2月8日(木)
昨日、二泊三日の沖縄出張から帰ってきたのだけれど、帰ってきてすぐまた沖縄に行きたくなっている。それは決してスケジュールがぎちぎちで、我が愛する浦和レッズのキャンプが見学できなかったからではない。私が今すぐ沖縄にトンボ返りしたいのは、宮里綾羽『本日の栄町市場と、旅する小書店』(ボーダーインク)を読んだからだ。
那覇市の職員を退職後、飲み歩いていた市場に居場所を作るためお父さんが始めたのが「宮里小書店」であった。小書店と書いて「こしょてん」と読む。写真で見るかぎり、まさに小さな書店のようで、主に古本を扱っているようだ。
その宮里小書店を始めて一年後、父親は新たな仕事に就くことなり、その頃、休職中で職場復帰するか悩んでいた娘さんである著者は店番することになった。
初日、すぐ隣で店を構える金城さんに著者が大きな声で挨拶をする。「今日からよろしくお願いします。わからないことばかりですが、がんばります!」と。
それはそうだろう。父親から引き継いだとはいえ知らない世界だ。失礼がないよう心がけ、諸先輩方に前向きな姿勢を見せるのは当然のことだ。
ところがもう自分自身もはっきり覚えてない頃からベビー服や肌着を扱う金城さんは身を乗り出してこう言ったのだそうだ。
「が、ん、ば、る、な」
金城さんだけでない。栄町市場とその周辺には非常に魅力的な人たちであふれている。須賀敦子の本を夢中になって読む須賀敦子と同じ年の女性。70歳を越えて海外からも入門者が絶たない空手の名人。キューバのカストロを尊敬している艶子おばさん。昼はバイクで配達に勤しむが夜は飲み屋でギターをポロロンと弾く商店のおじさん。お客さんが選んだものをおすすめできないときは別の商品をおすすめする八百屋さん。そして著者のお父さん、お母さんなどなど素敵な人がどんどん紹介されていく。
著者も含めてそういった人たちが営む市場で交わされるのは、商品でもお金でもなく、"心"なのだ。この本を読んでいてつくづくわかったのだけれど、商売というはお金のやりとりでなく、心のやりとりなのだった。レジや店内で交わされる会話は、まるでマッチ棒をマッチ箱にこすりつけるような行いであり、それでついた心の灯火が、お客さんの心にあたたかな熱を運んでいく。
今や我が家の近所のチェーン本屋さんは無人レジが導入され、店員さんとのやりとりはクレーム以外ほとんどない。ものが手に入る以外にそこで味わう感動は何もなくお金は動くものの心はまったく動かず、amazonでポチっとするほうが荷物が届く喜びがあるほどなのであった。
栄町市場では無人レジなんて考えられない。なにせ店主が不在の際は隣近所のお店の人や家族が店番をしてくれるのだから。きっとそこでものを買うことは商品を手にする以上にもっともっと豊かなものを心に運んでくれるはずだ。
「ありがとう」も「また来てね」もなく、身体がぶつかれば舌打ちが返り、コミュニケーションはすべてスマホによる心の冷え切った世界で生きていくのに疲労を感じている私は、栄町市場の灯火を受け取りに今すぐにでも沖縄に行きたい。できることなら観光などと言わず、この関係性のなかに包まれて暮らしてみたい。人が人として生きていられる場所で私は生きたい。
『本日の栄町市場と、旅する小書店』は包容力のある涙のあふれるエッセイなのであった。