内戦の街から自由な場への二人の歩み
文=林さかな
人は自分の眼でみたもの以外はなかなか腑に落ちない。国内の事件ですら、住んでいる所以外だと他人事になる。東日本大震災が起きて数年後、四国の観光地を歩いている時に、地元の人に「どちらからいらしたんですか」と声をかけられた。答えを聞いたその人の「え!」という表情は今も忘れられない。「大変な震災があった所ですよね」と、そんな所から来たのかという驚きを隠せないその人に、どんな言葉を返したらいいのか、それよりも自分がどこから来たかをいわない方がよかったのではとまで思ってしまった。
海外翻訳小説には、遠い国のできごとが書かれている。知らない国の状況を想像しながら読む。「大変な震災」のようなできごとは世界のあちこちに起きていて、小説からその一部を知っていく。数センチの紙の束である本につまっていることが私の眼になってくれるのだ。
『西への出口』(モーシン・ハミッド/藤井光訳/新潮社)は内戦が激化している街が舞台だ。ナディアとサイードは夜間学校で出会った。難民が増え、銃撃戦も時折起きる町だが、日常はまだ残っていた。
物語はこうはじまっていく。
「世の中とはそういうものだ。私たちは、ある瞬間にはいつものようにだらだらと雑事をこなしていたかと思えば、次の瞬間には死にかけているものであり、終わりがつねに迫っているからといって、それで私たちのはかない人生の始まりや歩みが止まることはない。」
ふたりは故郷を離れ、もっと自由な場を求める。ドラえもんのどこでもドアのような「扉」があらわれ、ふたりはいくつもの「扉」をくぐりぬけ、西へ向かっていった。元いた場所は中東のように描かれ、扉の先はギリシャ、イギリス、アメリカ。恋人たちの関係は時や場所の移動とともに、少しずつ変化していく。時とともに移ろうのは物理的なものだけではなく、実体がみえない気持ちもそうなのだ。あれほど胸を焦がした気持ちも状況によって変わっていく。
グローバルなできごとと誰もがもっている心の移ろいが両輪となって繊細に描写され、広い世界にある小さくも大きなリアルをつきつけられる。
理論社から刊行されているショート・セレクションの最新刊はエーメの『壁抜け男』(平岡敦訳/理論社)。六作の短篇が収録され、表題作は「扉」すら必要とせず、壁を抜ける男が描かれる。自らの特技である壁を抜けられるということに執着していなかったデュティユール。公務員として地道に仕事をしていたが、あることをきっかけに壁抜けの快感を知ってしまう。平凡な市民が時の人になっていくのは小気味よく、ラストの展開まで楽しめる。
「政令」は戦争が激化している時代、戦争から人々を解放するために世界中でいっせいに時間を十七年進める政令が発効される話。サマータイムのように一時間進めるというのをはるかに超える年数。それによって、人の生活はどう変わるのか、変わらないのか。シニカルな視点で語られる十七年がおもしろい。
フランスでは幅広い年齢層に読まれている作家エーメの作品を、子どもから読める体裁でつくられているこのセレクションは、ヨシタケシンスケさんのイラストも絶妙でリラックスして楽しめる。
『日々の子どもたち あるいは366篇の世界史』(エドゥアルド・ガレアーノ/久野量一訳/岩波書店)は、神話、伝承、証言、覚書、引用、作者の体験、詩などを三六六日の日付の中で展開していく。紀元前四七年一月三日には古代の図書館が燃えたこと。二月六日はボブ・マーリーについて「彼があの声で歌っていた内容は、過ぎ去った日々の沈黙の響きであり、祝宴であり、二世紀のあいだジャマイカの山中で主人たちを狂わせた奴隷戦士らの怒りであった」と書く。
訳者あとがきにはタイトルにある「日々の子どもたち」とは、「過去を親として生まれた息子や娘が自分たちなのだ」とある。
歴史家である著者は歴史における日付を単なる時系列ではなく、マイルストーンのようにして世界を記している。
悪夢のような戦争も多々書かれているが、ブラジルの洒落た話もある。軍事独裁の真っ只中、公共道徳をそこなうとして裁判所がキスを禁じた。判決の応答としてデモが勃発し、街はキスで溢れかえったという。
一日に書かれていることは決して長くはない。数行で鮮やかに凝縮された「時」を書く。
世界にはいろいろな一日があり、今も新たな日が始まっていることが伝わってきた。
エリック・マコーマックの『雲』(柴田元幸訳/東京創元社)は、読んでいる間、時間が過ぎるのを忘れるほど没頭した。端正な訳文は、どの言葉も根っこがしっかりして物語の隅々を豊かに読ませてくれる。
ハリーはメキシコに出張した際、ふと入った古書店で若かりし頃に滞在したダンケアンという町の名前が記された書物と出合う。
ダンケアンで何があったのか、その書物に書かれていることを調べているうちに、出合う奇怪なできごとの数々が、詳らかにされればされるほど、ページを繰るのが止まらなくなった。
丹念に積み上げられていく話は、どんどん複雑に厚みを増し、驚異に満ち、よそ見をする暇を与えない。出会うことのなさそうな人間たちがぞろぞろ出てきて、ぞっとするような所業を行う。
読後、冒頭のエピグラフはまさにこの小説そのものだ。
天空がすべて羊皮紙で、/海がすべてインクで、/すべての鳥の羽根がすべてペンで、/男も女もすべて筆記者だったとしても/それでもまだ/この驚異を綴るのは不可能であろう。
──長老ガマリエル
(本の雑誌 2020年3月号掲載)
- ●書評担当者● 林さかな
一九六七年北海道生まれ。カナダ、京都、名古屋で生活。いまは東北在住。好きな詩:エミリー・ディキンソン「真実をそっくり語りなさい、しかし斜めに語りなさい――」
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