『祈りよ力となれ』 リベリア内戦を終わらせた活動
文=高村 和久
- 『祈りよ力となれ――リーマ・ボウイー自伝』
- リーマ・ボウイー,キャロル・ミザーズ
- 英治出版
- 2,376円(税込)
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本書を改めて読み返した時、冒頭の「内戦前の高校時代の話」が「夢のような思い出」であったことがよくわかった。1990年にリベリアで内戦が始まった頃、彼女は、入学したばかりの大学生だった。将来は、医者になりたかった。そこから14年に及ぶ戦争が始まる。
本書は、シングルマザーとして内戦を生き延び、非暴力の平和構築活動による貢献によって昨年度のノーベル平和賞が与えられたリーマ・ボウイーの自伝である。1972年2月1日生まれ、現在は40歳だ。
この本で語られるのは、これまでのような戦争の話ではない。ほかに誰も立ち上がらなかったとき、白い服を着て立ち上がった大勢の女たちの話だ。私たちは恐れなかった。なぜなら、想像しうる最悪のことはすでに起きてしまっていたから。
内戦が首都まで及び、17歳のリーマは、少年が目の前で撃たれて死ぬのを初めて目撃する。新しいスニーカーを履いていた知り合いは、検問所で尋問され、スニーカー欲しさに殺された。
政府軍の兵士はギオ族とマノ族を追いかけ、反政府勢力はクラン族とマンディンゴ族を狙った。通っていた教会で発生したレイプと虐殺、今や死はそこらじゅうにあり、いつか自分のところに来るかもしれないと思うしかない。騒乱の中、リーマはガーナのブドゥブラム難民キャンプに避難し、ドーナツを売ってお金を稼いだ。
1年後、戦闘が収まってからリベリアに戻ったが、現地には、電気も水道も、使えるトイレもない。重いマラリアにかかり、優しく看病してくれたダニエルという男と付き合うようになった。今となっては、自分が何を考えていたのかわからない。妻子を捨てたという評判は聞いていた。しかし、たくさんの破壊と死を目撃し、大きな怒りとみじめさを感じていた。まだ19才で、少しは楽しいことをしたかった。ダニエルが暴力をふるうようになった時には、既に遅かった。妊娠していたのだ。両親は激怒した。姉のジョセフィーンはもっと楽観的で、こう言った。
子供を産みなさい。ことによると、あなたが生涯で産むのはその子だけだろうから。
外では反政府勢力が攻撃を再開しており、政府軍がミサイルで応戦していた。姉は外国に引越し、夫のダニエルは職を失った。リーマはソーシャルワーカーを養成するプログラムを受講し始めたが、治安がいよいよ危うくなった時、夫の家を頼ってガーナに脱出した。ひどい船だった。
優秀だった大学生リーマの面影は、もはやどこにもない。ガーナで3人目を産んだ時には、夫が支払いに来ず、1kg程の未熟児を抱えて一週間病院の通路で過ごした。ある時、姉の訪問をきっかけにして、遂に夫の家を飛び出してリベリアに戻る。26才、一文無し、3人の子供を抱え、4人目を妊娠していた。リベリアでは、反政府勢力だったテーラーが大統領になっていた。
リーマにとって転機となったのは、シングルマザーになり、大学に通いながら始めたトラウマヒーリングの仕事だ。ボスニア等の欧米諸国で使用されていたプログラムであったが、自らも戦争経験があるためか、ワークショップが大成功するようになった。ワークショップでは、最初に身の上話をしてもらうことになっていたが、参加者の誰もが、話すことをやめなかった。
たとえば自分の夫について。自分と言う人間には価値がないと思っていることについて。レイプの経験について。
ある難民キャンプでは、あまりに重い身の上話だったため終わりにしようとしたところ、高齢の女性が杖をついて立ち上がり、やめさせないで、と言った。
国連は食べ物や避難場所や服をくれるけれど、あなたがやってくれたことは、それよりももっと価値があります。あなたは私たちの心の底からの話を聞いてくれた。これまで誰も聞こうとしなかった話を。どうかやめないで。絶対にやめないで!
「肩の荷を下ろす」と呼ばれる活動の始まりである。この活動によって、単なる仲間ではなく姉妹のような関係が生まれるようになった。この後、リーマは、WIPNET(平和構築における女性ネットワーク)の立ち上げに参画し、コーディネーターとなった。西アフリカの殆どの国から女性が集まった。
2002年2月、新たな反政府勢力が力を増し、首都モンロビアに非常事態宣言が出された。リーマは、その頃に見た不思議な夢を信じ、セントピーターズ教会で祈る活動を開始する。そして、教会でスピーチをしていたとき、「WIPNET」の友人が手を上げた。
驚かせるかもしれませんが、お伝えします。
私はこの教会のなかで、唯一のイスラム教徒です
神は立ち上がられた。私たちは皆同じ神に仕えています。これはキリスト教徒に限った事ではありません。私は今日、イスラム教徒の女性たちとともに動きだすことを約束します。私たちは同じ答えを見出すでしょう。リベリアに平和をもたらすために、みなが一緒に活動するのです。
イスラム教徒とキリスト教徒の女性が共同で何かをやることなど、誰も考えたことはなかった。200人の女性が互いに手を組んで街を歩きながら讃美歌を歌い、イスラム教の歌を歌い、また讃美歌を歌った。
弾丸はキリスト教徒とイスラム教徒を区別するでしょうか。弾丸は相手を選びますか?
2003年4月、2つの反政府勢力は勢いを増し、首都に迫った。「WIPNET」は、無条件の停戦を訴えて座り込みを開始する。これが2000人以上の参加者を集め、"平和への大衆活動"として有名になった。白いシャツ・白いヘアタイ・ノーメイクの女性が、夜明けとともに集まり、キリスト教・イスラム教の歌を歌い、祈った。
WIPNETは、テーラー大統領との会談を勝ち取った。引き続いて反政府勢力にも会い、和平交渉の席につくことを合意させる。そして、ガーナで行われた交渉の席で、進展について絶望的な気分になったリーマは、会議場の出口ドアの前を占拠して鬼気迫る行為に及んだ。その行為が、アフリカの伝統的な「呪い」に基づくものであったことが興味深い。
賞をもらうような人は、賞をもらったって割に合わないというくらいのことをしているのではないだろうか。リーマは、「アクラ包括和平合意」の後も武装解除や略奪防止に貢献し、新たな女性平和団体「WIPSEN」を立ち上げた。国連で講演したのがきっかけで『悪魔よ地獄に帰れ(Pray the Devil Back to Hell)』という映画が作られ、世界に発信された。でも、良いことばかりではない。
映画の製作時には、かつての同僚に呼び出され「いくらもらったの」「何一つしていないくせに」と言われ、新団体設立時には旧団体の仲間に訴えられた。悲しみとプレッシャーと苛立ちで、飲酒におぼれた。子育てを姉に任せた結果「僕たちのこと、何も知らないんだね」と言われるようになった。
それでも、別のやり方ができたかと言えば、それはNOだ。子供を捨てて逃げ出し、一緒に生き延びられなかった人がたくさんいた。自分たちは最後まで頑張って、生き抜いた。
リベリアで戦争が起きているあいだ、誰一人として女性の真の姿を報道しなかった。夫や息子を隠して、新兵を集めている兵士から守ったこと。混乱のなかで、家族のために食料や水を求めて何キロもの道を歩いたこと。日々の生活を続け、平和が戻った時にそこから再スタートできるようにしておいたこと。そして、女性同士の絆を強め、すべてのリベリア人のために平和を求めて声を上げたこと。
リベリアの道のりは長いけれど、それでも、8年間平和な状態にある。座り込みをした魚市場近くのグラウンドは、サッカー競技場に戻った。今、リーマの優先課題の1つは、若い女性に活動を教えることだ。「私たちの」新しい世代を築きたいという。