6月27日(金)
その文庫本の背表紙の幅は1センチほどだった。そこには、タイトルである『焼跡少年期』と著者名である吉岡源治、そして中公文庫と印刷されていた。
仕事帰りに、神保町の古本屋、小宮山書店で週に何度か開催されるガーレジセールを覗いたとき、1冊100円の文庫のワゴンからなぜかその背表紙が私の目に浮き上がって見えた。タイトルにも著者にもまったく興味がないはずなのに、気づけばぎっちりつめ込まれた本の間から抜き出している。
もしかしたら無意識のうちに昨今のきな臭い政治から戦争を意識していたのかもしれない。あるいは前日読んだ『仕事道楽』鈴木敏夫著(岩波新書)で語られていた「火垂るの墓」が記憶に残っていたのかもしれない。
どちらにしても背表紙を見るまでまったくなかったものが、あるいは無意識で感じていたものが照らしだされ、私は『焼跡少年期』を手にしたのであった。そして、表4に印刷されているあらすじを読み、目次に目を通し、冒頭部分を読んでみる。たとえ100円でもいらない本はいらないのだ。自分自身のこれまでの経験や勘をたよりに、本の内容を探ってみる。どうやら主観たっぷりの回想録ではなく、戦中、戦後の暮らしや風俗を自身の経験を通してかなり克明に描いたルポルタージュらしい。私はレジへ向かうと100円玉を差し出した。
その判断は間違っていなかった。帰りの電車で何気なく読みだしたところ、もうページを閉じることができなくなるほどのめり込んでしまった。昭和19年、東京市荏原区荏原町にあった自宅の立ち退きから始まる著者の暮らしは、母を亡くし、姉を亡くし、父を亡くし、兄をも亡くし、時には上野の地下道で戦争浮浪児として過ごし、時には横浜の米軍基地に忍び込み、十代の少年が親の骨を拾い、骨壷を抱え生きていく。こんな言葉で紹介していいのかわからないけれど、強烈なサバイバル・ノンフィクションだった。
それにしても、こういった本を選ぶところから始まる読書の喜びは、何事にも代えがたい。何百冊、何千冊、何万冊並ぶ棚から、もっとも面白そうな本を1冊抜き取る。時間をかけてそれを読み、面白ければ興奮し、つまらなければ時間とお金と自尊心を失ってしまう。そういった意味では読書も博打だ。外れるときもあれば当たるときもある。博打だからこそ面白いのだ。