らず、秋晴れの空のした、気持よく新品の匂いを嗅ぐ。
帰り道、ブックファースト新宿店にて本を買う。
本日の購入本は、
『東京の水路をゆく 艪付きボートから見上げるTOKYO風景』石坂善久(東洋経済新報社)
『庶民に愛された地獄信仰の謎』中野純(講談社+α新書)
『百年前の山を旅する』服部文祥(東京新聞)
『完訳 ロビンソン・クルーソー』ダニエル・デフォー(中公文庫)
の4冊。感想はまた後ほど。