『謎の独立国家ソマリランド』

「謎の独立国家ソマリランド」は書籍になりました。

「アフリカの角」の全貌を描いた世界衝撃の刮目大作『謎の独立国家ソマリランド』高野秀行著(本の雑誌社刊)2月18日搬入!
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3)市場に札束がごろごろ

 ハルゲイサはソマリランドの西南に位置する。旧ソマリア(1991年に崩壊したかつての共和国をこう呼ぶことにする)の時代は、首都モガディショに次ぐ第二の都市であった。今でもソマリランドの独立を認めない人にとっては、そうである。

 人口は一体どのくらいだろうか。ソマリランド全体の人口はソマリランド政府による"公称"で350万人。そしてハルゲイサの人口は公称65万人。私の故郷である東京都八王子市が50数万だからほぼ同じ規模だ。

 気候は一年を通してたいへん乾燥しているが、いちおう四季らしきものはある。北半球に属するので、気温の変化は日本に似通っている。十二月から二月までが涼しくて雨の降らない「冬」、三月から五月までが多少雨の降る「春」、六月から八月まではいちばんまとまって雨が降り、気温が高くなる「夏」、そして九月から十一月が雨が降らず、気温は中くらいの「秋」である。(なお、南部ソマリアは赤道に南に位置するので気候は異なる)

 私たちが行ったこのときは六月中旬だったので、気温が日に日に上がっていく時期だった。とはいうものの、ハルゲイサは標高700メートルの高地なので、日中は30度を超えるが、朝晩は涼しい。また湿度が低いため、真っ昼間でも屋内は過ごしやすく、エアコンどころか扇風機の必要も感じないほどだ。

 つまり、人口と気候だけを見れば、今ここは晩春か初夏(五月くらい)の八王子、適度な町の大きさで適度に涼しく理想的な場所だ。ただし住民は、控え目でパッとしない八王子市民とはかなり趣を異にするのだが......。

 初っ端、思い切りソマリ人のデタラメさを味わってしまった私たちだが、リシャンが言及しなかった彼らの特徴がもう一つあった。
「速い」ということだ。
 ブラックアフリカの人たちは、東南アジアや中東の人と同様、一般的にはのんびりしていて、時間にもルーズだが、ソマリ人はまるでちがった。

 私たちが最初に泊まったのは千葉のサマター教授に教えてもらった一泊50ドルの「マンスールホテル」という名前のホテルだった。

 清潔さ、接客、設備のどれをとっても、世界的に見て"中の上"もしくは"上の下"クラスレベルである。それだけでも驚くのに、従業員の対応が素早い。フロントに頼めば、瞬時に無線LANのネット回線をつないでくれたし、レストランのウェイターもてきぱきとしていて、呼ぶと「イエス!」と小走りで飛んでくる。日本以外で食堂内を走るウェイターなどめったにお目にかかれない。

 早いのはホテルだけではない。
 フロントでタクシー(といっても見かけは普通の車)を呼んでもらい、街に出て電話会社の窓口で携帯電話用のSIM(シム)カードとプリペイドを買ったのだが、そこの従業員も素早くて、私たちが細かいドル札を探してまごまごしていると、待ちきれない様子で他の客のほうに行ってしまった。世界標準の二倍速くらいだ。

 極めつけは大統領のスポークスマンである。
 千葉のサマター教授が紹介してくれたVIPの中で、「まずこの人とコンタクトをとれ」と言われたのがサイードという名の大統領スポークスマンだった。といっても前もってメールか電話で我々の到着を知らせてくれたわけでもない。「まあ、行けば大丈夫だよ」という、かなり適当な調子だった。

 日本でいえば、内閣官房長官に匹敵する要職だ。行けばどう大丈夫なんだと頭を抱えたくなったが、ダメ元でホテルのフロントに訊いたら、まるでそれが観光ガイドか洗濯屋のように、あっさりサイード氏の携帯電話番号を教えてくれた。なぜ、ホテルのフロント係が官房長官の番号を知っているのかわからない。

 ともかく番号はわかったが、本当に会ってくれるかどうかは別問題である。ところが、電話をして訥々と自己紹介を始めると、最後まで訊こうともせず「わかった。今すぐ行く」と瞬間的に電話が切れ、その10分後には本人がホテルに姿を現した。政府の要人がアポもとらず、10分で会えるとは驚異の一言だ。

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すごい速さで私たちのスケジューリングを行う大統領スポークスマンのサイード翁(撮影:宮澤信也)

 サイード氏は70過ぎの貫禄たっぷりの老人だった。後で聞けば、旧ソマリア政府時代はテレビでニュースキャスターをやっていたという。

 サイード翁は挨拶も世間話もほとんどなしで、「君たち、ソマリランドに何日滞在して、どこに行きたい?」とたたみかける。私たちの希望をいくつか述べると、「今日中に車と通訳をアレンジする」と言い、嵐のように去っていった。  

 同じ日の夕方、サイード翁が再び来襲。目の前で、私たちの予定を紙にすらすらと書いていく。
「ハルゲイサには二日、そのあとベルベラで海賊の取材をして、いったん戻って、一日休みを入れるだろう、で、今度は護衛をつけて東部の山岳地帯へ向かい......」

 いつの間にか、私たちの旅のスケジュールが決められていた。なんだか、優秀な秘書に日程を聞かされている政治家みたいな気分になってきた。実際、サイード翁はこのように大統領の日程を決めているのだろう。たちまち私たち用の通訳とランドクルーザーも見繕ってしまった。

 私はもっと自力で旅をするつもりだったが、洪水のようなじいさんの勢いを遮ることができない。これで行くしかないだろう。
 
 翌日から通訳のワイヤッブと一緒にハルゲイサ市内を歩き回った。
 ワイヤッブは190センチほどもある巨体、それに対照的な細長い足、そして小さな頭を振ってゆっさゆさと、でも素早く歩く様子はラクダそっくりだった。1957年ハルゲイサ生まれ、52歳。現在こそソマリランド政府情報省に所属しているが、つい最近までフリーランスで長く活躍してきた熟練のジャーナリストであり、この国(とソマリア全体を通して)屈指の情報通でもあった。

 ざっくばらんな性格で、こちらの質問には政府に都合がいいとか悪いとか関係なく、なんでも率直に答えてくれる。もちろん全て「即答」だ。

 ハルゲイサは東西に長い大通りが走り、その周囲に町が広がっている。その通りは、なにしろ一本しかない目抜き通りで、距離も長すぎるため、ふだんはそれを名前で呼ぶことはない。ただ、本当に町の中心の部分は「ウェドナハ(中心)」と呼ぶとワイヤッブは言った。

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「信州健康ランド」のバスは現在、ラピュタ住民の足となっている。(撮影:宮澤信也)

 前は舗装されていたらしいが今となってはその名残も見当たらないようなでこぼこの片側一車線の道を、けっこうな数の車が土埃を巻き上げて走っている。驚くことに車のほとんどは日本の中古車だ。中には「清武温泉」「弘前セレモニーホール」「はくあい幼稚園」などとボディに記された車も多数見かける。日本人は誰もソマリランドを知らないが、ソマリランドの首都に住む人は誰もが毎日日本語を見ながら生活しているのだ。

「日本車は丈夫だからいい。みんな、ドバイ経由で輸入されてくるんだ」とワイヤッブは説明した。

 まず、訪れたのは中央市場の両替屋街。ソマリランドでは、ホテルや電話会社、それに車のチャーターなどは米ドルを使用しているが、意外なことに、日々の生活では独自の通貨「ソマリランド・シリング」を使用しているという。

 私が今まで訪れたミャンマーの「国モドキ」や「自称国家」では、そこから独立しているはずのミャンマーの通貨や隣の中国の人民元を使っていた。本当に自前の通貨を持っている自称国家は初めてだ。

 私たちも当然両替の必要があるからそこに行ったわけだが、到着するなり、あまりの光景に吹き出してしまった。

 ござを敷いた上に、輪ゴムで留めた札束がまるで日干しレンガのように、ごろごろと無造作に積み上げられているからだ。実際に一輪車で運んでいる男たちもいる。繰り返すが、札束をだ。
 「この紙幣はソマリランドで刷っているの?」とワイヤッブに訊くと、「まさか。うちの国にそんな技術はないよ」と笑った。「ロンドンで刷って空輸しているんだ」

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ソマリランド・シリングの札束を一輪車で輸送する業務にいそしんでいる人々(撮影:宮澤信也)

 札を作る技術がないどころか、よく聞けば、新しい札の型を作るカネもないらしい。インフレの結果、通貨の価値が下がっても、新しい札の型を作れない。だから、15年以上前の札をたくさん刷るしかないのだという。

 2009年当時、1ドル=約7000シリング。なのに、札は500シリングのみ。つまり、14枚でやっと1ドルである。とりあえず50ドルを換えたら、片手で持ちきれず、黒いビニール袋に入れてもらった。

 だが、この両替屋街はソマリランドの秩序ある独立国家ぶりを示す象徴でもある。なぜなら、いくらインフレがひどいとはいえ、独自の通貨をもつのは大変なことだ。初期費用は相当の額だったろうし、イギリス政府に話を通すだけの外交能力も必要だ。さらに札を定期的に刷って輸送し、きちんと管理する。そして何よりも住民の支持がなければ不可能だ。国軍兵士や警察官を含めて、国家公務員の給料はこのソマリランド・シリングで支払われるのだ。

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大人気だったスイカ切り売り屋台(撮影:宮澤信也)

 ここには米ドル以外に、ユーロ、エチオピアのブル、アラブ首長国連邦(ドバイを含む)のディルハムも両替ができる。そういった「外貨」もここにはたんまりあるはずなのに、しかも人がわさわさした市場のど真ん中にあるのに、銃を持った護衛もおらず、緊張感の欠片もない。
「(南部)ソマリアではありえないよ」とワイヤッブは言うが、それを言うなら世界のどこでもありえない。

 札束をデイパックにしまい、また歩き出す。市場はとりとめもなく広がって──というより、街全体が市場のような盛況ぶりだ。青い空と輝く太陽の下で、とてつもなく、明るくて活気にあふれている。まるで、まだ世間には認められていないが誰よりも元気で希望に満ちた若者のようだった。

ソマリランド地図