闇社会の帝王の怒濤の半生記がすごい!
文=仲野徹
まず一冊目は許永中の『海峡に立つ』(小学館)から。在日韓国人として大阪に生まれた政商許永中の名前を久しぶりに聞いた。
腕と才覚で「戦後最大のフィクサー」や、「闇社会の帝王」と呼ばれるまでにのし上がっていく。暴力団に属することはなかったが、ぎりぎりといったところだろうか。
子どもの頃の想い出から、喧嘩三昧だった青春時代、そして、政商としての生活。もちろん、世間を騒がせた京都放送事件、イトマン事件なども。
本人が語るのだから、じつにビビッドである。大阪についての話では、地元民として、当時の風景が目の前にたちあがってくるような気がした。
書き出しは意外にも初恋の想い出からだ。あれっ?と思っているうちに、ジェットコースターに乗せられたかのような急展開になる。登場人物は、大物政商や暴力団関係者だけでなく、亀井静香や竹下登まで。人脈などという言葉が不十分なほどの豪華さだ。十億、百億単位と、動く金の額も半端ではない。
これまで謎だった、六億円もの保釈金を没収されての逃亡生活も詳しく書かれている。韓国にいるはずが日本にも渡り、時には好きな公衆浴場にまで通っていたというのにはビックリだ。
タイトルの「海峡に立つ」は、在日韓国人として日韓の架け橋になりたいという思いからだ。はたして今の日韓関係をどう思っておられるのだろう。
次は『田中角栄のふろしき 首相秘書官の証言』(日本経済新聞出版社)で、さらにもう一昔前のお話を。
その経歴から、「今太閤」、「コンピューター付きブルドーザー」、「闇将軍」などと異名をとった田中角栄。その秘書官を長く務められた前野雅弥氏による覚え書きである。
壮絶な能力と努力。そして、とてつもない判断力と人心掌握力。耳にしたことのあるエピソードもあったけれど、あらためて恐れ入った。昭和47年に発行され、90万部ものベストセラーになった『日本列島改造論』(日刊工業新聞社)の話が面白い。
日本中に25万人規模の中核都市を作り、それを高速道路と新幹線でつなぐというのが骨子である。地価の上昇を招いたと評判はよろしくないが、そのコンセプトは素晴らしい。もし実現していたら、日本はまったく違った国になっていただろう。
日本列島改造論の著者は田中角栄となっているが、実際に書いたのは官僚と記者たちである。本気で日本をいい国にしたいという角栄の思いが多くの人たちを動かし、一気に書き上げられたのだ。
エネルギー資源に乏しい国を何とかしなければならない。それが田中角栄最大のテーマだったというのは知らなかった。それが行きすぎて米国を怒らせたのが後に、というのは本当なのだろうか。
三冊目は、もっと時代を遡って『独ソ戦 絶滅戦争の惨禍』(大木毅/岩波新書)を。独ソ両国に信じられないほど多数の死者を出した、第二次世界大戦前夜からドイツの敗北までの戦いを描いた本だ。
それぞれの国がどのような情報に基づき、どの時点でどのように判断して作戦を展開したのか。そして、その結果はどうなったのか。最近になって明らかにされた資料も用いながら解説されていく。
より正しくいうと、判断したのは国ではなくて、ドイツはヒトラー、ソ連はスターリンという強烈な独裁者だ。いずれもが要所で判断を誤り、戦局はサイコロの目のように変わっていく。
ヒトラーは、戦争に勝つことだけを目的にするのではなく、敵国民族の絶滅を目指した。それが、独ソ戦をとんでもなく凄惨なものにしたという。恐ろしすぎる結論だ。
江戸時代に作られた浄瑠璃は、歴史物にしろ心中物にしろ、かなりデフォルメはしてあるが、実際にあった出来事を下敷きにしたものが多い。
栄華と挫折、そして強烈なキャラクター。許永中、田中角栄、ヒトラーとスターリン、どれも浄瑠璃の主人公にふさわしい。『もう少し浄瑠璃を読もう』(橋本治/新潮社)を読みながら、そんなことを考えていた。
橋本さんには、『浄瑠璃を読もう』(新潮社)という前作があって、文楽や歌舞伎を観る時のバイブルにしている。その続編なので、面白くないはずがない。
その前作では『仮名手本忠臣蔵』や『義経千本桜』といった大作が主だったが、今回の本は心中物などが中心だ。戯作者が何を考えていたか、そして江戸時代の庶民がそれをどう受け止めたか。完璧な一冊です。
次は一気にテイストを変えて『真面目にマリファナの話をしよう』(佐久間裕美子/文藝春秋)にいきましょう。
日本では厳しく禁止されている大麻だが、米国では医療用を中心に認められつつある。その歴史と現実が丹念に取材されている。はて、この動きは日本にまでやってくるんだろうか。
最後の一冊は肩の力を抜いて『みんな、忙しすぎませんかね? しんどい時は仏教で考える。』(大和書房)をオススメしたい。
僧侶にして宗教学者の釈徹宗先生とお笑いコンビ・笑い飯哲夫さんの書簡集である。「努力は報われる?」とか「死んだらどこに行く?」とかいった24の質問に、お二人が思考を巡らせる。
哲夫さんの考えがおもろすぎる。なんで哲夫さんが仏教を、と思われるかもしれないが、以前にも「えてこでもわかる 笑い飯哲夫訳 般若心経」(ヨシモトブックス)を出しておられる仏教フリークなのである。
快刀乱麻という訳ではない。しかし、そう考えたら気分が楽になるわなぁとか、マリファナ効果が十分に得られる(?)ような一冊だ。
(本の雑誌 2019年11月号掲載)
- ●書評担当者● 仲野徹
1957年、大阪市生まれ。大阪大学医学部卒業、3年間の内科医として勤務の後、基礎研究の道へ。本庶佑教授の研究室などを経て、大阪大学医学部教授に。専門は「いろいろな細胞はどのようにできてくるのかだろうか」学。『本の雑誌』を卒業し、讀賣新聞の読書委員に出世(?)しました。趣味は、僻地旅行、ノンフィクション読書、義太夫語り。
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