『投票権をわれらに』が記す今現在も続く問題
文=冬木糸一
今回まず紹介したいのは、アメリカでマイノリティの投票権を守るため、絶大な効力を発揮してきた投票権法の歴史をひもとくアリ・バーマン『投票権をわれらに 選挙制度をめぐるアメリカの新たな闘い』(秋元由紀訳/白水社)だ。アメリカでは一八七〇年に人種による投票権の制限を禁じた憲法修正第十五条が採択された。しかし、その後も読解能力や憲法知識を問う識字テストの実施など、黒人を投票から排除する州法が制定され、事実上黒人らの投票権は奪われたままだった。
そうした状況を変えたのが一九六五年の投票権法だ。この法律によって識字テストが排除され、特に差別のひどかった区域においては選挙制度を変更する際には事前に連邦政府の承認を得なければならなくなった。投票権法の成立前、全国で公選職についた黒人は五〇〇人未満だったが、成立後は一万人を超えた。大成功にみえるが、歴史上この投票権法は攻撃を受け続けてきた。何としてもマイノリティに投票させたくない勢力は法をかいくぐり、選挙区を黒人が過半数を超えないように操作し、黒人の多い地域の投票所を少なくして投票できないようにするなど、妨害を繰り返してきた。
オバマの大統領当選後は「すでに黒人は平等に扱われているじゃないか」として、投票権法の力を弱めたい勢力が盛り返している。マイノリティに支持されにくい政党は、マイノリティの投票行動を邪魔することで有利になるから、今後も投票権の妨害は終わりそうにない。政治の根幹である投票権が今まさに揺り動かされている惨状が、ここには克明に記されている。
池澤夏樹・池澤春菜『ぜんぶ本の話』(毎日新聞出版)は稀代の読書家である親子が本について語り明かす読書家垂涎の対談本だ。何から本を読み始めたのかという豊穣な児童文学の話からはじまって、『ゲド戦記』や『指輪物語』、ボルヘスにヴォネガットに『三体』に──と、SFにミステリーにファンタジィに、古典から新刊まで縦横無尽に語り尽くしている。とにかくよくもこんだけ本を読んできたものだと驚くと同時に、昔読んだ本の内容をよく記憶しているので感心してしまう。ジャンルが成熟しきったSFはこの先どうなっていくのだろうか、などの各ジャンル論もおもしろいが、本に関する対話を通して家族の歴史が浮かび上がってくるのがたまらない。読みたい・読み返したい本が増えてしまって、大変な一冊だ。
続けて紹介したいのは、ナノテクノロジー、遺伝子工学、環境工学の発展によって世界のあらゆる側面への介入が可能になった現代で「我々は何を考えていかなければいけないのか」を問いかける、クリストファー・プレストン『合成テクノロジーが世界をつくり変える』(松井信彦訳/インターシフト)だ。たとえば、環境工学では温暖化を防ぐために、粒子を成層圏に撒くというアイデアがある。遺伝子工学は人間の能力を変化させ、今では絶滅した動物さえも、技術的には復活させることができる。昔のように、環境や生物には介入せず手つかずの自然を保護していけばいいという選択は、人類の影響が地球中に蔓延しているいまとなっては、望まなくともとれなくなってしまっている。では、「どれだけ介入すればいいのか」。本書はそこに答えを出す本ではないが、議論の前提、土台を構築する手助けをしてくれる。
杉本恭子『京大的文化事典 自由とカオスの生態系』(フィルムアート社)はその書名の通りに京都大学の文化を網羅的に収集した一冊だ。たとえば、入学試験前に毎回どこかから運ばれてきて設置される「ハリボテの折田先生像」とは何なのか? 消されては書き直されている、巨大なキリンや猫又といった謎の落書きの正体、変幻自在にキャンパス内に現れる「やぐら」と「こたつ」の謎など、京大には変な文化がたくさんある。本書では、卒業生・学生・先生への膨大なインタビューを通して、そうした一見したところ奇妙な行動や、日本最古の学生自治寮「吉田寮」の背後に存在する「自由」「対話」「自主性」を重んじる、京大独自のスタイル、価値観が浮かび上がってくる。
続けてフィルムアート社からもう一冊、イアン・ネイサンによる評伝『クエンティン・タランティーノ 映画に魂を売った男』(吉田俊太郎訳)を紹介しよう。『パルプ・フィクション』や『キル・ビル』といった圧倒的な脚本の妙や数々のオマージュとバイオレンスで成り立つ爽快な映画で世界的な名声を得たタランティーノを、その生い立ちから迫ってみせる一冊である。監督作のみならず原案・脚本のみの作品まで含めてその成立背景やテーマを取り上げ、一見バラバラな彼の作品に存在する思想やスタイルに迫っている。映画のシーンや撮影中の風景などが各ページに挿入されているのも楽しく、読み終えたときはついつい映画を観たく/観かえしたくなるだろう。タランティーノ入門にも最適だ。
最後は『ファスト&スロー』のダニエル・カーネマン、神経科学者のアントニオ・ダマシオなど多数の知性的な人間が「バカ」という謎に迫った一冊、ジャン=フランソワ・マルミオン(編)の『「バカ」の研究』(田中裕子訳/亜紀書房)を。高IQの人間が低IQの人間をバカにするような本ではなく、知性が高かろうが低かろうが人は誰であってもバカになりえると前提を置き、「インターネットは人をバカにするのか?」、「感情的な人間はバカなのか?」など「どういう時に人はバカになってしまうのか」を様々な専門分野から切り込んでいく。時にバカな行動をとってしまうことは仕方がなくても、それを避けようと努力することはできると教えてくれる一冊だ。
(本の雑誌 2020年9月号掲載)
- ●書評担当者● 冬木糸一
SFマガジンにて海外SFレビュー、本の雑誌で新刊めったくたガイド(ノンフィクション)を連載しています。 honz執筆陣。ブログは『基本読書』 。
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