夢中になって読んでしまった 『精神病者私宅監置の実況』
文=足立 真穂
- 『【現代語訳】呉秀三・樫田五郎 精神病者私宅監置の実況』
- 金川 英雄
- 医学書院
- 3,024円(税込)
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座敷牢の調査報告書。
一言でいえばこんなところだろうか。ただし、100年前の話。
著者の呉秀三は、「日本精神医学の父」と呼ばれる、明治から昭和のはじめにかけて活躍した医学者だ。精神病患者の看護法を刷新したことで知られる。つまり、本書は看護や治療のやり方を一新すべく、当時の精神病患者がおかれた状況を実地調査したレポートなのである。
明治43(1910)年から、東京帝国大学医科大学精神病学教室主任だった呉は、夏休みのたびに教室の助手などを全国に派遣し始める。共著者の樫田五郎を含む15人は、1府14県に散らばり、写真や絵とともに患者の置かれた状況を記述していく。交通の発達していない時代に、徒歩や人力車、馬車で、山奥まで出かけたそうだ。
当時の患者数は14万から15万。一方、当時の精神病院の病床数は私立も含めて約5000。患者に対して、治療施設が圧倒的に足りていないとなると、患者は自分の家にいるしかない。症状によっては暴れたり徘徊したりと手に追えない患者を家族は持て余し、一室でのみ暮らすように仕向けるか、敷地の一角に隔離するための小屋などを設置して生活させるようになった。この「私宅監置」はすべて、当時の法律上、患者側に社会的な危険行為があった場合に周囲の届け出があって認められるもの。そして、「治療」の多くは、神社仏閣での祈祷やまじない、民間療法だけだった。
原本は8年後に刊行され、115の例が85枚の写真と72の図版、15の表とともにまとめられている。甲=よいもの、乙=普通なもの、と状況の良し悪しで順番に5つに分けられたこの115の例(未監置の10例含む)が、読んでいて発見と驚きの連続で飽きさせない。飽きないどころか、金川英雄氏による現代語訳が読みやすく、その後の統計や分析、現代語版で加えたコラムや注も含めていつのまにか夢中になって読んでしまった。
住所や名前など固有名詞は伏せ字になっているが、市町村レベルまでわかるものがほとんどだ。その一家の資産、監護義務者、診断された病名、いつ発病したか、遺伝歴、既往歴、監置室の状況、患者の状態、家族の待遇、医薬品の投与状況、警察官の視察状況などが丁寧に書かれており、状況が結構つかめてくる。このディテールが、本書の真骨頂だろう。おまけに、記録者の個性も存分に表れていて、アバウトなメモに終わる人もいれば、関心のある加持祈祷ばかり書く人、座敷牢の横に佇む自分を写真に入れて撮影させる人もいて、なかなかに味わい深いのであった。そうそう、気の毒になってお金を置いて行くような調査者もいた。記録自体が、なんとも人間臭い。
座敷牢の中の患者本人の写真も写されており、にこにこ笑っているものから、やせ細って放置されたもの、一心不乱に縄をなっているもの、格子の向こうでじっと見つめているもの、とさまざまで目を奪われる。建物の外観も写真や絵で表現されているので、家の見取り図や、部屋の広さや高さの数字と合わせてイメージがわきやすい。
が、当然ながら調査結果は厳しい当時の現実をつきつける。寝具や衣服は不潔で、多くの便所は同じ室内にあり、部屋自体も掃除が頻繁にされているわけでもないので衛生状態がよくない場合が多いのだ。医者による治療は半分以上が受けておらず、なにより大部分は幽閉されたまま、ときには虐待の悲惨な例も出ている。待遇の分かれ目は、資産や病気の期間、病状などだが、全体に監置する側の知識の欠如があったことは否めない。適切な治療がなされず、治療による治癒の可能性は、あったとしても優先されてはいなかった。
当時の精神医療の管轄が内務省だったこともこれに拍車をかけたようだ。内務省は大久保利通が創設した警察組織で、産業の奨励もしたが、犯罪捜査や思想弾圧を担っていた。警察の管轄下では、「治す」よりも「隔離して他人に危害を及ぼさないようにする」ことに重きがおかれたのだった。
この調査自体も、大学に身を置く呉ならではとも言えそうだ。呉は、この調査の甲斐もあって、精神病者を自宅の中で監禁することを強制する「精神病者監護法」を廃止し、新しく「精神病院法」(大正8年)によって、患者を病院で看る道筋をつけた。このレポート自体が新しい法律制定のために政治家に向けてまとめたとも言われており、気を遣っているのか法律に関しての語り口は奥歯にものがはさまったまどろっこしい印象も。当時の内務省の権威と実行力は今とは比べものにならなかっただろうからさぞや......などと読んでいるこちらの想像もそんなところまで膨らむのだった。
そんな時代に精神病者を受け入れたのは、神社仏閣や温泉地だったようだ。高尾山薬王院(東京都)や正中山法華経寺(千葉県)、定義温泉(宮城県)などが、宿泊施設を設けて精神病者を受け入れたことに、具体名をあげて触れている。後にそのまま病院になったところも多いそうだ。埼玉県では、三峯神社や御嶽山への信仰もあり、オオカミ信仰による「オイヌさま」の護符が効くとして貼る家もあったとか。薬がないために、墓の死体の骨を削って飲ませたとか、へその緒を煎じたとか、猿の頭蓋骨や狐の舌の「黒焼き」(炭化させる)や玉牛黄が効き目ありとされたことも書かれている。
どういうことだろう? と、めくりはじめたらやめられなくなっていた。思いがけない拾い物、とはこの本のことだろう。大変なことをまとめた記録集なのに、真面目に取り組む姿勢が根底にあるからか、読後も爽やかだ。
100年前のニッポン各地の一級の記録ともなっているので、民俗学、社会学の見地からも読める懐の深さがある。手に取ってみることをオススメしたい。