トマス・ハリス79歳の新境地『カリ・モーラ』にぶっ飛ぶ!
文=小財満
えっ、あの発表の全作品が映画化されている、かのレクター博士の生みの親、『羊たちの沈黙』『ハンニバル』で有名な世界的大ヒット作家トマス・ハリスってこんな作家だったんですか!? ですか!? ですか......ですか......(以下エコー)
と、かなり驚いたのがトマス・ハリス『カリ・モーラ』(高見浩訳/新潮文庫)。近い作品を挙げるならばエルモア・レナード『マイアミ欲望海岸』かカール・ハイアセン『幸運は誰に?』だろうか。麻薬王の遺産を巡る争奪戦を描く、ブラック・ユーモアに満ちた犯罪小説だ。コロンビアの麻薬王の遺した金庫に入った金塊を巡って、欲望に駆られた奴らが麻薬王のものだったマイアミ・ビーチの屋敷に集まってきた。女性を人体液化装置で溶かしてトイレに流すのが趣味という反社会的犯罪者ハンス・ペーター、麻薬王の元部下ドン・エルネストとその手下の〈十の鐘泥棒学校〉出身者たち、そして主人公たる美しき屋敷の管理人カリ・モーラ──コロンビアからの不法移民で反政府左翼ゲリラで訓練を受けた元少女兵。三つ巴の戦いを制するのは果たして。
作者の十三年ぶりの新作だが『羊たちの沈黙』で作者のファンになった読者が久々の新作と期待して読むとある意味肩透かしかもしれない。訳者も指摘するようにエルモア・レナードへのオマージュではないかと思わせる饒舌な語り口のパルプ・ノワールで、七十九歳だという作者の新境地と言えよう。もちろんバカバカと人は死ぬし、麻薬王の金塊というマクガフィン、ハンス・ペーターという敵役のの存在からして悪い冗談ばかりで出来上がったような作品だが、カリ・モーラというタフな女性とその生い立ちは躍動感あふれる描写で真に迫っている。
ミステリ作家シャンクスを探偵役にした連作短編集『日曜の午後はミステリ作家とお茶を』で昨年話題となったロバート・ロプレスティの日本オリジナル短編集『休日はコーヒーショップで謎解きを』(高山真由美訳/創元推理文庫)。作者がEQMM(エラリー・クイーンズ・ミステリ・マガジン)よりもAH(アルフレッド・ヒッチコック)MMでの掲載作品が多いと語ることからも分かる通り、単なる謎解きには終わらないヒネリのきいた作品ばかりだ。中西部の田舎町に出来たピザ屋にやってくるようになった元マフィアをめぐる事件を描く「ローズヴィルのピザショップ」にガツンとやられれば、人種問題に揺れる一九六七年のニュージャージー州、少年だった主人公が出会う事件「消防士を撃つ」もランズデールを思わせる小品で唸らせられる。クラシックな謎解きも作者の手にかかればオフビートな一作になる──ネロ・ウルフものを意識して作られた中篇で、ビート詩人探偵を主人公にした「赤い封筒」などなど。作者の多彩な魅力が楽しめる短編集だ。
殺し屋と少女、というリュック・ベッソンが映画『レオン』で創造したクリシェを用いた作品というのは、あまり褒められた倫理観のもとに創作される類の作品ではないが、同時にそういった作品は「堕ちていく人々」を描いているからしてノワール読みがそのクリシェを用いた作品を支持するのも理解できる。そしてマイケル・フィーゲルのデビュー作『ブラックバード』(高橋恭美子訳/ハーパーBOOKS)もそうした作品の一つだ。
組織から指示された国内テロを金で請け負うエディソンはファストフード店で乱射事件を起こした際に八歳の少女クリスチャンの中に過去の自分の面影を認め、そのまま連れ去ってしまう。場所を転々としながらエディソンはクリスチャンに殺し屋としての基礎のレッスンを始める。殺し屋をヒーロー的にではなく精神病質者、不完全な人間として描くことで疑似家族ものとして成功した作品だ。
現代の英米ミステリシーンでは珍しいと言える本格ミステリ黄金期のインスパイア作品、クリス・マクジョージのデビュー作『名探偵の密室』(不二淑子訳/ハヤカワ・ミステリ)は密室に集められた人々が殺人犯を捜す『そして誰もいなくなった』式の作品だ。
かつて少年時代に実際に殺人事件を解決し、今は探偵役としてリアリティ番組で司会を務める男モーガンは、気づくとホテルの一室で拘束されていた。その部屋には見知らぬ五人の男女と、一体の死体。三時間以内に死体の殺人犯を見つけなければホテルを爆破する、というアナウンスが流れるが......というフーダニット兼脱出ゲームの作品。類似作品としては海外よりも新本格ブームの存在した日本の作品のほうが挙げやすいだろう(岡嶋二人『そして扉が閉ざされた』など)が、あえて数年前の邦訳作品ジョー・バニスター『摩天楼の密室』を挙げたい。物語の主眼は犯人探しよりも、なぜ主人公たちがクローズドサークルに集められたのか、というホワイダニットのほうだからだ。物語の中盤、主人公が信頼できない語り手と化しはじめてからの気持ちの悪さがそのホワイダニットと結びつくときの驚きが、本作の真骨頂だろう。
アビール・ムカジー『カルカッタの殺人』(田村義進訳/ハヤカワ・ミステリ)は一九一九年の大英帝国植民地下のインド、カルカッタを舞台にした歴史ミステリ。元スコットランド・ヤードの警部を主人公に混沌の地カルカッタでの殺人事件と悪戦苦闘を描いている。本作で扱われるのはガンジーが不服従運動を開始した時代であり、民族運動の高まりによる緊張感が読みどころだ。主人公と現地の人々、同僚のインド人新米刑事や混血の美女アニーとの交流の中で改めて浮き彫りになる当時の人種問題は、ポピュリズムから不寛容な時代となりつつある現代にも通じるものだ。
(本の雑誌 2019年11月号掲載)
- ●書評担当者● 小財満
1984年、福岡県生まれ。慶應義塾大学卒。在学中は推理小説同好会に所属。ミステリ・サブカルチャーの書評を中心に執筆活動を行う。
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