午前中、浜本の車で、神保町の東京堂書店さんへ沢野画伯のイラストや「ようなもの通信」の版下、直接定期購読者向けコピー誌「本のちらし」などを運び込む。階段の壁に備え付けられたパネルにそれらを設置し、ショーウィンドウには「本の雑誌」創刊号などを並べ、明日から始まる「本の雑誌が神保町にやってきたフェア」に備える。
とんぼ返りで会社に戻り、昨日から始まった引っ越しの準備にとりかかる。気分はすっかり断捨離で、どかどかとものを捨てていくと、営業事務の浜田や松村から「それ、捨てちゃんですかー?!」と叫び声があがるが、アイスクリームをホジホジガチャガチャするスプーンとか壊れた掛け時計とかいったいどうして取っておく必要があるのだろうか。
3月中旬の本屋大賞発表会の準備からこの引っ越しまで慌ただしいことばかりで、本来の営業が思い通りにできずストレスが溜まっている。神保町に行けば電車の便がいいし、何より刺激がたくさんありそうなので、6月以降改めて普通の営業マンに戻って、あちこちの書店さんを訪問したいと思っている。
そうは言っても何よりもこの終わりの見えない引っ越しを無事に終わらせなくてはならず、今は休憩ということで、経理の小林が買ってくれたお茶を飲みながらこの文章を書いているけれど、あと5分も休んだらゴミだか大切なものなのだかわからないものと格闘し、在庫を詰めた段ボールを運ばなければならない。現に今も座っている私を事務の浜田が厳しい目をして睨んでいるのだ。
そういえばこの引っ越しの間に忘れてはならないことがあったので、それを最後に書き残しておこうと思う。
それは前編集長の椎名さんと現編集長の浜本さんの間で交わされた会話なのだが、椎名さんのホームグラウンドである新宿から少し離れてしまうことを報告しながら浜本はこう言ったのだった。
「距離は少し離れることになりますが、椎名さんは『本の雑誌』の精神的支柱なので、これからも『本の雑誌』を優しく、時には厳しく見守っていてください。今までの歴史に恥じぬよう面白い雑誌を作って参ります」
椎名さんは優しく頷くと、「遊びに行くからな」と社員一人一人にチベットの大切なお守りを手渡してくれた。
5月の新刊『はるか南の海のかなたに愉快な本の大陸がある』宮田珠己著が出来上がったので、直行で取次店さんを廻る。
この本は、「本の雑誌」に連載していただいていたブックス・メガラニカをまとめたものなのだが、いやはや一冊になって読んでみるとより一層驚く前代未聞のブックガイドなのだった。
歴史書や民俗学などのいわゆる人文書を「難しい話は苦手だ」と言い切る宮田さんが、生真面目に書かれた中からおかしな部分に突っ込をいれつつその本の魅力を語る、まさに「脱力エッセイ的ブックガイド」。
装丁&本文のデザインを頼んだ我が編集右腕・カネコッチも「あまりの面白さにぶったまげた」と連絡してきたシロモノ。宮田さんの本を作るのはこれで4冊めだけれど、まだまだ宮田さんの魅力は尽きない。売れますように。いや売ります。
夜、本屋大賞の会議。第9回の運営に関しての反省など。
通勤読書は、『タダイマノトビラ』村田沙耶香(新潮社)。
表参道の青山ブックセンター本店を訪問すると、久しぶりに大ベテランの書店員・Nさんの姿を見かけたのでご挨拶。なんと売り場に復帰され、これから文芸・文庫を担当されるおか。うれしいかぎりで、思わず長話。80年代にできた青山ブックセンターが、いわゆる「青山ブックセンター」になっていく話は鳥肌もので、いつか本にしたい。
「自分の殻に閉じこもらずにお客さんと対話していけば本屋の棚は無限なんだよ」
Nさんはそう言って棚を見つめていた。
朝、営業実務の浜田が神保町の移転先へ机のレイアウトやらを検討しに行くといくというので、ついていく。何せ浜田は、いつぞや社内を模様替えする際に縮尺を間違え、まったく机が入りきらず、思い通りに行かないことにブチ切れ、すべてを放り出し逃走した実績があるのである。
というわけでジコジコとメジャー片手に寸法を測り、それぞれの座る場所を決めていく。相変わらず私は窓際らしい。
新しいものをどかどか買えるほど余裕もないので、今使っているものをほとんど持ってくるのだが、傘立てと自社本を並べるお洒落な本棚だけは買おうと浜田と話す。浜本は冷蔵庫が欲しいらしいが、本は腐らないので却下。
「本の雑誌」6月号搬入。
笹塚での納品作業はこれで最後。来月からは神保町になるのだが、ビルの5階への搬入はいったいどうなるのだろうか。ひとつだけわかっているのは、編集の宮里潤は搬入日には消えていなくなるということだ。
吉祥寺などを営業。ホームグラウンドであろう、角田光代さんと穂村弘さんの『異性』(河出書房新社)がとても売れているそうだ。
ほうぼうに依頼のメールや電話。雨が降り出す前に帰宅したはずが、東浦和駅に着いたらどしゃぶり。さすがに自転車で帰ることをあきらめ、妻に迎えに来てもらう。
朝、定期を購入する。
東浦和〜笹塚間の定期は今月で最後。来月からは東浦和〜御茶ノ水。本の雑誌社に転職する前に勤めていた会社が御茶ノ水にあったので、16年ぶりの御茶ノ水・神保町暮らし。ひたすらうれしく、そして楽しみ。
それにしてもなぜみんな浦和移転を許してくれなかったのだろうか。浦和、ものすごく過ごしやすいのに。
通勤読書は、『銀座復興 他三篇』水上滝太郎(岩波文庫)。「はち巻岡田」にはいつか行ってみたい。
丸善・ジュンク堂書店新宿店を訪問すると、ジュンク堂書店新宿店の文芸書担当者がそのまま異動されており、なんだかどこにいるのか一瞬わからなくなってしまった。フェアの打ち合わせ。
会社というのは普通どのようにスケジュールが発表されるのだろうか。小学校は年度初めに大まかな年間スケジュールが配布され、その後も毎月予定表が配られる。普通の会社もそのように配布物があるのだろうか。あるいは社長が館内放送を流し、今月の予定などを発表するのだろうか。
カレンダーどおりに出社してみると、経理の小林しか会社にいなかった。どうしたのかと訊ねるとなんと本の雑誌社は九連休だというではないか。小林は決算の資料を作るために出社していたらしい。
よくよく考えてみると毎年ゴールデンウィークはこのパターンで、私は会社の休みというものをまったく把握していないのだ。
なぜなら私は一日の大半外におり、社内でその手の会話がされるときには、いないのである。
私の想像では、朝から酒を飲むことを人生の第一目標にしている事務の浜田が「うちのゴールデンウィークはいつですか? えっ?! カレンダー通り? そんなわけないですよね。オセロだって挟めが色が変わるんですから、この5月1日と2日は、赤色になるんですよね!」と編集発行人の浜本に詰め寄ったのだろう。
家にいても居場所のない浜本は、本当は会社に来たかっただろうし、浜本の奥さんも心底会社にいて欲しかっただろうが、事務の浜田の酒臭い息をプンプンとさせた、がぶり寄りに負けたのだ。
ちなみに本の雑誌社には、休日出勤手当ても、代休制度もない。
今日の出社は、ボランティアにあたるのだろう。
外回りをしていると、事務の浜田からメールが届いた。
「漫画家の土田世紀さんが亡くなったみたいです」
一瞬音が無くなったような気がして、しばらく道端に立ち尽くす。
何度もこの日記に書いて来た気がするが、私の出版業界のバイブルは土田世紀の『編集王』であり、あの漫画がなければもしかしたら出版の道を目指さなかったかもしれない。
高校を卒業し、大学には受からず浪人の身となったが、2ヶ月で予備校通いを辞め、本屋さんでアルバイトを始めた。一年半働いたが先が見えず、父親の会社を継ぐことを考え、機械設計の専門学校に入った。その学校を卒業するとき、私の頭に大きく浮かんだのはやはり本だった。本を作りたい。いや本の近くで仕事がしたい。父親を裏切ったのはその日が二度目だった。私は機械関係の職に就くことも、父親の会社を継ぐことも辞め、出版の道を目指した。
そのとき目の前にあったのが『編集王』だった。
専門学校卒業の私にそう簡単に出版業界の扉が開くはずがなく、新聞の求人欄や就職情報誌に掲載されている出版社、あるいは興味のある出版社に一方的に履歴書を送っては返事を待つ間、朝から晩までパチスロを打ち続けていた。2ヶ月が過ぎたとき、医学書の出版社から連絡があり、私はそこで営業マンとして拾ってもらえた。
専門書だろうが、本を作る現場には格闘があった。良い本に仕上げるために編集者同士がケンカしていることもしょっちゅうだった。私の仕事は一番なりたくなかった営業だったけれど、『編集王』の5巻に出てくる営業マン東名氏を目指すことにした。
本の雑誌社の社内にある資料本の棚には『編集王』全巻が並んでいる。それは私が持ち込み事あるごとに読み返していた蔵書だが、何度も何度も全巻が持ち出されることがあった。歴代の、何人もの助っ人アルバイトの学生が持ち帰り、読みふけってきたのだ。
合掌。