2月2日(日)採用
「本当に入っちゃったね」
息子から届いたLINEの文字を読んで妻がつぶやいた。
27年前も妻がそんな言葉を漏らした記憶が蘇る。27年前、私は憧れていた椎名誠さんが興した会社に採用された。27年後、息子が憧れていたサッカークラブに採用された。
去年の夏頃だろうか。息子は専門学校を卒業してからのことを話し出した。
多くの生徒は各地のJリーグクラブに就職していく。自分もサッカークラブで働きたいが、どうしてもひとつのクラブしか思い浮かばない。ただしそこは一般に募集がなく、ある会社を通じての求人しかないらしい。
学校はサッカーの専門学校であり、これまで多くの卒業生をJリーグクラブに輩出してきた。しかし息子が憧れるクラブに就職した人はほとんどおらず、その学校としても最難関の就職先らしかった。
私にできるアドバイスはただひとつだった。それはアドバイスというより心配だったかもしれない。
「人生は長距離走だから何も今そんなにこだわる必要はない。いきなりそのクラブに入ることだけ考えるんじゃなくて、いつかたどりつけるように他のところで経験を積めばいい」
「わかった」と息子は頷きながらもやみくもに就活することなかった。唯一のその希望先が人事募集を出す会社にインターンに行った。それはもう激暑と呼ばれる日々が過ぎ、上着を羽織る頃だった。クラスの友達は続々と内定を決めていた。
インターン先は週一のアルバイトとしてしか雇用がなく、息子は学校の先生と相談し、ダメ元で希望のクラブにインターンの申し出をした。
返事はなかなか来ず、先生は何度も連絡を入れてくれたらしい。そうしてついにインターンの受け入れが決まった。ただそれは息子が求めていたクラブ内部の仕事ではなく、地域の子供たちにクラブとサッカーを普及する部署だった。もちろん息子は喜んでインターンに向かった。
インターン先では、私と一緒にフットサルをやったことのある元Jリーガーがいて、その人はもちろん他の人たちにもたいそうかわいがられたらしい。
充実の2週間を過ごし、息子のインターンは終わった。憧れのエンブレムを背負いサッカーボールを蹴る夢の時間もそこで終わった。
息子は就職先が決まらないまま専門学校を卒業した。同級生たちはすでにJリーグのクラブで働き出し、サッカーショップでアルバイトをする息子にスパイクの注文をしてきていた。息子はせっせと友達にスパイクを送っていた。
そんなある日、息子の電話が鳴った。相手は憧れのクラブの人だった。人手が足りないので、よれけば来てくれないかという話だった。
ボールは待ち続けた人の前にしか転がってこない。
息子は来週から憧れのクラブで働く。
私にできるアドバイスはひとつだけだった。
「そこに入るのが目標だった人間はそこで終わる」