WEB本の雑誌

活字と自活
『放っておいても明日は来る
就職しないで生きる9つの方法』
高野秀行+とんでもない奴ら(著)
本の雑誌社
2009年11月18日搬入
価格 1,470円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> 本やタウン
>> ブックサービス

辺境作家・高野秀行の唖然呆然大笑いの対談集。

就職するはずのマレーシア空港につ いたら会社がなかったり、ダイエットのつもりで始めたキックボクシングにハマって、タイでプロのムエタイ選手になってしまったり、赴任した先は拳銃もライ フルも自由に売っているとんでもないところだったり…。
しかし世間からドロップアウトしているように見えるひとたちが、その落ちた先で見つけたのは、あまりに自由な生き方でした。

就活学生を癒した伝説の講義がついに単行本化!
エッセイとしては勿論、究極の就活本(???)としてもお楽しみ頂けます! 。

ちょい読み 「好きな“場所”を仕事にしてみる/二村聡」より

二村聡(開発に頼らないジャングルのビジネスを○マレーシア)
1963年東京都出身。
明治大学農学部卒業後マレーシアへ。1994年マレーシアで薬用植物調査会社を設立し、2000年同社を発展解消させて新たに株式会社ニムラ・ジェネティック・ソリューションズ設立。また同年マレーシア子会社Nimura Genetic Solutions (M) Sdn. Bhd. 設立。熱帯ジャングルと、そこに生活する少数民族の伝統的知識の素晴らしさを保護するには、開発によらない利益確保が絶対に必要であるという信念から、ジャングルの生産物の商業的価値を研究開発する会社を設立。マレーシアの国立、州立機関と次々に提携し研究利用権を獲得。日本の製薬企業や化学企業とのビジネスを通して地元への利益還元を進めている。2009年8月には念願だったブータン王国との提携に成功。アフリカ、南米、オセアニアの各国と、さらなる提携地域拡大を目指して交渉中である。

職したはずの会社がなくなって

高野 こんにちは。二村さんは僕が言うのもなんですが、ものすごいハチャメチャな人生を送ってますよね。ところでおいくつなんですか。

二村 高野さんにハチャメチャとか言われるともう終わりのような気がしてきましたが、四十五歳です。

高野 もともと何がしたかったんですか。

二村 そもそもは専門学校を卒業してタイルの輸入会社に勤めたんですね。

高野 えっ? 大学行ってませんでしたっけ?

二村 大学に入る前にサラリーマンをやっていたんです。

高野 珍しいパターンですね。

二村 数年、そのタイル会社で働いてました。タイルをヨーロッパから輸入する会社なんですけど、当時は海外のタイルのほうが国内のものよりも高かった。その高いタイルをどこが使うかというと、だいたいラブホテルかソープランドで使っていたんですよ。

高野 へえ。

二村 変な話だけど、工事が終わってオープンしたあとなんかに不具合が出ると、タイルの交換にソープランドとかラブホテルに行くことになる。今だったらなんとも思わないけど、当時は若かったので「俺はこんな仕事をしていていいのか」なんて考えちゃって。それで世の中で本当に必要な仕事って何かなっていうのを考えたら、「農業しかない」と思って、大学の農学部に入ったんです。

高野 農学部ですか。

二村 農学部っていうと農業だけってイメージかもしれないですけど、バイオとか遺伝子の組み換えだとかいうのが、ちょうど農学部でやりはじめた時期だったんです。四年間通って卒業するときが、いわゆるバブル最後期、しかも丙午の年で、就職説明会をハワイでやるなんて時代。でもサラリーマンを一回やっているのに普通の商社の農産物部門に行ってもしょうがない。農業に直接的には関われないでしょ?

高野 そうですね。中間でやりとりするのが仕事ですから。

二村 実際に栽培したりとかそういう仕事に就きたいなと考えていたところに、サラリーマン時代に知り合いだった人が、マレーシアで農産物をヨーロッパへ輸出する仕事をやっていて、それを日本向けにやりたいので来てくれないか、と誘われたんです。マレーシアだったら、もしかするとプランテーションとか将来的に直接農業に関われるほうに展開する可能性があるんじゃないかと考えて、入社することにしたんです。まあ、そこがそもそも間違ってますけどね。

高野 考え方としてね(笑)。

二村 そしたらマレーシアへ行く一週間前に話がおじゃんになった。

高野 今で言う内定取り消しみたいなもんですか。

二村 いえ、会社がなくなったんです。それにしても一週間前なんですよ。親とか親戚とかには「マレーシアで就職することになった」って報告して、すでにご祝儀とかもらってるし。だから会社がなくなったって言えなくて、スーツを着て行ったわけですよ、マレーシアへ。

高野 会社ないのに。

二村 そう。だけど行ったはいいけれど誰も知らない。しかもそのとき飛行機に初めて乗ったの。パスポートも初めてつくったし、海外も初めてなわけです。

高野 大変じゃないですか。

二村 成田に着いて、どうしようかなあって思ってね。

高野 どうしようかなって思っても行っちゃうんだ?

二村 だって親とか親戚とか「頑張ってこいよ。気をつけろよ」とか言ってるんだもん。

高野 引くに引けなかったんですね(笑)。

二村 ちょっとね(笑)。まあ、でもマレーシアに着いてもやることがないわけですよ。スーツ着てスーツケースを持って行ってるのに、いわゆるバックパッカーが泊まるようなところに部屋を取って。

高野 ゲストハウスみたいなところですか。

二村 そうそう。そこに泊まって、やることがないから町をぷらぷら歩いていた。そしたら道路沿いにサッカーのグラウンドがあったんですよ。芝のグラウンドできれいでねえ。いいなあって見ていたらゴールにネットをかけはじめた。ということは試合がこれから始まるってことじゃないですか。

高野 うん。

二村 それで僕はサッカーが大好きなんで、暇だしそこの階段状のスタンドに座ってぼーっと始まるのを待っていたんです。しばらくしたらバイクにサッカーボールを乗っけた兄ちゃんがやってきて、僕のほうにつかつかっと寄ってくるわけですよ。「お前、今日の試合出るのか?」って。「いやそんなことないけどなんで?」って訊いたら、「寄せ集めのチームだからユニフォームがなくて、みんな赤いシャツを目印にしようということになっている」と。ちょうどそのとき、僕が赤いポロシャツ着てたんですね。

高野 間違われたわけですね。

二村 違うって否定したんだけど、人数も足りないから出ないか?って誘われて、他の選手が来るまで練習相手をしてあげていたんですよ。それでまあせっかくだからということで試合にも出まして……。

高野 アバウトですねえ。

二村 そしたら試合で乱闘になっちゃったんですよ。やっぱそういうのって連帯感がぐっと増すわけよ。

高野 いきなり連帯しちゃったんですか(笑)。

二村 そうそう。それで「お前どこに泊まってるんだ?」って訊かれて、ゲストハウスに泊まってるって答えたら、チームメイトの家に空いてる部屋があるからそこに住めと。一カ月くらいそこに居候させてもらった。

高野 一カ月も居候って……。とにかく時間かせいでたわけですよね? 帰国もできないし。

二村 そう(笑)。とにかく日本に早く帰るのが恥ずかしいわけでしょう。だからできるだけマレーシアに滞在するのを延ばしたいわけですよ。それで延ばし延ばしにしていたんだけど、住む場所も確保できたし、あとは職さえ見つければこれは嘘じゃなくなるな、と。

高野 うーん、確かにそうですね。

二村 それで英字新聞を買って、求人欄を見ていたら、日本語教師求むっていう募集が載っていたんですよ。そこへ応募したらタイミングよく採用になり、日本語を教えた経験もないのに、いきなりチーフインストラクターになってしまった。

高野 めちゃくちゃですね。

二村 めちゃくちゃなんですよ。でもね、僕が採用されたとき生徒数が三百人だったんだけど、僕が入ってから一年間で五百人にしたんです。カンパニークラスという日系の会社やホテルの従業員向けの授業があるんですけど、そこで評判が良いと、その受講者が生徒になって来てくれるんですね。

高野 出張授業の生徒が学校の生徒になってくれるんですか。

二村 そうです。それが営業なんですけど、もう頑張りましたよね。

高野 日本語教師はどれくらいやったんですか。

二村 契約が一年だったので一年で辞めました。

高野 それからいろんなビジネスを試したんですよね?

二村 試したんですけど、惨敗につぐ惨敗で……(苦笑)。

高野 例えばどんなビジネスをしたんですか。

二村 一番大笑いしたのが、インドからマッドクラブっていう蟹を鹿児島の市場に卸すっていう仕事なんですけど、だいたいキロ二千円くらいが相場で、千二百円値が付けば儲けが出るって言っていたのに、そのときたまたまシンガポールとインドネシアから同じ蟹のコンテナが着いちゃったんです。物が増えれば相場は落ちる。結局四百円くらいしか値が付かなくて、運賃も出なかった。

高野 大失敗じゃないですか。

二村 大失敗(笑)。あとはクラシックカーをイギリスからマレーシアに輸入して、マレーシアで修理して日本やオーストラリアに輸出するっていうのを考えた。

高野 車に詳しいんですか。

二村 素人なんだけど最初にちょっと儲かったんで、本格的にやろうとしたんですよ。

高野 なんだか完全なビギナーズラックの気がしますね。

二村 危なかったですよねえ(笑)。本格的にやる前に湾岸戦争があってバブルがはじけて立ち消えになった。でもイギリスまで買い付けのために一カ月くらい行ってましたからね。

高野 すごいなあ。



…………そんな二村さんは、ジャングルと出会い、新たなビジネスを立ち上げる。しかしそこに待っていたのは怒り狂う象やピストルを構える密猟者、そして質屋通いの日々だった。

二村さんの残りの「放っておいても明日は来る」人生と、二村さん以外の7人の「明日来る」人生は本書でお楽しみください!

活字と自活
『放っておいても明日は来る―就職しないで生きる9つの方法』
高野秀行+とんでもない奴ら(著)
本の雑誌社
2009年11月18日搬入
価格 1,470円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> 本やタウン
>> ブックサービス

■目次■

はじめに/高野秀行

  1. 好きな"場所"を仕事にしてみる/二村聡(開発に頼らないジャングルのビジネスを●マレーシア)VS高野秀行
    • コラム:夢はたくさんある方がいい 高野秀行
  2. 人生、何事も結果オーライ/下関崇子(本場でプロのムエタイ選手●タイ)VS高野秀行
    • コラム:負けても楽しい、という感じ方 高野秀行
  3. 情熱は案外身近なことで燃やせる/井手裕一(地元発の映画プロデュース●沖縄)VS高野秀行
    • コラム:懸命に伝え続けられる才能 高野秀行
  4. 危険でもとにかく真っすぐに進む/金澤聖太(辺境ツアーの現地手配業●ミャンマー)VS高野秀行
    • コラム:アジア辺境パックツアー・イン・SHIBUYA!! 高野秀行
  5. 楽しいだけだとつまらなくなる/モモコモーション(多国籍バンド/サウンドクリエイター●タイ)VS高野秀行
    • コラム:クリエイティブワークを世界に解き放つために 高野秀行
  6. こりない思い付きこそ人生そのもの/黒田信一(作家/ライター/カフェ経営●ラオス)VS高野秀行
    • コラム:形式張らなさが魅力のカリスマ 高野秀行
  7. チャンスは「面白そうじゃん」の方向に/野々山富雄(ネイチャーガイド●屋久島)VS高野秀行
    • コラム:ワイルドマンの極めつけに平凡な夢 高野秀行
  8. スタートはいつだってゼロからである/姜炳赫(翻訳エージェント●韓国)VS高野秀行
    • コラム:ほがらかでハングリーな、魂 高野秀行
  9. 「絶対無理」の七、八割はどうにかなる!/高野秀行 作家/講師

あとがき 高野秀行

高野秀行
1966年東京八王子生まれ。 早稲田大学探検部当時執筆した『幻獣ムベンベを追え』でデビュー。 タイ国立チェンマイ大学日本語講師を経て、辺境作家になる。 誰も行かないところへ行き、誰もやらないことをやり、誰も知らないものを探す。 それをおもしろおかしく書くをモットーに、多くの作品を生み出している。2006年に『ワセダ三畳青春記』で第1回酒飲み書店員大賞受賞。
高野秀行オフィシャルサイト

<< 本の雑誌社の最新刊ページへ戻る