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10月30日(水)

 社内は週末の神保町ブックフェスティバルに向けて、サイン本やらバーゲン本やら、新事業開発部の浜田が作ったトートバッグなどが山積み。今年は11月2日から4日の三日間の開催になるが、もちろん私は初日はパスし、ナビスコカップ決勝に馳せ参じる。

 朝イチで注文のあった『謎の独立国家ソマリランド』を大手町に直納した後、会社に戻ると不愉快な出来事が待っていて、すがすがしい気分が台無し。
 営業にでかける。

 とある書店さんで小さな積み重ねの末、売れ出した本の話。ただし出版社の方がそのことに無頓着でもったいないとのこと。

 たとえ1冊だったとしても売り上げはその積み重ねであるのだから、売れたことに敏感でいるよう肝に銘じる。

10月29日(火)

 5時起床。暗いなかランニング。8キロ。
 6時過ぎに息子を起こし、サッカーの練習。朝練を始めて約一ヶ月、リフティングはなかなか上達しないものの、ボールを蹴り、止める技術は向上してきた。

 朝から夜までかけて「おすすめ文庫王国」に収録する座談会のテープ起こし。
 以前は助っ人アルバイト学生にベタ起こしてもらったものを編集していたのだが、最近は自分で編集しながら起こすようにしている。その方がずっと楽。

 FM横浜から『サッカーデイズ』の話で出演依頼。横浜とは優勝を争っているので断りたいところだが、まったく話題にならない自著のためには致し方なし。

 夜、くたくたになって会社を出、書店を覗くと新潮文庫の新刊が並んでいた。再読用の『ヤノマミ』国分拓著と、気軽に読める一冊をということで『食い意地クン』久住昌之著を購入。

 帰りの電車のなかで『食い意地クン』を読み始めるが、『孤独のグルメ』でおなじみの久住昌之氏が、とんかつやらうなぎやら好きな食べ物を描いたエッセイなので、腹が鳴ることこの上なし。しかしこの後、私を待っているのは選択権のないすでに用意された夕食であり、例え本を読んで天丼が無性に食べたくなってもそれが夕飯の食卓にのぼる可能性はゼロなのであった。

 というわけでこの本は朝の通勤電車で読み、食べたくなったものを昼に食べるというのが正しいような気がする。

10月28日(月)

 日記の書き方がわからなくなり、山口瞳の『還暦老人 極楽蜻蛉』(新潮社)読み直していると平成元年十二月一日にこんな記述を発見する。

「粕谷一希氏来。Catfishで『東京人』の取材を受ける。この頃、カメラマンが来たりして客の数が多いときは申しわけないと思うのだが外で会うようにしている。珈琲とケーキだけにしても、昔と違って妻は億劫になってきているようだ。粕谷さんと一緒に来られた坪内祐三氏は息子の担当者である」

 開高健氏が亡くなる8日前のこと。

★   ★   ★

 週末の「朝日新聞」に高野秀行さんと角幡唯介さんの対談と『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』の書評が掲載されたため、それらの注文がバタバタと入る。地方小出版流通センターからは大至急欲しいとのことだったので、タイムズのカーシェアリングを利用し、浜本と届ける。

 午後、営業。『捨てる女』のイベントの打診。

 夜、会社に戻るとたった一日だけ酒を抜いた編集の宮里が「今日は最初の一杯に何を飲もうかなあ」と遠い目をしながらつぶやいている。幸せなやつ。 

10月16日(水)

 雨の音で目を覚ます。
 その激しさで武蔵野線が動いていないことをさとる。11時登校の息子と二度寝。

 二度寝しても武蔵野線は動かず。妻はパートに出、娘も息子も登校時間になり、私だけが会社に行けない。
 そうこうしているうちに妻が仕事から戻ってきて「お昼ご飯どうする?」と訊く。さすがに昼飯を家で食うわけにはいかない。
 もう武蔵野線に頼るのをあきらめ、妻に1000円渡し、浦和美園駅まで送ってもらう。13時に出社。
 
 10月の新刊『文字の食卓』の初回注文〆作業をし、夜は内澤旬子さんと『捨てる女』の最終確認。今回も編集右腕兼ブックデザインを担当してくれているカネコッチが、すっかり内澤さんのファンになっていてなんだかうれしい。

 22時に打ち合わせを終え帰宅するが、なんとまだ武蔵野線は遅れているらしい。
 もう今日は顔も見たくないので、浦和駅まで行き、バスを待つ体力もなく、タクシーに乗車。駒場スタジアム通過時、タクシー運転手と天皇杯の敗戦について愚痴りあう。1850円。単行本一冊分。

10月15日(火)

 9月のはじめに手帳を見たとき、これから約1ヶ月の間に書店さんでのイベント5つに、講談社ノンフィクション賞受賞式、二次会とそれからお祝いの会と重要として赤ペンで記入した予定がぎっしりで、もちろんその間も通常の仕事があるわけで、これはさすがに私も倒れるのではないかと心配したのだが、この週末ですべての予定が終わり、私は倒れることもなければ咳のひとつも出ず、元気よくランニングしたり息子とサッカーの朝練したり、無事にこの1ヶ月を乗り越えたのであった。誰も「グッジョブ!」と言ってくれないので、自分で「グッジョブ!」と肩を叩きつつ出社。

 月曜日、もとい火曜日の会社は注文が多く、『謎の独立国家ソマリランド』はもちろん、『島田清次郎 誰にも愛されなかった男』や『西荻窪の古本屋さん』など追加注文の電話が途切れずに続き、思わず頬をつねってしまう。

 午後、浜本と浜田が神保町ブックフェスティバルの説明会へ。今年は11月2日〜4日も三日間出店。それにあわせて「本の雑誌」11月号は、二度目の神保町特集。かなりディープな神保町(の古本屋さんと食)を紹介できたのではなかろうか。

 台風が迫り、武蔵野線が心配のため早めに帰社。最寄り駅からは暴雨のなか自転車で帰宅。
「グッジョブ!」

10月4日(金)

 芸術新聞社社のアイザワさんという人から電話がかかってきたのは先週のことで、「東京堂書店さんでフェアをするんだけれ、そこに草森紳一さんの『記憶のちぎれ雲』を出品していただけないか」という相談だった。まったく問題ないので了解して電話を切ろうとしたら「ところで杉江さんはサッカーをやられるんですよね?」と不思議なことを訊いてくる。

「ええ、まあ......」と曖昧に答えると、「じゃあ来週の金曜日にフットサルをやるんでぜひいらしてください。19時に出版健保のすこやかぷらざです」と畳み掛けるように言って、電話は切られてしまった。

 その来週の金曜日が、今日だった。これが飲み会の誘いだったとしたら私は行かなかっただろうが、酒ではなくサッカーだったので、フットサルシューズを片手に会場に向かった。

 そこで待っていたのは美術書系の版元営業マンの方々で、「なんだか昨日の夜からわくわくしちゃって眠れなかったんですよ」と頭を掻いているのは西村書店のハコモリさん。「俺なんか今日営業中もサッカーのことばっかり考えていたよ」と笑うのは東京美術のヨシダさん。自己紹介もそこそこに「まったくなにやってるんですか」と突っ込んだ私も、実はサッカーのことで頭がいっぱいで仕事がまったく手に付かなかったのだ。

 みんな立派な『ボールピープル』。

 60歳を過ぎても4つのサッカーチームを掛け持ちしているというアイザワさんの指示のもと、約1時間半フットサル。
 仕事の後にボールを蹴られるとはなんて幸せなんだろうか。

10月3日(木)

 池袋から所沢方面を営業し、直帰。
 秋津、新秋津間の誘惑に勝つ。

10月2日(水)

  • 離島の本屋 22の島で「本屋」の灯りをともす人たち
  • 『離島の本屋 22の島で「本屋」の灯りをともす人たち』
    朴 順梨
    ころから
    1,760円(税込)
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    honto

 午前中、「本の雑誌」の企画会議。すでに来年のこと。

 午後は『名物「本屋さん」をゆく』(宝島SUGOI文庫)の井上理津子さん、『離島の本屋』(ころから)の朴順梨さん、『本屋図鑑』(夏葉社)の島田潤一郎さんをお招きし、「本の雑誌」11月号の座談会を収録。

 夜は11月刊行予定の内澤旬子著『捨てる女』の編集作業。気合い充分。

10月1日(火)

 深酒した翌日ほど早く出社しろと教えてくれたのは、本の雑誌社に転職する前に働いていた出版社の先輩だった。

「酒飲んで遅刻すると単なるだらしない奴になっちゃうからな。きちんと出社すればあんなに飲んだのに会社に来て真面目だって思われるだろう。そう思ってもらえたら後は外出して山手線を何周してもかまわないから」

 思えばあの会社は、水曜日以外毎日深酒するという素晴らしい会社だった。

 というわけで眠い目をこすりながら出社。二次会の司会をした浜本、受付をしてくれた浜田や小林や松村もきちんと出社。ただひとり東京會舘、オーレオーレで飲みまくり食いまくり続けた宮里だけが、日が高くなった頃やってきた。

 とりあえず会社に着たので、あとは山手線へ。

9月30日(月)第35回講談社ノンフィクション賞授賞式

  • 謎の独立国家ソマリランド
  • 『謎の独立国家ソマリランド』
    高野 秀行
    本の雑誌社
    2,420円(税込)
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    HMV&BOOKS
    honto

 うれしかった。たのしかった。誇らしかった。

 東京會舘12階ロイヤルルームで行われた第35回講談社ノンフィクション賞授賞式では、エンタメ・ノンフ仲間の内澤旬子さんがコーディネートしたスーツを着た高野秀行さんが光り輝いていた。堂々とスピーチをこなし、にこやかにスポットライトを浴びている。歓談の時間になるとたくさんの編集者がお祝いに駆けつけ、長蛇の列が途切れることはなかった。みんな、喜んでいた。みんな、笑っていた。私も、高野さんの隣で笑っていた。どうしたって笑みがこぼれてしまう。

 神保町に場所を移して行った二次会は、編集者だけでなく、高野さんの古くからの友人、知人が集まり、長年待ちわびたこの瞬間を喜んでいた。いつまでも続いて欲しいと願うほど楽しい時が流れていた。私も担当編集者ということでスピーチをさせられ、ついにこみ上げて来るものを抑えきれず、泣いてしまった。こんなに大勢の人の前で泣くなんてみっともないと思ったけれど、仕事で涙を流せるってどれだけ幸せなんだとも思いながら、高野さんと『謎の独立国家ソマリランド』について話した。上手く話せなかったけれど、もしきちんと話せたとしたらどれだけ時間があっても足りなかっただろう。

 いつもなら終電を気にして欠席する三次会ももちろん顔を出した。いつまでも笑顔は消えなかった。そして日付が変わる頃、お開きとなった。武蔵野線は終わっているけれど、京浜東北線は動いている時間だった。浦和駅までたどり着ければ、あとはタクシーで2000円、歩いたって一時間だ。ポッカリ浮かぶ月を見ながら、今日は歩いて帰ろうと思った。

 受賞者に用意されていたハイヤーに乗り込む高野さんを見送ろうとすると「杉江さんも乗りなよ」と肩を抱かれた。お祝いの会に駆けつけていたベテランの編集者からも「乗れ、乗れ」と背中を押される。何だかわけもわからず、人生で初めてハイヤーの助手席に乗り込んだ。その瞬間、なぜか頭の中をダースベイダーの音楽が鳴り響いた。そして猿岩石やチューヤンやなすびの顔が思い浮かんだ。

 もしかしてこれって......。
 電波少年?!

 後部座席では世界のどこへでもビーサンで出かける辺境作家がにやついている。白い手袋をはめた運転手は、私が助手席に座った瞬間にドアをロックをした。窓の向こうには三次会まで出席した人たちが何か企んでいるような顔をして笑みを浮かべている。

 そういえば高野さんといつも一緒に旅しているカメラマンの森清さんから、授賞式や二次会の間「こんどは杉江さんが高野さんとソマリアに行って珍道中ですね」と散々言われていたのだ。もしや、もしや......。私はこれからソマリアに連れて行かれるのか。

 窓を開け、「助けてえーーー」と叫び声をあげようとして、考え直した。

 2006年、船橋の居酒屋で行った酒飲み書店員大賞授賞式で高野秀行さんに出会ってから、私は高野さんにいろんなところへ連れていってもらったのだ。それは実際的な旅ではないけれど、営業として編集として高野さんの要求に答えているうちに、本を売るということや作るということについてたくさんのことを学んだ。そして今日はついに講談社ノンフィクション賞受賞という高みまで連れていってもらった。いや、仕事だけではない。私は高野さんと出会ってから、人間としてぐっと成長いるはずだった。

 こうなったらどこまでも高野さんについて行こう。
 それがソマリアだろうと、懸賞生活だろうと。

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