『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか』 地獄を見た司令官

文=村上 浩

なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記
『なぜ、世界はルワンダを救えなかったのか―PKO司令官の手記』
ロメオ ダレール
風行社
2,268円(税込)
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地獄というものがこの世に存在するのなら、著者が1994年にルワンダで見た光景こそ、そう呼ぶに相応しい。徹底的に破壊された都市、拷問の限りの果てに殺された人の山、その死体を食べて犬の大きさにまで成長したネズミ。そこには、正気を保っているほうが異常であると思われるような、圧倒的な現実が広がっていた。

本書の著者であるカナダ出身の軍人ロメオ・ダレールは、1993年10月にPKO部隊の司令官として内戦の続くルワンダに国連から派遣され、80万人の命がたった100日間で失われたジェノサイドを目の当たりにした。事態の鎮静化後に司令官を辞任したダレールは、カナダへ帰国してからもうつ病やPTSDに苦しみ、2000年にはアルコールとドラッグを用いて自殺未遂を起こす。

苦しみ続けた彼は、世界にルワンダの悲劇を伝えるために、そして、二度と同じような悲劇を起こさないために地獄の体験を振り返り、本書にまとめた。この本には、派閥間の対立の過熱とともに広まっていく緊張、とどまることのない虐殺がもたらした絶望、国連をはじめとする世界からこの悲劇に向けられた無関心が驚異的密度で描き出されている。

例えば、ジェノサイドが始まる2ヶ月前の1994年2月21日深夜、穏健派政党の党首であるガタバジが過激派によって暗殺された後のPKO部隊の活動も、当事者の視点で振り返ることができる。翌22日の朝ダレールは、事態の沈静化をはかるために当時のルワンダ首相と会談しているが、混乱する首相を励ます以上の成果は得られなかった。国連がこの暗殺事件を調査する許可を与えず、具体的なアクションを起こすことができなかったからだ。

なぜ、国連はダレールに積極的な指令を出せなかったのか。
誰が、何を決断したのか。誰が、何を決断しなかったのか。
その決断は、どのような組織・システムによってもたらされたのか。
本書には現場の視点からその全てが記録されている。

もちろん、本書の範囲はガタバジ暗殺だけにとどまらない。著者がルワンダに到着した1993年8月17日から、その地を発つ1994年8月13日までの毎日が二段組み510ページのボリュームで克明に描き出されている。

緻密に当時を再現できたのは、この不屈の司令官が現地の様子を連日国連に報告し続けていたからであり、国連は事態の進捗をしっかり把握していた。つまり、ルワンダを襲ったジェノサイドは、知らない間に始まったものではないということだ。世界は、ジェノサイドの危険性に十分気がつきながら、それを止める力を持ちながら、それでもルワンダを救わなかった。

80万の犠牲者を生んだ虐殺の原因を知るには、ベルギーがルワンダの植民地支配を始めた1916年にまで遡る必要がある。ベルギーは、背が高く肌の色が薄い少数派のツチ族を支配者層、背が低く肌の色も濃い多数派のフツ族を農民とした封建的関係を築き上げ、プランテーション経営から莫大な利益を上げていた。1962年、虐げられたフツ族の蜂起によってルワンダは独立を勝ち取るのだが、この際フツ族によるツチ族に対する虐殺がつづき、多くのツチ族が隣国へ難民として逃亡していく。

1973年にはフツ族内でクーデターが起こり、その中心にいたハビャリマナ少将(後の大統領)が、20年にわたってルワンダに独裁体制を敷くこととなる。ハビャリマナ独裁体制による安定で徐々に復興していくルワンダの周辺で、不穏な動きが活発化していた。故郷を追われたツチ族たちがルワンダ愛国戦線(RPF)を結成し、フランスに支援されたルワンダ政府軍(RGF)を打ち負かす力を持つまでに成長していたのだ。RPFとベルギー、RGFとフランスの繋がりが事態をより複雑に、より危険なものとしていた。

政府と反政府軍の間の緊張感は高まり続け、国際社会の注目を集め始める。両者の間で和平交渉を進めるために、PKO部隊の司令官として送り込まれた男こそが本書の著者ダレールである。しかし、ボスニア、クロアチア、ソマリアで疲弊していた国連及び西側諸国の腰は重く、彼に与えられた人員、装備、兵器は不十分なものであった。そのため彼は、ルワンダを離れるその日まで更なる援助を求め続けることとなる。

虐殺が始まる前のこのような国連、西側諸国の態度は、ジェノサイドで国が破壊しつくされた後でも変わることはなかった。荒れ果てたルワンダを離れる直前にアメリカ人職員から聞いた台詞を、ダレールは忘れることができない。

"1人のアメリカ兵士の生命を危険にさらすことを正当化するためには85,000人のルワンダ人の命が必要だ"

このアメリカ人を人種差別的であると非難することは容易い。しかし、「国際正義、人権のためには、自国の若者を地球の裏側の危険地帯に送り込むこともあり得る」と宣言する政治家に一票を投じるか、と問われているのだと考える必要がある。


本書には、悪名高い国連の官僚主義の実態も描かれている。著者はその在り様を、以下のように表現する。

"フラッシュライトを頼むのであれば、電池と電球も頼まなければならず、さもなければ電池も電球もないフラッシュライトが届くとこになるだろう。"

この組織において、何よりも重視されるのは「手続き」なのだ。


それでも、国連は国際社会を象徴する存在にすぎず、ルワンダの悲劇は人類全体の失敗の物語であると著者は主張する。危機にさらされた人々の助けを求める声に耳を傾けなかったのは、他の誰でもなく、我々だからだ。ダレールは戦況を報告していたし、戦地の中心にいたBBCをはじめとする報道機関はこのニュースをリアルタイムで発信していた(新聞の1面はスケート選手トーニャ・ハーディングのゴシップに奪われることもあったが)。

著者が言うように、「盲目か、読み書きができないのでないかぎり、ルワンダで何が起こっているかについて皆知っていた」のだ。知っていて、無関心でいることを選んだ世界は、この経験から何を学ぶことができるだろうか。その後2003年にコンゴ(旧ザイール)で再燃したジェノサイドでは、400万人が犠牲になったと言われている。またもや世界は、悲劇を止められなかった。

ルワンダから帰国してからもずっと、ダレールは自らに問い続けている。なぜ、我々はこの悲劇を止めることができなかったのか。人間の命は平等ではないのか。虐殺を主導した指導者達を、法を犯してでも事前に射殺すべきだったのか。

我々はこれからも、無関心で居続けるのか。
先ずは、地獄を見た男の声に耳を傾けることから始めたい。

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