9月12日(火)
雨。息子を中学校まで車で送り届ける。雨だからではなく、先週サッカーの練習中に地球を蹴って右足の親指を脱臼してしまい、ギブスで固定してるため。何もできないのに朝練に出る意味があるのか問うと、ひとりグラウンドの隅っこで体幹トレーニングをしているらしい。何て真面目なんだろうか。
しばらく待ったものの雨は止まず、カッパを着て自転車で駅へ向かう。駅前では雨をものともせず、浦和レッズサポーターの若者が「明日、スタジアムを真っ赤に埋めて、選手を後押ししましょう」とアジア・チャンピオンズ・リーグ準々決勝のビラを配っている。手伝えなくてごめんなさい。でも明日は仕事ほっぽり出して、埼スタで一緒に戦います。
通勤読書は、小林紀晴『ニッポンの奇祭』(講談社現代新書)。諏訪出身の小林氏は、幼き頃、御柱祭にガツンとやられ、憧れと畏れを持って祭りに接してきた。本書では、日本各地の「大和王建によって神道が国家的祭祀として制度化される以前のものを古層と」呼び、その古層の姿を感じられる祭りを撮り歩いたルポである。
私は子供の頃から祭りが苦手だった。祭りが苦手というよりは、人が普段と異なる顔を見せ、はしゃいだり激しく感情を表現する場が苦手だった。父親が初午で顔を真っ白に塗って練り歩いているのを恥ずかしく思っていた。
しかしこの本を読んで気づいたのだけれど、それは傍観者だからであって、本来祭りを行なっている人たちは、その中に、祈りや願い、畏れを強く宿しているわけで、普段と異なる感情を表して当然なのだった。そしてそこで生まれる感情は、私があしげく通う埼玉スタジアムとそっくりだった。
午前中、書庫座談会収録。
昼飯は、雨のせいかほとんど並んでいなかった丸香でかけうどんとかしわ天。至福。
私の不動の神保町ランチは、めんめんかめぞう(新博多ラーメン+替え玉かためん)、菊水(ひじきめし)、丸香(かけうどん+かしわ天)、天丼屋(天丼中盛り)、みやら製麺(ソーキそば)。
午後、営業。渋谷のH書店Yさんから「宮部みゆきの『この世の春』(新潮社)読んだ?」と訊かれる。昨日も新宿のB書店Hさんから訊かれたのだった。なんだか読後、人と、というよりは私と話したくなるらしい。今夜から読み始める。
雨が止んだので帰宅後ランニング。7キロ。息子を塾に迎えに行って、毎晩恒例のサッカーゲーム「FIFA2017」を対戦。主審が家本だったのか、謎のハンドの判定で1対2で負ける。