新しい人生の扉を開く『きのこのなぐさめ』
文=林さかな
No Mushroom, No Life. 背表紙の帯に書かれているとおり本書『きのこのなぐさめ』(ロン・リット・ウーン/枇谷玲子・中村冬美訳/みすず書房)は、きのこが人生を取りもどしてくれた物語。人類学者である著者は、夫の突然死から悲しみ以外の世界が見えなくなってしまう。深い暗闇の世界に光をさしてくれたのが、きのこだった。いつか夫と一緒に行こうといっていた自然史博物館のきのこ講座に申し込みをしたことで、新しい人生の扉が開いたのだ。
読者がきのこと悲しみという2つのつながりに迷わないよう、作者はまずきのこについて初心者向けに話をしてくれる。自然の生態系の再生者として、医薬品として、何よりきのこのもつ不可思議さの魅力。きのこ好きの多くは食べ物として好きな人が多いというのは親しみを感じる。
熱く語られるきのこの魅力に読みふけっていると、きのこ熱がうつってくる。人類学者の視点で語られる「好き」は伝染力がある。
ちなみに舞台はノルウェー。マレーシアから交換留学で来ていたときに夫となるエイオルフと出会い、居を構えた。ノルウェーはきのこ専門家の育成に力を入れており、教育プログラムの充実ぶりは国際的にもレベルが高いそうだ。
未亡人になった悲しみから癒えるプロセスも並行して語られる。周りから多く聞かれる「元気?」という言葉に、自分が必要としているのは喪失を認めてもらうことだと著者はいう。
本書はきのこの魅力を伝えるものでもあり、悲しみを癒していく心の旅の本でもある。きのこ写真もたくさん挿入され、百二十種程ある巻末の索引も充実。
『ダイヤモンド広場』(マルセー・ルドゥレダ/田澤耕訳/岩波文庫)で紡がれている物語には、磨かれた硝子がきらきら光っているような文章がちりばめられすっかり魅了された。一九七四年にフランス語の重訳で邦訳されているが、今回はカタルーニャ語からの翻訳。スペイン語訳で読んだG・ガルシア=マルケスが「内戦後にスペインで出版された最も美しい小説である」と紹介していることに深く納得。
婚約者がいたクルメタ(小鳩という意味)にキメットが思いを寄せ二人は結婚する。キメットは既に仕事を持っていたが、それとは別に、鳩の育成でお金を稼ぎたいと思っていた。子どもも生まれ、仕事に育児に鳩の世話で毎日が忙しくなっていく中、キメットは内戦に出征する。
二人のなれそめから日々の暮らし、加えて生活しているグラシア街の描写は細かな道具や置物に至るまでたっぷりの形容がなされて引きこまれる。キメットが内戦に行ってしまってからは、つらいことが続き、クルメタはどうなっていくのか気にかかり一気読み。大きな抱擁を感じる最後がとてもよかった。
ジュンパ・ラヒリがイタリア語で書いた初長編とくれば読まずにはいられない。『わたしのいるところ』(中嶋浩郎訳/新潮社)は「わたし」がイタリアで暮らして感じたことが短い章立てで描かれる。日々の些事が長編詩のごとく再編成される。
目でみえること、心で感じることを適度な湿り気をもたせて人の気持ちに届く言葉で書かれ、読んでいると気持ちが平穏になってくる。
多くの人は働いて食べて寝て時々好きなものを買ってというような生活をしている。そういう生活を小説の言葉で描き、なにげない日常を自覚させてくれる。
小さな町の美術館で絵を鑑賞するように楽しい読書だった。
アル中の父親が息子と妻に向かって発砲し、命からがら走って逃げた、それがきっかけで足の速さを自覚した少年が主人公のYA小説『ゴースト』(ジェイソン・レノルズ/ないとうふみこ訳/小峰書店)がいまYA好きの間で話題なのだが、同じ作者による(こちらの読み方はジェイソン・レナルズ)の『エレベーター』(青木千鶴訳/早川書房)もおもしろかった! 物語を詩の形式で書き、タイポグラフィーも用い、臨場感たっぷりで読ませる話なのだ。
十五歳のウィルは兄ショーンが射殺され、復讐を企てる。銃をもって七階からエレベーターに乗りこむと、階ごとに乗ってくる思いもかけない人物たちに出会うことになる。
階ごとに繰り広げられるドラマに、自分もエレベーターにいるかのようなリアルを感じ、最後まで読み終わったときには大きなため息が出た。
翻訳小説には訳者あとがきや解説がついていることが多いが、今回は著者による謝辞のみ。
「世の詩人たちにも感謝する。この世に詩が存在していなかったなら、とりわけ、ぼくが若いころに詩と出会っていなかったなら、ぼくが作家となることは、虚しい試みに終わっていた気がする」読み手の私も詩人に感謝したい。
小説ではないがすごくおもしろかったので紹介したいのが『ゾンビの小哲学 ホラーを通していかに思考するか』(マキシム・クロンブ/武田宙也、福田安佐子訳/人文書院)。
自分の不得手な世界をガイドして欲しくなり手に取ってみたら、ドンピシャリの満足感。例えば、近代性の心的外傷を負った形象として例にあげられているゾンビは、「ハードな、狂乱の、疲労困憊の一日を終えて仕事から帰るサラリーマン──を想起させるのである」と、身近な例にゾンビとの距離が一気に縮まった。
様々な思想的切り口からゾンビとは何なのかを読んでいくと、興味がわいてきて、ゾンビ映画を観てみたくなっている。
(本の雑誌 2019年11月号掲載)
- ●書評担当者● 林さかな
一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」
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