2月24日(火)
帰宅後、ランニング。
来週日曜日ハーフマラソンに挑戦する。マラソン大会に出るのは人生で初めてで、長距離をたくさんの人と走るのは中学校の持久走大会以来だ。そのときは仲間と3人でおしゃべりしながら走り(歩き)、ゴールラインの手前で誰が先にゴールするかじゃんけんで決めていたら体育教官に飛び蹴りされた。それがトラウマになって、高校は持久走大会のない学校を選び、運良く長距離走とは無縁の人生を送れるようになったのである。
それが今から7年前、2008年のことだった。何の迷いか走ってみるかとスニーカーを履いて通りに出た。3キロくらいと思ったものが、これが中学校時代以上に苦しいもので、足はまったく上がらず、息は吐くばかりで吸えず、心臓は暴発するのではないかと脈打ち、1.5キロほどで走るのはやめた。いや走れなくなった。翌日は階段を下りれず家族に笑われた。もう二度と走るもんかと思ったが、三日後にまた走っていた。理由はわからない。強いてあげるならば始めたことを続けるより、やめることのほうが難しかったのかもしれない。
それ以来走り続けている。走ることに慣れてからは週に30〜40キロ、月にして100キロ以上走っている。中学校の5キロコースも走りきれず、いつも先生の目を盗み、同級生を口止めし3キロコースに短縮していた自分からしたら、朝起きたら毒虫になっていたくらいの変化である。そして私だけでなく、そういう毒虫になった同年代の人たちがたくさんいる。最近走ってる?なんて会話が普通に成立するのだ。10代で走っているのは陸上部だけだった。人間は年を重ねるとランナーになっていくのだろうか。
年を重ねるごとに同様に変化があるものに味覚というものがある。私は子どもの頃おでんが大嫌いだった。夕餉の時刻、いや前夜、台所から大根を煮る匂いがしてくると、持久走大会前夜のような気分に陥った。明日がこなければいいのにと何度も寝返りをうった。おでんはおかずにならなった。大根もつみれもボールもみんな同じ味だった。唯一ウインナー巻だけが私が欲していた肉に近かった。不平不満を母親にこぼしても状況は変わらず、それどころか父親は「熱燗をつけてくれ」なんて嬉しそうな表情を浮かべ、おでんの湯気の向こうで笑っていた。そんな父親を見て、私はつまらない大人にはなりたくないと誓った。
それがいつのことだろう。おそらくランニングを始めた頃と同じ30代半ばだろうが、冬になるとおでんが食卓にあがるのを楽しみにするようになった。楽しみにするどころか妻に催促するようになっていた。「おでん食べたいんだけど」しかし妻は「子どもたちが嫌がるのよ」と言って首を振る。そうやっておでんを待つ日々が続いているのだが、私はそれをランニング同様、老化による味覚の変化だと考えていた。しかしそうではないことに今日気づいた。
それは競争である。ランニングもおでんも競争がないのだ。そういうと川内優輝が42.195キロのゴールとともに倒れる姿を思い浮かべる人もいるかもしれないが、あれは競技マラソンである。私のようにただ走るランニングには、サッカーや野球のように相手や敵はいない。ただ走りたいように走る。誰とも競わず、自分のペースで走る。疲れたと思ったら歩みを止め、もうちょっと走れそうだと思えば早く走ればいい。ペースが自分にあるということがこれほど素晴らしいことだと気づくのに、約35年かかった。それまでは誰かと競い勝つことが楽しいことだと思っていた。
おでんも同じだ。おでんには奪い合いがない。強いて挙げるなら玉子と大根は人気かもしれないが、たいていそれらは人数分鍋に入っている。そして二つ以上食べたがる人も少ない。これが10代、20代の頃愛していた焼き肉やすき焼きだったらどうだろうか。視線は一極集中「肉」である。肉を求めてすべての箸が動く。食卓はコロシアムであり、競争になってしまう。
そういう競争に疲れた人間は、ランニングがいい。おでんがいい。ハーフマラソンも競争せず、自分のペースで走る所存だ。