新井敏記さん
カルチャー誌の一時代を築いた雑誌『SWITCH』の生みの親として知られる、新井敏記さん。独自路線を歩む出版社スイッチ・パブリッシングを率い、数々の書籍や雑誌を手がけてきた。出版界に逆風が吹き荒れる中、「好きな人に会いに行き、話を聞き、書く」というスタンスを貫く稀代の編集者を育んだ一冊とは――。
読書がくれた、“寄り道”という愉悦
憧れの職業は“FBI”
- 『モルグ街の殺人事件 (岩波少年文庫 (556))』
- エドガー・アラン・ポー
- 岩波書店
- 691円(税込)
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雑誌『SWITCH』の発行人であり、旅をテーマにした雑誌『coyote』の編集長として、独自の出版活動を続ける新井敏記さん。その傍ら、インタビュアー、ノンフィクション作家としても活躍する新井さんだが、意外にも「本に関わる仕事がしたい」と思ったことはなかったという。
「子供の頃から本は好きだったけれど、“ためになる読書”をした記憶はないんですよ。ただ、夢中になって本を読んでいた。そうそう、子供時代に憧れていた職業はFBI(笑)。当時、ハードボイルド小説や海外ミステリーにハマっていた影響だったんですが、調べてみたら、アメリカ国籍が必要だとわかって挫折。ホント、単純ですよね」
本の面白さに目覚めたのは、小学校高学年の頃。授業中に、担任の先生が小説を朗読してくれたのがきっかけだった。
「多分、すごく本好きな先生だったんでしょうね。『モルグ街の殺人事件』や『岩窟王』といった小説を2時間くらいに渡って読み聞かせてくれる“読書の時間”があったんです。途中、10分くらいの休憩をはさむんですが、続きが気になってハラハラしながらトイレに行った記憶があります。自主的に本を読むようになったのは、その先生の影響が大きいですね」
「本屋巡り」という冒険
本屋に行く楽しさを覚えたのも、その頃だったという。
「すごく読書が好きな友達がいて、その彼と一緒によく本屋巡りをしました。今のような大型書店がなかった時代ですから、本屋ごとに棚の品揃えが違う。棚揃えにその本屋の店主の嗜好が出ているんですね。例えば、Aという本屋では、ハヤカワミステリが充実しているけれど、創元推理文庫を探すならBという本屋といった類の違いがある。今考えると、たいした品揃えでもないんだけれど、子供ながらに嗅覚を働かせながら、何時間もかけて本屋を巡るのは、当時の僕らにとって大事な時間でした」
夏休みはもちろん、日曜日やお祭りの日など、ちょっと気持ちがそわそわしているような時は、書店を一軒一軒まわり、一周する。それはワクワクするような冒険だった。
モテと読書の意外な関係
- 『カラマーゾフの兄弟1 (光文社古典新訳文庫)』
- ドストエフスキー
- 光文社
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「中学の時、好きな女の子の気を惹こうと、本の中からかっこいいセリフや文章を探しては、交換日記に書くという、くだらないこともやりました。でも、恰好つけて難しい人生論みたいなことを書いたら、彼女の返事は『難しくてわからない』。もう、すぐに漫画の例えば『天才バカボン』のセリフを引用する。ギャグ路線にシフトチェンジですよ。友達からは、女に気に入られるために書く内容を変えるなんて最低だと罵倒されましたが(笑)」
高校時代のバイブルは、大江健三郎と高橋和巳。隅々まで読み、さらに、ノートに全部書き写していたという。
「ドストエフスキーの『カラマーゾフの兄弟』も大好きでした。 とくにアリョーシャという無垢な存在に惹かれて、彼のセリフだけを抜粋したノートを作っていました。大江健三郎や高橋和巳もそうでしたが、当時はワープロもなかったので、好きだった小説や詩の一節をよくノートに書き写し空で言えるように覚えていました」
雑誌を作る。それは必然だった。
中学生の頃から、自分でも詩や小説のようなものを書いては、友達に配っていた。やがて、女友達に和文タイプで原稿を売ってもらうようになり、製本し、配るようになる。
「書くことで思いを伝える。書いたものを読んでもらいたい。小学生の頃から今もずっと変わっていない姿勢ですね。本を読んで感動すると、その作家に会いたくなる。高校生の時に、どうしても小林秀雄に会いたいと思い、講演依頼にかこつけて手紙を書いて、北鎌倉まで会いに行ったことがあります。作品だけではなく声を聞きたいと、話したいと強く思う。全然、成長していない(笑)」
当時、小林秀雄から返事が来たのかどうか、すっぽりと記憶から抜け落ちてしまっているという。
「返事が来たから会いに行ったんだと思うんですが、返事が来なくても、手紙も出したことだし、会いに行ってしまおうと思ったような気もする。そこはメールと手紙の大きな違いですね。メールは返事を求めるけれど、手紙は自己完結する。以前、星野道夫さんが『知らない土地で感動したことを伝える人がいるっていうことが、一番人間にとって大事なんじゃないか』と言っていたんですが、手紙は書くだけで幸せになれる。メールで人を傷つけるのは簡単だけれど、手紙だと一度、自分の中で咀嚼するせいか、言葉選びも変わる。送るまでのプロセスが手紙のほうが圧倒的に多いからなのかもしれません」
寄り道するからこそ、見えてくるものもある
- 『魔の山〈上〉 (岩波文庫)』
- トーマス マン
- 岩波書店
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最短距離でゴールを目指すことが、必ずしもいいとは限らないというのが、新井さんの持論だ。
「例えば、トーマスマンの『魔の山』やドストエフスキーの『罪と罰』を読んでも、そこに生きるための明確な答えはあるわけではない。ある種、最大の人生モデルではあるけれど、“正解”を教えてくれるわけではない。でも、こうした本を読んでいる人と、読んでいない人の差は大きい。結論に向かって、ショートカットすることばかりが巧みになると、大きな壁にぶつかった時にもろい。寄り道するからこそ、見えてくるものもあると思うんですよ」
旅と読書の幸福な関係
- 『カデナ』
- 池澤 夏樹
- 新潮社
- 2,052円(税込)
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旅に出るときは、必ず本を持っていくという新井さん。直近で一緒に旅をしたのは、池澤夏樹さんの最新刊『カデナ』だという。
「沖縄に行く用事があったので、持っていったんですが、分厚い本なので、読みかけのまま戻ってきてしまいました(笑)。僕ね、みんなにバカにされるんですけど、海外に行くときは搭乗する2時間前、国内でも1時間半前には空港についていたいんです。現地でのんびり読書をしている自分を想像しながら、本屋で本を選ぶ時が一番幸せな時間です。自由さというのか、旅に出るときの儀式みたいなものですね。いつかやってみたいのは、沢木耕太郎さんや星野道夫の本を全部スーツケースに詰めて海外に行き、旅先で一冊ずつ置いてくるという旅。それも文庫本ではなくて、四六判の普通の単行本を持っていきたい。ものすごく重たいだろうけど(笑)。でも、ひとつひとつ句読点を打つような旅ができたら、それは僕にとって最高の旅であり、幸福な読書ですね」
編集者、ノンフィクションライター。1985年に『SWITCH』を創刊。現在、旅する雑誌『Coyote』 編集長。著書に『池澤夏樹 アジアの感情』(スイッチ・パブリッシング)、『モンタナ急行の乗客』(新潮社)、『人、旅に出る』(講談社)など。
- 『SWITCH vol.28 No.1(スイッチ2010年1月号)特集:flumpool[はじまったばかりの歌]』
- スイッチパブリッシング
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- 『Coyote No.40 特集:谷川俊太郎、アラスカを行く』
- 新井敏記
- スイッチパブリッシング
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- 『人、旅に出る SWITCHインタビュー傑作選』
- 新井 敏記
- 講談社
- 2,808円(税込)
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