第1回「震撼する神がかり的名作」

Page 1 『寄生獣』だけではない岩明作品の底力

『寄生獣』、『七夕の国』という
2作の神がかり作品を生んだ岩明均

寄生獣(完全版)(1) (KCデラックス アフタヌーン)
『寄生獣(完全版)(1) (KCデラックス アフタヌーン)』
岩明 均
講談社
936円(税込)
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日本の近代マンガの歴史は約50年。その間、膨大な数のマンガが出版されてきましたが「神がかり」と言える作品は、そう多くはありません。ところが岩明均というマンガ家は1990年代に2作続けて、「神がかり」作を発表しています。代表作の『寄生獣』はもちろん、続く『七夕の国』も神がかりと呼ぶにふさわしい。尋常ではありません。

『寄生獣』は、人間の脳に寄生する未知の生物"パラサイト"が人間社会に入り込み、混乱を巻き起こすという設定のマンガです。空から飛来した"パラサイト"が平凡な高校生、泉新一の脳を奪うべくその身体に潜り込んだものの、脳を奪うには至らずひとつの身体で奇妙な同居生活が始まる――。

似たような設定はSF小説などでも時折見かけますが、『寄生獣』はありがちなエイリアンSFとはひと味違います。その根底には、「人間の存在意義とは?」という重厚なテーマが流れていながらも、エンターテインメント作品としても秀逸で、巻を重ねるごとにぐいぐい引き込まれてしまう。「名作」と言われるマンガでも巻数を重ねると、迷走する作品が少なくないなか、全編通してテーマがブレずに物語が走り続ける。「この地球に、人として生まれてきた意味」を考えさせられる作品でありながら、読後感もどこかさわやかな印象があります。

緻密に練り上げられたストーリーを際だたせるのは、キャラクターの薄さです。表向きの主人公、泉新一はごく普通の学生ですし、周囲の家族や友人も地味キャラばかり。キャラが立っているとすれば、事実上の主役である寄生生物、"ミギー"くらい。つまりキャラの強さに頼らずに、ストーリーありきで作品が構築されている。一見荒っぽくも見える絵のタッチも、かえってマンガとしての生々しさにつながっています。

人間の存在意義を問う『寄生獣』
「人が為すべきこと」を突きつける『七夕の国』

完全版 七夕の国 (上) (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)
『完全版 七夕の国 (上) (BIG SPIRITS COMICS SPECIAL)』
岩明 均
小学館
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『寄生獣』の次に描かれた『七夕の国』では、そんな"岩明ワールド"がさらに研ぎすまされています。

『七夕の国』の主人公は、大学の超能力研究サークルのダメ部長、南丸洋二。超能力というにはあまりにショボい能力しか持たない彼が、ふとしたきっかけで自らのルーツが「丸神の里」という村落にあることを知り、村落周辺で起きる不可思議な事件に巻き込まれていく――。

導入は決して派手ではありません。しかし、社会問題、民俗学、考古学からSFまで、ジャンル横断で無数の伏線を張り巡らせ、全4巻という短い巻数でその伏線を見事に収束させている。力強く美しい、その展開力はまさに圧巻。しかも『寄生獣』と少し違った切り口から「人間は何を為すべきか」という問いを訴えかけてきます。

物語を展開させるのに必要な説得力――リアリティも鳥肌もので、「日本のどこかにこんな村落があるかもしれない...」と思わせるほど、細部まで作り込まれていながらも、キャラや物語の設定が決して過剰になっていない。その気になればいくらでも物語を引き延ばせるほど壮大な舞台設定にも関わらず、4巻で完結させてしまう潔さが作品の濃厚さを際だたせています。

『寄生獣』は1990年から1995年、『七夕の国』は1996~1999年に連載された作品です。政治・経済、環境、社会階層など、社会全体が転換点を迎えた20世紀の終末に「人間とは何か」、「何を為すべき生き物なのか」というテーマで描かれた両作は、いま読んでも当時と変わらぬ衝撃を与えてくれます。

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